Brambly Hedge
―茨の境界―
〈13〉
鮮やかな服が雑然と並び眩しい照明が照らす部屋で、一人シンイチは自ら選んだ上質
のスーツに身を包んでいた。
布地を惹き立たせる金糸の刺繍入りの昏い漆黒の上着に、黒い絹のシャツ。ネクタイ
だけが彼の目と同じ抜けるような青を彩る装いは、華美過ぎず大人し過ぎずに彼の理知
的な雰囲気をより一層効果的に高めている。
いつもは下ろしている前髪を軽く後ろに撫で付け、額を露にしている彼の姿は、普段
ステージに出て歌い踊って老若男女構わず惑わす者とは似ても似つかない。
寧ろ上流貴族や警察の高級官僚だと言っても差し支えの無い気品と迫力を兼ね備えてお
り、凛とした気配はそのままに、どこか声を掛けがたい雰囲気を纏っていた。
それは、今から迎える客人の身分と、その接待方法を考えると妥当なものなのだが。
「・・・いくか」
息を吸って、鏡の中の自分の姿を確かめる。翳りを帯びた、憂いに満ちた顔がそこには
あった。
今夜の相手は余り気を張る事の無い人物だと解っている。あくまでも性の対象として
シンイチを見るような客達より、ずっとずっと言葉を交わしていて苦痛じゃない人だと。
客を迎える事でこんなに悩む必要など無い。・・・ただ、別の事が。昨日までシンイチの
部屋にいた筈のカイトの事が気に掛かっていた。
一つ息をついて外に出る。階下から聞える喧燥は相変わらずで、館が賑わっているの
だと肌に伝える騒音が実感させる。生まれた時から聞いてきた音は、無ければ不自然に
思うほど耳に馴染んでいて、その事に妙な安堵と不安が同時に胸の内に湧いた。
もしここを離れてしまえば、自分はどうなるのだろうか。遠くない未来の話だ。もう
既に用意されている先の事。この猥雑で陽気で異常が常な空気を吸ってきた自分が、こ
こを一歩でも出れば迷ってしまうのではないかと。
羽ばたこうと想えば羽ばたけたのに、飛び立とうと考えなかったのはそういう恐れが
あったからかもしれない。今では、そんな事を言ってられない状況にあるのだが。
柔かい革靴の音を鳴らし、ショーの準備に励む馴染みの店員達に挨拶を交わしながら
歩く。おもむろに窓の外を見上げれば、やはりそこには満ちかけた月があった。
(―――カイト)
目を伏せる。昨夜。ハクバ伯爵と不本意な約束をして、限らせた期限に間に合うように
急いで客を取りに行って別れを済ませた後、自室に戻った時には待っているはずの彼の
姿はなかった。
待っていてくれる筈だった。きっと、カイトがその場にいれば別れを告げていたにも
関わらず、待っているという事に期待を抱いていた。いなかったことに落胆した・・・ムシ
のいい事だ。
目的の部屋に着く。一息吐いて3度ノックをし、返された規制を正す応答の声に自然
と微笑みを浮かべ扉を開けた。
「お久しぶりです、メグレ警部。今夜はどうもありがとうございます」
些か腹の突き出ている、茶色系統で纏めた装いの男性に敬意を表して一礼し、ソファ
から立ち上がって迎えてくれた彼に席を勧め、断りを入れてから自分も座る。
その振る舞いと一連の動作は、彼が貴族だと聞いた誰もが信じてしまう優雅さで行われ
た。
ユウサクがこの館を建てる前からの知り合いだったメグレは、生まれた時から成長を
見守ってきたシンイチが漂わせる気品と所作に思わず目が釘付けになってしまった。そ
れを不思議に思ったシンイチが、幼く首を傾げながら
「何かおかしかったですか?」
と問うと、ブンブン勢いよく首を振って慌てて答える。
「昔のユウサク君に良く似ていたものでね。しかし、シンイチ君も大きくなったなぁ」
「メグレ警部・・・それいつの事を思い出して言ってるんですか?」
「ざっと20年は前かな。ユキコ君が大泣きしながら自力で産むんだって君を産んでか
ら、もうそんなになるんだなぁ」
懐かしむような目つきで遠くを見るように虚空を見上げるメグレに、シンイチは第二
の父親に対する慕情のようなものを感じた。
シンイチにとって、決してベッドの相手をする事の無いこの男性は、第二の父親であ
り世情においての教育者であり、好奇心や探求心を大いに役立てられる客人でもあった
のだ。
「僕の警部との初対面の記憶が5歳の時ですから、僕だってずっと子供でもいられませ
ん」
客を取らずにいれた時が懐かしく愛しいと思う。そして、あの頃に戻りたいと思うこと
