god bless you とくとくの雑文



震災から10年 (2005.1.17) 美智子さまのほほえみ(2004.11.15)
私は「うつ」になる危険度大?(2004.10.29) 岡部伊都子さん講演会(2004.9.2)

戦争と祈り(2004.8.17)

「創造論」と「進化論」 (2004.8.9)

忘れていた「ほほえみ」 (2004.5.20) 豊かな人生とは(2004.3.18)
「心のきれいな人になりたい」(2004.3) 「セルフイメージ」(2004.3)
「ありのままの私でいいんだ」(2004.3)


「震災から10年」

あの阪神・淡路大震災から今日で10年、今朝も10年前と同じ切るような寒さで、あの日を思い出します。

私は震災の1年前に阪神間の分譲マンションに引っ越し、震度7の激震地区で被災しました。新しいマンションだったため、一部損壊ですみ、家族全員怪我をすることもなく無事でした。
10年たっても、あの叩きつけるような大きな揺れと凄まじい破壊音、一揺れにして灰色の町と化した情景は忘れられません。

10年でひと区切りという言葉が使われます。

震災後数年は、世間一般の人々が終戦を境に「戦前、戦後」と、時の流れを区切っていたように、私や被災地の人々は「震災前、震災後」という言葉を当たり前に使い、確かに人生のカレンダーがそこで大きく区切れていました。しかし、いつのまにかそういう表現を使わなくなりました。
震災が私の中では、過去のものとなっているのでしょうか。

がれきの山と化した被災地は新築の家やマンションが建ち並び、中心街には再開発ビルが立ち、人口も回復し、かつての傷あとはうかがえません。
しかし、その姿は見せかけです。震災の本当の姿は、現在進行形で続いています。

六千四百三十三人の方がお亡くなりになりました。
かけがえのない家族を失った遺族の方々の深い苦しみ、痛みがどんなに大きいものであるかを、経験していない私には汲み取ることなどできないでしょう。そういう方々の思いに区切りの時など訪れません。
しかし遺族の方々の多くが、助かったご自分をせめて苦しんでいらっしゃいますが、ご自分をせめることは、何とかこの10年を機会に区切ることができたらいいのにと思います。
今まで10年間、どんなにご自分をせめることで、苦しまれたことでしょうか。もうそれでじゅうぶんです。じゅうぶん過ぎます。

被災者向けの復興住宅ではお年寄りの「孤独死」が相次いでいます。昨年末までで男性二百二十四人、女性百三人の方が復興住宅で「孤独死」されたそうです。その中で病気や生活苦などが原因で自殺された方が四十三人だそうです。死亡してから推定約一年八カ月もたって発見された方もいらっしゃいました。
誰に看取られることもなく、死を迎えてしまうことは、人間の尊厳にかかわるとても深刻な問題だと思います。

地域経済の低迷も続き、二重ローンなど経済的な問題で苦しんでいる方も非常に多いと聞きます。今年が支援政策も区切りの時期となり、さらに多くの課題があるようです。

子どもたちの心の傷についても、まだまだ深刻なことも多いようです。報道されませんが、大人についても、癒されていない心の傷は深いことでしょう。

目に見える町は、復興したかのように見えますが、目に見えない心の復興は、まだまだこれからです。

災害が起きて、一番ダメージを受けるのは社会的弱者です。「持てるもの」と「持たざるもの」の差がはっきりします。
震災からすぐの段階からそれは浮き彫りにされていましたが、時間の経過と共にさらにその差が明確になっているように感じます。でも、そういう社会であってはいけません。

私は「持てるもの」に分類されるでしょうか。その私の中で震災が過去の物となりつつあることは、大いに反省すべきことだと、この10年間を見つめる中で思わされました。
この10年を機会に、震災をもっともっと自分のものとして、見つめなおしていきたいと思います。




震災の年は、「ボランティア元年」とも言われ、ボランティアが大活躍した年でした。最初の一年だけで、延べ百三十万人以上のボランティアが活動したそうです。
学生時代はボランティア部に所属し、結婚してからも子どもが与えられるまでの間、ボランティアを細々としていたので、私にとってボランティアは身近なものでした。

