長らく書いてきた「ヒットマンとHBK」ですが、今回で最終回です。 二人のラストマッチについて書こうと思うのですが、少々切なく悲しい内容となってしまいます。
ところが、この試合は内容的にはイマイチです。それは、HBKの引退理由でもある椎間板ヘルニアが相当悪化していたからです。
痛み止めの注射を打っていたのは確実ですが、痛み止めの効果は10分くらいできれてしまい、あまりの痛みに珍しく声を上げたりもしています(痛み止めは、きれた直後が一番痛いのだそうです)。 それでも最後は、スウィート・チンをよけられる → トーキックからスタナーへ… → 寸前でストーンコールドをロープへ押す → 返ってきたところへ再びスウィート・チン… → 足をキャッチされる → 今度こそ完璧なスタナー!、とpart5の方で言った「素早くお互いの技を何度か返していった末に、ドーンと技が決まる」という型が披露されたのでした。 試合後にはマイク・タイソンのパンチをくらってKOされるのですが、受身の天才であるHBKの最後の受身がプロレスラーではないタイソンのパンチによるものなのは、果たして幸福だったのかどうか…。
ヒットマンはホーガン離脱後のWWFを支えた最大の功労者なのですが、サバイバーシリーズ97で疑惑の裁定によってベルトを奪われ、13年間在籍したWWFを去ることになります。そして、ビンス・マクマホンへの復讐の念を抱いたままWCWに移籍します。
ヒットマンの最後の試合は2000年初頭に行われたTVマッチだそうですが(2000年に4試合行った)、事実上の引退試合はゴールドバーグとの試合でしょう。
ゴールドバーグはキャリアこそ浅いですが、恵まれた体格・パワーと格闘技に対する貪欲な精神で(WCWに遠征していた永田も影響を与えたそうです)、瞬く間にWCWの頂点に登り詰めた選手です。最後の相手がこういう骨のある相手だったことは、少しだけ幸運でしょうかね。
19日の試合でゴールドバーグのトラースキックを喰らい、それが原因で脳機能障害を起こし(症状は後々悪化した)、そのまま戦線離脱。
珍しいふたりのツーショット in HeartBreakHotel
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全日本プロレスの東京ドーム大会が迫ってきました。 今の全日本に東京ドームをやる体力と意義があるのかは疑問なところですが、せっかくですので個人的な見所や意見を書いていきたいと思います。
果たしてテリーがどのようなアクションを起こすのか?
第8試合スティーブ・ウイリアムスvsマイク・バートン 。
セミファイナルは太陽ケアvs武藤敬司。
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2001年1月13日、ノア大阪府立大会の観戦記です。 ノアに移籍した選手達の動きをじっくり見るのは久しぶりでしたので、各選手の動きについて詳しく書きたいと思います。
スコーピオの体は他の二人より一回り以上大きいのですが、跳躍力やバネでも丸藤・金丸に決して劣っていません。丸藤と金丸にとってはスコーピオというのは何とも高い壁のようです。 ところで「丸、頑張れー!」という声援が多く飛んでいたのですが、“丸”って丸藤か金丸かどっちのことなんでしょうね?
でも、渕さんがいなくなったからラッシャーさんはネタ不足に苦しんでそうです。
志賀は全く見せ場はありませんでした。秋山に徹底的にやられた後遺症がいまだ残っているような感じです。 青柳館長は本当に打撃技しか使ってませんので、そのうち頭打ちになってしまうでしょうね。 斉藤彰俊はこの4人の中ではズバ抜けてました。体の張りや動きが他の3人よりも明らかに上でした。中途半端に館長とのコンビにこだわるよりは、新たな路線を模索した方がいいと思います。ノアとしては彰俊を所属選手とすることができれば、随分と安い買い物をしたことになりますね。
△力皇猛(30分時間切れ)森島猛△ 二人ともスピードもなかなかに持っていますので、タックル合戦だけでどよめきが起こっていました。特に各界出身の力皇のタックルは素晴らしいですね。使い所とかを研究すれば、十分フィニッシュにも使えるほどです。 ただ、さすがにデビュー1年に満たない力皇に30分の試合をやらすのは難しかったようで、技の少なさからくる中だるみはありました。
デビュー戦ではスープレックスが大きく取り上げられましたが、素早いタックルやプロレスの基本ムーブ(ハンマーロックの攻防、ヘッドシサーズからの抜け方、など)も披露したので、個人的に好感度大。カレリンズリフトも出しましたが、大きな大森相手では(杉浦は小柄でした)それほど奇麗に投げ切れてはいませんでした。とりあえずは多聞とアマレスコンビを組んでいけばいいんじゃないでしょうかね。 試合そのものはノーフィアー軍が常にペースを握ってました。杉浦をイジメるような展開が多かったです。いつの間にか大森・高山にも風格が漂うようになりましたね。
