let it be U 人々の恐怖に歪む表情や、懇願の声など、いつ見ても聞いても不快にしかならない。 けれど、下心丸出しで擦り寄ってくる軍の人間に囲まれているよりは幾分か気は休まるし、なにより不快な事の方が染みる。 純粋な快楽よりも苦痛。 恥も外聞もない程にさせたら、きっと多くの人間が苦痛を選ぶだろう。 なぜならば、苦痛ほど、生きていると言う事を実感できるものはないからだ。 夢見心地。 これは真に目覚めている者には感じられない事であるから、少しの間だけ続く夢よりはいい。 いつかこの苦しみに耐えれば幸せになれると、目覚めていても、夢くらい見る事は容易い。 炎に包まれた、かつて華やかだったであろう遊郭や、それでも住んでいる者にしてみれば城だったのであろう馬小屋などが音を立てて崩れ落ちていく。 頬を撫でる熱風に目を細めて後ろを振り返ると、じたばたと地面を這いずり回って逃げをうつ齢50程の男の口に銃口がねじ込まれているのが見えた。薄ら笑いを浮かべた兵士が引き金を引く素振りを見せると男はくぐもった悲鳴を上げ、尻をもぞもぞと動かした。 声をかけるまでもなく、銃口から飛び出た弾丸にいとも簡単に男は地面に崩れ落ち、どろりとした血を鼻孔から溢れさせてギギナの方に首を転がした。 その男の目がギギナをあざ笑う。 悲しいねぇ、どうしたって未来は決まっている 特別ってなんだい?幸せって何? この先叶いもしない夢しか見れないんだったら、 今ここで死んだ俺の事を幸せ者というんだろうなぁ 男はにやりと笑みを浮かべたまま目玉をコロコロと転がしてギギナの足下へやってきた。 その目がギギナを下から窺い見る。 いやしいね、いやしい王様がいやしい子供を残したんだよ お前達はそれを守るために俺たちを殺しているんだよ いやしいね、どっちがいやしい? ただひたすらに夢をみるのと、ありもしない夢を叶えようとする奴らと、どっちがいやしいんだい? なぁ、 なぁ、 なぁなぁ、 それって本当にある----- ぐしゃりと目玉を足の裏で踏みつぶすと、足下から小さな笑い声が聞こえてきた。 逃げ出そうとするもう一方の目玉に銃弾を撃ち込もうとするもコロコロと転がり、照準が合わない。 あれよあれよという間にそれはまんまと逃げおおせ、ギギナの前から姿を消した。 「大佐!」 その声にびくりと肩を震わせて、ギギナは瞬きを繰り返した。 目玉の無いはずの屍は律儀に足を揃えて地面に転がっていた。 その顔にはしっかりと目玉もついていたし、相変わらず鼻から流れる血は地面とを繋ぎ、少しづつ凝固しはじめていた。 「いかがされました?」 「……いや、何でもない」 心配そうに見つめてくる部下にギギナは背を向けた。 黒々と闇が渦巻く町の外れに足を向け、ギギナは何気なく首を巡らせた。 建て付けの悪い、それどころかろくに扉もついていないような建物が転々としている。華やかな町の隅で沈黙するその一角で、とりわけ崩壊の激しい建物が目についた。 それは納屋といってもいいような代物で、何ものの気配もしない。 足を踏み入れて、ギギナは目を見開いて硬直した。 そっと頬に触れると、白磁の肌に浅く切り傷がついている。指先にぬるりとした温かい血が付き、それを目で確かめると、ギギナは目を細めて建物の奥を注視した。 微かな息づかいと、くぐもった幼い声が耳に届く。 ギギナはゆっくりと歩を進めた。 途端、鋭い閃光がギギナの目前に放たれた。 今度はそれを寸前でかわし、ギギナはちらりと後方を窺った。 木造の柱に軽い音を立てて突き刺さったナイフは、お世辞にも手入れがされているとは言えなかった。それ故頬の傷はジリジリと痛む。錆び付いたナイフは鋭利な刃物よりも始末が悪い。 ギギナは溜息を吐いてようやく暗闇に慣れた目を前方に戻した。 3人…いや、4人か…。 姿からして3人は子供のようだった。それを庇うように背にするもう一人は、自分と同じくらいか、あるいは少しばかり年下か。 その時、後方から派手な爆発音が響いた。 あからさまに4人は体を震わせ、ギギナから一瞬視線を逸らした。 その隙にギギナは距離を縮め、庇うように立つ人物の顎下へと銃口を突きつけた。 男だった。 赤銅色の髪に、碧眼。まるで似合っていない眼鏡をひっかけたその顔は、お世辞にも美しいとは言えなかった。しかし、ギギナに対して向けてくるその視線の強さに、ギギナは一瞬呆けたように肩の力を抜いた。 そのギギナの態度に相手も動揺の色を隠せないようで、ぐ、と顎を反らせたまま視線だけをギギナに注いで後ずさりした。 その腕を掴んで、ギギナは自分でも驚くほど情けない声を発した。 「貴様、……名は、」 「は?」 