阪神・淡路大震災から9年

   9回目のメモリアルデーも、各地の追悼行事に参加し、
今日から10年目に向けた新たなスタートを切るための
有意義な1月17日を過ごすことができました。

1.高木小学校 2.メモリアルウォーク 3.追悼のつどい
4.東遊園地 5.西宮震災記念碑公園 6.新長田駅前



1.高木小学校  復興の鐘

 午前5時半頃になると、地域の人たちが児童と共に次々に集まり始めます。年々参加者が減っていると聞いていましたが、瞬くうちに復興の鐘前の広場は人で埋ってしまいました。
 「おそすぎないうちに」のテープが流れ、曲の終わりが5時46分。亡くなった5人の児童の冥福を祈る集いが始まります。雪混じりの小雨の中、黙祷。児童の代表が撞く鐘の音が心に響きます。
 9年目のメモリアルデーにこの場所を選んだのには理由がありました。この北口北東地区が現在練習中の「三度目の秋」創作の舞台であったこと。そして、業務上で忘れることのできない出来事があったからです。
 1月18日夜、市民課の窓口は死亡届の受付で混乱していました。1年間で受け付ける以上の方が一瞬にして亡くなったからです。届を済まさなければ、弔うことも遺体を移動することもできない。仕事と割り切り、お悔やみの言葉もかけず、事務処理を続けていました。しかし、お祖父さんの差し出した死亡届に一瞬手が止まりました。亡くなったのは生後間もない赤ちゃん。名前は忘れましたが、この高木地区の方だったことは今も覚えています。「母親はまだ病院に‥‥。」その言葉に涙が溢れ始めました。どうしてこんな幼い命が奪われねばならなかったのか。親族と共に涙を流しながらの受付。あの震災は、多くの人々から大切なものを奪い去っていきました。
 あの赤ちゃんが元気なら、もう3年生になっているはず。同じ年頃の児童を見ながら、あの子の分も生きてくれることを祈りました。

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2.ひょうごメモリアルウォーク2004復興の歩みを確かめる。

 夜が明ける切る頃には、雨が雪に変わり、今年のメモリアルウォークは厳しいスタートとなりました。今年の出発は、芦屋市川西運動場。わき目も振らず先頭集団を目指した昨年の反省から、時間的にも余裕があり、歩くことの意義が味わえるこの場所を選びました。出発式では、傘を片手に準備運動をしなれればならない情けない天候でしたが、天は見放してはいません。国道2号線に出る頃には小降りとなり、やがて傘が不要になるまでに回復しました。急がずあせらず、中腹より上を雪化粧した六甲山を眺めながら足を進めます。今年は寒い。しかし、交通が途絶え、歩くより術のなかったあの時を思い出して歩くことに今日の意義があるのです。この道を通り、いち早く救援の手を差し伸べてくれたボランティアの方々への感謝を今も忘れません。
 空地が目立った2年前と比べると、少しは建築が進んでいます。「その歩みは小さいけれど、この街を愛する人がいる。だから必ず帰って来ると信じてほしい。」と、コスモスの詩の一節を口ずさみながら、来年のコンサートへ向けての歩みがすでに始まっている事を実感しました。
 出発時に込み合っていた参加者もまばらになり、もうすぐ休憩所です。
 休憩所でのんびりしていたら、早くも西宮の先頭集団が到着します。無理な歩き方をしなかったので、体力には十分余裕があります。後半のウォークに出発です。灘区のボランティアの方々は明るい人が多く、「ごくろうさま」・「がんばってください。」と声を交わしながら歩くと、そろそろ出始める疲れが消えていくように感じられました。

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3.震災9周年追悼のつどい

 人と防災未来センターに到着して、追悼のつどいが始まるまでの時間に、いつものように途中で買った「おにぎり」の昼食を取ります。朝が早くお腹がすき始めていることと、1月17日は「おにぎりの日」なのです。自分たちが口にすることの出来ないおにぎりを配ったこと。夜中になってやっと1つもらえたのおにぎりの味。おにぎりの思い出は尽きません。
 今日で3回目となる追悼のつどい。黙祷のわずかな時間に様々なあの日が甦ります。響く鐘の音が、参加者の心に染み渡る一時です。そして、今年も涙をこぼしました。なぎさ小学校の児童による「しあわせ運べるように」。今回は武庫川女子大学付属高等学校コーラス部も加わり、大合唱となりました。「響きわたれぼくたちの歌、生まれ変わる神戸の町に‥‥」大人だけでなく、子どもたちも頑張って神戸を復興させたのです。震災を知らない世代が大半となりつつある小学校で、いつまでも歌い継いでほしいと思いました。

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4.東遊園地

 追悼のつどいの会場から、直接東遊園地へ。今年こそ会場設営のボランティアをしようと思っていたのですが、急な仕事で果たせないままの訪問となりました。それでも、スタンドに並べられた雪地蔵が、笑顔で迎えてくれました。
 各地に分灯され、神戸だけの灯りではなくなりましたが、この会場から神戸の心が全国に向けて発信されています。
 朝のつどいと、夕方のつどいの中間であったことから、燃えつきたロウソクも多く、初めてあかりを灯すことができました。昨年は夕方であったため、お参りの人が多く、報道のヘリコプターの音に悩まされながら、あかりを灯す場所を探しましたが、どの竹筒もあかりに満ちていて、ロウソクを灯すことができませんでした。

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5.西宮震災記念碑公園

 メモリアルウォークで疲れていても、西宮市民として、ここへのお参りを欠かすことはできません。今年は小雨の中でのお参りとなりました。すでに多くの方が来られていることが、積み重ねられた献花でわかります。この一本一本に、亡くなられた方々の冥福を祈る市民の心が込められているのです。

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6. 1.17 KOBE に灯りを in ながた

 一旦西宮に帰りましたが、午後5時46分をめざして再び神戸へ。JR新長田駅前広場で行われる「1.17 KOBE に灯りを in ながた」に参加するためです。
 午後5時46分から点灯が始まり、「1.17 ながた」の文字が次第に浮かび上がってきました。今年は風で灯が消されることもなく、最高のできばえだったそうです。
 早朝から各地を訪ね、私なりに過ごした9年目の1月17日は、新長田の駅前で暮れました。今日新たにした気持を糧に、明日から10年目に向けた歩みを始めます。阪神・淡路大震災を語り継ぐために。そして、コスモスの詩コンサート Part Uに向けて。

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7. 1.17FMコンサート〜阪神・淡路大震災を語り継ぐために〜

 「1.17FMコンサート」をお聞きくださった皆様。本当にありがとうございました。放送中本人は電波の届かない新長田で、西宮のことを思っていました。今年は、コスモスの詩コンサート Part Uに向けての活動が加わります。「1.17FMコンサート」を 来年もオンエアーします。ご期待ください。


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