震災から3日めに岡山の実家に避難しました。それは次男がお正月よりヘルニアになって即手術の必要があった所、インフルエンザのため延期になり、震災の翌日に手術の予約に行く予定だったのに被災したため、まずどこかで手術する必要があったからです。
手術の前後を含めて1ヶ月半ほど実家にいましたが、そこでは時間があるとテレビで震災報道を見ていました。私は普段と変わりない生活をしているのに、被災地は悲惨な状況で、逃げてきた負い目でいっぱいで、戻ったら何かお手伝いをさせていただこうと思いました。
しかし、戻ってきても、子どもの世話に追われる中、また勇気もなく、何もできませんでした。それからも思いを持ちながらも、今日までの10年間、ほとんど何もできていません。
子どもが幼かったこと、私自身の体調が悪かったことなどの理由もありますが、何かさせていただければという思いは、まだ残っています。
そんな中、昨年中越の地震が起きて、この時も思いだけで実行できない自分にジレンマを感じました。
何かお手伝いができるような自分になりたいです。これからの10年でぜひ実行にうつしていきたいです。


「関西に地震は起こらない」という、過信の中、思ってもいない大地震が起こりました。
被災地で、震災に備えていた家庭はほとんどなかったと思います。備えていたら守れた命もあったでしょう。
また同じような地震が起きても、今度は死者が出ない町や家にしていくことが、お亡くなりになった方々に報いることだと思います。
しかし、防災の面で阪神・淡路大震災の教訓があまりいかされていないそうです。そのことをとてもはがゆく思っています。

防災は大切です。
我が家は、震災直後は保存用の水をくみおき、懐中電灯を何カ所かに常備し、避難袋まで用意していましたが、今は何もしていません。
室内も、タンスの上には物も置かず、揺れても物が倒れたり、落ちてこない工夫をしていましたが、今は物を積み重ねた震災前の無防備な状態に戻っています。
もう1度震災直後の状態に戻したいと思います。

日本は阪神・淡路大震災から地震の活動期に入ったそうです。阪神・淡路と同じかそれ以上の地震が、いつどこで起きても不思議ではないそうです。

私たちは過信の中でふいをつかれましたが、阪神大震災を教訓にして、個人が地域が国家が地震対策を備えていって欲しいです。



「震災から6年」の文に書きましたが、震災は私にとって、神様とより向きあっていく機会になりました。目に見えるもののはかなさを目の当たりにして、目に見えないものの大切さを教えられ、「心の目」で物事をとらえていくことなど、人生観がかわったように思います。

私は長く阪神間に住んでいたのではなく、1年前に引っ越して震災にあいました。
そういう中で私が震災にあったことに、意味があると思っています。
10年が経過したこれからも、この意味を探り続けていきたいです。
震災に遭わなかった人生より、震災にあったからこその人生を送ることができればと思います。


一つ余談になりますが、我が家はたまたま震災の時、マンションの管理組合の理事で、地域との渉外係をしていて、マンション住民のエゴの渦中に立たされました。
揺れた直後は「生きててよかった」とみんなで助け合えましたが、マンションの補修をしたり、まわりにマンションの建設計画が次々と持ち上がる中で、
「管理組合の対応が悪い」
「なぜマンションの反対運動を管理組合でやらないのか」
などなど、なぜか苦情の矢面に立たされてしまいました。
住民は自分たちの意見を役の者にぶつけ、役の者が行動するべきだと、責めるのみです。
私は自分がマンションに住みながら、別のマンションの建設の反対運動をするということに抵抗を覚えながらも、仕方なく中心になって活動しました。
今では一主婦が署名を集めたり、市役所に陳情したりということは、普通ではできないことなので、良い社会勉強であったと思っていますが、「持てるもの」の「エゴ」を思い知った時でもありました。

10年たっても、被災マンションの建て替え派と補修派の決着がつかないという話も聞きます。それぞれの人に言い分があるので、それぞれの主張を一つにしていくことは本当に難しい問題でしょう。
震災は、「やさしさ」「思いやり」「支えあう心」など、人とのつながりのすばらしさを実感する時でした。人とのつながりがあったからこそ、それぞれが大変な中で力を出し、励んでいけたのだと思います。

しかしその反面、人間のエゴ、人間関係の難しさ、辛辣さを知る時でもありました。
聖書の言う「罪」が、私も含めた人間の中に、いかにありありと存在するかを知りました。
人間を見つめれば見つめるほど、罪に行き当たります。

『罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。』(ローマ5:20)

人間には、神様が必要であることを再認識した時でもありました。

(2005.1.17)


「美智子さまのほほえみ」

テレビで天皇、皇后両陛下が新潟県中越地震のお見舞いをされている光景を見ました。
美智子さまは、お年寄りの前で、膝をつき、身をかがめて、
「よく、ご無事でいてくださいましたね。大変でしたね」
と、心に寄り添った、やさしいことばをかけられていました。
過酷な現実の中におられる被災された方々のどんなに大きな慰め、励ましとなったことでしょう。
テレビを見ている私まで、そのやさしさに涙が出そうでした。
慈愛にみちた美智子さまのほほえみと言葉に、本当に感動しました。

