東 日 本 大 震 災

〜 遠く離れた 阪神・淡路より Z 〜

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大船渡市 (2016年6月7日・8日)

 陸前高田市で明るさをいっぱいに使ってしまったため、大船渡に入る頃には暗くなっていました。今日の宿泊は大船渡ゲストハウスのため、大船渡温泉で入浴を済ませ、屋台村を食事場所としました。大船渡に来れば屋台村ですよね。 
 大船渡温泉 大船渡屋台村 
 大船渡ゲストハウスの代表は震災関連活動をしておられ、神戸の人と防災センターを訪れられたことから知り合い、今回の旅行の宿泊だけでなく、大船渡の案内もお願いすることになりました。
 屋台村には宿泊する我々だけでなく、震災に関する活動をしておられる方が多く集まってくれました。当時の話、そして明日訪れる場所の話等、初対面ではありながら、話はどんどん発展し、屋台村を出る時には11時を過ぎていました。 

 
大船渡魚市場 加茂神社 大船渡駅を出たバス
 大船渡の案内は午前7時から。昨日の気仙沼魚市場は荷揚げが終わっていましたが、この時間なら、と大船渡魚市場へ。運よく漁船が帰って来て、取れたての魚を見る事ができました。早朝だから見れる情景です。
 魚市場で朝食を済ませ、屋台村のすぐ裏にある加茂神社へ。津波はこの鳥居の上まで来たそうです。この急な階段を上ると大船渡の港を見渡すことができます。眺めているとJRの軌道敷を走るバスを見つけました。もう、鉄道の復旧は無理なのですね。
 
大津波資料館 運が良ければ作者の話も聞ける 1本ポプラ
 大船渡での最後は「越喜来」にある大津波資料館です。ただここは、多額の費用をかけての資料館ではありません。すべて津波の漂流物で造られています。もう材料はないと思いましたが、今もどんどん大きくなっており、津波に関する話を聞くこともできました。
 大船渡では、1本松ならぬ1本ポプラがあり、津波を受けながらも生き残り、今も健在で町を見下ろしています。近くの高台には八幡神社があり、この地区を見渡すことができるとともに、「千年杉」と呼ばれる巨木もありました。



大槌町 (2016年6月8日)

   大槌町へ入るとまずは一部保存が報じられた旧大槌町役場へ。地盤工事が各所で行われているため、なかなか近づくことができませんでした。モニュメント的になっているかと思ったのですが、周りをパネルで囲っているだけで、慰霊の祭壇があり、お参りはできましたが、保存というより放置というのが正しい状態でした。
 大槌町の次の目的は「希望の灯り」です。新役場の近くと思いましたが、さらに上に上がり、中央公民館の駐車場前の展望スペースでした。「1.17神戸・3.11東日本」と彫られ、阪神・淡路とつながった希望の灯りです。 「震災が教えてくれた やさしさ 思いやり 仲間 絆の大切さを忘れることなく ともに歩んでいきましょう。」とあり、目をつぶり、手を合わせると、「1.17希望の灯り」が重なります。
 ここは津波被害を受けなかった高台ですが、すぐ下では宅地造成工事が行われており、その向こうは旧役場です。津波が来ても絶対に大丈夫とは思えない場所が開発されています。それでも、復興の一部なのかな?



 山田町(2016年6月8日)

   山田町は盛んに地盤工事が行われており、国道を走っていると、4年前の面影は全くありませんでした。それでも大きな道を見つけ、中に入って行くと、懐かしい仮設商店が見つかり、その向こうに被災建物が残されていました。
 4年前に来た時は、役場の周辺にはコスモスが咲き、復興への希望を誇っていて、阪神・淡路を連想したのですが、今は工事現場に囲まれた役場でした。1日も早く、町民の生活に囲まれた役場になってくれることを祈りました。



宮古市 田老地区(2016年6月8日)

    田老地区に来ると、まずは田老駅のホームへ上がります。単線の三陸鉄道ですので、次の久慈行き・宮古行きが同時刻だったので、車両の行き交いがあると思い到着を待ちました。
 ホームは静かで、古い防潮堤の向こうには海を見ることができます。工事が行われているように見えますが、前を走る国道の向こうにソーラー発電所が出来ていた以外は、全く4年前と変わりません。 
   堤防に上がると、新しいコンクリートで嵩上げがされていました。報道で目にする四角いコンクリートがなくなっていましたが、少し広い部分で残されているのを発見。これぞ、田老の堤防です。
  堤防の内側は整備され、グランドも完成していましたが、海側は以前とあまり変わりなく、破壊された堤防の一部がそのまま残っていました。
   
 田老に来て、絶対に見ておきたかったのが「田老観光ホテル」です。堤防から少し離れているため前回は行くことができませんでした。堤防を降り、目標に向かって歩いていると、花畑があり、花に囲まれたホテルが見えます。秋ならばコスモスでしょうね。
 田老観光ホテルは保存が決まったことで、大きな駐車場ができ、公衆トイレもあって、多くの観光バスが受け入れられるようになっていました。その駐車場の一角に、国が指定する「1級基準点」があり、震災で動いた距離が確認できるような表示が付けられていました。
 保存の決まったホテルは整備され、津波で流された下層部の鉄骨は防錆処理が施され少し光っていました。もちろん、被災当時のままでは保存できないのでしょうが、綺麗になりすぎて、被災建物の凄さを感じなくなっていました。 



名取市日和山 (2016年6月9日)

 3年前に来た時は津波で社が流され、「閖上湊神社」・「富主姫神社」の表示があっただけでしたが、完成した「富主姫神社」の社に、北西部にあった「閖上湊神社」も仮殿として合わせて祀られています。
 この時は小学生のバスが到着し、生徒たちは熱心に語り部の方からの話を聞いていました。雨の中で離れているため話は聞こえませんでしたが、あの日の経験を次の災害に生かすための話であったと信じたいですね。 



 千年希望の丘(岩沼市) (2016年6月9日)

 東日本大震災の悲劇を二度と繰り返さないために、数々の教訓を千年先まで伝える岩沼市の復興の象徴として造られたのが「千年希望の丘」です。仙台空港東側の沿岸部に点在する丘は震災廃棄物を再利用し、津波の減衰と避難場所確保のために整備されているものです。昨年3月には天皇皇后両陛下に慰霊碑への献花を頂き、完成したかに見えるこの相野釜地区ですが、阿武隈川河口まで整備を進めることは、その名のとおり千年先を見据えた事業になるのではないでしょうか。
 天候も悪く、すべてを廻ることはできませんでしたが、完成したばかりの交流センターで、ビデオや詳しい説明を聞くことができました。この広い施設。造るのも大変だったでしょうが、維持管理もそれ以上に大変な仕事です。東日本大震災の経験を未来に伝え、人々の命を守るために、千年希望の丘を永遠に育て続けてください。



 東日本大震災から東北旅行が増え、内陸部の観光を含めると10回を越してしまいました。もう、私に何ができるという状態ではありませんが、機会があれば足を延ばし、復興の状況に触れてみたいと思います。特に、岩沼市の「千年希望の丘」は、恥ずかしながら今年の4月に知りました。仙台空港の近くですので、もう一度訪れたいと思います。


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