もあった。
だが過去には帰れないのだと解っているからこそ、シンイチはこの特殊な日常でどん
な状況をも受け入れる覚悟と、それを乗り越えられる知識と姿勢を自らに要求し、自分
という個人を保つ為に与えられるもの全てを貪欲に吸収した。
その結果といえるものが、警察内部にいるメグレ警部からの相談という依頼を受け、
好んで読んだ探偵の真似事のように持ち込まれた事件を推理し、伝え、解決に導くとい
う仕事だった。
幼い頃からの知り合いだったメグレは、シンイチの並外れた知能の高さを熟知してい
る。そして推理小説を読んだり暗号を解く事を好み、状況や人物像を素早く見抜く慧眼
の持ち主であると理解しているから、敢えて彼にこの仕事を持ち込む事を自分に許した。
良く見知った子供が体を売って館の道具になる事に、警察官としての正義心に近い心が
疼いたのかもしれない。
例え別の苦悩が来る事になっても迷わず自分の行きたい所に飛べるように、といつか
来ると思っていたシンイチの自立の下準備になればいいと思ってしたことだった。
勿論、そんなメグレの気遣いに気付かないシンイチではないので、ハクバ伯爵の申し
出を受けた時点で、目の前の父親のような男性のさり気ない優しさを無駄にしてしまっ
て申し訳ない気持ちだった。
しかし、感傷に浸ってばかりではいられない。今は仕事中であり、残された時間は少
ない。いつまでも昔話に興じていれば、愛妻家のメグレが家に帰るのが遅くなってしま
う。
一瞬の瞬きの後、シンイチは体に緊張の意図を張り巡らせ、感覚をメグレ警部がこれ
から話すであろう話の内容に向け、深みを増した声音で本題に切り込んだ。
彼の手の中には、長年大切に使い込まれていると一目で解る万年筆と革張りの手帳が
ある。
「・・・さて、今度はどんな事件なんです?メグレ警部」
豹変。そう表すのに相応しい彼の姿は凛としていて美しく、真実を見極めようとする姿
は、時代が生んだ探偵と同類のものだと思わせた。
「ああ、実は・・・」
メグレよりまだ半分も生きていない筈なのに、妙に達観してしまった青年の力強さに驚
嘆し、無理に経費をふんだくっておいて良かったと心から感じつ、メグレ警部はハクバ
に妨害されて出来なかった相談事を話し始めた。
夜はすぐそこに迫っている。そして、シンイチがナイト・リリーに要られる残り時間
も、刻々と少なくなっていた。
見上げた空には14日の月が浮かんでいた。満月は明日。月の満ちる日に手の内に入
る彼の人を思い、無意識に微笑みを浮かべる。
彼、シンイチを見た後ではどんなに美しい人物でも大抵が霞んでしまう視界で、鼓膜
が痛くなるような賑わいを見せるホールに佇んでいたハクバは、事実に向かう確信を欲
してその場から姿を消した。
「clerk
only」―店員専用―と明記された扉から本館内へ入っていく姿を、見た者はい
なかった。・・・たった一人を除いて。
仕事が終ってメグレ警部を正面玄関まで見送った後、もしかしたらという期待をもっ
てシンイチは自室に戻り、結局は淡く儚いものだった思いに疲れの所為だけではない溜
め息を吐き出す。
未練タラタラな自分に自己嫌悪し、さっさと振り切らなければとシンイチは軽く頭を
振った。自分がカイトを独占した所為でハクバがカイトを殺そすと明言する事実。どこ
までも大切な人の災厄にしかならない自分が心底嫌になる。
月を眺め、ゆっくりと手を伸ばす。失った人のことを想う。そして、初めて愛した人
のことを想う。
空を飛べれば良い。この館から出て、自由に飛び回れる羽が欲しかった。コナン達が
シンイチの自由を望んでくれているのを知っている。唯、自立への憧れは、今までその
先の不安と大切な人達との別れの恐怖に今ほど強く思う事が無かったのだ。
カイトと本当に出会うまでは。ハクバ伯爵の出現によって、今の安寧が無くなると突
きつけられるまでは、この館にいてもいいと思っていた。
(でも、もう遅い・・・)
古い鎖は今、真新しい鎖に取り替えられようとしている。甘く柔かいものではなく、余
りにも冷たく重い鎖。自らで断ち切る意志すら封じるそれは、呪縛呼ぶに相応しい。
月から目を逸らし、暴れる感情を無理に理性で抑えようと、シンイチはぎゅっと己の体
を抱き締め――
後ろから誰かの気配が身を包むのを感じた。
(カイトっ!?)
