震災から10年 (2005.1.17) | 美智子さまのほほえみ(2004.11.15) |
私は「うつ」になる危険度大?(2004.10.29) | 岡部伊都子さん講演会(2004.9.2) |
「創造論」と「進化論」 (2004.8.9) |
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忘れていた「ほほえみ」 (2004.5.20) | 豊かな人生とは(2004.3.18) |
「心のきれいな人になりたい」(2004.3) | 「セルフイメージ」(2004.3) |
「ありのままの私でいいんだ」(2004.3) |
あの阪神・淡路大震災から今日で10年、今朝も10年前と同じ切るような寒さで、あの日を思い出します。
「関西に地震は起こらない」という、過信の中、思ってもいない大地震が起こりました。
(2005.1.17) |
テレビで天皇、皇后両陛下が新潟県中越地震のお見舞いをされている光景を見ました。
(2004.11.15) |
「私は「うつ」になる危険度大? 」 日曜日に「うつ」がテーマの「あるある大辞典」をみていて、ビックリしました。 (2004.10.29) |
「 岡部伊都子さん講演会」 岡部伊都子さんの講演会に行ってきました。 私をはじめ、戦争を知らない世代が過半数になってきた今の日本です。 (2004.9.2) |
「戦争と祈り」 夏になると、戦争のことを思います。 |
「創造論」と「進化論」 教会学校の合宿で「日本創造科学研究会」の先生が子供たちにいろいろと語ってくださいました。
(2004.8.9) |
忘れていた「ほほえみ」 日野原重明氏の「続生きかた上手」の中に、ハッささせられる箇所がありました。 (2004.3.18) |
小学校6年生の長男が卒業文集を書くというので、久しぶりに私の小学校の時の文集を出してみました。 「思い出」というタイトルの私の作文は、「心のきれいな人になりたいと思う」という文章でしめくくられていました。 幼い時から母親に何においても「ダメだ」と否定されながら育ちました。 2才違いの姉やクラスメートや近所の子などと、事あるごとに比較され、手先は不器用、顔は不器量、歌えば音痴、運動もできない、成績も悪い・・・ことごとく、「ダメ だ。ダメだ」と言われ続けました。 しかし、1つだけ誉められていたことがありました。それは 「心」です。「心は、やさしい」と、言ってもらっていました。 幼な心に、「私は、心だけましなんだなぁ」と思うようになって、とりわけ心を見つめる子になりました。 そして私にとって心だけが拠り所で、「心のきれいな人になりたい」というのが、一番の願いでした。その後クリスチャンになっていったのにも、この思いが影響していると思います。 文集で、「心のきれいな人になりたい」としめくくりに書いた30年前の私に出会って、感無量でした。真摯に純粋に心に向きあっているその頃の私のことをいとおしく思いました。 でも その頃の思いにこたえられていない、進歩のない現在の私を、申し訳なくも感じましたが。 また、文集の中には、1年生から6年生までの担任の先生の名前をあげて感謝を書いていました。実は3、4年の2年間を担任していただいた先生には、苦いつらい思いを沢山もっていました。会計係になって集めたお金が不足した時に、私が盗んだようないやらしい言い方をされたこと。また他のことで私が自分の正しさを主張しても聞こうともしてもらえなかったこと。突然思いっきり後から背中をたたかれたこともありました。 5年生の時にほめて下さる先生に出会ったことから、急激に成績も上がり性格も明るくなり、私は変わっていきました。だから3、4年の時の先生には、感謝な思いは全く持っていなかったと思います。むしろその逆の気持ちでいっぱいだったことでしょう。しかし、文集には、その先生にも配慮して、苦い思いをもちながらも、他の先生方と同じように扱って、感謝な気持ちを書く。 この点が実に私らしいと思いました。その時のけなげな私を抱きしめてやりたいです。 私の本質は30年たっても、そんなに変わっていないことを改めて思わされました。 これからも「心のきれいな人になりたい」という願いをもち続けていきたいと思います。 |
田中信生牧師の「トータルカウンセリングスクール」の「セルフイメージセミナー」を先日はじめて受講しました。 昨年の終わりに精神的に大きく落ち込むことがあってから、落ち込みの波の中からなかなか抜け出せませんでした。落ち込んでしまう自分自身を責め続け、苦しくつらい中にありました。特にセミナーを受講する前の1週間は、何もかもマイナス思考になってしまって、「私なんかいない方がいいんだ」と子どもの前で言うほどの悪い精神状態でした。そしてセミナーの前夜は、なぜか寝付けず、1時間ほどしかまどろむことができず、朝には頭痛があり、睡眠不足の最悪なコンディションの中でセミナーに向かいました。 セミナーの会場に入ると、そこには暖かい「ウェルカム」の雰囲気が漂っていました。前半中心となって講義して下さったのは、いつも満面の笑顔でパワーとユニークさにあふれているK先生でした。私はその先生のプラスパワーに睡眠不足も頭痛も忘れて、吸い込まれていきました。 「がんばらなくてはいけない」と、私は子どもの時からいつもいつも自分自身をムチ打ってきました。