let it be V はっきり言って居心地が悪い。 この椅子の座り心地が悪いとか、整理された部屋の中の雰囲気に、ではなくて、さっきから黙って注がれている視線が、だ。 訳も分らないうちにずるずると引っ張られて風呂場に押し込められた。 呆然と立ちつくす俺を見て「さっさとしろ」だと。 勝手に連れてきて「さっさとしろ」。 もしかしなくても、あの男は人格破綻者なのか、と降り注ぐ温かな湯に打たれながら壁に手をついて唸っていると今度は「早くしろ」だと。 間違いない。あの男はイカレている。 ◇ ◇ ◇ 暗闇で息を殺していると、砂利を踏む音がどんどんこちらへ近づいてきた。 泣き出しそうになる女の子の口を手で塞ぎ、足下に震えてしがみつく男の子二人をしゃがんで両脇に抱え込んだ。 心許ない事に、武器と言って良い代物は古びたナイフしかない。 何か銃の一つでも無いかと当たりをつけて飛び込んだこの納屋の様な民家には、その日暮らす分だけの金も無かったし、食べ物も無かった。銃なんて大層なものがあるはずがない。 ただ、子供が3人、部屋の隅で小さくなって震えていた。 俺の顔を見て心底驚いた様に目をまん丸に見開き、女の子は小さく悲鳴を上げた。それを守るように前に出る、兄だろうか、2人の男の子を見て、この最悪な状況下でも知らず笑みがこぼれた。 「大丈夫だから。俺もその円の中にまぜてくれる?」 そう言って手を差し伸べると、お互いの顔を見合わせ、少々躊躇っていた子供達が、一斉に走り出してしがみついてきた。 啜り泣くその小さな頭を撫で、部屋の隅に移動する。 テーブルを倒してその後ろに隠れ、しゃがみ込んで息を殺した。 見逃してくれ!どうか、見逃して! そう思いながら外を窺い、後を絶たない悲鳴や轟音に耳を塞ぎ、握ったナイフを知らず地面に突き立てていた。 ザリ、という砂利を踏む確かな足音に、血の気が引いた。 子供達は一層体を縮めてしがみついてきた。 暗闇で目は慣れていた。 だから、部屋の中に入ってきたその姿をはっきり見て取ることが出来、息を呑んだ。 銀色の髪、銀色の瞳。その整った風貌。 この世のものとは思えず、咄嗟に握ったナイフを投げた。 それは美しい頬にまるで花を添えるかのように真っ赤な線を引き、ガツン、と後ろの柱に突き刺さった。一瞬動作を止めた指先が頬を辿り、真っ赤な血を拭い取る。目の前に指先をかざし、ぼんやりと自分の血を眺める細く開いた瞳。 その所作一つ一つが美しくて、目を見張った。 物珍しそうに自分の指先を眺めていた目が、こちらに注がれた。 小さな机では到底姿を隠しきることは出来ない。 殺される覚悟で立ち上がり、子供達を後ろに庇い、今度は心臓めがけてナイフを放った。しかしそれは寸前でかわされ、またも同じように柱に突き刺さる。 歩みを強めたそれに覚悟を決めたとき、派手な爆発音が耳をつんざいた。 一瞬、注意をそがれた。 我に返ったときにはその鋭い銀が目の前を覆い尽くし、顎の下にゴリ、と銃口を押しつけられていた。 視線を外せなかったのだ。 睨み付ける視線に動揺を悟られはしないかと、心臓が口から飛び出る程震え、頭の中ではガンガンと鐘がかき鳴っていた。 しかし、相手は何故か呆けた様な顔をし、肩の力を抜いた。 銃口がほんの少しだけ顎の下から離れた。一歩、後ずさろうとした腕を痛いほど掴まれ呻いた目の前に、涼やかな、それこそこの目の前の生き物からしか到底発せられないだろう声音が漏れた。 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。 「は?」 およそこの緊迫した状況には似つかわしくない声が漏れた。 なに、名前、って言ったのか? 理解して、そして、もしかしたらこの目の前の男は幻か何かなのだと思えた。 確かに軍服を着込んでその装飾から見る限り佐官クラスなのだろうけれど、そんな人物が万が一にもこの状況下で名前を聞くなんてそんな馬鹿な話はない。 この世の造形とも思えぬ姿形で、本当に、人間じゃないのかも知れない。 そう思っていると、再びその口唇から思いも寄らぬ言葉が発せられた。 「……子供は、逃がしてやる」 「え…?」 「名は、」 「何、言って、」 「黙って、子供は、逃がしてやろう」 「あんた、なに、」 真っ直ぐ見つめてくる視線に、一歩も動けなかった。 何?何を言っている? 逃がしてくれるって、この男は、何を言って... 要領を得ない言葉に、動揺した。 名を。逃がしてやる。 この男は一体何が目的なんだと注意深く目をのぞき込むと、大声で誰かを呼ぶ声が聞こえた。 大佐…? それはもしかして目の前にいるこの男の事ではないか。 まさか、と思い目を見開くと、今まで黙っていた男の唇から息が漏れた。 「黙って、貴様、……私と一緒に、来い」 ◇ ◇ ◇ 風呂場から水飛沫の音が聞こえるたび、ギギナの動揺は膨れる一方だった。 何故、あんな事を言ったのか。 言ったことは仕方ない。それはまあいい。 しかし、何故連れてきたのか。 これからどうするか、どうすればいいのかと言うことよりも、ギギナの頭の中はそれで一杯で、いても立ってもいられず急かすように「早くしろ」と頼りなげに声を発するしかなかった。 まじまじと改めて顔を見つめ合って、二人はごくりと喉を鳴らした。 (ま、眩しい!) (……眼鏡が邪魔だ) ふとギギナの指先が伸び、眼鏡の縁を辿った。目を見開いて硬直している男の顔から眼鏡をひったくり、テーブルの上に置く。 すると、幾分か幼い、動揺を隠しきれない碧眼が色を濃くしてこちらを見つめてきていた。 たまらず口をついて出た、何度目かの請い。 男はガユス、と名乗った。 ガユス、と口の中で小さくその名を転がすように呟くと、ガユスは居心地悪そうに足を摺り合わせ、眼鏡を拾い上げて鼻の上に乗せるようにかけ直した。 「……まず、礼を言う。あの子達を逃がしてくれて、その......ありがとう」 その言葉に、ガユスもギギナも、違和感を覚えた。 無理もない。 本来ならば攻められる立場の者と受ける立場の者だ。 まかり間違っても「ありがとう」などという感謝の言葉が出るはずがない。 「あぁ、」 何があぁ、なのか。 気まずげに二人は左右別々の方向に首を捻り、視線を泳がせた。 その時。部屋の扉が遠慮無しに叩かれて、いや、むしろ殴られていると言った方が良いだろうか。 「ギギナ!おいギギナ!開けろ!」 ち、と舌打ちしたギギナはそれでも立ち上がり、叫いて止まない扉を開けた。 すると、転がるように部屋に走り込んできたイーギーの視線がガユスとまともにぶつかる。 少しの沈黙と、取り繕うようなイーギーの乾いた笑いが部屋に響いて消えた。 「えぇと、イーギーです(笑顔)」 「………はぁ、」 何がはぁ、なのか。 ガユスは首を捻ってうめき声を上げた。 |