東 日 本 大 震 災
〜 遠く離れた 阪神・淡路より V 〜
三度目の東北 |
被災地に何かがしたい。そう思っても、個人でボランティアに参加するには、難しい問題があります。二度行ったことで満足しなければならなかったのですが、西宮市職員労働組合が加盟している「兵庫労連」がボランティアの募集をしていることを知り、再度ボランティアに挑戦することにしました。 今までは、新幹線で往復という、言わば贅沢な支援でしたが、ボランテイアは経費節減のため、バスで往復することが通常のパターンです。当然のことができていなかった心残りを解消するための応募でした。ただ、マイクロバスとは思っておらず、手荷物は足元に置くというエコノミー状態で、出発の時から試練が待ち受けていました。 |
石巻市内でのボランティア活動 |
作業現場に着くまでは、バスの中で座っているだけ。石巻市内に入ったとは言え、道路沿いの町並みに津波被害は見当たりません。しかし、支援センターを出て海岸が近づくと、かろうじて残ってはいるものの、1階部分が破壊された建物が続き、信号機はダウンしたままで、警察官の交通整理が続けられている状態でした。 これから行く門脇町地区は石巻市で最も被害の大きかった場所です。道路を塞ぐ大きなガレキは撤去されていましたが、地盤沈下で道路はガタガタ、解体待ちの家屋が淋しく点在していました。 |
駐車場まで流されて来た家屋 | 市民病院も機能していません | まだガレキが多く残されています |
作業場所は、日和山の麓にある「西光寺」というお寺の墓地。公営墓地ではないので、流れてきた車等の大きなものは片付けられているものの、ガレキは全くの手つかずの状態でした。しかも近くにあった製紙工場から流されたと見られるパルプ材も混じっていて、墓所の原型はありません。 しかもここは、流された車の燃料が発火し、大規模火災を起こした場所です。墓石は津波で倒されただけでなく、熱でボロボロになっていました。想像を絶する火災だったようです。、墓地の隣には全焼し、無残な姿を残す門脇小学校。児童は裏山に避難し、全員無事だったことだけが何よりの救いです。 |
焼けた墓石の向こうに小学校 | ガレキにパルプ材が混じっています | ガレキを取り除いても墓石は動かせません |
8月はまだ夏。と思っていたら今年は早くも秋雨前線が到来し、全日雨の中の作業となりました。雨さえ降らなければ気温が低めだったので快適な作業ができたのですが、雨合羽の中は蒸し風呂状態。首に巻いたタオルは早い段階で吸水不能となり、汗が拭けなくなっていました。 広大なガレキの中に立つと、一人の弱さを実感します。仲間がいるからできるボランティア活動なのです。雨の中協力し合って、墓石を覆ったガレキを取り除き、土嚢袋へ詰め込みます。作業を始めて1時間も経たないうちに、周辺には土嚢袋の山ができ、動きがとれなくなります。そうなったら袋詰めの作業を中断し、バケツリレーの要領で土嚢袋を駐車場横の集積場まで移動させます。これが又、体力のいる仕事。泥や水を吸ったパルプ材はかなりの重さがありますし、中にはガラスなど危険なものも入っています。「重い」・「危険」と声を掛け合いながら前の人に送ります。通路があれば一輪車が使えるのですが、歩くことすら難しい墓石の上のですから、この手作業しか方法がありません。時々「休憩ー!」の声がかかり数分休ませてはもらえますが、流れ作業ですので勝手に休むことはできません。これを何度も繰り返すと、集積場には土嚢袋の山ができます。一つ一つは小さい作業ですが、一日の作業を終え、積まれた土嚢袋を見ると、急に達成感が湧いてきます。 |
雨の中で作業が始まります | すくい上げたガレキを土嚢袋に詰めます | 足元には多数の墓石が埋まっています |
隣で活動するピースボートのボランティア | 集積場に積み上げられた土嚢袋の山 | 参加した兵庫労連の仲間たち |
雨の中ですが、墓参りに来られる人もあります。墓石が無くなっても、その場所は祖先の霊が眠る場所。あちこちに真新しい花が供えられています。お参りの方に「ご苦労さん」と声をかけられ、ボランティアに来たことの話から始めたのですが、津波の話になると、急に亡くなった方のことを思い出されたのでしょう、涙声になり、言葉を詰まらせてしまわれました。私は言葉より先に涙が出て、汗を拭くふりをして、涙でベトベトになった顔をタオルで拭っていました。 被災地にほとんど人影はありませんが、所々に人々の思いが感じられます。復興に向けて植えたヒマワリが枯れたのでしょう。「TRY AGAIN 育ってください」と祈りの言葉の書かれた板が添えられたヒマワリ。かろうじて残ったお地蔵様に亡くした子の遺品と思われるぬいぐるみが供えられていました。 |
墓石が亡くなっても、お参りには来られます | 「TRY AGAIN」のひまわり | 子どもの遺品が供えられたお地蔵様 |
観光に来た訳ではありませんが、ガレキだけを見て帰るのでは淋しいので、昼休みに海岸沿いをバスで走ってもらいました。冷凍倉庫の一部が稼働したニュースを当日の新聞で見ましたが、港の復興にはまだまだ時間がかかりそうです。打ち上げられた漁船はそのままですし、大型トラックも被災当時のままで残されていました。 作業を終えてからは、夕刻が迫っていましたが、作業場裏の日和山に登りました。鹿島御児神社の境内からは石巻市内が一望できます。震災当日、沖から真っ黒い津波が押し寄せ、町並みを飲み込む様子がここから見えたそうです。この鳥居越しの風景は報道でもよく使われ、当日も中継車が止まっていました。 |
えぐられた防潮堤の内側 | 被害の大きかった海岸沿いの風景 | 鳥居越しに石巻港一帯がが一望できる |
最後に |
今までは一人でボランティアに行けないことを嘆いていました。しかし、今回のボランティアで一人では何もできないことを痛感して帰ってきました。おびただしいガレキの中に立つと、一人の人間がいかに小さいかを感じずにはいられなかったからです。仲間があればこそ、小さいながらも支援の手が差し伸べられるのです。このことは、被災地の人々にとっても同じです。「一人じゃない」そう呼びかけたい。遠く離れていても、私たちにできることはまだ残されています。復興への道程は長いけど、一緒にガンバロウ! ガンバロウ明日のために! |