一欠片の期待を込めて振り返る。条件反射のように笑顔を浮かべ、視線を向けた先には
――ハクバ伯爵がいた。
向けられた事の無い微笑みが凍り付くように消えていくのを眺めながら、ハクバは己
の中の何かが溶けて消えて聞く音を聞いた気がした。・・・考えてみれば、崩壊は彼に会っ
た時から、そしてあの魔女と話した後に始まっていたのだ。
「別の人をお待ちでしたか?」
皮肉を込めて彼に微笑めば、瞼を伏せた麗人は静かに首を振って「いいえ」と囁き、再
び上げた表情は紛れも無くあの夜に惚れた娼夫の顔だった。
ルージュの必要も無いくらい赤く熟れた唇に、彼よりも長身な自分を見上げていると
自然に反って晒される白い喉元。
白皙の美貌はいくら眺めても飽きる事が無く、腰の細さを強調するスーツを着た肢体を
抱き寄せ、ハクバは込み上げる征服欲に駆られて囁いた。
誰もが望んで止まない彼を自分が手に入れられるのだという傲慢と優越に、その身の
道理と理性すら喰わせながら。ただ、この瞬間の酔いしれる。
「・・・キスを」
それは誓いではなく服従の証。囚われることを前提とした、鎖に縛られる事を自らに課
す行為だった。
震える躰を腕の中に収め、首に回される腕の細さや冷やかさ、睫を伏せて近づいてくる
美貌を堪能し、ハクバもまたうっとりと目を閉じて柔らかな感触を堪能した。
シンイチの背にあった満ちかけた月を見つめ、守護を受ける男にする思いでそれに歪
んだ笑みを向けて。
二日ぶりの自室は、もう何年も帰っていなかったような懐かしさを覚えた。それ程あ
の館で過ごした短い時間はめまぐるしく濃密で、共にいた彼の存在を更に失い難いもの
にしていた。
カイトがシンイチを諦めるのではなく、シンイチがカイトを自ら切り捨てる前にと、
コナンが取った応急処置は、カイトを一旦シンイチの部屋から退かせて時期を待たせる、
「待機」というこの状況だった。
シンイチは、こうと決めた事は徹底的にやり通す完璧主義で、昔から自分の客の管理
も殆ど自分でしていたという。つまり、こういう時の処理も迅速且つ的確に行う手腕を
培っている、ということで。
コナンは、その彼からの最後通告をカイトに申し渡され、シンイチがカイトを切り離
す宣告をするまでの時間を先に延ばしたのだ。
そうしておけば、カイトがシンイチの元を多少離れてしまっていたとしても事実上は
二人の縁は切れていない事になるし、その後のフォロー次第でカイトがシンイチから離
れてしまった事に関しての誤魔化しがきく。
店を捨て自分自身の意志を捨てて伯爵の元に行くと決意したからといって、シンイチ
はきっとカイトへの想いまでは捨て切れないだろうから。
強引な策ではあったが、この先に決行しようとしている計画に比べれば、こんな事は
まだまだ序の口。
言われた話に納得は出来る。彼自身に拒絶されてしまえば、きっとどんな手を取って
もハクバ伯爵の手の内から盗み出す事は不可能になるだろう。望みがあっても、きっと
彼は己の意志でそれを封じ、カイトの手を突き放してしまう。そんな気がする。