婚約、結婚されたばかりの頃の美智子さまは、ふくよかではつらつとされていて、目をみはるほどの美しさだったのに、しだいに痩せて、やつれていかれ、特に目元の変化が著しくて、年齢以上に老けられていらっしゃるように感じていました。
そのため皇室に嫁がれて、ご苦労の連続で、お気の毒にという印象を持っていました。
でも、避難所で心からのやさしい言葉を真摯にかけながら、すばらしいほほえみをふりまかれているお姿が、輝いておられてとても美しいと思いました。
美智子さまの、持って生まれた美しさではなく、内側から輝いている本当の美しさに、私はそれまで気がついていなかったのです。
その神々しいまでの笑顔に、それまでのお気の毒にという同情的な思いはなくなりました。
今までのご苦労や心の痛み辛さは、とうてい私にはわからない、大変なものだったでしょう。
流産をされた後には心の病いを患われたこともあり、比較的最近では、マスコミのバッシングの中で、声を失われたこともあったように思います。
そういう辛さを、すばらしいほほえみに変えながら、乗り越えてこられたのだなあと思います。
美智子さのほほえみの底には、真のやさしさと心の強さがあります。 見せかけではない本物だからこそ、人の心を癒す力があるのでしょう。

今回の中越地方のお見舞いも、両陛下の強い希望で実現し、現地の負担にならないよう、様々な両陛下のご配慮があったそうです。 休憩時間を削られ、予定時間を大幅に延長して、一人でも多くの方々に声をかけられたそうです。
若くはない両陛下にとって、大変なご負担であったろうとも思います。 ご自分たちの置かれた状況で、何をするべきかという使命を確かにお持ちだからこそ、今回のお見舞いを強く希望され、ハードスケジュールをこなされ、多くの人々の励まし、慰めとなられたのでしょう。
その使命感がより美智子さまを輝かせているようにも思います。

痛みを通ることは決して無駄なことではなく、目に見えない多くの宝が積まれていくことなのだなあと教えられます。
嫁がれてからの美智子さまの通ってこられた痛みが、すべてやさしさの年輪となって、素敵な今の美智子さまなのでしょう。
同じ立場で苦しみを味わっておられる雅子さまに対して、美智子さまはどんなに心を痛めておられことかと思います。 しかし、大きな癒しの力をもっておられる美智子さまの今のお姿が、雅子さまの大きな励ましになるでしょう。
雅子さまの完全な回復もそう遠くはないように思います。 また雅子さまも美智子さまのように、すばらしいほほえみをかけられる方になるのではないでしょうか。

ほほえみは何の苦労もない人、不幸、災難に遭わない人が持つ特権ではない。むしろ、そのようなことに出逢って後に生み出されたほほえみは自然のものよりも美しいし、人の心を平和にする力をもっている。(「美しい人に」渡辺和子シスター著より)

(2004.11.15)

 

 

「私は「うつ」になる危険度大? 」

日曜日に「うつ」がテーマの「あるある大辞典」をみていて、ビックリしました。
普段の行動から「うつ」になる危険度を診断する三択テストで、私は6問中全問とも、危険度が高いと言われるこたえを選んだからです。 番組の出場者の中にも、全問それを選んでしまった人はいませんでした。

ストレスを途切れなく感じていると、脳も体もエネルギーを補充する間もなく枯渇してしまって、うつ状態が起こってしまうそうです。 そしてそのエネルギー切れ寸前、うつ病1歩手前の危険ゾーンにいる人を見分ける方法を、科学検証を重ねる中で研究して、先のテストを作成したそうです。
6問中6問とも当たってしまった私は、うつ病1歩手前の最も危険ゾーンということになるのです。

そのテストは、「タイプその1」と「タイプその2」に分かれていました。
「タイプその1」は、完璧度のテストで、完璧型だと、日々ストレスがかかり続け、うつになる危険度が高いとのことです。
「タイプその2」は、円満度のテストで、円満型だと、日々人と険悪にならないようにと、気をつかうストレスの連続が、エネルギーをジワジワ減らし、うつに進む危険度を高めてしまうとのことです。
テスト結果が示す通り、私は神経質で、何事にも完璧を求める傾向にあります。 また自己主張することが苦手で、自分の思いを通すよりも、人の思いにあわせるタイプです。
自分でもうつ状態に陥りやすいと感じていたし、今までうつに近い状態になったことが何度もありました。 私の性格には特別うつになりやすい素因があるのでしょう。

