阪神・淡路大震災から26年
今年は新型コロナによる非常事態宣言発令中のため |
阪神・淡路大震災の関連行事が中止や縮小が余儀なくされ |
震災経験を伝えるというより、自分自身に問いかけ直す年となりました。 |
1.ギャラリーわびすけ | 2.兵庫県立舞子高等学校 | 3.西宮震災記念碑公園 |
4.東遊園地 | 5.1.17のつどい |
阪神・淡路大震災の記念日がやって来ると、ギャラリーわびすけに来るのが慣例になりました。毎年の作品があの日を思い出させてくれるからです。 今年の展示は、上村和夫さんの作品で、昨年の毎月17日の紙面を貼り重ね、上からボールペンで細かく「1995年1月17日」と書き込まれていました。ただ、掲示された説明を見るまでは、新聞に書かれた内容に気付くことはありませんでした。 私は「1月17日」を口にしますし、歌も歌います。ただ、書き込まれた「1月17日」の数はそんなわずかな数ではありません。震災に込められた思いが伝わってきました。 |
毎年のように舞子高等学校に来ていますが、今年はコロナウイルスの関係で、開催されないのではないかと心配していました。それでも、少し前に学校から連絡があり震災メモリアル行事に参加することができました。今年は電車の乗り継ぎがよく、早く着くことができたので、体育館での話もゆっくり聞くことができました。その中で、阪神淡路・東日本の有名写真に、人の表情が写っていないので被災地の心が伝わらないという話がありました。しかし、私も被災地の写真を撮りましたが、とても人の顔を写すことはできませんでした。無人か後姿です。同じ被災者として、あの時はとても写すことができなかったのです。 私の話を子どもたちは熱心に聞いてくれました。しかし、昨年は話す機会が少なかったため、話のつながらない部分もありました。申し訳ありません。又機会がありましたら、こんなことがないように話させていただきます。。 |
2021年1月17日(日) 26年目のメモリアルデー
コロナウイルスの影響は各催しに表れていました。西宮市の献花は中止されるのでは、と心配していましたが、市長のあいさつはないものの、なんとか照明と花は用意していただけました。感染が怖いので「密にならないよう ご協力をお願いします」の立て札があり、黙祷の後参列者は間隔をとって献花を行いました。通年なら、献花の後はしばらく会場で亡くなった方と時間を過ごす方もあったのですが、今年はすぐに帰宅されました。来年はこんなことがないように、新型コロナの退散を祈るだけでした。 |
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1月17日は何があってもここだけは訪問します。もちろん、午前5時46分に来れればいいのですが、やはり神戸。どうしても西宮震災記念碑公園に参加してしまいます。いままでは竹灯籠でしたが、竹筒の入手が困難になり、今年は紙筒で「がんばろう」を作り、ろうそくを灯すようになりました。ただ、「1.17」はなんとか竹灯籠が使用できたようで、以前の形態を残してくれました。 今年の人出は少なかったと聞いていますが、他の会場と比べるとここが一番賑やかだったのではないでしょうか。 そして東遊園地と言えば「希望の灯り」と「慰霊と復興のモニュメント」です。朝は多くのお参りがあったと思われ、水槽には多くの白菊が浮かんでしいました。1月17日でなくても、ここに来れば必ず手を合わせ、亡くなった方々へのお祈りをします。 |
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東遊園地から約30分歩いて、人と防災未来センターへ移動します。県主催のメモリアルウォーク等の行事は中止となりましたが、「1.17のつどい」は開催されるということで、これだけは参加することにしました。今まではメモリアルウォークでここまで来て、他にも参加したい催しがあるので、少しの時間だけの参加でしたが、今年は献花まで、完全な参加としました。 さすがコロナウイルスの防御。一般参加者は十分な間隔が取れるように二人用の柵が並べられていました。行ったのは開催時刻ギリギリ。相当後ろに並らばされました。つどいが進み、いよいよなぎさ小学校児童による「しあわせ運べるように」の演奏です。こどもたちの声が心に突き刺さります。私も一緒に歌うのですが、どうしても涙が出てしまいます。 来賓の献花を30分余り待ち、やっと献花することができました。週1回ボランティアで来ていますが、この献花台は格別でした。亡くなられた方々へのお祈りで、今年のメモリアルデーは終了です。 |
阪神・淡路大震災から26年目のメモリアルデーが終わりました。今まではいろんな催しに参加し、結局は疲れ果てる1日でしたが、今年はコロナウイルスのために参加する催しを減らし、明るいうちに帰宅したのは始めてです。 私は、阪神・淡路大震災を伝えることを目的としていますが、今年はどうも違いました。参加した会場は少ないですが、自分自身の震災への思いをもう一度考え直すいい機会だったのではないかと思います。 |
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