橋本のミドルキックに小川と三沢は一発毎にビッグバンプを取っていました。特に小川は8発くらい喰らったはずですが、ああいう喰らい方だと見た目ほどダメージはないはずです。これが“全日本的”ということなのでしょうね。 アレクは何故だか元気がなくて、もう呼んでもらえないかも。むしろZERO-ONEのセコンドについていた安田が(試合後の)乱闘でえらく強かったことの方が印象に残っています。
ノアの小橋は「熱き青春」から「強さを発散する」というスタイルに変わったようで、序盤から大技を使っていく姿からは新生・小橋が感じ取れました。ま、最後はフォール取られてしまいましたけど。 ベイダーは珍しくムーンサルトで見事(トップロープで手こずってたけど…)フォールを取りました。ビッグクランチ・チョークスラム・リバースプレス・ラリアット・ベイダーアタック……、3カウントを取れる技をこれほど持っているのは脅威としかいいようがないですね。 試合をコントロールしていたのはやはり秋山でした。ベイダーが暴れられるような状況を作ってからタッチする、なども目立たないがファインプレーでしょう。単発のすごい技のベイダーと高度な技の応酬の秋山、というコンビはうまく作用していたと思います。 田上の元気の無さが少し気になりました。奈落喉輪やダイナミックボムも使わなくなってしまってますし、試合のテンポもゆったりしているので、時流に乗り遅れてしまっている感じです。小橋と秋山はノアになってからイメチェンしたのに、 田上はアトミックドロップ → バックドロップを使ってました。それじゃあ、イメチェンどころか鶴田軍時代に逆戻りですよね(苦笑)。
シリーズ途中の試合(6連戦の3日間)でこれだけ体を張る試合をしてても、セミファイナルの方がマスコミでは大きく取り上げられるのでしょうね。セミファイナルは打撃技の応酬が試合の大半を占めていましたし、そんなにすごい内容だとは思わなかったですけど…。 「プロレスの試合で観客を満足させる」というのがプロレスラーのあるべき姿であるならば、メインに出場した4選手こそ讃えられるべきでしょうね。
ところで、ノアのパンフレットって1500円なんですね。そんなに中身が濃いわけでもないのに、500円アップしてる理由は何なんでしょうか? おそらくは「(ホッチキス止めではなくて)製本してある」というだけなのでしょうが…。
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早いもので、世界の巨人・ジャイアント馬場が亡くなってから2年が経とうとしています。 突然の訃報に我々は驚きましたが、その後マット界の流れは加速度的に早くなり、馬場の死は随分昔のことのように思えてなりません。
自分からダッシュして決めるパターンと、突進してきた相手にカウンターで決めるパターンがありましたが、馬場は後者の方をフィニッシュとして多く用いてました。
アニマル浜口のランニングネックブリーカーは、フワッと旋回しながら体重をかけるもので、ラグビーの首タックル(禁止技)を応用したものだそうです。
ジュニア選手で巧かったのが保永昇男(現在はレフェリー)です。
また、初公開で馬場からピンフォールを奪った三沢のダイビングネックブリーカーは、以後“奥の手”として小橋や田上からフォールを奪っています。
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今回のテーマはヒール・ベビーフェイス論です。 アメプロではヒールとベビーフェイス(以下、ベビー)をはっきり分けて、観客が応援しやすいようなマッチメイクをするのが基本です。
ヒットマンがデビューしたのは地元のスタンピートレスリングです。この頃はプロモーターの息子ということで、有無を言わさずベビーのポジションだったそうです。その後WWFに参戦するのですが、参戦当初はポジションが明確ではなく、明確にヒールになるのはハート・ファウンデーションが結成されてからです。
しかし、80年代のWWFマットではホーガンのような「大きくてパワーがあって、理屈抜きに強い」というタイプがファンにうけていました。 え〜、つまり……、伝統的な正統派チャンピオン像(ルー・テーズ、ドリ・ファンクJrなど)にホーガン風味を足したのがヒットマンである、というのが私の意見です。
HBKは受け主体の選手ですし、体も小さいのでベビーのチャンピオンに適したレスラーであると言えます。
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