しかし、テスト結果がうつ寸前の危険状態と出ても、今の私はうつにならないのではないかなと思っています。
それは、私のそばにいつもイエス様がいらっしゃるからです。

今までに培われてきた性格で、何事も完璧を目指す傾向にありますが、最近の私は、物事が思い通りに進まなくても、それがストレスやエネルギーの消耗となってないように思います。
私のそばにイエスさまがいつも共にいて下さり、最善に導いて下さっていると信じているからいです。
以前の私は、うまくいかないと、「私がダメだからだ」と自分をせめていましたが、今は例えうまくいかなくても「これでもいいのだ」と受容できるようになりました。

神様は、何かをできる私ではなく、存在そのものの私を愛し、「あなたは高価で尊い」と言って下さっています。
神様が私を深く愛して、受け入れて下さっているのに、私自身が、私のことを叩いたり、否定してはいけません。

また、私は人との和を乱さぬよう気をつかい、自分の思いを通すより、人と円満であることを選択しやすい傾向にあります。でも、それが私にはストレスではありません。
イエス様が私のことを全てわかって下さっているからです。
私の側に、私の最大の理解者のイエス様がいらして下さるので、私には自己主張の必要などありません。

私と人との間にイエス様が仲介してくださっていることで、私は人間関係の様々なストレスが軽減されていると思います。
もう一つ付け加えるなら、夫の存在も大きいと思います。 夫は私の話をなんでも聞いてくれ、どんな時も「だいじょうぶ」と声をかけてくれます。
神経質で、不安や心配などに陥りやすい私は、そんな夫にとても助けられています。 こういう夫を私の伴侶として与えて下さった神様には、本当に感謝しています。

夫に何でも話していることを書きましたが、私はそれ以上に瞬間瞬間、神様に心の中をぶつけているなとも思います。
ありのままの私の思いを神様に話すことから、私はストレスから解放され、神様から慰めや励ましを頂いています。

クリスチャンでも、うつにはなるし、まじめなクリスチャンでがんばりすぎる人ほど、その傾向にあるようです。
うつと信仰は関係ありません。
まじめな人ほど感情を無理に抑圧していく傾向にあるそうですが、それはうつ病になる因子を増やしていってしまいます。
自分のそのままの感情、正直な思いを主の前に述べれるようになったら、いいのではないかなと思います。

「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」(詩篇94:19)

あるある大辞典では、うつにならないために、性格を変えるのは難しいので、うつになりにくい体質をつくるための知恵が提供されていました。
でも、私は性格を変えるのではないですが、自分を受け入れ、イエス様との弱音を吐ける関係を深めていくことが、うつにならないため、うつから回復するための最善の方法ではないかなと思います。

(2004.10.29)


 

「 岡部伊都子さん講演会」

岡部伊都子さんの講演会に行ってきました。

岡部伊都子さんの強く主張されている朝鮮の問題、沖縄の問題など、私も関心が深いことなので、ぜひ聴きたいと思いながらも、主催が教職員組合ということで、学校の先生たちが中心に出席されるだろうということに、ちょっと躊躇しました。
ギリギリまで迷いつつ、いざ出席してみると思っていた通りで、出席者のほとんどは先生方でした。
都合で始まりが少々遅れるというアナウンスがあると、近くに座っていた先生は、
「日記か夏休みの宿題を持って来たらよかったわぁ。もったいないことしたわ」
と手持ち無沙汰で時間を待つことをしきりに残念がっておられました。
また少し遅れて来て私の隣に座った先生は、 講演中にずっと、子どもの日記を読んで、○をつけたり、感想を書いたり、計算問題に○つけをしたり、しきりに添削作業をされていました。
それに9月2日という新学期はじまって2日めだったため、先生方はお疲れだったのでしょうか。岡部さんが先生方に
「先生、どうぞどうぞ、これからの未来をよろしくお願いします」
と熱く語っておられるのに、コクリコクリと居眠りをされている方が多かったです。
講演の内容とは別に先生たちの忙しさを垣間見た講演会でもありました。

講演の内容は、すばらしかったです。
お体の方はすぐれないようで、車椅子に座られ、搾り出すような声で、静かに真摯に語られました。
講演の時にはいつも遺言だと思って語られるそうです。
特に今回は子どもたちの未来を担っている先生方へのメッセージということで、岡部さんの未来に託すメッセージが強く伝わってきました。

「日本はどんな歴史の国であるか」
岡部さんが生まれた年に起きた関東大震災で、6661人もの朝鮮人を日本人は殺したそうです。
「日本は植民地支配の中で、人を人としてあつかわず、とれるものはとり、奪えるものは奪ってきた」
「第二次世界大戦では、沖縄をいじめて、本土のために沖縄を犠牲にした」
「弱いものをいじめぬいてきた日本」
「今は大国アメリカの属国として歩もうとしている。そのため憲法9条をかえて戦争のできる国にしようとしている」
「ゆるせんことは、ゆるせんと言うのが、平和」
「間違っていることは、間違っていると主張する」
「戦争は人間の悪です。人間がするもっともいけないことです」
「弱い人たちを守るのが平和」
「いばりかえってはダメ。いばらんと人を尊び、大事にする」
「みんな違う。違いを大事にして、みんなを大事にする」
「これからが、日本の出発やろか。未来をつくってください。美しい未来を。平和な愛し合う未来を」

