『水にまつわる正しい遊戯』


「こんなのは聞いてないぞー!」
眼下に広がる巨大な湖を前に、ガユスは叫んだ。も、めいっぱい叫んだ。しかし自分の隣でさっそく得物を組み立て終えた、相棒の腐れドラッケンの腐れ意見はこうだ。
「仕事を請ける時にちゃんと確認しておかない貴様の手落ちだ。さっさと剣を構えろ、腰抜け眼鏡。始めるぞ」


冬の足音が聞こえ始めたある日のことだ。ガユスは役所からの依頼で、エリウス郡北方寒村での、<異貌のものども>の討伐を請け負った。
何でも、村の水源で養殖場にもなっている湖に、水棲の<異貌のものども>が棲みついたとかで、村では飲料水にも事欠くありさまになっていると言う。
冬も本番が近い。良い季節にはあまり考えずにすんだ光熱費もはね上がる頃合である。
臨時収入はもっけの幸いと、ガユスは、例によって渋る相棒をヴァンに押しこみ、件の村に赴いて問題の湖のほとりに立ってみたわけだが。
湖は向こう岸が見えないほど広く、そしてその広さにふさわしく、水面にさざ波を立てて蠢いている<異貌のものども>は、単体とは言え優に数十メルトルの巨体を誇りつつ、悠然と泳いでいたのである。


「でかい。でかすぎる。どんな怪獣映画だこれは」
評しながら、ガユスの歯の根は合わない。いや、仮にも到達者階梯。怯えているのではない。単に寒いのである。
運の悪いことに、村に着いた頃降り始めた雨が、今では篠つく強さに変じていた。しかも風が出てきて、体感気温は氷点下に近くなっている。
「相手は水の中だし、いくらなんでも二人じゃ無理だろう」
ガユスは歯を鳴らしながらギギナの方に首を回した。生体強化系のギギナはそれこそ、例え火の中水の中へっちゃらぴー♪ かも知れないが、爆裂咒式が主体の自分は手数が限られてくる。同じ湖の中には、村の産業を支える山魚の養殖場があるから、毒物系の咒式を撒き散らすのもまずい。
が、ギギナの返事は屠竜刀の柄を引き抜くことで示された。
「ここまできて『やれません』では済まぬだろう。それに、見ろ」
顎をしゃくられて、ガユスは嫌々ながら湖に目を戻す。
水の上に何やらにょろっとした触手が幾本も突き出したかと思うと、それらはゾワゾワと岸を掴んで取り崩すように土くれを作成し、湖から流れ出す支流をそれで塞ぎ始めた。
既にダムのようになっている箇所が幾つもあり、淀みを作っている。どうやら巣があるらしい。あれでは下流にある村に水が流れないのも道理である。
おまけに。
「…うわ。そっちに行くか」
働いて腹でも減ったのか、怪物は怖気立つようなフォームを披露しながら方向を変え、養殖場の方へ泳ぎ寄って行く。
これが出るようになってからそこは放棄されているので、人的被害は出ないだろうが、役所から人が派遣されたにも拘わらず、更に経済的損失が発生したりしたら、自分たちを差し向けたサザーラン課長はそのツケを報酬から差っ引くに違いない。
すごくありがちかもしれない未来予想図に、ガユスは眉間の皺を深くした。
そして冒頭のセリフにつながるのである。

