淡路島
116 ハイウェイオアシス ブロンズ像「ブラックスワン」
明石海峡大橋開通の1998年4月8日、西オーストラリア州リチャード・コート・カウエン州首相から寄贈された「ブラックスワン」のブロンズ像が除幕されました。兵庫県と西オーストラリア州は姉妹県(州)であることから、震災の年の11月に訪問された州首相(当時は副首相)の申し出で寄贈されることとなったそうです。ブラックスワンは西オーストラリア州の州鳥であり、5羽のスワンは勇気・協調・闘志・寛容・忍耐を表しており、被災者の励みになることを願って贈られたものです。 |
117 北淡 震災記念公園 モニュメント「べっちゃないロック」
野島断層を保存した北淡町震災記念公園の一角、憩いの広場に「べっちゃないロック」があります。「べっちゃない」とは、北淡路の方言で「たいした事ない」という意味で、「震災ぐらいでは負けない。」という気持ちを表しています。べっちゃないロックは人工池の中程に、石舞台と御影石を城の石垣の積み方である「のづら積み」にした3基のピラミッドで構成されています。 地震の想像を絶する威力を展示した「野島断層保存館」を中心として、北淡町震災記念公園全体がモニュメントとなり、芝生広場の入口には震災で亡くなった40人の名を刻んだ慰霊碑が祭られています。 訪問日 2002年3月24日 |
120 北淡 震災記念公園 再移築された「神戸の壁」
神戸大空襲と阪神・淡路大震災に耐え、「永遠に」と、しづかホール横の野外ステージに移設された「神戸の壁」でしたが、再び2009年1月に野島断層を保存する北淡震災記念公園に移設されました。二度の火災に耐えた「神戸の壁」が二度の移転を余儀なくされたことは何かの因縁でしょうか。今度こそ、この場所であの日を語り続けてくれることでしょう。 訪問日 2009年3月1日 |
118 拠点ゾーンコミュニティ住宅 メモリアル「め」
淡路島の西海岸、一宮町郡家地区の商店街の一角に、被災者が入居する鉄筋5階建ての「拠点ゾーンコミュニティ住宅」があり、その入口付近に震災復興メモリアル「め」があります。倒壊した大鳥居の円柱の上にステンレス製の球体を配置したものです。町木のウバメガシをデザインしたこの球体は、復興する町の様子を見守っています。 |
119 熊田処分場跡 日時計「時の調べ」
洲本市の中心部から南へ車で20分余りの由良の山間に、洲本市で解体撤去された約500棟のガレキを埋め立てた熊田処分場跡があります。ここには、ガレキの石材で作った日時計のモニュメント「時のしらべ」が造られました。ガレキの中には、多くの人たちが生活していた「時間」が詰まっている。あの時を忘れずに時を刻み続けてほしいとの願いが込められています。しかし、住宅地からは少し離れており、散歩がてらに立ち寄れる場所ではないだけに、地元の人たちに親しまれる公園とする課題が残されているように思えました。 訪問日 2002年3月24日 |
---|
262 富島小学校 やさしさの碑
震源地の淡路島も、少しずつ傷跡が消えていきました。しかし、亡くなった人たちを忘れることはできません。ここ、富島小学校には、9年が経過した2004年1月、「やさしさの碑」が建立されました。富島小学校では、2人の児童が亡くなり、後方の輪の中には、二人にちなんだ星と太陽が飾られ、学校のモニュメントらしい本を開いた形の碑には、「あの日が わたしたちの スタートになった きずついた分 やさしい子どもに やさしい学校に」と刻まれています。モニュメントとなった「やさしさを記した本」は、決して閉じられることはないでしょう。 訪問日 2009年3月2日 |
280 室津八幡神社 室津八幡神社震災復興寄進者芳名
あの震災により室津八幡神社は、本殿を除き全ての社殿が倒壊し、氏子全戸も被災したため、復興が遅れましたが、2002年5月に室津神社の復興を推進する建築委員会が結成され、2年間寄進を募った末、2004年12月に復興を終えることができました。室津八幡神社震災復興寄進者芳名には、「後世にその敬神愛郷の志を伝えるため、芳名碑を建立し、氏子の安泰と繁栄を祈念する」と記されていました。 訪問日 2009年3月2日 |
281 尾崎八幡神社 尾崎八幡神社震災復興奉賛芳名碑
尾崎八幡神社は、あの大震災で拝殿及び幣殿は全壊し、本殿は半壊しました。被害の大きかった場所だけに、復興には11年の月日を要しました。まずは1998年に仮拝殿を建設し、社務所・御旅所を再建しました。そして、兵庫県阪神淡路大震災復興基金の補助金の交付を受け、氏子及び特別崇敬者の寄進を集め、ようやく本格的な復興事業が始まったのは2001年5月のことでした。すべての事業が完成したのは2006年4月。真新しい鳥居と玉垣が神社の存在を誇っています。 訪問日 2009年3月2日 |
282 江埼灯台 江埼灯台
江埼灯台は1867年に建設された由緒ある灯台ですが、あの震災で震度7の激震に襲われ、大きな被害を受けました。災害の復旧にあたっては、大地震の痕跡を後世に伝えるため、当時の状況をできる限り残す配慮がなされましたが、当初は一直線だった階段に、野島断層による約1.3mの右ずれがてきてしまいました。 震災の痕跡を残す階段ですが、登るのは一苦労。春は名のみの時期とは言え、息を切らせ、一汗かいてしまいました。 訪問日 2009年3月2日 |
「コスモスの詩」のTOPへ | 「震災モニュメントを訪ねて」のTOPへ | このページのTOPへ |