なんとなく気付いていた想い人の頑固さと、余りにも強固な理性の確かさに、カイト
は力が抜けたように溜め息を吐きながらシンイチの部屋も見える窓枠に腰掛けた。
理屈は分かる。これが、一応にとれる手段だと言う事も解る。ただ、彼と一緒にいた
いと叫ぶ感情が、カイトの胸の内で火の粉を上げて存在を主張していた。
迷っているかもしれない。もしかしたら、自分を求めてくれているかもしれない彼と、
共にありたい。
こんなに単純な願いなのに、シンイチがいる場所とカイトを取り巻く境遇が、中々それ
をさせてくれないなんて。
(人を盗むなんて、初めてだけどな)
それでも、この稼業をしていなかったら彼と出会う事も彼をあの檻から出す方法も手段
も無かったかもしれない。もしもなんて仮定は存在しないのだ。
手にある駒全てを最大限に活用し、目的を遂げる事。それが、今するべき事なのだと
割り切るしかない。
ジイがいつのまにか用意してくれていたらしい夜食を何の気も無しに見つめ、またシ
ンイチの自室の窓に目を戻す。彼の部屋のバルコニーから続く石の階段は、一度カイト
も通った特別な道だ。
別館の最上階よりも上にある建物からしか見えないという階段を知る人は少なく、そ
こを伝ってシンイチの部屋に入り込んだ者は殆どいないとの事だった。殆ど、というこ
とはカイト以外にもいるということだが、カイトは敢えてその詳しい事を聞かなかった。
それ以前に、シンイチの自室というあの場所が彼にとっての唯一の休息所であり、滅
多に他人を入れない聖域に近い場所だとコナンに聞いた。そこに招かれる事がどれ程希
少なことかということも。
シンイチ自身の人間不信も手伝って、絶対に無理強いしない様にとコナンとシホに念
入りに念を押されていたカイトの、それを許された時の歓びは計り知れないものだった。
何せ、惚れた彼自身から聖域への侵入の許しを得たのだから。
シンイチを心から抱いた事。彼から貰った言葉の数々が、カイトに自惚れる事を許して
いた。そして、それらは自惚れだけでなく、シンイチの想いがあるからこそのカイトの
自信だったのだ。
通じ合った彼との糸。それが、今のカイトを支えていた。
彼の姿を一目でも見られれば、とシンイチの自室の窓を見詰めていると、ゆっくりと中
から人影が出て来た。
(っシンイチ!?)
愛しい人の姿に思わず身を乗り出し、寂しげに顔を曇らせる彼の表情に胸が痛んだ。
シンイチに何の予告も無くあの部屋から出てきてしまった罪悪感。それが、彼との糸を
最後まで保たせる手段であったとしても、こちらの心を切なくさせる彼の翳りに、今す
ぐこの場を飛び出したくなる衝動に駆られた。
一週間近く前の、シンイチにひたすら恋焦がれていた時間とは違う、その温もりを知
ってしまった故のもどかしさ。
あの夜のと同じ様に、求めるような、助けを請うような仕草でシンイチの細い腕が空
に広げられる。彼の目線の先に、満ちかけた月がある事にカイトはとっくに気付いてい
た。
(なんで、俺はあそこにいないんだ!?)