8月に起きた米軍ヘリ墜落事件についても、もっともっと日本人として問題意識をもっていかなければならないと教えられました。

私をはじめ、戦争を知らない世代が過半数になってきた今の日本です。
しかし、私は戦争体験のある親をもち、戦地に赴いた親族をもっていました。生まれた時から、戦争を身近に感じながら育ってきました。
まだ戦争と接点をもっている私の世代が、橋渡しとなって、未来に生きる子どもたちに語っていかなければならないと思いました。
戦争と平和について、今まで日本がおかしてきた罪、沖縄の問題、朝鮮の問題などについて、子どもたちと共に考えていきたいです。

(2004.9.2)


 

「戦争と祈り」

夏になると、戦争のことを思います。
昔は終戦記念日頃に、戦争に関する映画やイベントがいろいろとありましたが、最近はそういうものが少なくなりました。ケーブルテレビの子どもチャンネルでも、5年くらい前までは、夏になると戦争のアニメを子どもと一緒に見ていました。でもここ数年、全く放映しなくなりました。
来年で終戦から60年です。 戦争のことが風化され、忘れ去られようとしている時代を感じます。
閣僚の靖国参拝、憲法の改正案、自衛隊の国外派遣・・・日本がまた元の道(?)に戻りそうで心配しています。
男の子2人を持つ母親なので、徴兵制などには特に過敏になります。

私自身も戦争を知らない世代ですが、両親をはじめ戦争体験者の中で育ってきたので、戦争はまだ身近なものでした。
しかし中学1年と小学5年生の子どもたちは、戦争を耳で知ることもほとんどなく、かねてから「ヒロシマ」に連れて行って、戦争の悲惨さを教えてやりたいと思っていました。
今年の夏、岡山帰省の際にやっと実現しました。

原爆ドームを見た後、広島平和記念資料館に入りました。
まだ精神的に幼い5年生の次男には、そうでもなかったようですが、中1の長男には、展示物からビビーンと響くようなものがあったようです。 真剣な面持ちで、じっくりじっくり見つめていました。

自分と同じ中学生が学徒動員として広島の町で働かされ、被爆し、遺品がいろいろと展示されていました。それを見てショックだったようです。
広島の原爆は20万人以上もの命を奪いましたが、現在の核の威力はそれと比べ物になりません。そのおそろしい核を世界中のほとんどの大国が持っていることを知ったことも、大きなショックだったようです。
それまで、戦争は仕方ないものだと受けとめていたようですが、戦争のおそろしさを肌で感じとって、深い問題意識をもったようです。

原爆がもたらした、苦しみ、痛み、悲しみ、そして怒り。 一つ一つの展示物から思いが伝わってきました。 そしてすべてのものが平和の重みを訴えていました。

1984年に広島を訪れたマザーテレサの言葉が書いてありました。
『広島に多大な苦しみをもたらした恐るべき罪悪が、二度とおこらないよう、 互いに祈り、愛と祈りの行為が平和の行為であることを忘れないようにしましょう。』

もっともっと真剣に平和を祈っていきたいと思います。
また、子どもたちと戦争について問題意識をもって、話し合っていくつもりです。
(2004.8.17)


 

「創造論」と「進化論」

教会学校の合宿で「日本創造科学研究会」の先生が子供たちにいろいろと語ってくださいました。
恐竜や考古学に興味をもっている5年生の次男には、実にタイムリーな学びで、いろいろと疑問が解けて、スッキリしたようです。感謝です。
またその先生が、礼拝のメッセージで、大人にも語ってくださいました。
私にとっても、目からウロコのお話がいっぱいで、思いが新しくされました。

