馬場名勝負十番

私が独断で選んだ名勝負集です。独断といってもどれも有名な試合です。
馬場ファンを自称するからにはこのくらいは知っておきましょう。



1.1961年5月1日/東京体育館
15分1本勝負
●馬場正平(7分22秒 逆エビ固め)ミスターX○

デビュー半年余りで初めて外国人選手と対戦し、その強さに圧倒される。ミスターXの正体はビッグ・ビル・ミラーという超一流選手で、第三回ワールドリーグ戦では力道山と決勝を争ったほどである。初めて外国人と戦うということで、試合前には馬場は怖くて震えていたという。「驚いたね、あの時は・・。世の中にこんなに強いヤツがいるのかと思ったよ。何をやってもまったく駄目なんだ。やっぱりキャリアを積まなきゃとてもこの世界じゃやっていけないんだということをシミジミと思い知らされたよ」(「ジャイアント馬場激闘写真集」より)。結局は相手の得意技であるジャイアントスイングや凶器入り頭突きを出させることなく、逆エビ固めに破れた。なお、この試合がプロレスラー馬場の初めてのテレビマッチだった。



2.1963年3月24日/蔵前国技館
45分3本勝負
△ジャイアント馬場(0−0)キラー・コワルスキー△
  1. (時間切れ)
馬場の出世試合として名高い白熱の好勝負。一度目の海外武者修業から帰国した馬場の凱旋帰国後第二戦試合となった試合でもある。馬場は米国修行の成果を存分に発揮する好ファイトをみせ、両者動きっぱなしのまま45分ノーフォールで時間切れとなった。めったに弟子を誉めない力道山が「おう、お前ようやったな。疲れたろう。動きっぱなしだもんな。うん、ようやった」と言って、馬場の労をねぎらったという。それまでの日本のプロレスは、大きな外人の猛攻を日本人が必死に耐えて反撃する、というのがパターンだった。それがこの試合は体格的に引けを取らない日本人が、スピード感あふれる攻防を展開するという今までにない試合で、日本のプロレスに革命を起こした一戦といえる。



3.1965年11月24日/大阪府立体育会館
インターナショナル王座決定戦60分3本勝負
○ジャイアント馬場(2−0)ディック・ザ・ブルーザー●
  1. 馬場(17分59秒 反則)ブルーザー
  2. 馬場(5分31秒 反則)ブルーザー
力道山の死によって空位となっていたインターナショナル選手権が復活することになり、馬場とブルーザーとの間で決定戦が行われた。このタイトルを持つことは力道山の後継者を意味し、馬場としては負けられない一戦だった。試合は二本ともブルーザーの反則で馬場がストレート勝ちで第三代王者となるが、前日の調印式の段階からブルーザーの持つ迫力と貫禄に圧倒されていた馬場はやられっ放しであった。3日後に同カードで初防衛戦が組まれ、何とか引き分け防衛を果たす。ようやくテーズ、力道山と引き継がれたインターナショナル・ヘビー級チャンピオンとして胸を張ることができるようになった。



4.1966年11月28日/大阪府立体育会館
インターナショナル選手権60分3本勝負
○ジャイアント馬場(2−1)フリッツ・フォン・エリック●
  1. 馬場(12分43秒 体固め)エリック
  2. エリック(4分44秒 アイアンクロー)馬場
  3. 馬場(2分31秒 リングアウト)エリック
「鉄の爪」で知られるフリッツ・フォン・エリックがインターナショナル王座に挑戦。この日が初対決だった馬場にとってエリックは、海外修行時代に「お前が馬場か?」と聞かれた時、思わず「イエス、サー」と答えてしまったほどの格と実績を誇るレスラーだった。試合ではエリックのアイアンクローが決まり、食い込んだ爪が皮膚を切り裂き、馬場の後頭部に血が流れ出すというようなシーンも見られた。のちに馬場も「このときの傷あとが、今でも額にはっきりと残っている。思い出の傷あとの一つだ」と語っている。2人の戦いは12月3日のオープン間もない日本武道館での初めてのプロレス興行での再戦へと続いていった。



5.1967年8月14日/大阪球場特設リング
インターナショナル選手権60分3本勝負
△ジャイアント馬場(1−1)ジン・キニスキー△
  1. 馬場(28分13秒 エビ固め)キニスキー
  2. キニスキー(17分45秒 体固め)馬場
  3. 馬場(時間切れ)キニスキー
    (延長戦5分 時間切れ引き分け)
現役のNWA王者がインターナショナル・ヘビー級に挑戦するという空前の好カードに、大阪球場は2万人の観客で溢れ返った。「これほどの戦いはざらにない。今ふりかえってみてもよく戦ったと思う。相手が実力者のキニスキーだけに強烈な印象だ」(「ジャイアント馬場激闘写真集」より)。「キニスキーの最大の特徴は、絶対に相手の裏をかかないということだ。キニスキーが、相手に読まれているのを承知で自分のペースを崩さなかったのは『それでもオレは負けない。パワーで圧倒してやる』という自信のなせるわざだったと思う」(「16文が行く」より)。馬場が自らベストバウトに挙げるこの闘いは5分の延長でも決着がつかなかった。



