阪神・淡路大震災から14年
1月17日午前5時46分は1年に一度しかない |
そんな当たり前のことに、前日まで迷いました。 |
私なりの1月17日を迎えるために。 |
1.尼崎市橘公園 | 2.西宮中央商店街 | 3.西宮震災記念碑公園 |
4.東遊園地 | 5.メモリアルウォーク 2009 | 6.ひょうご安全の日 1.17のつどい |
7.旧山本家住宅 | 8.震災復興フリーライブ | 9.KOBEに灯りをinながた |
1月16日の夕方になると、もう「1.17」モード。ギリギリまで仕事に追われましたが、尼崎市橘公園へ車を走らせます。今年の冬は雪が豊富なようで、49個の「かまくら」が作られていました。子どもたちは残った雪で雪合戦をしてはしゃぎまわっています。 ロウソクに点火されいよいよ5時46分。黙祷! あの日を思い起こす神聖なひと時。しかし、雰囲気が少し違いました。14年という時の経過でしょうか。震災を知らない子どもたちはともかく、あの惨状を見てきた大人たちでさえも、遠い日の出来事になっているように感じました。それでも、ロウソクの灯りを見つめていると、自然にあの日へ導かれて行きました。 |
2009年1月17日(土) 14年目のメモリアルデー
アーケードに長く残されていた大時計が降ろされてから、この場所で追悼の集いが行われていることは知っていましたがなかなか機会に恵まれず、今年、やっと参加することができました。 商店街とは無縁の私が参加するのはチョット気が引けましたが、市民の一人として加わりました。ロウソクを受け取り、5時46分を待ちます。空を見上げると半分の月が輝いていました。これだけでも明りがあればあの恐怖の闇はなかったはずです。時刻は5時40分を少し過ぎた頃。空を見上げると、さっきまで輝いていた月が雲に隠れて空は真っ暗。途端にあの日の恐怖が甦ります。それでも、集まった人たちが手にしたロウソクは明々と燃えています。たとえ小さな明りでも、集まれば恐怖の闇は吹き飛ばすことができます。多くの人たちが手を取りあって復興に向けて歩んだ足取りを感じながら黙祷。待っていたかのような報道陣のシャッターの音。黙祷を終えてようやく気付きました。私はカメラを持って各地を回っていますが、黙祷の時にシャツターを切ることはありません。伝えたいのはそこで感じた私の気持ちだからです。その場の雰囲気をあらかじめ用意したシナリオに沿って伝えようとする報道者とは明らかに違います。いよいよ1月17日の強行スケジュールの始まりです。 |
震災記念碑が供えられた花と共にライトアップされるのは1月17日だけ。最近特にマナーの落ちた報道陣を避けるため、点灯前の午前5時に行きましたが、既に記念碑の前は報道陣の脚立に占拠されていました。時間待ちのカメラマンにご遠慮いただき、写真を写した後は「また来ます」と、軽く手を合わせて西宮中央商店街へ。そして、6時過ぎに再びお参りに訪れました。「私のマナーも少し落ちたかな?」と反省しながらも、ここは西宮に関係する1146人の霊にお参りする場所。気温が2度から3度という寒さの中、ようやく大災害になったことにやっと気付いた夜明けまで、震災記念碑の前に立ち続けました。あの日、この時間に救助の手の届かないまま、多くの方が亡くなられたのです。 今年も西宮市職労の皆さんが早くから献花用カーネーションの配布しておられました。3年前、私もボランティアで参加しましたが、私なりの1月17日を過ごすため、感謝の気持ちを残して西宮震災記念碑公園を離れました。 |
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早朝は交通の便がないため使用した車を自宅に戻し、電車と徒歩で各地を回ります。まずは東遊園地へ。去年は念願の朝のお参りに参加しましたが、今年は既に日が昇り、明るいけれど閑散とした時間でした。それだけに竹筒の文字もハツキリ読み取ることが出来ました。震災を語り継ぐ活動を始め、神戸での知人も増え、ボランティアの人たちに「ご苦労さま」の声をかけることができるようになりました。 復興と慰霊のモニュメントの瞑想の空間には、独特の雰囲気があります。肉親を失われた方々の想いが充満しています。もう14年。涙に暮れる日々は過ぎたにしても、失くした人が忘れられるものではありません。今日は1月17日。あの日に戻って、思い切り泣くことも許されるのではないでしょうか。 |