日本は世界中で一番の進化論先進国だそうです。
どこの国でも日本のように進化論が教え込まれているのだと思っていましたが、そうではないそうです。
「創造主はいない。すべてのものは進化した」と当たり前に教え込んでいる日本は、特殊な国だそうです。
また、学校ではダーウィンの進化論を真実として教えますが、科学者の世界では、ダーウィンの説はもう見限られているそうです。
ヘッケルの『反復説』も、改ざんされたもので、長期にわたって科学的信用を失っているにも関わらず、学校現場では「人間は胎児期に進化の順序を再現する」という考えが進化の証拠として教えられ続けてきているそうです。
教育現場では、最新の科学が教えられていると思いこんでいましたが、こんなに時差があるとは。
科学の世界では、進化論が曖昧なもので、正しいと断言できるものではないと捉えられていっている向きもあるそうです。
今西錦司 京大名誉教授は、文化勲章受賞者の言葉で、
「私なりの進化論からダーウィンとは異なり、進化という壮大なドラマも科学ではとらえられないことがわかった。進化は歴史であり科学の通念は通じないだから私はいさぎよく自然科学と決別し科学者を廃業する」
「子供たちにもっと自然の全体を教える教育をしないから謙虚さが育たないし、殺伐とした雰囲気になる。いまほど自然とその中に生きる人間について認識が乏しい時代はない。目先の実利にばかり走る学生が増えるのもその辺に原因がある」
と語っておられるそうです。

今こそ、「人は偶然に発生したのではなく、創造者によって人間、そして天地万物が創られた」と言う聖書の語る創造論に立ち返る時だと思います。
私は学生の頃、すでにクリスチャンだったので、創造論を信じながらも、テストでは進化論の答えを矛盾を感じながら書いていました。
子どもたちも私と同じような思いをするのでしょうか。
真実である創造論が当たり前に語り受け止められていくようになって欲しいです。

韓国の学校では進化論が高校までは教えられるものの、大学に入ると創造論も教えられるようになって、学生が創造主がおられることを知り、聖書を学んでクリスチャンになる人が増えてきたそうです。
日本もいつかそうなることを信じています。

(2004.8.9)

 

 

忘れていた「ほほえみ」

日野原重明氏の「続生きかた上手」の中に、ハッささせられる箇所がありました。

『つらい現実を恨まず、あらがわずに、微笑むことによって受けいれるという態度こそ、「いま」という一瞬を最も上手に生かし用いることに通じるように思います。 人の顔には、笑顔をつくりだすための36本の表情筋があります。神さまが人間だけに与えてくださった道具です。微笑みというこのすてきな贈り物を日々の生活に溶け込ませることができたなら、どんなにかすばらしいでしょう。』

HPの日記に「ほほえみ日記」と名付けながらも、最近の私はほほえむことを忘れていました。 ここ数週間体調が悪くて、起きあがったり動作をはじめることにさえ、気合いを入れなければ出来ない状態でした。
見た目は全く普通なので、家族はこんな私の体調をなかなか理解してくれません。 眉間にしわをよせ、必要以上にしんどそうにしながら、私は家の中の用事をしていたと思います。
反抗期の長男とはいつも喧嘩のような会話になり、鬼のような形相をしていたかもしれません。
また、「どうして?」と神様に対しても恨みがましい思いを向ける時もありました。

神様の与えて下さっている今を感謝して、ほほえんで受けとめたいと思います。
ほほえみながら与えられている一日、一日を過ごしていきたいです。
神様が しかし、その方はいつも笑顔が素敵で、輝いておられました。
ご自分も高齢で持病ももたれている中で、奥さんの介護をされることは、どんなに大変だったろうかと思います。
何年か前に病気で入院されて退院される時に、周囲の人々はその体で奥さんの介護ができるだろうか、といろいろ心配されました。でも、奥さんの介護を心から喜んでしようとされるその愛に、皆心をうたれたそうです。
そしていつも強い信仰の上に立っておられました。 マイナスとしか思えないような、悪い悪い状況の中でも、いつも神様を見上げて忠実に感謝して歩まれた人生。何とすばらしい人生を送られたのだろうと思います。

今の私がその方の立場だったら、
「神様、どうしてですか?」
と不平不満ばかり吐きながら、感謝とは程遠い歩み方しかできないと思います。人との比較の中で、自分の人生を呪ったかもしれません。
その方の人生は、人間的な目から見たら、苦難の連続だったかもしれません。
でも、その苦難の中でいつも神様と深い深い絆を結びながら、豊かな人生を歩まれたのだなぁと思います。
この方の歩まれた人生こそ、神様の目からみた幸せな人生かもしれません。
人間的な観点で恵まれていくことを、祝福と思っていましたが、神様の祝福とは、そんな甘い幸せ感ではないと感じました。

目に見えることにばかり心が奪われ、 世のもので洗脳されている今の私ですが、主と共に深く歩む、本当の豊かな人生を送ることができるようになりたいと思います。

幸せに生きると言うことは、決して苦労のないことでもなければ、物質的に豊かな生活を送ることを意味してもいない。苦労をしたおかげで、苦労のない時にはわからなかった他人の痛みをわかることができた、と感謝する心に幸せは生まれるのである。幸せは、いつも自分の心が決めるのだ。(「目には見えないけれど大切なもの」渡辺和子シスター著より)

