阪神・淡路大震災から10年
阪神・淡路大震災から10年の節目を迎えました。 |
時の流れと共に、忘れてしまったものがあるのではないでしょうか。 |
10年の足取りを確かめ、新たな10年に向けての3日間でした。
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1.西宮北口駅北東地域モニュメント交流ウォーク 2005年1月15日(土)
メモリアルデーに向けての初日は昼頃からは雨の予報。雨が降っても追悼の気持ちが変わることはないけれど、せめて午前中だけでも、と祈りながら西宮北口駅を出発しました。 |
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最初は、高木西公園の震災記念碑。慰霊碑ではなく、震災を知らない新しい方にも、震災があった事を伝えるための記念碑ですが、手を合わせれば亡くなった方々が偲ばれます。
2番目は、昨年4月18日にオープンしたばかりの高木公園。復興区画整理に伴い完成したもので、防災拠点としての役割を担っています。モニュメントは震災で亡くなった津高和一さんの作品のレプリカで、鎮魂よりも、未来へのメッセージが込められています。 |
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↑ 高木西町公園/震災記念碑 |
↑ 高木公園/復興のモニュメント |
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高木公園の向かいが高木小学校。降り始めた雪の中で午前5時46分を迎えた昨年の1月17日が思い出されます。亡くなった5人の児童を思いながら聞く鐘の音は今年も心に凍みます。
ふるさとの武庫川の石を運んで作られた樋ノ口小学校のリンゴの石のモニュメント。植えられたリンゴの樹と打ち解けてはいますが、この地域では年々震災を経験した人が少なくなっているとのこと。震災があった事を伝え続けてほしいと思いました。 |
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↑ 高木小学校/復興の鐘 |
↑ 樋ノ口小学校/
リンゴの石のモニュメント |
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震災から10年の日を前に、モニュメントのある花壇は新しい花に植え替えられ、昨年とは見違えるくらいに整備されていました。今年は「鳥の日時計」の意味が、よくわかりました。昨年は大きく育った花に囲まれ、日時計の針に当たる鳥を描いた板を側面から見ることができなかったからです。
震災から10年。この日時計はまた新しい10年に向けて時を刻み始めます。亡くなった3人の女生徒を永遠に忘れずに‥‥。 |
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↑ 瓦木中学校/鳥の日時計 |
↑ 鳥を模った日時計の針 |
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交流ウォークだけが本日の目的ではありませんでした。今年は、午後のアトラクションにも出演することになっているからです。曲目は、続「コスモスの詩」よりテーマ曲の「1月17日」、公園の完成を待たずに動き始めた高木西公園の時計にあやかって「傾いた時計」、そして、この北口北東地区が創作の舞台となった「三度目の秋」です。雨が降り始め、決して聴衆は多くなかったけれど、本番まであと一週間。全員が心をそろえてコスモスの詩コンサートのアピールをすることができました。 |
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↑ 瓦木中学校の体育館にて |
↑ 続「コスモスの詩」の演奏 |
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2005年1月17日(月) 10年目のメモリアルデー
2.西宮震災記念碑公園
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震災10周年のメモリアルデーは、西宮震災記念碑公園から始めようと思っていました。しかし、夜中から降り始めた雨が気になります。わが身だけならさほど苦にはなりませんが、娘の折った千羽鶴を届けることになっているからです。すぐに濡らしてしまうのが残念ですが、天気は思い通りにはいきません。外に出ると雨は小降り。雲の切れ間から星が見えています。「シメタ!」と思ったのも束の間、車を走らせるうちに再び雨足が強くなってきました。おかげで、今年は雨の中のお参りとなりました。千羽鶴にビニールは掛けていましたが、そんなやさしい雨ではありません。それでも、場所を見つけ、千羽鶴を供えます。「あの時、小学生だった娘が折ってくれました。」と報告し、手を合わせます。もうすぐ5時46分。 |
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その時です。急に雨が上がり、雲の切れ間から星が覗きました。傘をたたみ、「黙祷!」亡くなった人の魂が、この時を待っていたかのように雨を上がらせてくれたのでしょう。本当に不思議でした。雨が上がったのは黙祷から献花を済ませるまでの5分余りでしたから。
こうして、雨の中での10周年メモリアルデーが始まりました。 |
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3.ひょうごメモリアルウォーク2005/未来に語り継ごう震災の体験
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今年のメモリアルウォークには、例年にないもう一つの目的がありました。それは、出発会場でコスモスの詩コンサートのチラシを配ることです。コスモスの詩を歌う合唱団のメンバーと協力し、西宮と芦屋の会場で「震災10周年のコンサートです。」と声をかけながらチラシを手渡します。メモリアルウォークに参加する人なら、きっとコンサートの意義がわかってもらえると思ったからです。 |
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↑ 西宮の出発会場 |
↑ 芦屋の出発会場 |
