芦屋市


36   兵庫県立芦屋高校  野島断層と同じ段差をつけた石碑

 阪神芦屋駅の南東部、国道43号線に面した芦屋高校。被害の大きかった地域だけに、震災直後は1500名余りの方が体育館等に避難者され、校庭には仮設校舎が建設されるなど、学校の活動もままならない状態でした。それでも、生徒が避難者の対応に当たるボランティア部が誕生し、その後も災害救援の活動が続けられている。
 校門横の藤棚の近くに建立された「阪神・淡路大震災の碑」の上部には、野島断層と同じ角度の段差が付けられ、背面には生徒3名、卒業生30名の犠牲者の記録が刻まれている。

   訪問日 2010年4月25日

38  芦屋市立朝日ヶ丘小学校  モニュメント「希望の時計」

 精道小学校の東向かいに精道保育所があります。この保育所では、やがては向かいの小学校に上がるはずだった6人の園児の命が失われました。
 「祈」と題して8行の詩が刻まれた石碑は入口付近にあり、門の外からお参りさせてもらいました。毎年の1月17日には6本のロウソクを灯し、8行詩を歌う追悼式が続けられているとのことです。

    訪問日  2007年3月17日

39  三八通商店街  布袋像

 昭和3年8月にできたことから、三八通商店街と呼ばれるようになりました。しかし、震災で大半が全壊し、生まれ変わった通りは、もう商店街という印象はありません。そんな通りに面して、布袋さんの祠がありました。にこやかな表情の布袋さんは、道行く人に話しかけるようでした。
 また、この場所には、「白水皇 白砂の井戸」があり、名水を汲みに訪れる人が絶えません。

   訪問日  2006年1月17日

40  精道保育所  詩碑「祈」

 精道小学校の東向かいに精道保育所があります。この保育所では、やがては向かいの小学校に上がるはずだった6人の園児の命が失われました。
 「祈」と題して8行の詩が刻まれた石碑は入口付近にあり、門の外からお参りさせてもらいました。毎年の1月17日には6本のロウソクを灯し、8行詩を歌う追悼式が続けられているとのことです。

   訪問日  2007年3月17日

41  精道小学校  石碑「祈」

 精道小学校の石碑「祈」は1996年1月17日建てられました。台座には「祈」の文字を彫り込み、上部の黒御影石の彫刻が復興に向かう意思を表すモニュメントとなっています。この小学校区だけでも156人の犠牲者があり、石碑の裏には児童8人と保護者6人の名前が刻まれています。
 被害の大きかった地区だけに、図書室には「震災資料室」が設けられ、励ましの手紙や当時の写真等の資料が展示されています。

   訪問日   2003年10月18日

42  芦屋公園  句碑

 芦屋川に沿った松並木に囲まれた芦屋公園。あの震災で街並みの多くが失われましたが、この風景が変わることはありませんでした。
 「震災に 耐へし芦屋の 松涼し」と、震災の夏に詠まれた句の刻まれた句碑は、残された自然の中で、静かに街の復興を見守り続けています。

          訪問日   2002年2月11日
                  2002年6月2日

43  精道幼稚園  半円形の碑」

 芦屋川の一筋西に精道幼稚園があります。震災モニュメントを訪ねるのは休日がほとんどのため、学校や幼稚園はなかなか訪ねることができません。この日は運よく先生の姿を見かけ、お願いすることができました。
 震災で犠牲になったこの幼稚園の園児3名の名が刻まれた石碑は花に囲まれた中庭にありました。「わすれない あなたのことを わすれない あのひのことを」の言葉どおり、震災を知らない園児たちに見守られ、大切にされていることがわかりました。

   訪問日  2007年3月17日

44  如来寺  十三重石塔「いのちの塔」

 1月17日に芦屋市を出発するメモリアルウォークの列は、この如来寺を左に見て山手幹線を目指します。何度か通りながらも、この石塔の存在には気付きませんでした。
 震災で倒壊した念仏塔の10枚を使って97年12月に再建された十三重石塔の台座部分には、「震災で命を失った人々や小さな生き物たちの数知れぬ死を悼み、この震災の体験を子に孫にと語り継ぐことです。」と記された「いのちの塔の由来」が添えられていました。

