阪神・淡路大震災から22年
年とともに震災を経験した人の数が減っているのは事実です |
しかし、本当に忘れ去られたのでしょうか |
今年は各地の催しに参加する中で |
集まられた方々の震災に対する心を掴んで来ようと思います |
1.希望の灯り | 2.フクシマ写真展 | 3.兵庫県立舞子高校 | 4.ショッピングセンター写真展 | 5.阪神高速震災資料館 |
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6.西宮震災記念公園 | 7.メモリアルウォーク | 8.ひょうご安全の日のつどい | 9.東遊園地 |
時々希望の灯りの清掃には参加していますが、この時期の分灯はスケジュールの関係で手伝いに行けていませんでしたが、今年は何とか参加することができました。 本日は分灯を希望している50団体中、30団体の参加で、希望の灯り前は人であふれていました。参加者は中学生が多く、当然震災を経験していない世代ですが、ろうそくに点火した灯りを、持ち帰り用のランタンに大切に移していました。1月17日には学校で行事が行われるとことで、忘れ去るのではなく、震災を伝えることの重要性を生徒たちが感じていることを実感しました。 |
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今年もギャラリーわびすけでは、震災写真展が行われていました。東日本大震災の翌年とその2年後に福島県南相馬市小高区で撮られた写真を比較しながら、遅れている復興を伝えていました。 今は避難指示が解除されてはいますが、戻る人はいません。多くの人が戻り、元の生活が始められるならともかく、一人で戻っても、ここで暮らせるものではないからです。除染が済んだとは言っても、人の住まない山地等は全く手つかずのままですから、決して安心できるものではありません。 |
今年も舞子高校の分科会に参加しました。震災の体験が変わるわけはないので、話す内容は同じですが、生徒は毎年変わっているので、伝えることの大切さはいつまでも続きます。 昨年までは控室で時間を待っていたのですが、今年は体育館で行われている講演会に参加し、熊本地震の話を聞きました。ニュース等の知識しかない私でしたので、いい機会に恵まれました。 分科会の後は今年も「舞子千人鍋」の炊き出しです。ちょうど昼食の時間でもあり、寒さの中での温まる一杯でした。 |
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4.ショッピングセンター写真展 2017年1月15日(日) 午前
震災から22年。震災以後に生まれた人も増え、1月17日が特別な日ではなくなりつつあるように思われますが、近くのショッピングセンターでは、「阪神・淡路大震災の写真展」が行われてました。展示は震災の被災状況だけではなく、復旧状況・防災減災対策・非常持ち出し袋等、読み始めると動くことができないくらいの内容でした。 そして、最後に。さすがスーパーマーケットです。「危機管理のために」のコーナーで「おむすびのあたたかさを覚えてますか?」とあり、「1月17日はおむすびの日」のポスターが。私も経験しました。1月17日は必ず食べますからね。 |
5.阪神高速震災資料保管庫 2017年1月15日(日) 午後
阪神高速道路会社の阪神高速震災資料保管庫は、曜日が限られ、予約も必要ということで、行く機会がありませんでしたが、今年は予約なしに見学できるという新聞報道を見て訪問しました。 阪神高速道路の被災モニュメントは、神戸市中央区の新港町で伸縮装置や支承等を見ていますので、同様のものが展示されていると思っていました。ところが、その上に橋脚や橋げた等、大がかりなものがたくさんあり、そのボリュームに圧倒されました。復旧を急ぐ中で、これだけのものが保存できたことに感心しました。起きては困るけれど、次の災害に役立てるものと思いました。 |
2017年1月17日(火) 22年目のメモリアルデー
メモリアルデーの朝をどこで迎えるかを悩みましたが、今年も西宮市民として、西宮震災記念碑公園を選びました。今年も車での出発ですが、昨夜の雨でフロントガラスが凍り付き、出発の時間をとってしまいました。当然、昨年より寒い。あの日もこんな朝だったんでしょうね。。 22年目となり、昔のように会場がお参りの方で埋まることはありませんでしたが、まずまずの人出でした。震災記念碑はライトアップされていますが、他には灯りがなく、暗い中での黙とうが西宮市の通例です。時が経ったとは言いながら、黙とうの時間にはあの日に戻ってしまう。会場のみんなの気持ちが一つになっているからでしょう。いよいよメモリアルデーの始まりです。 |