育児においても、夫は仕事で忙しく、近くに頼れる親戚もいなくて、病気の多い男の子二人を自分の精一杯でがんばって育ててきたと思います。下の子が幼稚園に通うようになって、自分の時間ができてくると、パソコンを独学で勉強したり、いろいろな教養講座を受講したり、いろんな面で意欲的にがんばり走り続けました。このホームページを開設したのも、そのがんばりの一貫でした。 しかし4年前頃から、体調の悪さがわたしのがんばりを邪魔するようになり、「がんばれない私」とつきあわなくてはならなくなりました。体調が極度に悪い時は、やむをえず受け入れることができましたが、少しよくなってはまた悪くなることの繰り返しの中で、「がんばらなければ」と思う私は「がんばれない私」にいつも怒りを向けていました。 最近、私にあう薬に出会えて、体調がよくなる兆しの中で、いろんなことをやりたい私は、「さぁ、もうがんばれるはずた。がんばれ」と自分にムチを打ちました。しかしもうそこには「がんばれない私」がいるだけでした。私はその「がんばれない私」に、さらにムチを打ち続けて、落ち込み続けていたように思います。 講義の中で、先生が「がんばれない私」に、「今までよくがんばってきたね」「そんなにがんばらなくても、いいんだよ」「自分をムチ打たなくて、いいんだよ」「そのままで、いいんだよ」と語りかけて下さっているように感じました。 いつも「〜しなさい」と批判的な親の目でしか、自分をみつめていませんでしたが、やさしい目で自分をみつめた時に、そこにはけなげな自分がいることを発見しました。けなげな自分はじゅうぶんがんばってきました。もうそれで、充分です。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」この神様の語りかけ(聖書)が、私は大好きです。神様は、何かできたり、何かする私ではなく、ただ存在するありのままの私を、尊いと言って下さっているのです。「ありのまま」「そのまま」の私でいいのです。 私はこのセミナーではじめて、「ありのまま」の自分を受け入れることがで きました。今まで「ありのままの自分を受け入れる」という話は、何度も聞いていましたが、いつも厳しい目で自分自身を見つめていた私には、「ありのまま」は、ゆるせなかったのです。 やさしい心で自分をみつめ、自分で自分にムチを打ってはいけないということも、はじめて気づくことができました。 こんな大切なことを、どうして今まで気づくことができなかったのでしょう。でも、今回気づくことができたことを、とても感謝しています。 受講前数ヶ月間の精神的な落ち込み、特に直前の心の荒れ模様は、セミナーの内容をより深く受けとめるために、神様が備えて下さった期間だったとも思います。「トータルカウンセリング」のセミナーについては、何年も前から友だちが熱心に受講していたこともあって、たびたび誘われていましたが、今回の落ち込みの中で初めて受講しようと思うことができたのです。 私にはなかなか抜け出せなかったあの落ち込み期間は、とても苦しいものでした。しかし、あの落ち込みがあるからこそ、「あるがままの自分」を受容できた今の私があることを感謝します。 自分自身をやさしい目で受容した時から、私の中から、「がんばりたい!」という思いがわき上がってきました。ムチで打たれてがんばる私ではありません。自然にわき上がってくるこの思いをやさしく受け止めて、これからはありのままの自分を生きていきたいと思います。 最善をなして下さる神様に感謝です。
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私は幼い時より母親に「ダメだ」「不器用だ」「音痴だ」「○○が悪い」などなど、ほとんどの面で否定的な言葉を投げかけられて育ってきました。 そのため全く自分に自信がもてず、劣等感のかたまりで、「私はダメなんだ」という低いセルフイメージが根深く形成されています。 小学校5年生の時に、ほめ上手な先生に出会ったことから、自分に自信をもてるようになって、「ダメ」「ダメ」呪縛をうち破っていけるようになりました。 でも、その呪縛を打ち破らんと、いつも必要以上に自分を叩き、駆り立ててきたような所があります。 こんな私なので、「私はダメなんだ」という思いは、私を切ればどこからでも、出てきます。私のがんばりは、「ダメなんだ」という思いの裏返しともいえます。 「セルフイメージの低い私が、私なんだ」といつも受け止めていました。劣等感の塊の私は、このままで謙遜でいいじゃないか、とも思っていました。(謙遜の意味がちがいますが。) しかし、セミナーで、様々な方法で自分を知っていった時に、自分自身のセルフイメージを高めていかなければならないことを知りました。もっともっと自分を大好きになっていきたいです。 そして、もっともっと自分を好きになるために、「自己宣言文」を作りました。下記のものです。 長い年月に渡って培われてきた「ダメ意識」は、私の中から簡単には取り除けないと思います。セミナーを終えたばかりの今の私は、だいじょうぶですが、いずれダメダメ呪縛にとらわれそうになる時が、やってくることもあるでしょう。 下記の文章を唱えることで、古い私を払拭し、神様に愛され生かされている私を、もっともっと好きになっていきたいです。
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