阪神・淡路大震災から21年

いまだに昨日の事のように思え
震災への思いは変わらないつもりだけれど
震災を経験しない人が増え
忘れられつつあるのが自然なのでしょうか

 1.震災記憶展  2.兵庫県立舞子高校  3.人と防災未来センター  4.西宮震災記念碑公園
 5.メモリアルウォーク  6.ひょうご安全の日のつどい  7.神楽町教会  8.東遊園地


   1. 震災記憶展 (ギャラリーわびすけ) 2016年1月11日(月)
   
 昨年は「ギャラリーわびすけ」の写真展に出展し、主催者の一人として通いましたが、今年はお客として訪問しました。テーマは「1.17紙芝居と絵本の震災記憶展」で、西宮市のホームページでも紹介されている絵本が展示されていました。作者の米光さんは平木小学校が母校ということで、付近の写真は西宮市震災写真情報館にも入っており、絵を見ていると、その場に行ったような感覚になってしまいました。

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  2.兵庫県立舞子高等学校  2016年1月15日(金)
 訪問は今年で5回目。1月17日を前にした定番になってしまったようです。若い高校生に自慢できるような震災の経験はありませんが、災害時は、普段なら何でもないと思えることでも思い通りにはならないことを伝えることができたと思います。
  分科会の後は今年も「舞子千人鍋」の炊き出しです。あの時は炊き出しに出会う機会もなく、空腹で走り廻ったことを思い出しました。寒さの中で温まる一杯。でも、これを必要とする災害のないことが一番だと思います。

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   3.人と防災未来センター  2016年1月16日(土

 人と防災未来センターでは、「1.17のしるし-イマ/ココから考える」と題して、「記録・表象としての震災資料展」が行われています。その中の「楽曲」コーナーで「コスモスの詩」が取り上げられていました。楽譜の表紙だけですが、季節の花が咲く度に思い出してほしい(実際は「四季の花」のテーマですが)と、添え書きがありました。

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 2016年1月17日(日) 21年目のメモリアルデー


  4.西宮震災記念碑公園
 メモリアルデーの朝は西宮市民として、西宮震災記念碑公園です。交通機関の動いていない時間なので、駐車スペースの関係もあり、5時を目指して車で走ります。暖冬と言われていましたが温度は1℃。21年前もきっとこんな温度だったと思います。
 21年目となり、お参りの方が減っているのではと心配しましたが、かなりの方が集まり黙とうです。わずか1分の間ですが、あの日の事が甦り、駆け巡ります。いよいよメモリアルデーの始まりです。

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   5.1.17ひょうご メモリアルウォーク2016

 ここ数年のメモリアルウォークは、東遊園地に寄るため「神戸市立中央体育館」からのスタートでしたが、今年は午後に東遊園地に行けるので、久しぶりに芦屋市からのスタートです。体力的には西宮市からでも可能でしたが、出発時間の関係で芦屋市からとしました。会場の川西運動場の外は道が狭く、歩行者用信号の時間も短いので、停滞してなかなか前に進めません。
 順調に歩き始めることが出来たのは国道2号線を超えた当たりからで、もう9時になっていました。それからも信号待ちが多く、「1.17のつどい」に間に合うかだんだん心配になってきました。
 それでも、108人の犠牲者の名が刻まれた弓弦羽神社の震災モニュメントを見つけ、お参りをします。なかなか変わらない信号待ちにイライラしながらも、今日は1月17日ですから。
 
 
  最近は1~2時間の散歩をしているので、初めて参加したメモリアルウォークのようなこともなく、歩き続けることが出来ています。ただ一つ。「さざんか」を創るきっかけとなった山茶花が見つからないのです。写真は撮ってありますのであったことは間違いないのですが、場所がわからないままになっていました。あれから9年ですが、枯れることはないと左側を見ながら歩きます。そして、やっと。見つけました。「水道筋6丁目」の交差点の少し手前でした。今年の花は少し少な目でしたが、たしかにあの山茶花」です。
 ゴールまではあとわずか。かなり時間が遅れているように思いましたが、心が軽くなり、口ずさむのはやはり、「さざんか」でした。

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   6.ひょうご安全の日 1.17のつどい

  予想どおり、「1.17のつどい」の開始には間に合いませんでした。昨年は椅子に座ることができたのですが、今年は後からとなり、式典が全く見えません。それても、なぎさ小学校児童の「しあわせ運べるように」を聞くまでは帰ることができません。ベンチに上がらせてもらい、写真だけは辛うじて撮ることができました。じっくり歌の聞ける状況ではありませんでしたが、やはり児童の歌声に涙が滲みまする今日は1月17日だからでしょうか。
 式典最終の献花になると、様子が全くわかりません。一般の献花までとても待つことはできないので、場所を移動して反対側に回ると、丁度神戸市長の献花でした。
 式典会場の道向かいには多数のテントがが張られ、様々な催しが行われていました。覗きたいテントもいくつかありましたが、西宮に戻る時間も迫っていたので、雰囲気を味わうだけとなってしまいました。
 

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  7.神楽町教会
 「1.17のつどい」の会場でゆっくりできなかったのは、14時より「阪神淡路大震災追悼のつどい~語り続けよう 祈り続けよう~」があるからです。追悼のつどいはゴスペル歌手の森祐理さんが開くもので、東遊園地で行われる「1.17のつどい」や仁川の地すべり記念館でも歌声を聞き、是非とも参加しようと神戸から戻りました。
 追悼のつどいは歌だけでなく、遺族の体験談もあり、あの日を思い浮かべてしまいます。「しあわせ運べるように」は歌いながら2度目の涙となりました。

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 8.東遊園地
 
     
 神楽町教会の追悼のつどいが終了すると、再び神戸、東遊園地に向かいます。メモリアルウォークの後に行こうと思っていましたが、西宮でのつどいがあることや、午後5時46分を神戸でと考え、ここをメモリアルデーの最終地にしました。21年目で、昨年程ではなかったようですが、多くの方が来られていたと聞きました。
 東遊園地に入ると、スタンドには「雪だるま」と「シンサイミライノハナ」があり、東日本大震災追悼の「3・11」の竹灯籠がありました。
 
   東遊園地に着いた時は来場者の少ない時間帯で、午後5時46分には1時間余りの時間があったため、ゆったりと会場を廻ることができました。受付でローソクをもらい、竹筒に灯します。まだ明るかったのですが、灯りを絶やさないことも大切です。
 灯りの次はいよいよ献花です。慰霊の復興のモニュメントの水面は菊の花で埋まり、花を供える場所を探すのも大変でした。そして地下の瞑想の空間へ。銘板の下は供えられた花がいっぱい。21年前を思い出しながら手を合わせました。
 関電ビルの「1.17」の灯りが浮かび、いよいよ午後5時46分の黙とうの時間です。西宮震災記念碑公園から始まり、東遊園地で1日を終えました。
 
 

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 震災から21年目の「メモリアルデー」が終わりました。昨年は20年ということで、スケジュールに追われましたが、今年はゆったりとした気持ちで1月17日を終えることができました。「20年の節目で区切り」という人も多いけれど、20年は単なる通過点。今年から新たな1年が始まります。体力の続く限り「1月17日を忘れない」を続けて行きたいと思います。

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