let it be Y



お前は何にも分っちゃいない!

分ってる、分ってるさ

分ってない!俺がどうしてあそこに行ったと思う!?
やり直しなんかじゃないぞ 清算の為でもない!
終わらせようと思ったんだ
分るか!?お前に俺の気持ちが分るか!!

分ってる、分ってるさ

分ってない!
みんなそうだ!分ってる振りして、優しい顔して近づいてくる!
全部うそだ!お前がここにいるのも!俺がここにいるのも!
お前が死ぬのも俺が一人になるのも!全部!

うそじゃない うそじゃない だからどうか泣かないで欲しい
泣かれると困る
泣かせたい訳じゃない
無理に笑わせたい訳じゃない
ただ側にいて ただ側にいて 側に
だからどうかそんな顔をしないで欲しい
今すぐにでも抱きしめてあげたい
何もかも忘れさせてあげたい
だから、

だからどうか

その笑顔を 





まず始めに視界に飛び込んできたのは医務室の無機質な白い天井ではなく、今にも泣きだしそうな程に歪めたガユスの顔だった。
喉が粘ついて声が思うように出ず、ギギナは瞬きを繰り返し、指先を微かに動かした。

「せっかく、料理長が美味いスープ作れるようになったんだ。それ食べないで死んだら、お前、一生後悔するぞ」

ぽたりと頬にガユスの涙が落ちた。
握りしめた手を持ち上げて、ガユスは祈るように唇を寄せた。

「ュ、す……」
「無理して喋んな。後から、嫌って言うほど呼ばせてやるから、寝ろ」

目を閉じたガユスの目尻からじわりと涙が滲む。
ガユスの指先が小刻みに震えているのを感じたギギナは、自分からも強く握りかえし、ゆっくりと目を閉じた。
遠くから漂う良い香りに頬を緩ませ、道を空けろ!とヤケにデカイ声で怒鳴るイーギーの声を耳にしながら、ギギナの意識はそのままストンと沈んだ。



◇ ◇ ◇



「美味い?」
「あぁ」

そりゃ良かった、とガユスが笑うのを、ギギナは黙って見つめていた。
その傍らで二人を見つめるイーギーは、心なしか居心地の悪さを感じていた。

「お楽しみの所申し訳ないのですが...実は王室の密偵が来ましてね?一応、知らぬ存ぜぬを通したんですが、昨日から外をウロウロと怪しい奴が嗅ぎまわってまして…って、聞いてる?」

二人の口からそれぞれ「あぁ」「うん」と返って来てイーギーは己の不運さに涙が出そうになった。

「大変だったんだぞ....お前は目覚まさないし…ガユスは一向に部屋から出てこないし…まぁ、お陰で最近ガユスを見かける奴がいなくてバレなくて済んだって事もあるけど…もう、限界なんじゃないのか...?」
「……」

こんな時になんだけどさ、とイーギーは呟いた。
でも、こんな時だからこそ、言っておかなくてはならない。
そんなイーギーを、ギギナは見上げ、名前を呼んだ。

「ん…分ってる。じゃぁ後は、」

そう言ってイーギーは部屋を出て行った。

ギギナが目を覚ましてから3日。療養の場所を自室にもどし、ギギナは久々に味わう休養に浸っていた。傷は痛んだが、こうでもないと公務から離れる機会は無いし、なによりこんなに穏やかな時間を過ごす事もないのだ。

「俺と会った時の事、考えたのか?」
「あぁ、」
「……そう、悪かったな、俺があんな事言ったから、かえって気にしたんじゃないのか」
「いや、……そうではない」

ガユスがいずれ作る国を、今生きている汚い大人で埋め尽くしたくは無かった。
ガユスが身をていして守ったように、子供には何の罪もない。
あの時ガユスに守って貰った子供等が、いつの日か大人になって、ガユスを守る事になるのだ。

