阪神・淡路大震災から30年
今年は阪神・淡路大震災から30年になります 気が付けば30年。まだ何年かしか経っていないと思ってますが それでも、震災を経験していない人が増えています それだけに、あの日を思う気持ちを持ち続けたいと思います
1.ギャラリーわびすけ 2.西宮震災記念碑公園 3.西宮浜産業交流会館 4.ひょうご安全の日のつどい 5.東遊園地 6.わが街よ永遠にコンサート
私も震災写真の展示会を行ったことのあるギャラリー。毎年年賀状でその年の震災展示のお知らせをもらうため、毎年のように訪問しています。今年は、震災で自宅が倒壊して亡くなった、現代美術家の津高和一さんの作品が展示されていました。私に美術感があるわけではなく、作品に溶け込むことは出来ませんでしたが、同時に展示されている震災写真に引き付けられました。決して忘れることのできない風景。特に当時の新聞が展示されており、黄ばみ傷んではいますが、それがまた、震災が昔にあったことを感じさせてくれます。 私自身、決して忘れてはいけないと思いながらも、忘れていることもあるようです。毎年、震災記念日を迎えることで、少しでもあの日に戻ることができればいいと思います。 |
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今年は震災から30年目。この日この時間は各地で催しが行われていますが、西宮市民として、西宮震災記念碑公園に行くべきと思っています。通常ならこの時間帯は2度くらいの温度で寒いのですが、今年は5度で少し助かりました。 最近はこの時間帯の人数が少なくり、淋しかったのですが、やはり30年、最近にない人数でした。大勢の人と共に黙とう。この時だはあの日に戻ることができます。遺族ではない私ですが、震災を思う気持ちは、ここに参加された方々と変わりはないと思います。 毎年、この場所で、「1月17日」を口ずさみます。今年はコーラス大会で歌うことになっているため、なおさら気持ちがこもります。今は、30年後の1月17日なのです。歌い続けることも、震災を語り継ぐ活動なのではないでしょうか。 |
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西宮市で被災しながら、この日は神戸に出向くことが多いため発見した、西宮で開催されている催しに参加しました。J-LIS被災者支援システム全国サポートセンターの資料展示が行われているとのことで、西宮浜産業交流会館を訪れました。 展示物は置かれていませんでしたが、当時の写真をたくさん見ることができました。私も仕事上、6千枚くらいの写真処理をしましたが、その写真も使われており、私が撮影した、以前に住んでいた壊れた住宅もありました。 西宮市が、サポートセンター事業から遠ざかっていることも知らさました。震災から30年。やはり変わることもあるかのと感じました。阪神・淡路大震災を経験した人は確実に減っています。 だからこそ、生きている限り、伝え続けることが使命だと感じています。 |
「ひょうご安全の日のつどい」は正午に黙とうを行うため、12時少し前から始まります。入場する時はもう、招待された人々が着席なさっておられました。招かれていない人々は、早くから着席の必要は有りませんが、後ろの人ごみの中で式典を待つことになります。それにしても、後ろからは全く状況が分かりません。モニター画面はあるのですが、設営のテントが邪魔なり、ほとんど見ることができません。 ただ、内容は何年も通い続けているため、進行の把握に苦労はしませんでした。私のメインは「しあわせ運べるように」の演奏。毎年のことですが、一緒に歌いながら涙がこぼれます。今年は震災から30年。当時を思い出しながら歌います。 献花は、招待者の人数が多く、なかなか順番が回って来ません。そのため、集会とは関係なく、なぎさ公園で進められている外部の開場を巡ります。店舗系のテントが多かったのですが、避難施設の紹介や防災グッズを紹介している施設もあり、十分に楽しむことが出来ました。 やっと一般の人たちの献花が始まり、再び会場に戻ります。慰霊碑には震災で亡くなられた全ての人たちの名前が納められているため、単に花を供えるだけでなく、冥福を祈ります。もう30年の時が過ぎていますが、献花の気持ちに変わりはありません。 |
朝の5時46分は西宮で迎えましたので、東遊園地を訪ねるのは、「ひょうご安全の日のつどい」に参加すると、どうしても午後の少し遅い時間帯になってしまいます。まずは「希望の灯り」と「慰霊と復興のモニュメント」からお参りします。 慰霊と復興のモニュメントの地下に降りると、銘板の前には多くの花束が供えられています。神戸の会場ですから、知った人の名前は刻まれていないのですが、どうしても悲しい気持ちになります。震災で亡くなった方々の思いが、この日だけはここに来た人たちに寄り添っているのではないでしょうか。 慰霊と復興のモニュメントの次は、仲間の多い希望の灯りのテントです。時間が時間ですので、多くの方々に会うことは出来ませんでしが、何人かには会うことができ、1月17日に訪れていることだけは知ってもらえました。 次は竹灯籠です。今年は設置できる所が減ったと新聞報道でみましたが、全部を見るだけでも大変でした。そして、竹灯籠への点火です。ロウソクの配布場所でロウソクをもらい、お供えの出来る場所を探します。火が消えていても、ロウソクの残っている竹が多く、探すのが大変でした。それでも点火できる場所を発見、点火しながら亡くなられた方々へのお祈りをします。今日はもう3回目ですが、1月17日です。亡くなられた方への思いは続きます。 |
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6.我が街よ永遠にコンサート 2025年1月19日(日)
私は歌が好きで、震災の会場では小声で歌い続けてきましたが、やっと追悼コンサートに行くことができました。会場は垂水区文化センターレバンテホールで、少し遠い所でしたが、阪神・淡路大震災から30年を迎えるには最高の演奏会でした。 「群青・しあわせ運べるように」は臼井真先生の指揮、「阪神・淡路大震災鎮魂組曲1995年1月17日」はこれも作曲者の池辺晋一郎先生の指揮で聴くことが出来ました。 特に鎮魂組曲は普段聞く機会が少ないのて、歌詞を確認しながら、ゆっくりと楽しむことが出来ました。ただ、私も震災曲を造り、歌い続けています。世間では震災を忘れてしまった人も多く居ますが、歌い続ける意義のあることも感じずには居られませんでした。 |
震災から30年目の関連行事が終わりました。それでも、私にはまだやらねばならない予定が残されています。5月のコーラス大会です。わずか5分の「1月17日」ですが、私の阪神・淡路大震災を伝えたいという思いが込められています。世間の雰囲気は変わっていくかも知れませんが、私は動ける限り、震災を伝えて行きたいと思っています。 |
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