窓枠が軋むほど握り締める。日々姿を変える気紛れな女王に、彼が何を求めているのか
は知らない。唯、頼りなげな雰囲気を漂わせる彼を抱き締められない自分が腹立たしか
った。
自分に対しての怒りが募りつつあったその時、己を抱き締めるようなにしたシンイチ
の背後に、もう一人の男――ハクバ伯爵が姿を現した。
シンイチが、ハクバの気配に弾かれるように男を振り返る。ハクバは彼の様子に皮肉る
ような笑みを浮かべ、彼が小さく首を振り・・・
(触んなっ)
ギリッと己の奥歯が軋む厭な音を耳の奥で聞いた。ハクバがシンイチを抱き寄せる。
そんな光景見たくもないのに、縫い付けられたように目が二人から離せなかった。
キスを。
優越に近い笑みを見せたハクバの唇は、確かにそう動いていた。あの奥にあるのは何だ。
誓約か。契約か。それとも服従か。
必要以上に見え過ぎてしまう自分の目を、これ程呪わしく思ったのは初めてだった。
(・・・―――――)
目線で人を殺せるなら、今この場で殺してみせる。そんな苛烈な業火を湛えてカイト
はハクバを見――
「チッ・・・クショォ・・・!!」
背伸びをして男にキスをするシンイチの姿は見ぬまま手近な壁を殴った。
何度も何度も。
シンイチは、俺のだ。そう思ってしまった自分への自己嫌悪。そして、あの事態を巻き
起こしたハクバへのどす黒い感情。シンイチへの、紛れも無い独占欲。
渦巻くモノ全部に―――吐き気がした。
古びたアパートの一室からは、断続的な鈍い音がいつまでもいつまでも続いていた。
驚愕と落胆。ハクバ伯爵を見た瞬間に胸を通ったのはそんな事。
いる筈が無い人物。他者の介入によって打ち壊された安息に、終焉が近い事を身に染
み込ませながら、シンイチはハクバに静かな微笑みを向け、俯いた。
(カイトがいなくて、良かった・・・)
別館は本館とはまた違った構造をしており、この最上階のシンイチの自室は滅多に人
が来ない事になっている。
だからこそ、大丈夫だと思ってカイトを連れ込んだのだ。しかし、ハクバがこの場所ま
で立入ってしまった今では、先程まで焦がれていた存在がいなくて心底良かったと思っ
た。
ハクバの要求を呑んだのはカイトの安全の為なのに、当の本人に害を及ぼす伯爵を鉢
合わせてしまっては元も子もない。
寂しさはある。目の前の男が向けてくる、絡み付くような厭な視線への嫌悪は耐え難
いものだ。それでも、奇跡の手を本当の意味で亡くしてしまうくらいなら、この位構い
はしなかった。
(失いたく、ないんだ)
抱き寄せられて怖気が走った。背を撫で上げられる度、鳥肌が立つのを抑えられなかっ
た。だが、一度焼かれた喉にもう一度煮え湯を流し込まれる方が恐かったのだ。
昔、昔の話。シンイチは一人の大切な人の死に目に会った事があった。体を売り始め
て間も無い頃、仕事の合間に誰にも知られず涙していたシンイチに、小さな光を齎して
くれた人の死に。
何に変えても助けたいと思えた人だったのに。
名前も知らない人。手の届かない所に逝ってしまった人。その時を境に、シンイチは
周囲に決して見えない壁を作った。誰にも壊されない様作られたそれを、軽く突破して、
暖かく包んでくれたのがカイトだったのだ。
「キスを」
求めた人だと思った。そして、その存在すら消してしまうというハクバが憎いとさえ思
った。仕事を経由して他人の死を沢山見てきた。今なら人を殺してしまいたい気持ちが
良く解る。
だが、それは取り返しのつかない冷たい罪だと、様々な事件を第三者の目から見てき
たからこそシンイチは誰よりも理解していた。
無駄な足掻きだと解っている。心だけでも自由であれ、と彼の人が照らしてくれたかつ
ての光も、束縛の力にぼんやりとした膜を掛けられてしまいそうだった。
この男に付いていく事が、紛れも無く己の足を切る行為だと知っている。この男が課
そうとするものが、抑圧と服従、それに伴う屈辱だと解っている。
自慢じゃないが、シンイチのプライドは空よりも高い。それを捻じ曲げられることに怒
りを灯しながら、それでも彼は嫌悪の対象の首にその細腕を回した。
「――Who・・・want・・・you?」
(カイト・・・・・・)
近づく相手の顔を見たくなくて、そっと不自然にならない様に目を閉じ、考えるのは去
ってしまった一夜限りの恋人の事。自分の一番の深奥に容易く辿り着いてしまった、白
い魔法使い。
シンイチは知らなかった。彼等がキスを交わす瞬間を当のカイトが見ていた事を。
只々己と相手への吐き気を堪え、自分が空っぽの人形になってしまったような気持ち
でハクバに服従の証を贈る。
そして、カイトも知らなかった。
濁ったワインを呑んだ彼が、密かに涙していた事を。
next
谷場ですvvドツボですvハマルかどうかはうちの攻めの根性次第ですが、それは兎も角。
次回は最終回です!!(多分)長かった・・・たった15話なのになんでこんなに時間が掛かったんだか(苦)
本当は時間があればハッピーエンドかバッドエンドどっちも打とうかなと思っていたんですが、
今回はどっちかにします★ヘロヘロになりながら突っ走りたいと思いマス。もう暫しお付合い下さいv