let it be X 最悪なんてもんじゃない! 訴えたガユスにギギナは涼しい顔をして答えた。 「だから言っただろう?」 「それにしたって酷すぎる…酷すぎるぞここの飯は!」 「これでもマシな方だ」 「マジかよ!!よくこんな飯であんなドンパチ出来るな!」 先割れスプーンを握りしめたガユスの手がブルブルと震えている。 ギギナは相変わらずの表情で黙々と料理を口に運び、この世のものとは思えない色のスープの滴をパンですくって口に入れた。 表面だけでなく中も固いパンを顎の力をフルに活用して噛み砕き、呑み込む。 「何でも美味そうに食うよな、お前」 「美味いぞ?」 「味覚もバカなのか……」 スープ皿の底をスプーンの先でキィ、と引っ掻き、ガユスは溜息を吐いた。 「別に、脂の滴る分厚い肉を食いたい、と言ってるわけじゃない。俺は人間の飯が食いたいだけなんだ…これって贅沢な望みか?」 引き上げたスプーンの先に、得体の知れない緑色の細い紐のようなものが絡まっている。それを皿の隅へ寄せ、ガユスはスープを啜った。 「うぅ、消しゴムのカスを裏ごししたような味がする...」 「貴様、そんなものをご馳走として食べていたのか?」 「んなわけあるか!例えだよ、例え!」 騒ぎ立てるガユスを見つめたギギナが、ふとその目尻を緩めた。 「……なんだよ、」 「いや、貴様も執着しない人間なんだな、と思ってな」 「なんだよ、それ」 「少しは悩んで引きこもるかと思ったが、こうして毎日嫌々言いながらも飯を食い、下手な冗談で兵士達を笑わせている」 「……あぁ、そんな事ね。時間はさ、待っちゃくれないのよ。少しだけ、欲しい、って言っただろう?本当はそんなの無理だって分ってんの。だから、もしかしたら明日ここを出て行かなくちゃならないかもしれないし、俺自身がやっぱり今すぐ帰る!って思うのかも知れない。だから、考えるのは少しでいいんだ。平等にしか貰えない時間なら、俺は自由に生きたい。死ぬほど考えるのは、その後でもいいだろう?let it be。なるようになる、さ」 そんなものか、と言うギギナに、そんなもんだよ、とガユスは笑った。 「ただ、飯がマズイのは、今すぐ考えた方が良い問題だ」 ガユスは意外としつこい性格らしい。 ギギナは、真剣に料理長と掛け合うガユスを見て、声を立てて笑った。 ◇ ◇ ◇ このところ、あの夜叉がまるで聖母に見える。 傍らに佇む最近入ってきたらしい部下を(想像だが)見下ろす目は聖母の眼差しそのものだと、遠巻きに見ていた兵士達は複雑な心境で見守っていた。 先日の潜入でも、いつもなら殲滅するはずの部隊を、何の慈悲か知らぬが「出来るだけ生かしておけ」とそう言うのだ。 この命令に、部下達はざわついた。 皆殺しにするのは容易い。しかし、生かしておくとなるとその労力は倍に増える。はっきり言って面倒なのだ。傘下に部下を増やすつもりなのか、ただの気まぐれなのか知らないが、危ういな、と皆、口を揃えて言った。 「お前、最近聖母なんて言われてるらしいな」 書類にペンを走らせているギギナに、イーギーは声をかけた。顔も上げず、さらさらとペンを走らせるギギナはちらりとイーギーを上目で見、再び書類に視線を落とした。 「……皮肉のつもりで言ってるんだと思うんだけど?」 「分っている」 「ホントかよ」 粉の溶けきらない珈琲をずず、と啜り、イーギーは机に腰をかけた。 「揺らすな」 「んな事にこだわる質かよ。夜叉様は何処に行ったんだ〜」 「……うるさい、気が散る」 「えぇぇぇー怖い!俺今夜眠れないかもしれない!」 助けてガユス!と椅子に座って雑誌を読んでいたガユスにイーギーは大声を張り上げた。 「いいじゃないか。今夜は西地区に行くんだろ?元から寝ずの番だ」 「何それ……冷たい、誰のお陰でここで暮らせてると思ってんだ」 「そりゃギギナの有能な部下であるイーギーのお陰だよ」 「あぁ…心のこもってない賛辞をありがとうございます。これで今夜も頑張れそうだわ」 敬礼をしてみせるイーギーにガユスは吹き出すと、立ち上がってギギナの傍らに移動した。 「でも、ホントだぞ…気を抜くのは、良くない」 「そうだぞ、もっと言ってやれガユス」 「イーギーはちょっと黙っててくれ。俺が言えた立場じゃないが、お前にその気は無くても、有無を言わさず刃向かってくる奴は沢山いる。…本当なら、お前達にこんな事させたくないんだけど」 ガユスが立場でものを言うのは初めてだった。 噛み締めた唇が赤く染まるのを、ギギナの指先が解いた。 溜息を吐いて、ギギナが言う。 「別に、気を抜いているわけではない。私も少し、考えているだけだ」 だから、心配するような事は何もない、と、ギギナはイーギーが呆気にとられる程の笑みを浮かべて見せた。 「いや、俺マジで今日も明日も明後日も眠れない気がする...」 ◇ ◇ ◇ どうして!?と、ガユスは青白い顔をして横たわっているギギナに覆い被さった。 「何でっ、なんでこんな!」 「落ち着けガユス。心配要らない。脇腹を抉られているが、大した事は無い。安静にしていればじきに目を覚ます」 「だって、でも、なんで、」 子供だったんだ。 イーギーは言った。 子供が泣いていたから、ギギナは銃を下ろしたんだ、と。 影になっていて見えなかったんだろう。その瞬間に子供の母親か、あるいは別の人間かも知れないが、女が飛び出してきてギギナの脇腹を抉った。 「いつか刺されるぞ、なんて言ったけど、本当になるとはな...」 「そんな呑気な事言ってる場合かよ!」 ギギナよりも青白い顔をしたガユスが頬を紅潮させてイーギーを睨み付けた。 そんなガユスにイーギーは困ったように眉根を寄せ、大丈夫だから、と繰り返した。 「お前、見た事ないか?こいつ、腹に3発と背中に2カ所、銃弾の痕と切り傷があるんだよ」 「え…?」 「俺も、ほら、このこめかみの所と、あと脇腹に」 そう言って髪をかき上げたイーギーのこめかみに、斜めに亀裂が走っていた。 「俺らの場合な、戦場に出ちまえば執着とか、考えとか、そんなのただの重荷にしかならないんだよ。何にも無い。ただ受けた鉛弾だけがどんどん増えて、重くなってくんだ」 鉛を食らえばそれだけ体も頑丈になる。 何処から来たかも分らない変な根拠を振りかざして、イーギーは笑った。 「大丈夫だって。1週間目を覚まさなかった事だってある。俺はあの時マジでもう帰ってこないんじゃないかと思った。けど、今のギギナには自ら招き入れた執着がある。それを残して逝くようなバカな真似は、いくらこいつだってしないよ」 気の済むまで側にいてやればいいさと言い残して、イーギーは医務室を出て行った。 一人残されたガユスは、こぼれそうになる涙を必死に堪え、枕元に顔を伏せた。 逝くな。逝くなよ。約束したじゃないか。俺を守るって。 側にいないんじゃ、どうやって、守るんだよ。 |