阪神・淡路大震災から16年

      今までは1月16日の仕事が終わるまで
1.17モードになれなかったけれど       
今年は3日前から私なりの1月17日が始まりました。  
 1.舞子高校/ギャラリーわびすけ  2.第10回追悼コンサート  3.前日の東遊園地
 4.阪神淡路大震災1.17のつどい  5.西宮震災記念碑公園  6.1.17メモリアルコンサート

  1.兵庫県立舞子高等学校/ギャラリーわびすけ 2011年1月14日(金)
 兵庫県立舞子高等学校では、毎年この時期に1.17震災メモリアル行事が行われています。今年は私の活動しているNPO法人の一人として、分科会へ語り部として参加させてもらいました。舞子高等学校は兵庫県で唯一の防災科を持つ学校で震災学習も盛んです。片道1時間半を要する遠方でしたが、生徒さんが熱心に耳を傾けてくれるので、私の話も熱くなります。完全に1.17モード。いよいよ私なりのメモリアルデーのスタートです。
 舞子高校からの帰りは「ギャラリーわびすけ」へ。毎年のようにお邪魔し、新しい発見と感慨をもらって帰ります。今年は長田区のビデオを見せてもらいました。長田区へは何度も行き、復興した街並みを見過ぎたせいか、炎に包まれた町がどこか別の場所であったかのように感じられました。私の心の中にも、風化の波が押し寄せているようです。これをリセットするのが今日からの4日間です。 

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   2.第10回追悼コンサート(地すべり資料館  2011年1月15日(土)
 34人の犠牲者を出した仁川の地すべり現場に咲いた追悼のコスモスは何度か訪れましたが、1月の追悼コンサートには一度も参加することができませんでした。しかし、今年が最後ということをニュースで知り、最後のコンサートだけでもと参加させてもらいました。
 今年のコンサートは福音歌手の森祐理さん。昨年の阪神淡路大震災1.17のつどいで「しあわせ運べるように」を独唱された方です。森さんは弟さんを震災で亡くされましたが、被災者を励ますために避難所など各地で歌って来られました。お話を交えながらの約1時間半のコンサート。1.17モードになっている私は涙の連続でした。とりわけ「しあわせ運べるように」は悲しい歌ではないのに涙・涙でした。
 最後に追悼のコスモスを咲かせてくれた「ゆりの会」の代表者に「三度目の秋」を聞いていただきたいと、お礼にはならないものの、昨年完成したCDを手渡しました。「もう咲かないで」と歌いながらコスモスを写した場所には新しい家が建っています。「この場所はコスモスより、人の住む所」です。

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    3.前日の東遊園地  2011年1月16日(日)
 滞っていた「震災モニュメントを訪ねて」のホームページの更新作業に追われ、東遊園地に着いた時は5時近くになっていました。ろうそくを灯す竹筒は既に準備ができ、最後の水を入れる作業が行われていました。
 3年前は初発の電車でこの場所を訪れましたが、今年は会場に設けられた交流テントで一夜を過ごし、最初の点灯から参加するつもりです。交流テントの中は明るくにぎやかで、一昨日に語り部をした舞子高校の生徒さんもおられ、夜が更けるまで交流が続きます。学生さんたちは朝のつどいが終ってから登校するとのことでした。

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 2011年1月17日(月) 16年目のメモリアルデー


   4.阪神淡路大震災1.17のつどい
 交流テントの中はストーブあり、なんとか寒さは凌げますが、外は0度を切っています。おまけに5〜7mの強風で想像以上の極寒です。1時頃、ろうそくを浮かべる竹筒の水が凍っているとの知らせが入ります。私はズボンを穿いていますが、スカートが制服の女子高生もいます。この寒さに耐えられるのか心配ですが、そういう私も寒さに耐えられるかどうかの自信はありません。ただ、ストーブの前で朝を待つだけです。
 午前4時からろうそくのセットが始まります。心配していた竹筒は、凍っていた方がろうそくが水に浸かることもなく、作業はスムーズでした。ただ、この寒さ。30分足らずの時間で手の感覚はなくなり、ガタガタ震えて交流テントに飛び込む始末です。午前5時からいよいよ点灯開始。希望の灯りから分灯した大きなろうそくから、さらに分灯して7人の女子高生が各文字へ運びます。いよいよ点灯の始まりです。強風の中でしたが、ろうそくは竹筒に囲まれている上、芯も太いため、燃え始めると風で消えることはありませんでした。時とともに人が増え始めます。それでも私はろうそくを灯す作業をしていたため、竹筒の前で5時46分を迎えることができました。黙祷!時間が止まったような特異なひと時。集まった多くの方々の心に、それぞれの思いが駆け巡ります。何度経験しても、この雰囲気はやはり涙を誘います。
 黙祷の後は慰霊と復興のモニュメント前へ移動し、「阪神淡路大震災1.17のつどい」が行われました。スペースが狭いため、人垣の間から覗く程度でしたが、今年も参加された森さんの「しあわせ運べるように」はシッカリと聞きました。一緒に歌いながら、今日、2度目の涙です。
   
ブルーキャンドルとシンサイミライノハナ LEDの「記憶のモニュメント」   神戸市役所24階から見た東遊園地

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   5.西宮震災記念碑公園

 交流テントで一夜を明かしたのにはもう一つ目的がありました。「歌で綴る阪神・淡路大震災」のCDを配布するためです。東遊園地を訪れた色んな方が交流テントに来られます。震災の話をしながら、歌に興味の有る方に手渡して行きます。しかし、西宮市民として、メモリアルデーに西宮震災記念碑公園を外すことはできません。1時前に東遊園地を離れ、西宮を目指します。西宮震災記念碑公園に着いた時は、神原小学校の「震災記念全校集会」が行われている最中でした。校長先生のお話の後は、全校児童475名による「しあわせ運べるように」の合唱です。メモリアルウォークに参加すればHAT神戸で渚小学校児童の声が聞けるのですが、今年はその機会がありませんでした。この歌はやはり児童の声が合います。初めは一緒に歌っていましたが、途中で声にならなくなり、今日3度目の涙です。この子どもたちが、震災を伝え続けてくれることを祈りました。

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   6.1.17メモリアルコンサート 「竹下景子:詩の朗読と音楽の夕べ」

 西宮震災記念公園から再び神戸へ戻り、灘区民ホールへ。昨年「コスモス」の入賞した1.17メモリアルコンサート「竹下景子:朗読と音楽の夕べ」でCDの配布を行うためです。CDの配布をさせてもらうことから、コンサートの実行委員会にボランティアの申し入れをしましたところ、物品販売の補助に加えて、寒い駅前で40分近くも送迎バスの案内をするという仕事も待っていました。朝の寒さからすれば苦になるものではありませんでしたが、昨年の入賞者をここまで使うか?という感もありました。ただ、来場者にCDを配布し、竹下さんにCDを手渡すという目的は達成することができました。
 メモリアルデーの幕引きとしては少々淋しい感はありましたが、やりたかったことは全てやり切ったという満足感が残りました。
 灘区民マリーホール CDの配布

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 震災から16年目のメモリアルデーは終りました。今年は歩き回りこそ少なかったものの、寒い東遊園地で徹夜をするという初めての経験をしました。毎年続けられている実行委員の方々の苦労をが身にしみてわかりました。あの寒さは尋常ではありません。上半身はストーブで凌ぎましたが、足先の冷たいこと。おかげで五十数年ぶりに霜焼けを作りました。
 これから、また1年。来年のメモリアルデーに向けて新しいスタートです。

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