神戸市兵庫区


78 久遠寺  「慰霊碑」

 JR兵庫駅に近い兵庫区門口町の久遠寺は、震災後間もない1995年7月に町内で犠牲となった25人を祭る慰霊碑を建立しました。亡くなった人たちへ寺が役目を果たさねばと、犠牲者の魂を鎮めるとともに、震災の惨事を後世に伝えるため、慰霊碑の傍には地震の日時や状況を刻んだ説明文が添えられています。

  訪問日 2003年7月30日

79  阿弥陀寺  石碑「同入圓寂」

 鎌倉時代に創設された阿弥陀寺の境内に「同入圓寂」と刻まれた石碑があります。「みんな仲良くしなさい。」という浄土の教えだそうです。震災慰霊碑とは刻まれていないため、一見しただけでは慰霊碑と気付く人はありませんが、総本山と末寺の住職夫人で組織する全国寺庭婦人会が、震災犠牲者の慰霊のために建立したものです。

  訪問日 2003年7月30日

80 大輪田橋  倒壊した飾り柱を使ったモニュメント

 1945年3月の神戸大空襲で、大輪田橋付近では500人の犠牲者が出て、昔の姿で残ったアーチ橋は、戦争体験を残す象徴となりました。そして50年後、今度は震災に襲われ、飾り柱が倒壊する大きな被害を受けました。1998年10月、神戸市は一番損傷の少なかった1本の飾り柱を、二つの災害を記録するモニュメントとして修復しました。上部4面には、戦災と震災のあった冬の星座がデザインされています。

  訪問日 2003年7月30日

81  薬仙寺  大輪田橋の石柱を使ったモニュメント

 薬仙寺には空襲犠牲者の慰霊碑があり、毎年慰霊祭が行われています。大輪田橋の飾り柱の修復に伴い、地元の要望で廃材となった石材を引き取り、二つの災害を結ぶモニュメントが作られました。戦災で焦げた石材と震災による裂け目の新しい石材が組み合わされ、この街を襲った災害の記憶を伝えています。

  訪問日 2003年7月30日
 5段の台座は50年の時の流れを現わしており、災害の日を示す石組が朱色に塗られています。

82 和田神社  「再建復興鳥居」

 「和田宮」と呼ばれる和田岬神社の正面参道入口には、鋼製の大鳥居が建っています。関西最大を誇った石の鳥居は震災で砕け、鋼製の鳥居となりました。目立たない場所ではありますが、鳥居の両足に貼り付けられた鋼板には、寄進者の名前とともに、震災の概要が刻まれ、災害の記録となっています。

  訪問日 2003年7月30日

83  三石神社  被災鳥居の記念碑

 和田岬駅を出て歩き始めるとすぐに目に付くのが三石神社の幟。この神社は、震災で鳥居の貫が落ち、笠が折れ曲がる被害を受けました。修復された鳥居は、貫が新しくなり、神社側の面に、「阪神・淡路大震災 復興奉納」の文字が刻まれています。お参りを済ませ、神社を後にする時、目に飛び込んでくるのがこの新しい文字。震災のつめ跡はこの静かな神社にも残されています。

  訪問日 2003年7月30日

84  御崎八幡神社  倒壊鳥居の記念碑

 兵庫運河の清盛橋の袂に御崎八幡神社があります。真新しい石の鳥居は震災後に立て直されました。ここでは、折れた鳥居の一部が阪神・淡路大震災被害記念碑となっています。「この碑は倒壊した鳥居柱を用い未曾有の大震災を後世に伝える為に建立す 平成七年十二月」と刻まれ、折れた断面が震災の大きさを物語っています。

  訪問日 2003年7月30日

147  湊八幡神社  再建鳥居

 JR兵庫駅と神戸駅の中程。湊町公園の小さな緑地帯に面して、湊八幡神社があります。神戸の街中とは思えない静かな場所に、新しい鋼製の鳥居が建っています。2000年9月、宮司と氏子の努力が実を結び再建されたものです。震災は忘れられつつありますが、境内に建てられた再建記念の石碑が、震災の事実を伝えています。