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今年は年明け早々にインフルエンザに襲われ、体調を整えてのメモリアルデーになりませんでしたが、やはりメモリアルウォークには参加したい。そんなことで、最短距離である王子公園発のメモリアルウォークに参加しました。歩く距離が短いため、防災担当大臣や国会議員など、偉い方々と歩くことになってしましました。 兵庫県知事の掛け声で出発。歩いていることが実感できた時はもうHAT神戸にさしかかっていました。それでも、出発が少し遅れたため、1.17のつどいの時間が迫っていました。午後の予定があるため、ゴールすると急いで恒例の「おにぎり」をほうばります。メモリアルウォークの想いを噛み締める暇もなく。 |
黙祷の時間には間に合いましたが、参加が遅れたため最後列での黙祷となり、前の様子がわかりません。思い切って人と防災未来センターの反対側へ移動します。確かによく見えますが、今度は遠すぎて声が聞こえません。 なぎさ小学校の児童が動き始めるのを見て、再び会場へ。どうしても、「しあわせ運べるように」が聞きたかったからです。児童の頭がやっと見える場所で歌を聞きます。何度聞いても涙がこぼれます。もう、震災を知らない子どもたちばかりですが、いつまでもこの歌を歌い続けてください。 |
追悼行事ではないけれど、有形文化財に登録された「旧山本家住宅」の耐震診断報告会があり、西宮市の震災写真も展示されていると聞き、1.17のつどいもそこそこに西宮に戻りました。 このあたりは被害の大きかった場所。70年(震災当時でも55年)を経過した建物が無事であったことが信じられないくらいです。報告会では、この建物がいかに耐震性に優れた建築であったかということについて、写真や図面を交えて説明を受けました。ただ、専門用語が飛び交い、私には少々難しすぎました。1月17日に開催されたことの意義は十分に感じながらも‥‥。 |
川嶋あいさんのフリーライブがあるということで、復興した神戸の元気を感じるため、夜は再び神戸へ戻り、長田区の西神戸センター街を訪れました。 舞台は商店街の奥に設けられ、招待者用の椅子席の後ろが一般の立席になっています。1時間以上も前に行ったのに、既に満員状態。おそらく舞台であろうと思われる場所が人の頭越しにわずかに見える程度ででしたが、前の人から少し離れるとかろうじてリハーサルの様子が伺えます。 本番が近づくにしたがって、どんどん人が増え、歌の始まる頃にはかなり後ろまで下がっていました。「本番が始まると撮影禁止」のアナウンスがありましたが、川嶋さんの頭の先も見えません。ということで、会場の雰囲気だけ写させてもらいました。 後ろに下がれば下がるほどスピーカーの音は遠くなります。結局、明親小学校の児童と共に歌われたオープニングの「しあわせ運べるように」だけを聞き会場を後にすることになりました。 |
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1月17日の夜は長田区が定番になってしまったようです。長田区では各所でロウソクを灯し、亡くなった方を偲ぶ催しが行われています。揺れるロウソクの炎を見つめていると、新たな一年への気持ちを継ぐことができるからです。とは言っても、新長田駅前だけは、ステージあり、炊き出しありと、催しが盛りだくさんで少々にぎやかです。この場所で思いふけることはできませんが、これが長田の元気なのでしょう。 震災15年に向けて、長田の元気をもらいました。 |
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震災14年目のメモリアルデーも終わりました。早朝から各地を回り、その場所その場所に引き継がれた震災の思いに触れることができました。それでも、震災が遠い日の出来事になりつつある危機感も感じたことは事実です。 体力の続く限り各地を回りたいとは思いますが、各地の心をもらう単なる訪問者ではなく、素直な気持ちをつぎ込むことのできる催しに参加し、充実した1月17日を過ごす必要があることも感じました。 |
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