(2004.3.18)

 

 

「心のきれいな人になりたい」

 

 小学校6年生の長男が卒業文集を書くというので、久しぶりに私の小学校の時の文集を出してみました。

 「思い出」というタイトルの私の作文は、「心のきれいな人になりたいと思う」という文章でしめくくられていました。

  幼い時から母親に何においても「ダメだ」と否定されながら育ちました。 2才違いの姉やクラスメートや近所の子などと、事あるごとに比較され、手先は不器用、顔は不器量、歌えば音痴、運動もできない、成績も悪い・・・ことごとく、「ダメ だ。ダメだ」と言われ続けました。
 「あんたのいく末がおそろしい」ともよく言われました。そのため私は自信がもてない、とても消極的で内向的な子に育っていきました。(母は、決して私が憎くて、このように言ったのではなく、母自身が4人兄弟の3番目で同じように「ダメだ。ダメだ。」と言われて
育ってきたのだと思います。また私への叱咤激励の愛だったと、今では受け止めています。)

 しかし、1つだけ誉められていたことがありました。それは 「心」です。「心は、やさしい」と、言ってもらっていました。 幼な心に、「私は、心だけましなんだなぁ」と思うようになって、とりわけ心を見つめる子になりました。 そして私にとって心だけが拠り所で、「心のきれいな人になりたい」というのが、一番の願いでした。その後クリスチャンになっていったのにも、この思いが影響していると思います。

 文集で、「心のきれいな人になりたい」としめくくりに書いた30年前の私に出会って、感無量でした。真摯に純粋に心に向きあっているその頃の私のことをいとおしく思いました。

 でも その頃の思いにこたえられていない、進歩のない現在の私を、申し訳なくも感じましたが。

  また、文集の中には、1年生から6年生までの担任の先生の名前をあげて感謝を書いていました。実は3、4年の2年間を担任していただいた先生には、苦いつらい思いを沢山もっていました。会計係になって集めたお金が不足した時に、私が盗んだようないやらしい言い方をされたこと。また他のことで私が自分の正しさを主張しても聞こうともしてもらえなかったこと。突然思いっきり後から背中をたたかれたこともありました。

 5年生の時にほめて下さる先生に出会ったことから、急激に成績も上がり性格も明るくなり、私は変わっていきました。だから3、4年の時の先生には、感謝な思いは全く持っていなかったと思います。むしろその逆の気持ちでいっぱいだったことでしょう。しかし、文集には、その先生にも配慮して、苦い思いをもちながらも、他の先生方と同じように扱って、感謝な気持ちを書く。 この点が実に私らしいと思いました。その時のけなげな私を抱きしめてやりたいです。

 私の本質は30年たっても、そんなに変わっていないことを改めて思わされました。 これからも「心のきれいな人になりたい」という願いをもち続けていきたいと思います。

 


 

「ありのままの私でいいんだ」

 

 

 田中信生牧師の「トータルカウンセリングスクール」の「セルフイメージセミナー」を先日はじめて受講しました。

 昨年の終わりに精神的に大きく落ち込むことがあってから、落ち込みの波の中からなかなか抜け出せませんでした。落ち込んでしまう自分自身を責め続け、苦しくつらい中にありました。特にセミナーを受講する前の1週間は、何もかもマイナス思考になってしまって、「私なんかいない方がいいんだ」と子どもの前で言うほどの悪い精神状態でした。そしてセミナーの前夜は、なぜか寝付けず、1時間ほどしかまどろむことができず、朝には頭痛があり、睡眠不足の最悪なコンディションの中でセミナーに向かいました。

 セミナーの会場に入ると、そこには暖かい「ウェルカム」の雰囲気が漂っていました。前半中心となって講義して下さったのは、いつも満面の笑顔でパワーとユニークさにあふれているK先生でした。私はその先生のプラスパワーに睡眠不足も頭痛も忘れて、吸い込まれていきました。

 「がんばらなくてはいけない」と、私は子どもの時からいつもいつも自分自身をムチ打ってきました。育児においても、夫は仕事で忙しく、近くに頼れる親戚もいなくて、病気の多い男の子二人を自分の精一杯でがんばって育ててきたと思います。下の子が幼稚園に通うようになって、自分の時間ができてくると、パソコンを独学で勉強したり、いろいろな教養講座を受講したり、いろんな面で意欲的にがんばり走り続けました。このホームページを開設したのも、そのがんばりの一貫でした。

 しかし4年前頃から、体調の悪さがわたしのがんばりを邪魔するようになり、「がんばれない私」とつきあわなくてはならなくなりました。体調が極度に悪い時は、やむをえず受け入れることができましたが、少しよくなってはまた悪くなることの繰り返しの中で、「がんばらなければ」と思う私は「がんばれない私」にいつも怒りを向けていました。