  訪問日 2003年7月30日

148 生田神社お旅所  日時計「震災復興記念碑」

 JR兵庫駅の北、大開通りに面した一角に、生田神社お旅所がありました。ここには震災記念碑の日時計あります。震災で全壊した社務所が再建された97年12月に完成したものです。鳥居をくぐり社務所に向かう左手にひっそりと時を刻んでいる日時計には、通常使われることのない時刻が記されています。「1995 1 17 05:46」しかも朱色で地震を表す波線も引かれていました。忘れられないあの時。そして忘れてはならないあの日なのです。

    訪問日  2006年11月12日

169  蛭子神社  震災記念鳥居

 JR兵庫駅に近い忙しなく車の行き交う三角地に蛭子神社がありました。柳原のえべっさんで知られるこの神社は震災で神楽殿は倒れ、鳥居も粉々に砕けたそうです。再建された鳥居は鋼骨にモルタルベースの仕上げが施され、御影石の砕石が吹き付けられたもので、石の鳥居と見分けが付かない仕上がりでした。

   訪問日 2006年11月12日

171  お仏壇の畑中本店  阪神大震災慰霊観音像

 神戸高速鉄道の新開地駅前の大通りに面した店先に、観音様が立っておられます。そこはお仏壇の畑中神戸本店です。「震災で商品は大きな被害を受けたけど、従業員が無事だったのは観音様のお陰げ」と、98年に移転した際に店の前に設置したそうです。通りに面しているため、観音様はいつでも拝めますし、観音様もいつも街の安全を見守っておられます。(現在は見られません)

   訪問日 2006年11月12日

172  七宮神社  社務所竣工記念碑

 阪神高速道路の柳原インターの入口とはいえ、街中とは思えないくらい静かな七宮神社がありました。平清盛が建立したこの神社の社務所は、神戸大空襲で全焼し、震災で全壊しました。再建された社務所は一見、会社の事務所のような頑丈な造りでしたが、神社の由来とともに「平成7年1月17日阪神淡路大震災により、多大な被害を被ったがこの地に再建す」と刻まれた石碑が、地域の信仰の厚さを物語っていました。

  訪問日 2006年11月12日

226  松本うめ公園  命の輝き

 神戸市営地下鉄上沢駅から少し上った静かな住宅地に松本うめ公園があります。この地区は震災で80%が焼失し、16人の方が亡くなりました。復興には住民の提案が各所に取り入れられ、「松本せせらぎ通り」と名付けられた市道には水が流され、緊急避難所となるこの公園には井戸やかまどになる金属製の椅子が設けられています。「うめ公園」の名前は京都北野天満宮から贈られた一対の紅梅と白梅が植えられたことから名付けられました。

  訪問日 2006年11月12日

247  川池公園  いのちの碑

 湊川公園から西に進むと、生まれ変わった新しい街並みに「川池公園」がありました。この公園には、震災10年を迎える直前の2004年12月12日に「いのちの碑」が完成しました。震災で犠牲になった、会下山町・大井通・松本通・上沢通・川池地区の100名の御霊を追悼するとともに、「いのち」の尊さを語り継ぐために建てられたものです。

   訪問日 2007年4月1日

258  湊川公園  兵庫県南部地震十周年記念碑

 新開地の駅を出て、緩やかな坂道になっている商店街を抜けると、広大な湊川公園に出ます。その入口にはかつての「神戸タワー」を模した時計塔があり、その向かいに兵庫県南部地震十周年記念碑が作られています。作家の藤本義一さんの題字で「ここにねむる いのち ここから はばたく」と刻まれており、震災を忘れないための未来へのメッセージになっています。

  訪問日 2007年4月1日


「コスモスの詩」のTOPへ 「震災モニュメントを訪ねて」のTOPへ このページのTOPへ