この状況下で名前! 言ったギギナ本人が、自分で自分を叱咤した。 何を言っている! 敵だろうが、味方だろうが、抵抗する者は構わず殺す。 これが軍の教えであった。 現に相手はギギナに微かではあるが傷を負わせ、敵対心を丸出しにしているではないか。 化け物でも見るような視線にギギナは、その男を凝視していたことに気付いた。 居心地悪そうに眉を潜める眼鏡の奥の瞳が不安げに揺れていた。 「……子供は、逃がしてやる」 「え……?」 何を言っている! 「名は、」 「何、言って、」 「黙って、子供は、逃がしてやろう」 「あんた、なに、」 見つめ合ったまま微動だにしない二人に、子供達はただおろおろするばかりで、声を上げるわけにもいかず、固まって足下に引っ付いていた。 爆発の音の合間に、ギギナを呼ぶ声が聞こえる。 それに気付き、男は目を見開いた。 どうする、とギギナの口から吐息が漏れる。 「黙って、貴様、……私と一緒に、来い」 何故そんなことを言ったのか、言ったギギナ本人が一番疑問に思い、それは今でも疑問のままで、傍らに眠る赤銅色が「あんたはいつもああやってナンパするのか?」とにやにやしながら尋ねてくるのに、バツが悪そうに口を閉ざすしかなかった。 ◇ ◇ ◇ まず初めにギギナの安否を確認した部下に詳細を聞くと、ただ一言「私物だ」と横柄に言った、と首を傾げていた。 自らの羽織っていたコートで明らかに二本地に足が着いている、つまりは人間をぐるぐる巻きにして抱えているギギナに、その場にいた部下達は揃って口を開けた。 駆けつけた少尉が何ごとですか、と息を巻くのに、一言、「私物だ」と。 その話を軍の武器倉庫でこっそり聞き出したイーギーはガクリと頭を垂れた。 「あの馬鹿…何やってんだ」 「あのぉ…少佐、この事は...」 「あぁ、黙ってろ」 「はい」 「……悪いな。頭のおかしい上司をもってお互い苦労するな」 ぽん、っと兵士の肩を叩いたイーギーは力無く笑みを浮かべた。 その笑顔にまさか、「あなたもです…」とは言えず、兵士は曖昧に頷いて倉庫を後にした。 「顔が良くなけりゃ大した奴だと思ったのかよ...」 はぁっ、と溜息を漏らしてイーギーは壁により掛った。 ギギナには興味を示すものが無い。あえて上げるとするならば、派手に危険を伴う戦地に赴く事が趣味、といった所だろうか。 興味がない、つまりは執着もないギギナは生死にすら執着がないらしく、いつ死んでも本望、という勇猛な兵士の志を持っている...わけでもなく、ただその日その日を無益に過ごしていた。 だから、将軍の娘がギギナに惚れた、という話を聞いたときひっそりと喜んだのだ。成功か否かはこの際別として、ギギナが何かに心を向ける良い機会になると、そう思ったからだ。 しかしそれをギギナは「馬鹿」の一言で片付け、泣きじゃくる将軍の娘に表面上は申し訳なさそうに「私はいつ死んでもおかしくない身。心残りが出来るようでは任務を全うできない」とかなんとかそれらしい事を述べてあしらった。 規則が大好きな頭のお堅い将軍達はそのギギナの型に嵌りまくった言葉に何故か感動したらしく、馬鹿な娘を許してくれ、とさえギギナに言ってきた。 終わったな、とイーギーは思った。 これで政略結婚でもなんでもいいからギギナに愛のある家庭を!と密かに思っていたイーギーの思惑はこの先一生叶わぬ事となり、ギギナはギギナで「清々する」と首を回していた。 それなのに、だ。 何を血迷ったか、ギギナは敵地で何処の馬の骨とも知れぬ人を一人抱えて持ち帰ったのだという。フェロモン出しまくりの金髪美人ならともかく(これはイーギーの趣味)聞くところによると男だそうだ。 年の頃22.3。ギギナとさほど変わらない年齢で、お世辞にもキレイとは言えない恰好をしていた、と兵士は首を傾げながら話していた。 後ろ姿しか見えなかったから顔は確認できなかったが、珍しい赤毛をしていた、と付け加えられて、イーギーは目を見開いた。 「本当か!?」 「え?えぇ、はい…確かに」 「よりにもよって……あの馬鹿が!」 石灰を入れた袋をドスっ!と蹴り上げてイーギーは頭を掻きむしった。 その様子にただならぬ気配を感じ取ったのだろう。兵士も固く口を閉ざす事を約束してくれた。今頃その場にいた者皆に触れ回っていることだろう。 最重要機密だ、と。 ふと、イーギーの脳裏に恐ろしい考えが浮かんだ。 「まさか、あの馬鹿、知ってて連れてきたんじゃぁ....」 起こりうるパターンを色々組み合わせてみたが、最終的に最悪な結果にしかならず、イーギーは再び溜息を吐き、足早にギギナの部屋へと向かった。 「言い訳くらいは、聞いてやる」 |