大胆に仮説
「馬場さんは癌を知っていた?」


1999年1月31日に、偉大なるレスラー・ジャイアント馬場は逝去しました。直接の死因は肝不全だったのですが、それを引き起こしたのは直腸癌でした。98年末に検査した時にはすでに末期癌だったのですが、担当医や夫人は本人のことを考えて、本人や関係者には最後まで告知はしなかったそうです。
よって、「馬場さんは自分が癌とは知らなかった」というのが定説となっているのですが、そう考えると、少し納得のいかない点があります。


というのも馬場さんは98年に、それまでの馬場さんからは考えられなかったことをしています。それは、三沢にマッチメーク権を与えたこと、テレビ朝日に出演したこと、巨人−阪神のOB戦に出場したこと、の三つです。

三沢にマッチメーク権を与えたというのは、観客動員数が伸び悩んだために、新しい頭脳を首脳部に入れて活性化を図るというのが目的だったようです。が、これを自分がいなくなった後もスムーズに全日本が動くようにと対応していた、とするのは考え過ぎでしょうか?

テレビ朝日との確執(と言う程でもないが)も長年に渡るもので、馬場さんは日本プロレスをやめる少し前(72年)にテレビ朝日に一度だけ出てから(本人は出る気はさらさらなかったのだが、日本プロレスが勝手に試合を放映させた)は、一度たりともテレビ朝日に出演しませんでした。本人も「あそこにはもう出られないだろうな」と発言していました。
ところが、98年には「ニュースステーション」と「徹子の部屋」に出演しました。この時の馬場さんはおそらく、自分の引退記念試合に前田日明を呼んだ長州力と同じような心境、つまり自分が作ったイザコザを清算しておこうと考えたのではないでしょうか。

また、馬場さんは元巨人軍の選手であるということを誇りにしていたそうですが、毎年恒例のOB戦にはそれまで一度も出場していませんでした。それが98年には、かなり唐突に出場しました。「もう一度だけ、ジャイアンツのユニフォームを着ておきたい。」馬場さんはそう思ったのではないでしょうか。





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