新雑記帳


震災から6年(1)


阪神・淡路大震災から6年がたちました。
1995年1月17日5時46分、私は震度7の激震地で、震災を経験しました。
あの強烈な揺れと、信じられない破壊音を生涯忘れることはないと思います。
私と家族は、1年前に引っ越してきた新築のマンションの、何も物を置いていない部屋に寝ていましたので、危ない思いをすることもなく、無事でした。


震災直後は、倒壊した家が多かったため、更地だらけで、暗くさみしい我が家の周辺でした。
しかし年々、新しいマンションや家が建てられていって、町は新しく生まれ変わっていきました。
人数が激減していた子供の通う小学校も、子供の数が年々増加していっているようです。

近くには、不景気も追い風となって、都市計画が進まず、更地のままの大きな商店街もありますが、
街の様は、「概ね復興した」といえるのでしょう。

でも、震災で心の傷を受けた方々は、今なお傷がいやされず、痛みを抱えておられます。
生活再建のために苦しんでおられる方も、多くいらっしゃいます。
復興住宅での「孤独死」も続いています。
とりわけ愛する家族をなくされた方々は、深い心の痛みの中にあって、つらい日々を過ごされていることと思います。

1月17日が近づくと、テレビや新聞で大々的に大震災報道がされてきました。
しかし1年、1年、軽い報道になっていくことを感じます。
見た目だけの復興によって、世間では大震災が風化していっているように思います。

私は、震災経験者として、震災を風化させてしまってはいけない、決して忘れてはならないと思います。

数十秒の揺れで、多くの街の風景が消えました。
6400名以上のかけがえのない命もそこで失われました。

「将君」、1歳半のかわいい盛りの男の子の尊い命の犠牲がありました。
小学校で知り合った「将くんママ」が、将君のHPを公開されています。
 
←クリックしてね
どうぞ、訪れて、将くんのことを心に刻んでくださいね。
ご家族の痛みを知ってください。
命の尊さをかみしめてください。



震災から6年(2)

私が大震災を振り返って一番反省していることは、私に想像力がなかったことです。
日常の繰り返しになれてしまって、始めは目の前に起きた大災害をはっきりと受け止めることができませんでした。

我が家の中では、ほとんどの家具が倒れて、落ちた物が散乱して、足の踏み場も無いどうしようもない状態でしたが、近所の家もわが家と同じ、もしくは我が家が特にひどいのではないかと思っていました。
実は周辺はさらに悪い状況で、多くの家が倒れ、亡くなった方までいらっしゃったということにまで、全く思いが至りませんでした。
そして私は物の散乱した中で、0歳と3歳の子供の相手をするだけでした。
でも、我が家には食べ物でも衣類でもたくさんあったのに、周りの方々の何の役にも立てなかったことを、悔いています。

また、私は震災の朝、ごみ収集日だったので、ごみ出しのことや、夫の出勤のことを心配していました。
政府や自治体の危機管理能力の甘さが批判されましたが、平穏な日常に慣れきった中での、はじめての大震災という非常時だったので、日常から非常へのスイッチの切り替えは、本当に難しかったことを思います。

普段から、いろいろなことに想像力をめぐらせるようにしていなければならないことを、また、心を備えていなければならないことを強く思わされました。


私は、震災1日目、2日目と、夫と目の前のことだけに対処しながらただ生活していました。
が、その夜ふと「大変な中にいる」ということに、気づきました。
次男が10日ほど前より、「ヘルニア」になって、ずっとかんとん状態だったので、震災の翌日に大きな病院に手術の予約に行く予定でした。
この非常時に病状が悪化しても、近くの病院では対応できないかもしれないと気づいて、急遽、実家のある岡山へ私と子供たちは避難することにしました。

電車の出ている駅まで、大きな荷物と子供を抱えて、歩いて行きました。
駅までの町は、けたたましくサイレンが鳴り続け、倒壊した家屋が道をふさぎ、土ぼこりが舞い、至る所でガス臭さが充満している灰色の世界でした。
それが電車が東に進むほど、町並みが普段と変わらない状態になっていきました。
さらに電車を降りた「大阪の街」は、今までと何ひとつ変わらない状態で存在していました。
街の中を人々が何もなかったかのように普段どおり行き交い、いつもと同じ空気が流れていました。
「わずか30キロ離れた被災地は、大変なことになっているのに、この天と地ほどの差は一体何なのだろう」
あの時の驚きは、忘れられません。




心の目



避難先の実家の岡山では、一時も震災のことを忘れられませんでした。
「逃げてきた」という負い目もありました。
可能な限りテレビや新聞で震災報道を見ていました。

震災前、小さい子供がいたので、公園や道を歩いていると、おばあさんたちが、よく気軽に声をかけてくれました。
抱っこしていた次男の手を握って、いつまでもいとおしそうに見つめてくださった、高齢のおばあさんとの出会いもありました。
多くのお年寄りが犠牲になっていると聞くにつれ、住所も名前もわかりませんが、その方の安否などが、とても気になりました。(結局その後お会いできませんでした)

日を追うごとに、お年寄りを中心に社会的に弱い立場にある方々が、大きな被害を受けて、苦しんでいることがわかってきました。
私は避難して、子供の手術も受け、何不自由の無い生活をしていましたが、
「どうして神様は、弱い人たちにこんなことをなさるんですか!」と悶々と問い続けるようになりました。


毎日聖書を読んでいましたが、ある日聖書のヤコブ書を開きました。

「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ1:2)
まず、この聖句に出会いました。更に読み進めると、

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」(ヤコブ1:12)

「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富むものとし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」(ヤコブ2:5)

このヤコブ書を通して、この世の価値観ではなく、この世と逆転しているかのような神さまの価値観があるのだということを、教えられました。
この世の目に見えるものではなく、目に見えないものに、心を向けていかなければならないのだと、思いました。


見えるところは、苦しみの真っ只中であっても、「心の目」で見る時、
「今はまだわからなくても、この苦しみの意味がわかる時がくるんだ」
「人々を襲った震災は、苦しみ痛み困難だけでは、終わらないんだ」

でも、現実の人々の痛みを前にして、そう思うことは、難しいことでしたが。


6年たって振り返る時、「心の目」のことが、もう少しわかってきたかなと思います。
星の王子さまも
「大切なものは目に見えないんだよ。かんじんなものは、心の目で見なくちゃ」と言っています。

私は震災から、「心の目」で人生をとらえることを、いろいろと考え続けました。
そして、このHPの題名を「GOD BLESS YOU」と題して、「祝福」のページを作りました。

どんな試練や困難も、裏返せば「祝福」に通じていることを信じています。

いまなお、心の傷がいやされず、試練の中の被災者の方々は大勢いらっしゃいます。
家族を亡くされた方々の心の痛みは、消えることはないでしょう。

そういう方々の上に祝福があるように、これからも祈り続けていきたいと思っています。