ギギナが先に走り出した。ガユスも剣を抜き払って後に続く。雨が顔に叩きつけられ、疾走の風がそれを飛沫に弾き飛ばす。先行するギギナの銀の髪が閃く度、振りほどかれた雨滴が水晶の煌めきを放った。
ガユスは風除けも兼ねて彼の真後ろを走っていたが、この雨ではあまり意味がない。知覚眼鏡の表面は撥水剤を塗布してあるため、水滴で視界が利かなくなることはなかったが。
その硝子の表面に、目標との距離と相対的な移動速度が表示された。
「ギギナ!」
岸沿いに回っていては間に合わないと判断、ガユスの鍔元で咒弾が火を噴き、練成された爆裂咒式<爆炸咆>が湖上で炸裂する。養殖場の筏の手前で突如上がった火柱に、<異貌のものども>はゆるゆると停止した。そこへ、すかさず岸から跳躍したギギナが、ネレトーの長大な刃を叩きこむ。
水面を割り砕いて凄まじい水柱が立ち上るが、浅い。本体までは届かず、ギギナの刃は敵の触手の何本かを切断しただけだ。ギギナ自身は水に落ちる前に生体変化系咒式第二階位<空輪龜>を発動、圧縮空気を噴出させて距離を取り、養殖筏の縦杭を蹴って岸に戻ってくる。
湖の上に、ぽかり、ぷかりと、ギギナの切った触手浮かんだが、その後からまた幾つもの触手が現れ、苦悶するようにのたうっている。
「何本足があるんだ。まるで蛸だな。だとしたら、淡水の湖に棲息するとは非常識な」
ガユスが呟くと、傍らに立ったギギナが鼻を鳴らし、大真面目に反論した。
「ざっと数えたが、少なくとも十本以上はあった。蛸ではなく烏賊と言うべきだな」
「そんなとこだけ正確を期さなくていいから。つうか、おまえでも二桁までは数が数えられるってことが今判明して、喜んであげるべきか?」
「ならばこの場合、貴様は一桁だ。余命日数と同じかもしれんから気をつけろ」
ギギナが無造作に刃を振り下ろし、軌道上にいたガユスが飛びのく。
「余命をいきなり零に略すなよ。それと、戦闘中は刃物を向けるなこの糞馬鹿ドラッケン!」
無駄口といつものじゃれあいの間に、<異貌のものども>は態勢を立て直したらしい。
水面が不意に静かになり、ゆったりとした大きな波だけが岸辺に打ち寄せている。浅い所にいればその動きでさざ波が立つから把握しやすいが、深部に潜まれれば上からはなかなか見つからない。この湖の透明度はさして高くないのだ。
「厄介だな。一撃を加えた以上、逃せば被害が拡大する恐れがある」
ギギナの呟きに、ガユスは知覚眼鏡を起動させ、湖の上を走査して不自然な水の流れを検知しようと努める。
「それで、貴様の戦術は?」
「追いこみ漁」
ガユスは答える。
「あれだけの巨体だから、よほどの水深でないと動きが取れないはずだ。浅瀬に追いこんで座礁させたところを叩く。できれば、養殖場から離れた場所で」
彼は携帯咒信機を取り出して、あらかじめ記憶させておいた湖の地形図を宙に展開した。周辺の地形から等高線図を描かせて、湖の一点を示す。
「ここが目標ポイント。問題は、どうやってヤツをここまで引っぱり出すかと言うことだが……」
「簡単ではないか」
けろりとした相棒の言い様に、ガユスは彼を振り返った。雨の飛沫を銀髪から滴らせながら、ギギナが微笑を浮かべていた。
その、一見明るげなほほえみに、ガユスは壮絶な悪寒を覚える。
「…あの…念のため確認しますがギギナさん。それは一体どのような……?」
「貴様が餌になれば良い」
宣言と同時に、ガユスはギギナに首根を掴み寄せられてたたらを踏み、次の瞬間にはその鋼力のままに空中に放り出されていた。
「うわああああっ!」
叫ぶ間もあらばこそ。
ガユスの視界から陸地が遠ざかり、一面水の面が広がる。それがみるみる接近して、あっと言う間に、彼の体は水中に落下していた。
ざばーん、と、派手な音と共に高い水柱が上がった。それが再び水の中に没していく。しばらく水面には、気泡が浮上してはじける幾つもの輪が広がるばかりだったが、やがてそれらをかき分けるように、赤い髪が飛び出した。
ガユスである。
泳いでいる、と言うより溺れていると言った方がいい取り乱し方で、ガユスはあわあわと手足をばたつかせ、ようやく岸辺に顔を向けて、そこに彼の相棒を見出した。
「てめえっ! ギギナ! いきなり何しやがるっ!!」
「貴様の思惑に乗ってやっただけだが?」
当然の弾劾を、ギギナは涼しい顔で受け流した。
「そのままそこでせいぜい騒ぎ立てろ。すぐにヤツが見つけてくれる。そうすれば貴様の言うポイントまで誘導してやれば良い。励め、軟弱眼鏡置き」
「ふざけろっ! 囮がやりたきゃてめえでやりやがれ!」
「私は水に浮かない。貴様が適任だ。貧弱で少々食いでが無いが、その辺は目をつぶってもらおう」
「誰にだ!? とにかく俺はごめんだ、今すぐそこに行くから動くなこの…」
「あ」
更なる罵詈を続けようとしたガユスだったが、相棒の視線が自分を越えて後ろに注がれたのを見て、はっと口を噤む。
ぱしゃん、とかすかな水音が、彼の背後で響いた。
ものすごく、フキツな音である。ガユスはできればその正体を知りたくなかった。なかったが――
恐る恐る振り向いた彼の目前に、すっごく見覚えのある長い触手がすべり出てきた。それは水面をなめらかに切り裂いてガユスに迫ってくる。
「ぎゃああああ!」
ガユスはとっさに<緋竜七咆>の組成を紡ぎ、咒式を放つが、水面に出ていた触手の先端をわずかに灼くだけ。ナパームの数千度の炎も、水中では燃焼不可能だ。かと言って電撃系統の咒式では、通電して己も共倒れである。
「くっそー! 頭足類の分際で人間様に歯向かうとどうなるか、思い知らせてやるっ!」
悔しまぎれに毒づきながら、ガユスは魔杖剣ヨルガを銜えると、死にもの物狂いで泳ぎ始めた。


あれからガユスは、競泳の大陸記録を塗りかえる勢いで目標地点まで泳ぎ切った。
途中、水中での動きを妨げる長剣ではなく、魔杖短剣マグナスの爆裂咒式で適時応戦しながらの逃走だった。
ギギナはその間、<黒翼翅>で舞い上がり、まさしく高みの見物。時折、追いつかれそうになるガユスを水から引っ張り上げては、ちょっと距離を置いて再び叩きこむと言う外道な真似を繰り返しながら、彼は相棒に囮の役目を完遂させた。
結果、もはや文句を言うどころか、息を継ぐのも精一杯なまでに疲労困憊したガユスは、ギギナにせっつかれるまま最後の咒式、<錣磔監獄>を展開発動し、何とか<異貌のものども>を金属網の中に捕らえた。後は、ギギナが網ごと怪物を切り刻み、依頼は完了した。


《続》