阪神・淡路大震災から24年

震災記念日が近づくと、どうしても心が重くなります。
あの時の被害を思い出すからだけではありません
この1年何ができたのか、そしてこれから何ができるのか
結論の出せないまま、1月17日を迎えました。

 1.兵庫県立舞子高校   2.わびすけ   3.西宮震災記念碑公園  4.メモリアルウォーク
 5.1.17のつどい  6.東遊園地   7.明日へのメッセージ 

   1.兵庫県立舞子高等学校  2019年1月11日(金
 兵庫県立舞子高等学校で「阪神・淡路大震災を忘れない〜21世紀を担う私たちの使命〜」と題した1.17震災メモリアル行事が行われ、今年も分科会での語り部として参加しました。震災体験が変わることはありませんが、生徒たちは毎年変わるので、私の体験を伝えるこに専念しました。
 今年も運動場で炊き出しの交流会が開かれており、講話終了後にお世話をしてくれた生徒さんと共に炊き出しをいただきました。今年の炊き出しはカレー味。何回か来ましたが初めてでした。毎年同じ味でないのも必要かもしれません。ただ、この経験を生かすような災害は来てほしくはありません。

 2.ギャラリーわびすけ  2019年1月14日(月
 今年は「小林龍三」さんの「震災前の西宮の風景」と震災当時の新聞を展示した「1・17震災企画展」が行われていました。震災による被災状況ではなく、その前の西宮市の状況が展示されていました。この時期なのだから、震災の被災状況の展示かと思いましたが、作品はその前。西宮市の住民だけに、思い出すことの多い風景でした。震災前はこうでしたと言われると、震災により、西宮の風景がこうも変わったのかと気づくと、被災状況を展示した作品よりも、被害の状況を感じずにはいられませんでした。

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 2019年1月17日(木) 24年目のメモリアルデー


  3.西宮震災記念碑公園
 1月17日午前5時46分。各地では様々な催しが行われています。確かに、可能な催しには参加してきました。「今年はどこに行くの?」と聞かれることもあります。それでも、西宮で生まれ、西宮で育ち、おそらくこのまま西宮で一生を終えるはずの私には、西宮しかないのです。今年も西宮へ。しかも西宮の震災記念碑公園へ。当日の行動は自分で決めることができるのですが、ここだけは変えることはありませんでした。
 今年も後輩の西宮市職員労働組合のメンバーが献花用のカーネーションを配ってくれました。私も一度参加しましたが、大変な早朝の活動ご苦労様です。

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  4.1.17ひょうご メモリアルウォーク2019

  メモリアルウォークに参加。これは決めていました。しかし、どこからの出発とするかは当日まで決まりませんでした。西宮震災記念碑公園へは早朝だけに車で行かなければなりません。車を家に戻し、メモリアルウォークの出発会場へ。電車の中から西宮が出発前であるのが確認でき、電車を降りてギリギリで西宮発に参加できました。
 ウォークのコースは慣れたもの。コースに決められた山手幹線の道路は、震災モニュメント巡りでも何度も歩いているので不安はありませんでした。ただ、西宮から終点までは15kmです。西宮発は8時ですから、時速4kmで歩いたとすると、神戸着は休憩なしでほぼ12時です。当然信号待ちもあります。だんだんと疲れが出て、体力的な不安が出てきました。それでも、「さざんか」創作の場所を見つけ、「深い緑につつまれて 冬枯れの街に ほのかな色を添える」と歌いながら休憩しました。これを作ったのが震災12年。そしてそれから12年が経った今年は震災24年です。最終段階で急に疲れが出ましたが、なんとかウォークを完了させることができました。

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  5.1.17のつどい

  メモリアルウォーク終点の人と防災未来センターに着く頃には「1.17のつどい」は始まっていました。参加者も多く、周辺を移動するだけで、着席して式典に参加することはできませんでした。それでも、なぎさ小学校の「しあわせ運べるように」は聞くことができました。この曲だけは、たとえプロであっても大人の声でなく、小学生のの声が最高です。
     
 「1・17のつどい」は式典だけではありません。海岸沿いの公園ではテントが張られ、様々なブースが設けられています。朝からこの会場に来てテントを廻れば楽しいのでしょうが、メモリアルウォークで来た者には時間がなさすぎました。体力的にメモリアルウォークが無理になれば、朝から各ブースを廻ることも考えましょう。「1・17のつどい」を着席なしに参加しても、やはり、献花だけはしたいと思います。しかし、あの人数。招待された方々が終わるまでにはかなりの時間を要し、順番を待ってはいられません。献花は5時までと聞き、一旦東遊園地へ移動し、再びこの会場へ。つどいが終われば会場も静かになり、震災で亡くなられた方々への思いを抱きながらゆっくりと献花をすることができました。

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  6.東遊園地

  メモリアルデーでどうしても行きたかった場所は東遊園地です。朝の5時46分は今までに二度行きましたが、どうしても西宮が中心になってしまうため、時間は遅くなりますが、必ずお参りに行くことにしています。今年は竹筒が足りなくて、ペットボトルも使われたようですが、竹筒への点火はなんとか続けてほしいと思います。そして、交流テントでは、必ず知り合いに会うことができますので、ここへの訪問も東遊園地での目的です。
     
  東遊園地での目的はもう一つ。受付で白菊を受取り、希望の灯りにお参りし、慰霊と復興のモニュメントでの献花です。もうすでに多くの方が来られ、水面はびっしりと花で埋まっていました。親族や知人を亡くした方々の思いが、一つ一つの花にこめられているのがわかります。そして、地下の瞑想の空間へ。普段は訪れる人の少ない場所ですが、今日だけは多くの方がお参りされていました。亡くなった方の名前の前で、24年の時を越えて話しておられました。

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  7.明日へのメッセージ

 兵庫県立美術館で開催された「明日へのメッセージ 〜詩の朗読と音楽+復興トーク」に参加しました。この催しは復興支援コンサート実行委員会が主催するもので、「コスモス」を竹下景子さんに朗読して頂いて以来、コンサートの手伝い等、1月17日のお付き合いが続いていました。
 私も詩を書く者として、朗読に聞き入りました。特に阪神・淡路大震災を経験していない学生の作も多く、やがて来る地震に向けた心意気が強く感じられました。そして最高齢の宝田さんの朗読には驚かされました。年を感じさせない声が響き、友人への思いが突き刺さりました。
 震災から24年目の1月17日の予定はこの舞台で終了です。今までは日が暮れてからも夜の催しに行ったのですが、やはり年なのでしょう。メモリアルウォークでの疲れが沸き上がってきました。

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 阪神・淡路大震災から24年目のメモリアルデーが終わりました。年齢が70代になり、西宮からのメモリアルウォークがいつまで続けられるかどうかを確認するためにメモリアルウォークに参加しました。歩数計は4万1千を越えており、続けることには無理があるのではないかという気になりました。とは言え、毎年1月17日は巡ってきます。多少の無理はしても、あの日に帰り、新しい気持ちだけは持ち続けたいと思います。

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