6.1970年7月30日/大阪府立体育会館
インターナショナル選手権60分3本勝負
△ジャイアント馬場(1−1)ドリー・ファンク・Jr△
  1. ドリー(17分20秒 体固め)馬場
  2. 馬場(28分20秒 体固め)ドリー
  3. 馬場(6分55秒 両者リングアウト)ドリー
69年11月の来日時には猪木、馬場がドリーのもつNWA王座に挑戦したが(結果はいずれも時間切れ引き分け)、今回は馬場のもつインターナショナル王座にドリーが挑戦した。一本目はドリーがテキサス・スープレックス(人間風車)で先制、二本目は馬場が32文ロケット砲で取り返したが、この時点で45分を経過していた。真夏のうえに超満員の館内、それにテレビの照明用のライトの中でリング上は40度以上ではなかっただろうか。このまま時間切れ引き分けかとも思われたが、最後の10分になるとさすがに両者ともスタミナが限界に達し、どちらかともなく場外戦となり、両者リングアウトとなった。試合中に思わず「お母さん、助けて〜」と叫ぶほど暑い試合であった。



7.1974年12月2日/鹿児島県立体育館
NWA世界ヘビー級選手権60分3本勝負
○ジャイアント馬場(2−1)ジャック・ブリスコ●
  1. 馬場(11分47秒 体固め)ブリスコ
  2. ブリスコ(5分39秒 足4の字固め)馬場
  3. 馬場(3分20秒 体固め)ブリスコ
バディ・ロジャース、ルー・テーズ、ドリ−・ファンクJrとNWA王者に挑戦してきた馬場が遂にNWA王座を奪取し、世界の頂点に立つ。一本目を32文ロケット砲からの河津落しの大技攻勢で先取する。二本目はバックドロップからの足4の字固めでブリスコに返されたが、三本目はカウンターのジャンピングネックブリーカーで馬場が奪い、遂に第49代NWA認定世界ヘビー級チャンピオンとなった。これは東洋人として初の快挙であった。「プロレスラーになって本当によかった」と思えた瞬間であった。3日後のNWA・PWFダブル選手権ではブリスコに2−1で勝って防衛したものの、さらに4日後にはブリスコに奪回されてしまった。



8.1982年2月4日/東京体育館
PWFヘビー級選手権時間無制限1本勝負
△ジャイアント馬場(12分39秒 両者反則)スタン・ハンセン△
前年の12月13日、世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦に衝撃の全日本乱入を果たしたスタン・ハンセンがPWFへ挑戦。猪木と幾多の名勝負を繰り広げてきたハンセンが、馬場とどのような闘いをするのか、注目の一戦となった。馬場はゴングと同時に軽快なフットワークを見せ、アームブリーカー、アームロック、腕ひしぎ逆十字固めと徹底的な左腕攻めに出た。押され気味のハンセンは起死回生のウエスタン・ラリアットを決めたが、ロープ近くだったため馬場が場外にエスケープ、そのままレフェリーを巻き込んでの場外乱闘となり、両者反則となった。この試合はこの年のベストバウトに選ばれ、馬場健在をアピールした一番として名高い。



9.1994年3月5日/日本武道館
60分1本勝負
●ジャイアント馬場/スタン・ハンセン(0−1)小橋健太/三沢光晴○
  1. 三沢(35分11秒 片エビ固め)馬場
夢のカードと銘打たれたこのカード。前年の世界最強タッグ決定リーグ戦においてテッド・デビアスの首負傷によりパートナーを失ったハンセンは、何と新パートナーに馬場を指名。馬場がこれを受けて馬場−ハンセン組が誕生した。リーグ戦は2位に終わったが、公式戦で30分時間切れ引き分けに終わった三沢&小橋との闘いは誰もがもう一度見てみたい試合だった。試合は前回同様白熱したが、最後はコーナー最上段からのネックブリーカードロップで。三沢がジャイアント馬場からフォールを奪うという日本人としては2人目の快挙を成し遂げた。後に「これが全日でのオレのベストバウトだな」と馬場は言っている。また、この年の12月2日にも同カードは実現している(結果は30分時間切れ引き分け)。



10.1995年3月24日/後楽園ホール
60分1本勝負
△ジャイアント馬場/川田利明/田上明(0−0)スタン・ハンセン/三沢光晴/小橋健太△
  1. (時間切れ)
この日、当初はハンセン対ウィリアムスのチャンピオン・カーニバル公式戦が予定されていたが、ウィリアムスの緊急来日中止によりマッチ変更を余儀なくされ、急遽実現したのがこの豪華な6メンタッグマッチだった。馬場とハンセンは1年4ヵ月振りの戦いとなった。川田がめったに見せないローリング・エルボーを飛ばすと、小橋もムーンサルト・プレスを馬場に2度も決めるなど、試合は白熱し、あっという間に60分時間切れ引き分けに終わった。試合後、後楽園ホールには大きな大きな「全日本」コールが鳴り響いた。馬場と全日本の「ファンの期待を裏切らない」という評判が証明された一戦となった。




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