 最近、私にあう薬に出会えて、体調がよくなる兆しの中で、いろんなことをやりたい私は、「さぁ、もうがんばれるはずた。がんばれ」と自分にムチを打ちました。しかしもうそこには「がんばれない私」がいるだけでした。私はその「がんばれない私」に、さらにムチを打ち続けて、落ち込み続けていたように思います。 

 講義の中で、先生が「がんばれない私」に、「今までよくがんばってきたね」「そんなにがんばらなくても、いいんだよ」「自分をムチ打たなくて、いいんだよ」「そのままで、いいんだよ」と語りかけて下さっているように感じました。

 いつも「〜しなさい」と批判的な親の目でしか、自分をみつめていませんでしたが、やさしい目で自分をみつめた時に、そこにはけなげな自分がいることを発見しました。けなげな自分はじゅうぶんがんばってきました。もうそれで、充分です。

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」この神様の語りかけ(聖書)が、私は大好きです。神様は、何かできたり、何かする私ではなく、ただ存在するありのままの私を、尊いと言って下さっているのです。「ありのまま」「そのまま」の私でいいのです。 私はこのセミナーではじめて、「ありのまま」の自分を受け入れることがで きました。今まで「ありのままの自分を受け入れる」という話は、何度も聞いていましたが、いつも厳しい目で自分自身を見つめていた私には、「ありのまま」は、ゆるせなかったのです。

 やさしい心で自分をみつめ、自分で自分にムチを打ってはいけないということも、はじめて気づくことができました。

こんな大切なことを、どうして今まで気づくことができなかったのでしょう。でも、今回気づくことができたことを、とても感謝しています。

 受講前数ヶ月間の精神的な落ち込み、特に直前の心の荒れ模様は、セミナーの内容をより深く受けとめるために、神様が備えて下さった期間だったとも思います。「トータルカウンセリング」のセミナーについては、何年も前から友だちが熱心に受講していたこともあって、たびたび誘われていましたが、今回の落ち込みの中で初めて受講しようと思うことができたのです。

 私にはなかなか抜け出せなかったあの落ち込み期間は、とても苦しいものでした。しかし、あの落ち込みがあるからこそ、「あるがままの自分」を受容できた今の私があることを感謝します。

 自分自身をやさしい目で受容した時から、私の中から、「がんばりたい!」という思いがわき上がってきました。ムチで打たれてがんばる私ではありません。自然にわき上がってくるこの思いをやさしく受け止めて、これからはありのままの自分を生きていきたいと思います。

 最善をなして下さる神様に感謝です。

 

 

 

セルフイメージ

 

 

 私は幼い時より母親に「ダメだ」「不器用だ」「音痴だ」「○○が悪い」などなど、ほとんどの面で否定的な言葉を投げかけられて育ってきました。 そのため全く自分に自信がもてず、劣等感のかたまりで、「私はダメなんだ」という低いセルフイメージが根深く形成されています。

  小学校5年生の時に、ほめ上手な先生に出会ったことから、自分に自信をもてるようになって、「ダメ」「ダメ」呪縛をうち破っていけるようになりました。 でも、その呪縛を打ち破らんと、いつも必要以上に自分を叩き、駆り立ててきたような所があります。

 こんな私なので、「私はダメなんだ」という思いは、私を切ればどこからでも、出てきます。私のがんばりは、「ダメなんだ」という思いの裏返しともいえます。 「セルフイメージの低い私が、私なんだ」といつも受け止めていました。劣等感の塊の私は、このままで謙遜でいいじゃないか、とも思っていました。(謙遜の意味がちがいますが。)

 しかし、セミナーで、様々な方法で自分を知っていった時に、自分自身のセルフイメージを高めていかなければならないことを知りました。もっともっと自分を大好きになっていきたいです。

 そして、もっともっと自分を好きになるために、「自己宣言文」を作りました。下記のものです。

 長い年月に渡って培われてきた「ダメ意識」は、私の中から簡単には取り除けないと思います。セミナーを終えたばかりの今の私は、だいじょうぶですが、いずれダメダメ呪縛にとらわれそうになる時が、やってくることもあるでしょう。

 下記の文章を唱えることで、古い私を払拭し、神様に愛され生かされている私を、もっともっと好きになっていきたいです。

 

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私はダメではありません。

神様は私のことを、

「あなたは、高価で尊い。

わたしはあなたを愛している」

と言ってくださいます。

 

私は、このあるがままの私が

大好きです。

 

わたしは神様につくられた、

すばらしい存在です。

神様に祝福されながら、

輝いて生きていきます。

 

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