「何なんだろうな、国って。そんなになるまで戦って守る価値なんてあるのか?」
「…国ではない、私はガユスを守ると言った」
「……」
「不満か?物足りないか?それとも嘘だと思ってるのか?」
「は、…はは、よく言う……俺も、眠れなくなりそうだ」

考えるのは後でもいい。
でも、言いたいことが、沢山あるんだ。



◇ ◇ ◇



首元の釦を外し、倒れ込むようにガユスの身体をベッドに押しつけた。
ちゅ、と軽い音を立てて肌を辿るギギナの唇に、ガユスはその泣き顔を一層深めて声を漏らした。
ズボンを抜き取って露わにした内腿に、細く、引きつれた傷があった。
ギギナはそれを見て短く息を吐き出し、目を細めた。

聞き分けのない子供のように頭を左右に弱々しく振るガユスが、涙に濡れた声を出す。

「まって、…ホントは、ほんとは……」
「分っている」
「違う、違うちがう…嘘だ、う、そ…本当は、あの町で、」
「分っている」
「聞いて、違う…終わりにしようと、」
「もういい」

あとを引くようにガユスは涙を零し続け、両腕で顔を覆った。

「本当は、殺されても…言い訳で、子供は、……だから、本当は、覚悟なんか、」
「もういい」
「そんなの、ズルイ、って……分ってるのに、逃げたくて、逃げたくて、逃げたくてたまんなくて、」
「ガユス、」
「でも、でも……お前のこと、みて…全部、置いてきたのに、なのに、お前が俺の前に、」
「全部、分っているから」
「たのむ、頼むから.....」
「泣くな」
「頼むから、」
「泣かれると、困る」
「もう、頼むから、これ以上、優しくしないでくれ、」

肌を撫でるギギナの掌が膝裏を、柔らかい内腿を、引きつれた傷跡を辿る。

「何故?」
「お願いだから……これ以上、…もう、お前の事、忘れられなくなる、」
「忘れたいのか?」
「もう、」
「私の事も、何もかも、全部、」
「お願い、」
「何もかも忘れて、何もかも捨てて、どうやって、生きていくつもりだ?」
「つらいから、もう、全部、」
「私が、こんなにも焦がれているというのに?」
「うそだ、」
「嘘ではない」
「本当は、怖くて…捨てられるのが、怖いから、だから、だったら、初めから、」
「ガユス」
「でも、奪われるのは、…もっと……、」

幾重にも巻かれた包帯が痛々しい。
起きあがったガユスはギギナの脇腹に指先を伸ばした。触れるか触れないかの距離を置き、その表面を撫でるガユスの仕草に、ギギナの身体がぴくりと揺れる。

床に膝をついているギギナの頭を胸に抱え込み、ガユスは深く息を漏らした。

「また、傷が…」
「このくらい何でもない」
「せっかく、綺麗な体、」
「そんなもの、惜しくはない」
「バカだ…お前はバカだ…こんなになるまで、」
「あぁ、軍人は皆馬鹿だ。戦地に赴くたびに、傷を作って帰ってくる。それは、何十人、何百人もの命の内の一つの抵抗にしか過ぎない....足下からせり上がってくる恐怖に、その傷を撫でるたびに堪えて…軍神ではない、私たちの背には、死霊がついている」
「バカだよ、バカだ…なんで、もっと、」

その先は言葉に出来なかった。
自分で自分の命を絶とうとしていたのに、ギギナに「どうして大事にできない」などと言えるはずが無かった。
何一つ確かな事を口に出来ずに、ガユスは悔しくてその頬に線を引いた。
顔をガユスの胸に伏せていたギギナがふとその顔を上げ、ガユスの頬を流れる涙を唇で受け止めた。指の腹で拭い取り、深く口付ける。
震えるガユスの唇がそれに辿々しく応え、喉を鳴らすたびに鼻先から声を漏らした。
触れ合ったガユスの頬からギギナの頬へと涙が伝い、顎下に滴を作る。みるみるうちにそれは膨らみ、ぽたりと落ちてギギナの胸を濡らした。