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昨年までは、国道2号線を通り、JR甲南山手駅の下を抜けて山手幹線に入るコースでしたが、芦屋市西部の山手幹線が一部通行可能になり、コースが変更になりました。正式にはまだ未開通ですが、メモリアルウォーク専用道路でデビューしました。激震被災地の創造的復興のシンボルに位置付けられた「山手ふれあいロード構想」も着々と進みつつあります。ただ、激震地帯である国道2号線沿いの復興の様子を見ることができなかったことが少々残念でした。
今年も雨に見舞われ、傘の手放せないメモリアルウォークとなりました。そんな悪天候でしたが、薄日が差すと六甲山をバックに虹が現れます。虹は遠くにあるものと思っていましたが、近くの六甲山のまだ手前に見えるのです。下界は雨でも、今年も山の中腹以上は雪でした。 |
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雨が降っていなければ休憩所で腰を降ろしてゆっくり休むところですが、座る場所がありません。西宮でチラシ配布をした合唱団のメンバーを待つ意味で、ペースを落としてウォークを続けます。
西宮組のペースは思いのほか速く、第一休憩所を過ぎて間もなく追いついてきます。追悼の式典にはまだまだ時間があります。途中で綱敷天満宮にお参りをしたり、のんびムードでHAT神戸を目指します。 |
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↑ 雪の六甲山にかかる虹 |
↑ 第一休憩所 |
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阪神・淡路大震災10周年追悼式典は、兵庫県公館会場とHAT神戸を映像で結んで行われました。大型のオーロラビジョンに兵庫県公館が写し出されますが、黙祷に合わせたかのように降り始めた雨と、あまりの人の多さで、静粛な気持ちで式典に臨むことができませんでした。
とは言え、今日からまた新しい10年が始まります。震災体験を語り継ぐ活動はこれからです。 |
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↑ 第二休憩所 |
↑ 追悼の式典HAT神戸会場 |
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4.東遊園地
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今年の東遊園地は、雨で足元がぬかるみ、悲惨な状態でした。午前5時46分の点灯は、みなさん相当に苦労されたと思います。風以上に、雨は大敵です。いつも威勢よく出迎えてくれる雪だるまも、今年は元気がありません。それでも、希望の灯りを支えるスタッフは健在。昼間でお参りの人の少ない時間帯とは言え、テントは活気にあふれていました。慰霊と復興のモニュメントに眠る方々のために、希望の灯りを灯し続けてください。 |
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5.御蔵北公園/鎮魂のともしび
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今年の長田区は被災電信柱のモニュメントを訪ねて一度訪問したことのある御蔵北公園。「みすが」の文字が浮かび上がる新聞報道を目にはするのですが、午前5時46分にここまで来るのは無理と諦めていました。それでも、神戸まで来たのだから、と夕刻も行われることを期待して足を伸ばしました。
期待通り、公園では、実行委員の方々が準備を始めておられ、お話を聞くことができ、いくつかの疑問を解決することができました。まず「みすが」は御蔵通りと菅原通りから「みすが」と呼ばれていること。そして、鎮魂のモニュメントの地図に、地域で犠牲になった方の亡くなられた場所が記されていることについてです。ガイドブックには確かにそう書かれていますが、モニュメントの地図にその形跡はありません。説明を受けて初めて分かりました。それは、天井の鉄板に空けられた小さな穴から差し込む光がその位置を示していたのです。 |
↑ 鎮魂のモニュメント |
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それからもう一つ。この場所に来ればすぐに分かるものですが、ガラスのコップにロウソクが灯されているように見えたのは、透明のペットボトルでした。しかも、中には砂が入っていて、風に飛ばされない適当な重さをつけるとともに、ロウソクの安定と高さの調整ができるように工夫されたものでした。 |
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↑ 穴の空けられた天井の鉄板 |
↓ 並べられたペットボトル |
↑ この地図に場所を示す光が写る |
午後5時46分から、曹洞宗有志の僧侶・御菅地区合同慰霊法要実行委員会、そしてボランティアによる合同慰霊法要が始まります。この地区で亡くなられた120人の方々の名前が次々に読み上げられ、合同法要は進行します。全員の命日が今日なのです。故人を知らない私たちも、地域の方と一緒にお焼香に参加し、手を合わせます。震災から10年。多数の人を集める大イベントは年々難しくなると思われます。だからこそ、このような地域の人たちによる手づくりの慰霊のつどいを続けてもらいたいと思いました。 |
今年のメモリアルデーも長田で暮れました。3日にわたる各地のイベントに参加し、震災から10周年の意義を私なりにかみ締めることができました。しかし、震災10周年は今日で終わるのではありません。6日後に開催する「コスモスの詩コンサート
Part U」こそが総仕上げとなるのです。早朝から歩き回り、足はクタクタですが、この疲れを持ち越すことはできません。まだ練習も残っています。コンサートに向けて GO! |
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6. 1.17FMコンサート〜1月17日は忘れない〜
今年の1.17FMコンサートは、西宮市民会館アミティホールで開かれた「阪神・淡路大震災10周年西宮市犠牲者追悼式」の中継が終わった午前11時からの放送でした。その頃は、HAT神戸に向けて歩いている時間帯。という訳で、今年も生放送を聞くことができませんでした。このコンサートは震災10周年の「コスモスの詩コンサート
Part U」に向け、団員募集を兼ね、2年前から放送を重ねてきたものです。おかげさまで、「コスモスの詩」・続「コスモスの詩」の全曲をオンエアーすることができました。1.17FMコンサートを応援してくださった皆様。本当にありがとうございました。 |