let it be W 意外と可愛い顔してんじゃん。 それがイーギーの第一印象だった。 どうにも変装くささの抜けない眼鏡はまぁ良いとして、細身の体型に赤褐色の髪に碧眼。所在なげに視線を漂わせる所なんてまるで小動物を思わせる。 しかし、 「俺は回りくどいことが嫌いなんでね。率直にお尋ねしますけど、あんた、皇位継承者、つまり、現王の嫡子、ガユス・レヴィナ・ソレルだろう?」 イーギーは悪びれる様子もなくそう横柄に言い放った。 ガユス自身、別に気にした風でもなく「残念ながらね」と苦笑いを浮かべた。 本来ならば傅く存在のガユスにも、イーギーはいたって普通に接してくる。 ガユスにはそれが心地よかった。 「ギギナ、言ったろ、このお方が例のお姫様だよ」 「お姫様?」 「いや、気にしないでくれ。ギギナ、…ギギナ、聞いてるのか?」 今だ呆けたようにガユスを見つめるギギナの目の前にイーギーは掌をかざしてヒラヒラと振った。 2度3度顔の前を往復させると、は、と息を漏らしたギギナが思い出したように瞬きを繰り返す。 「……おい、ギギナ」 「なんだ」 「なんだ、って、お前.....」 イーギーは頭を抱えた。 「あんたの今の状況は噂で聞いてるよ。上さんが大騒ぎだぞ?何でまた逃げ出したりしたんだ?」 そんなイーギーの言葉に、ガユスは視線を泳がし、乾いた唇を舐めた。 全盛期を誇ったこの国で魔王と恐れ崇められていた前王が亡き今、その任についている現王の嫡子。定かではないが、正妻の息子ではないのではないか、という噂が俗物好きの市民の間で囁かれていた。無理もない。 2人いた息子達を相次いで戦で無くし、残った幼い姫に国を次がせるのか否かと論争を生んでいた数年前、突如現われた見目も違う青年を我が息子であると言い張り、納得させようとする方が無理な話だったのだ。ただの身代わり、ならまだいい。挙げ句、世俗遊びの好きな王の事だから、奴隷上がりのどこの女とも知れぬ腹の中から引きずり出された卑しい身分ではないのか、とまで言われはじめていた。 継承騒動は密かに規模を膨らませ、まだ幼い姫を王に仕立て、補佐と言って自分が采配を振るおうと企てる輩も少なくない。 そんな所に現われたガユスは、はっきり言って邪魔者だった。 融通の利かない年齢に、何処で教育されたのか、知識と教養は教育係を驚かせるほどのものであったという。 ともすれば一言で継承権を確かなものに出来るガユスに、人々は恐れ恭しく手を差し伸べた。 何よりもそれが気に入らなかったし、自分の存在のせいで立場の危うくなる姫、妹の事が心配でたまらなかった。 王位につけばやれ象徴だなんだと奉られるが最後、良いように利用されるだけ利用されるのは目に見えている。けれど、女である以上、確固とした地位が無い限り万が一にも他国に人質に、などと言う事になるのだけは避けたかった。ならばいっそ、囲われるだけ囲われて、あえて身を埋めることで身の安全を保証してもらう。そのためには、どうしても、自分はいてはならない者なのだと、ガユスは思っていた。 それに、 「それに?」 「……」 「ガユス?」 「……それに、俺は、本来この渦中にいるべき人間ではないから」 「じゃぁ、」 「俺の母親はあの町の慰安婦だったのさ。だから、噂は噂じゃない。全部本当の事だよ」 やっぱりな、とイーギーは呟いた。 「けどな、正妻の子では無いとはいえ間違いなく王の息子である以上、お前にはこの国を守る義務がある。気持ちは分るけど、お前は地上にいるべき人間じゃないんだ。今日のうちは、」 「嫌だ」 「なに?」 「嫌だ…俺は、俺は...自分の足であそこを出て来た。そして、俺の生れた町で一生生きていくつもりだった。なのに!なのに、ここまで引っ張り出してきたのはお前だろう!」 そうだろう!と、ギギナを睨み付けたガユスの視線を受け止めたギギナは、何を考えているのか分らぬ色をたたえた瞳でその視線をあびた。 「あぁ、」 「っ、おい、ギギナ!!」 「助けて貰った事には礼を言う。あんたに会わなけりゃ他の誰かにあの場で殺されていたに違いないから。だから、……だから、せめて、逃がしてくれとは言わない……少しの間だけ、ここに、置いてくれ」 「おい、そんなわけには、」 「分ってる。俺は、家からだけじゃなくて、自分の運命からも逃げてるって事くらい。だから、きっとどんなに逃げても逃げ切る事は出来ない。でも、俺は強い人間じゃないから...だから、それを素直に受け入れるほどできてない。時間が、欲しい…時間が欲しいんだ…だから、頼む!少しの間だけ、俺を、守ってくれ!」 「良いだろう」 「!?ギギナ!」 さらりと承諾の言葉を口にしたギギナに、イーギーは目を剥いた。 「忘れたのか、イーギー。私たちは仕える身。現だろうが先だろうが、王を守るのが勤めだ」 「んな、無茶苦茶な....」 「その代わり、ここでの生活は今までと180度違うと思え。一端の兵士として過ごして貰う。それが出来るか?」 そう言って笑ったギギナに、ガユスは再び「ありがとう」と呟いた。 「なんかそれ、おかしくないか?」 呻いたイーギーのその問は虚しく空を切り、どこが?といった風な二人の視線があまりにも呑気なものだったおかげで、むしろイーギー一人が変人扱いをされているようで。 「知らないぞ、俺は知らないからな……」 ◇ ◇ ◇ 受け入れることが出来たら、俺は帰るから。 毎朝、毎晩、ガユスは繰り返した。 ただ一言「行くな」と言えたらどんなにいいか。 細い体を抱きしめながら、ギギナは一人そんな事を思った。 会う事の許されない相手というのがいる。 そんな事が本当にあり得るのか今の今まで疑問だった。 けれど、今現実に突きつけられているこの事態が、禍々しい赤黒い信号を激しく点滅させている。 だから、だからせめてもの、気休めにしかならないギギナの言葉にも、ガユスは満足したように微笑み返し、そして同じように繰り返した。 「逝くなよ」 守って貰わなくちゃならない。 約束しただろう? 俺の災厄には、お前が助けに来てくれるんだろう? それを思えば、これから見舞われるだろう災厄も、楽しみで仕方がない。 「分った」 「何が?」 「私はあの日、ガユスを迎えにあの場所に行ったのだ」 「え?」 「姫の迎えには、王子が現われると相場が決まっているからな」 「………バカ。やっぱりお前、人格破綻者だよ」 別れるのが惜しくて部屋に籠もったはいいが、かえって時間の経過が気になって落ち着かない。 失敗したかも、とガユスは笑みを浮かべた。 けれどそれに応える事は、ギギナにはどうしても出来なかった。 「天下の大佐様が恋煩いなんて笑える事、もう二度とないかもな」 そう言ってまた笑ったガユスの目に浮かぶ涙に、一言「あぁ」と呟いたギギナは言いようのない満足感に包まれていた。 幸せは長くは続かない。 だから人はそれを幸せと呼び、必死になって引き入れようとするんだろう。 |