トントン
ノックの音がする
「ど〜ぞ」
眠い眼をこすりながら
来客を迎える
「オハヨ
ちゃんと眠れたか?」
「おはようございます ピノさん」
「着替えは済ませてあるようだし
パンフレットはちゃんと読んだか?」
「ええ
タブーは覚えましたよ」
「ほい、よろしい
じゃ、今から“心落とし”に行く」
「心落としってなんですか?」
「まぁ、一種の洗礼みたいなものだ
来れば分かる」
ろくに説明のないまま半ば強引に部屋の外に連れ出された
1階に降りると昨日とは違う光景がそこにはあった
まるで満員電車
息苦しさを感じるほど
1階は天使で溢れかえっていた
「出口が一つしかないんだよね
だから、普段はこんな感じ」
同じ服装で誰が誰だか見分けにくい中
必死にピノについていった
20分ほどかけ
やっとの事で外に出ると
「そんな必死についてこなくても
ワッカの機能を使えばどこに誰がいるか分かるのに」
今更ながらの台詞に迎えられた
――たぶん
何度経験しても
この感動が薄れる事はないだろう
地球上に存在するすべての物理法則から解き放たれる開放感
大気を切り裂いていく痛さ
人間には成せないこの業が天使の天使たる所以だと思う
「大分慣れたようだね」
風に流される声を拾うのも
空を飛べる者だけの物だと思う
「ええ、ところでどこに向かっているんですか?」
「キィが良く知っているところだよ」
「え?人間の世界で
その心落としっというのを行うんですか?」
「あぁ、そうだよ」
「そうですか・・・・・
あ、昨日の講話ってどこが娯楽なんですか?
特に楽しいとは思わなかったんですが」
「天使のタブー言ってみ」
「え?」
「タブーだよ
2つあっただろ?」
「えぇ・・・・
えっと1つめが
感情を出さない
2つめが
「それ」
「知ろうとしないってやつですか?」
「いや、1つめのやつだよ
感情を出さないってやつ
それでわかんないかな?」
「・・・・・・・・・
ちょっと関係ないかもしれないですけど
キリトは、おもいっきり感情をだしながら
スピーチしていたような・・・・
長である彼がタブーを破っていて良いんですか?」
「それだよ
みんな感情が出せない中
一人だけ感情を出せる者がいる
だから、あの講話は娯楽なんだよ」
「う〜〜ん
どういうことかよく分からないんですが・・・・」
「まぁ、まだ天使に成りたてだし
感情を出さないってことに慣れていないからね
他の天使たちは自分が感情を出せない分
キリトに自分を投射しているんだよ
自分が感情を表に出して
話している様子を想像しながら
キリトの講話を聞いている
まぁ、こういうのは説明してもわからないだろうね
実感がともわないと理解できないものだと思う
心落としがすめば分かるようになるよ」
「心落としと感情を表に出さないことって
関係があるんですか?」
「まぁね
そろそろ目的の場所に着くから
そこで説明する」
それから1時間ほど経ち
私たちは目的の場所についた
ピノが言っていた通り
そこは、私が良く知っている場所だった
1時間に3本しか電車が来ない線路
滅多に車が通らない道路
近くの牛舎から聞こえる牛の鳴き声
そんな場所に私の実家はある
「今、君の両親はビラ配りをしているよ
君を探すためにね」
ピノの言葉が何度も反芻される
実家に着いてからもう4時間が過ぎていた
天使の住む世界と人間の住む世界とでは時間の感覚が違うらしく
人間の世界では私がいなくなってから1週間が過ぎていた
私がいなくなったことに気付いた両親は
色々な手段を使い私を懸命に探していた
「まぁ、まず見つかる事はないんだけどね
手がかりすら見つけることはできない
日本で言う神隠しってやつだよ」
その言葉を最後に私とピノはジッと無言のまま時間を過ごしていた
とうに日は落ちて
家々の発する家庭的な明かりだけが
暗闇に抵抗していた
待つことさらに2時間
2人の人影が現れた
憔悴しきった足取り
表情を見なくてもそれだけで
かなり疲れていることが分かった
精神的にも肉体的にも・・・・・
ようやく私の実家にも明かりがともった
母が夕食の準備をしている中
父は食い入るようにニュースをみている
僅かな手がかりをもとめ
藁にもすがる気持ちなのだろう
でも、そのニュースに私の名である“都築 征一郎”という単語が出ることはなかった
ニュースが終る頃
3人分の夕食が食卓に並ぶ
陰膳というものだろう
私の無事を願う
両親の祈りだった
「そろそろ始めるぞ」
ピノが懐から鈴を取り出す
「これより“心落とし”をはじめる
天使キィよ
この鈴を持ち
自分の大切な人の幸せを願いながら振り続けろ
その音色とともに感情は・・・・
心は消え行く」
手渡された鈴には私の天使名である“キィ”という文字が刻まれていた
リン
人間世界との決別
感情との別れ
いくつかの大切な物を代償に
大切な人へ幸せを運ぶ音色が響く
リン
決して聴こえる事なき調べ
形のないプレゼント
「我慢する事ない
“心落とし”のときだけは例外で
タブーは適用されない
今、お前は泣いて良いんだ」
リンリンリンリンリンリンリンリン・・・・・・・・・・
自分の感情を覆い隠すよう
力いっぱい鈴を振り続ける
溢れ出る涙をせき止めようと
力いっぱい鈴を振り続ける
―――――――――――今日、私は天使になった―――――――――――