   訪問日   2007年3月17日

45 津知公園  石碑「絆」

 津知町は、芦屋市で最も被害の大きかった場所。ここには、4ケ月近くもテント村があったそうです。その時に生まれた結びつきを象徴して、「絆」の文字が刻まれています。1997年2月に建設されましたが、石碑は2002年4月、公園の改装とともに、現在の場所に移されました。新しくなった公園に当時の面影は残されていません。しかし、苦しい時だからこそ生まれた「絆」のあったことを、この碑はいつまでも語り続けてくれるでしょう。

      訪問日    2002年2月11日・6月2日
               2003年10月18日

46  私立甲南中・高校  記念碑「常ニ備ヘヨ」

 六甲山へ続く芦屋市の住宅街を昇りきった所に、甲南学園の高等学校・中学校があります。記念碑「常ニ備ヘヨ」は正門から校舎へ向う階段の右斜面にあり、甲南学園創立者の故平生釟三郎氏の筆による文字が刻まれている。昭和13年の阪神大水害を経験した平生氏の「自然はこんな災害を必ず繰り返す。」との訓示を忘れまいと、建立された記念碑です。

   訪問日 2010年4月25日

127  竹園町国道43号  北向子供地蔵尊

 北向きのお地蔵さんを探して、芦屋川から国道43号線の南歩道を大阪方面へ歩きました。6体のお地蔵さんが祭られているとのことで、大きな祠を想像していたら、小さな祠にお地蔵さんが肩を寄せ合って祭られていました。
 お地蔵様は子供の守り神様。祠は小さくとも、新しい花やお供えされているものから、地域で大切にされていることがわかりました。祠の側面には「地域住民の安寧和平を願い、併せて震災犠牲者の萬霊の供養のため、地蔵菩薩像を安置した。」と記され、多くの方の亡くなった悲しい出来事を子供たちに伝えていました。

   訪問日  2007年3月17日

128  日吉神社  津知地蔵講祠

 街の復興とともに、日吉神社も新しくなりましたが、境内のあちこちには今も震災の爪あとが残り、災害が大きかったことを物語っていました。
 震災から10ヶ月後に再建された津知地蔵講祠は、拡幅された歩道に設けられ、街の復興を見守ってきました。祠の側には「平成七年一月十七日阪神淡路大震災で全壊した地蔵尊の再建と併せて犠牲者供養のため観音像と手合わせ地蔵を安置した」と刻まれた石碑も建てられ、生まれ変わった街にあの日の記憶を留めていました。

   訪問日   2007年3月17日

201  芦屋神社  鳥居を利用した記念碑

 
  芦屋市の邸宅街抜けると、旧芦屋村の氏神様「芦屋神社」が見えます。当神社は震災で社務所や鳥居が倒壊し、再建が進められてきました。2009年7月に鳥居が再建されたのを期に、倒壊は免れたものの危険があるため取り壊した鳥居の柱を利用した記念碑が建立されました。「阪神淡路大震災復興記念」と刻まれた柱は幕末の弘化2年(1845年)の銘のあるものが使用されています。

     訪問日 2010年4月25日

202  光明山照善寺  銅板「災禍を乗り越えて」

 JR芦屋駅の南東方向。失礼だが、お寺とは思えないお寺。近づくまではお寺とは思えず、由緒ある旅館かな?と思ったお寺でした。善照寺は震災で本堂・庫裏・鐘楼全てが倒壊しましたが、檀家の支援で1999年に復興を終えました。山門入口に掲げられた「善照寺由来」には、1717年の建立以来、1792年の火災・1945年の戦災での火災・1995年の震災での倒壊等、このお寺を襲った災害が記されていました。

  訪問日 2010年4月25日

230 西法寺  阪神・淡路大震災追悼の鐘

 西法寺を探して、阪神芦屋駅の北東地区を歩き回りますが、お寺は見つかりません。それもそのはず、西法寺は鉄筋コンクリートの2階建に生まれ変わっていたのです。前を歩いただけでは気付かず、ドラム缶の釣鐘を見つけ、やっと気付きました。
 震災当時、ドラム缶は暖を取るためと、お風呂に使われました。ドラム缶を囲んで助け合った日々を忘れないために、ドラム缶が釣鐘になりました。

   訪問日  2006年1月17日 他

266  カトリック芦屋教会  キリスト像

  阪神芦屋駅の北、芦屋川に面した教会は、建物の高さ制限のある芦屋市ですから、遠くからでも所在を確認することができます。教会の聖堂玄関を入った左側に、キリスト像が安置されています。このキリスト像は震災で倒れ、右手が折損したと言われていますが、その傷跡も注意深く観察しなければ分からないほどに修復されています。

    訪問日 2010年4月25日

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