「ふ、…は、ン…っ」
「もう、泣くな」
「って、一人で、いくなって、…なのに、」
「一人になどしない」
「だって、一緒に、いられない、」
「迎えに行く」
「本当は、一緒に…側に、」
「約束する。必ず、」
「ずっと、待って、」
「必ず」

ガユスは頭を振った。
信じられないか、と尋ねるギギナは、それでもその瞳に笑みをたたえた。

「直ぐにというわけにはいかない。いずれ、お前が王になる時、私を、側に置いてはもらえないか?ずっと側にいて、ずっとだ」
「そんなの、」
「出来ない?」
「ちが、」
「ならばこうしよう」

そう言うとギギナは傍らのテーブルに置いてあったナイフ―――あのナイフだ―――を手に取り、治りかけていた頬の傷に更に深く刃を滑らせた。ぽつりぽつりと顎から真っ赤な血が床に滴り落ちる。目を見開くガユスの唇から乾いた声が漏れた。

「な、何てことっ!なんで、何でお前はっ、」
「ガユスが私につけた傷だ。私はこれを背負って生きていこう。この傷が忘れてしまう前に、必ず、側に」
「ギギナ…っ」
「だから、王よ」
「責任、とれって、言いたいのか、」
「そうだ」
「ろくな奴、いない....ホントに、バカばっかりだ」

泣き笑いの顔を浮かべたガユスの唇に、ギギナは指先を伸ばし、頬の血を擦り付けた。
その手を取り、ガユスは血よりも赤い舌で指先を舐める。

「ナイフ、貸して」
「何に使うのだ」
「良いから、貸して」

言われるがままに血の付いたナイフをガユスの手に握らせてやると、何を思ったかガユスは内腿の古い傷に刃を這わせた。驚いたギギナがその手を掴む。

「何をしている!」
「これ、小さい頃、母親の客につけられた傷なんだよ」
「なに、」
「世の中には、色んな奴がいるんだよ....男のガキ相手でも欲情できる奴がいるのさ。いつも思ってた、消えればいいのに、消えればいいのにって。でも、諦めた。一度ついた傷は消えない。...なぁ、お前の傷で覆ってくれないか」
「ガユス、」

ガユスはギギナの手を更に上から掴むと、一気に刃を引いた。
薄く引きつれた傷の上から新しい血があふれ出し、シーツを汚す。

「お前の事、一秒だって忘れない。責任、とって....王を傷物にしたんだ、簡単に逃げられると思うなよ」

こんなに甘い痛みなら幾らでも欲しい。
縛りたくはないけれど、消えない証が欲しい。

ガユスは涙を流しながらも、その顔に笑顔を浮かべた。


(その笑顔を)


「お互い様だろ....だから、側にいて」


(守りたいと思ったんだ)


その上から、何度でも消えない証を引いて。



◇ ◇ ◇




「戻ってきたか」
「はい、今朝方、一人で」
「そう…何か言っていたかい?」
「いえ、何も言わずに、出て行きましたから」
「彼らしいね」
「…えぇ、ですが、」
「何か気になる事でもあるのかい?」
「いえ、まさか、本当に戻るとは、」
「君は私の言う事を信用していなかったの?」
「そう言うわけでは、無いのですが…側で見ていて、まさか、と」
「君もね、今に分るよ」
「……では、あの二人が、そうなるとも、全部、分ってらしたんですか」
「この年になるとね、楽しみといったら見合いのセッティング位しかないんだよ」
「は?」
「公私共に良いカップルじゃないか」
「………」
「…何だいその顔は」
「いえ、何でも」
「君にも今度紹介してあげよう」
「は……では、その際は是非、金髪の上品な美女を」
「顔の割りに言う事はしっかりしているんだね」
「上司の教育の賜物、ですから」
「うーん、では是非君の上司とやらに言っておいてくれないかね、部下に是非素敵なプレゼントを贈って欲しい、とね。例えば上司を敬う為の心、とか」
「出来ればほんの少しの休暇で良いのですが」
「もう下がって良いよ」
「…………はい」