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今年はメモリアルウォークに参加し始めて15年目。ただ西宮からは最初の年だけ。もう決して若くはないので歩けるうちにと、15周年の区切りに合わせて、15kmの西宮からの参加にしました。 西宮からゴールまでは遠いので出発は午前8時。震災記念碑公園を長居せずに引き上げたのはこのせいです。昔は満員だった六湛寺公園でしたが、今年は少々寂しい感じでした。 いよいよHAT神戸に向けて出発します。最近は毎日1・2時間の散歩をしているので、歩きは快調です。ただ、信号待ちの時間が多すぎました。時速4kmで休憩なしでも正午位。時間を取り戻すためには速度を上げなければなりません。 |
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速度を上げての歩きでしたが、ゴールに着いた時はもう「ひょうご安全の日のつどい」は始まっていました。昨年までは帰りを急ぐため、「安全の日のつどい」には参加しましたが一般献花の時間まで待てなかった経験から、献花のできる時に参加することにし、なぎさ公園に設営された展示テントを回ります。東日本からの出店の中でも、南三陸町は馴染みのあるテントでした。 そしていよいよ昼食です。途中のコンビニで買ったおむすび。先日ショッピングセンターの写真展で見たのと同じポスターのあるコンビニで買いました。震災の時は塩でにぎっただけのものでしたが、今日は海苔が巻かれ中身も入っています。風が少なく、日向はポカポカ。幸せな昼食でした。 |
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「ひょうご安全の日 1.17のつどい」に参加した時は来賓の献花が始まったばかり。一般の献花はそれが終わってから。今年は「しあわせ運べるように」が聞けなかったけど、会場では追悼の気持ちに浸ります。 いよいよ一般の献花です。つどいに参加しながらも献花せずに帰った去年までを含めて、亡くなった方への思いを込めた花をささげました。 今年は時間に余裕があるので、その後は人と防災未来センターの見学です。いつもはボランティアで行っていますが、今日は一般人としてです。それでも、会場内では知り合いのボランティアと会いますと、「ご苦労様」だけではなく、つい話し込んでしまいました。 |
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人と防災未来センター見学の後はいよいよ東遊園地です。朝の5時46分は西宮で迎えましたので、夕方の5時46分は東遊園地です。まだまだ時間があるので、まずは会場全体が見渡せる神戸市役所の24階に上がります。今年は1995と光の文字が加えられました。 会場に着くとまずは慰霊と復興のモニュメントへ。水面には献花された多くの花が浮かんでいます。手を合わせ静かに冥福を祈ります。地下の瞑想の空間にも多くの方々がおられ、亡くなった方の名札の前で故人を偲ばれていました。 |
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希望の灯りには多くの花や折り鶴が供えられ、訪れた方は必ず手を合わせ祈りを捧げています。 慰霊と復興のモニュメントの周辺は「阪神淡路大震災1.17のつどい」の会場になっていて、小学生の児童による合唱が行われていまし。安全の日のつどいでは聞くことのできなかった「しあわせ運べるように」は邪魔しない程度に一緒に歌わせてもらいました。指揮はもちろん、作曲者の臼井先生でした。 |
5時を待てばと思っていると、実行委員長より「光」の周りのペットボトルのろうそくを変え、点火してほしいとの依頼がありました。1本や2本ではなく、とても一人ではできる数ではないので会場にいる人に頼み込み作業を開始します。かなりの数で、段ボール4箱でも足りないくらいのろうそくでした。5時46分に間に合わないのではと思いましたが、なんとかギリギリに点灯することができました。私だけではなく、手伝ってくれた方々も、役立ったことに喜びを感じられたのではないでしょうか。 |
震災から22年目の「メモリアルデー」が終わりました。今年は外部からの要請もなく、私のやりたいように過ごしたスケジュールでした。震災が忘れられているとよく言われますが、全員が忘れ去っているわけではありません。この日だけはあの日を思い出し、どこかの催しに参加してくれている人が多数いることを感じました。24時間地震、地震と思い続ける必要はありません。時々は思い出し、災害に備えると共に、若い人たちに伝えてくれれば十分ではないでしょうか。私も、体力の続く限り「1月17日を忘れない」を続けて行きたいと思います。 |
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