あぁそうそう、と肩越しに眼鏡の奥の視線を流して寄越した上司が背後で笑い声を堪えているのが聞こえて、部下は足を止めた。

「若い有望な逸材達に焦らしは禁物だからね、そろそろお遊びが過ぎる王様に長期休暇をプレゼントしたいんだけど……なんなら、君もそれに同行するかい?」
「謹んで辞退申し上げます。良いですよ、心は幾つあっても重荷にしかなりませんから、地に足のついていない私にはぴったりです」
「拗ねなくてもいいじゃないか」
「拗ねてなどいません。ただ、もしもあなたに流れ弾の一つでも飛んできた時反応するのが遅くなるかもしれませんが、激務の代償だと思って下さるのであれば、喜んでお受けしましょう。幸せすぎて二度と帰りたくないと思わせるような場所でご静養願えばよろしいのですね?」
「脅すつもりかい?」
「いえ、有能なだけです」
「本当に、誰なんだろうね、君の上司とやらは」
「………」

楽しそうに笑う隠居同然だと自分を卑下するこの男には、一体どれほど先の事まで見えているのだろうか。

「人間とはね、飽きる生き物だから。辛気くさい融通の利かない馬鹿な男がいつまでも国だなんだと騒ぎ立てるのを見るのが我慢ならないんだよ。これからは新しくて柔らかい考えの者、いっそ子供でもいい。自由にやらせてみたくなったのだよ。ただ、一つの事にこだわり過ぎる人間はいけないよ。そうだね、執着など無い方が良い。一つも無いのは生きていくのに不自由かもしれないけれど、その不自由さが自由、というのも面白いと思わないかね?まぁ、きっとそんな事言わなくても若い子達は二人で一つ、なんて夢を見るだろうけど…一人で見る夢ほどつまらない物はない。いいねぇ、若いってのは」
「何を、」

今でも十分お元気でしょうに、と言うのを「もうダメだよ、あと100年も生きられないねぇ」と返されてはもう何も言えない。

「近いうちにお上品な美女を少しの休暇付きでプレゼントするよ。だからもう少しだけ頑張ってくれないかね」
「はい」
「何処にいても有能な部下でいるのは大変だね」

尋ねてみたくなった。
ならば何故、

「何故王にならないかって?私は人の上に立つような人間ではないよ?」

嘘だ。

「それに、そんな厄介なものになったら自由が無くなるだろう?」
「……きっと100年なんてあっという間ですよ、お仕えできなくて残念です」



部屋を辞し、自分しか使わない為そのままの位置で止まっているエレベーターに乗り込み、部下はふ、と溜息を漏らした。
板挟みは苦しい。
その分生きるのは楽しいけれど。

「ま、せいぜいお手並み拝見といきますか」

地上が恋しい。
地べたを這いずり回るただの人間には、天上の空気は薄すぎる。

マズイ飯。
厄介な上司に少しの休暇。

「ささやかな幸せ、ね」

彼らはどんなものを幸せと呼ぶのだろうか。

分っているのだろうか。
人の幸せほど妬ましいものはないのだ。

「守ってやろうじゃないの。その幸せってやつを。ダブルで休暇が貰えたら、俺の幸せは完璧だ」


なかなか地上に降り立たない箱の中で勲章を弄りながら下がり行く階数表示ランプを眺め、有能な部下はそっと笑みを零した。
彼にもきっとこれから起こりうるであろう災厄、その上に立つ見ていてハラハラするような二人の姿が見えたのだろう。






END











どうかしあわせに。

ハナさま、本当にありがとうございました!