真っ青な空に、赤い物体が放物線を描いた。

標的は銀色。

 中位クラス程度であっても、多数の咒式士に囲まれては迂闊に身動きが取れない。
 敵対する集団の襲撃によって乱戦状態に突入したアシュレイ・ブフ&ソレル事務所とラルゴンキン・バスカーク咒式事務所の面々は、済し崩しに共闘を余儀なくされていた。
 そんな中、鮮やかに敵を屠りながらも、ギギナは鬱陶しい雑魚の群れに苛立っていた。
 敵味方が入り乱れている所為で範囲型攻撃咒式を繰り出す余地がなく、純粋な近接戦闘が行われている状況では、十三階梯の生体系咒式士に敵う者などいない。ギギナにとって、手応えのない肉塊など邪魔なだけだ。
 すぐ横に立ち、危うい手つきで断罪者ヨルガを振るっているギギナの愛玩動物なら、高位咒式の大技で全てをあっという間に一掃できる。しかし悠長に咒式を唱える時間は無いし、小心者で常識人な相棒は混戦の最中に広範囲咒式を使うまい。さてどうやって煽ってやろうか。
 あまりにつまらず、ガユスを焚きつける方法を考えていたギギナの傍らで、小さく呻き声が上がる。瞠目して相棒を確認すれば、ギギナの意識が戦闘から逸れていた僅かの間に、脆弱眼鏡は腹を切り裂かれていた。
 ギギナのフォローが無かったとはいえ、こんな連中相手に大怪我とは情けない。
 そう思う心と裏腹に湧き上がる動揺を怒りにすり替え、片手で不届き者を惨殺。残る片手ですかさずガユスを支えると、抱え込む腕に縋る青年の姿が縮んでいく。現れたフェネックを懐に収納し、ギギナは殺気だった視線で周囲を睥睨した。


 しかし。
 怒りを秘めた銀の獣が、ふと何かを思いついて考え込む。
 胸元を覗き込み、瀕死の仔狐を確認。動きを止めた男へと好機と見た敵が群がっていく、が。


 ギギナが無造作に何かを投擲。直後に甲高く響き渡ったきゃうーんという悲鳴に驚き、多くの咒式士達が空を見上げた。
 生体強化された腕力で力一杯投げ上げられたのは、小さな赤毛の動物だ。
 あまりに情けない鳴き声で、可哀想になってくる。ギギナが――エリダナでもトップクラスの恐るべき男が何をしたいのかわからず、しかし彼に限って唐突に無意味に行動するとも思えず、何かの攻撃だと断じてか弱げな小動物虐待を行うふんぎりもつかない。
 否、アレが恐らく咒式士の成れの果てだとわかってはいる。それにしても、腹から飛び出した内臓が尾を引く仔狐を放り投げて何がしたいのか。もしや単に気を逸らすための罠だろうかと、敵対者達は困惑するばかりだった。
「青い空、赤い獣……鮮やかなものだ」
「風流ですなあ」
 ラルゴンキン事務所の年長者達が豪快な感想を述べる。ひょっとすると単なる現実逃避なのかもしれない。幸か不幸か免疫が出来たか逞しく立ち直った若手達は、事態が風雲急を告げたことを悟っていた。
「なに呑気なこと言ってんだ、親父!」
「総員、退避! 撤退じゃ、急げ――!!」
 『それ』を見知った者達は、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
 呆気に取られて隙が生まれた敵の前から、恥も外聞もなく脱兎の如く逃走。敵を屠る前にまず己の命が大切である。充分に距離をとったところで振り返ってみると、小動物は丁度頂点を越えて落下体勢に入ったところで。その影は、みるみる内に大きくなる。
 瞬きの間もなく赤毛の小狐は痩身の青年へと変化し、途端に罵声が響き渡った。
「ギギナっ、てめえ何しやがる――っっ!」
 果たしてその叫びに応答があったのか否か、離れていたイーギー達にはわからなかった。
 彼らにわかったのは、返事があったとしても聞く耳持たぬタイミングで、唖然とした咒式士達が我に返る前に、ガユスが相棒目掛けて特大の咒式を放ったことだけ。
 直後に一帯は激しい爆音と閃光に支配される。それが収まった跡地では、雑魚達がことごとくズタボロにされて地に伏していた。
 第一目標であったはずのギギナはどうしたかと見回せば案の定、かすり傷すら負っていない模様。いつの間にか黒翼を生やした獰猛な美獣は、自由落下中の中味がはみ出し気味な相棒を回収しようと飛び立ったところだ。
 手を伸ばしてガユスを抱きとめれば、咒力も気力も尽き果てていた青年が首に手を回して身体を支える。彼らにとっては自然でも、傍観者には過剰に思えるスキンシップに、躊躇いはない。
「なんか……すっげー哀れな気がするぜ……」
 思わずイーギーが呟いた言葉は、共闘者達に共通する慨嘆だった。一歩間違えば自分達も、犬でも食えない何とやらにしか見えぬ攻撃に巻き込まれていたのだ。
 標的とすら認識されずに壊滅した敵集団の惨状に、彼らは勝どきを上げつつも、そっと涙を拭った。




コミュニケーションかストレス解消か。
犬でも食えない痴話喧嘩に巻き込まれて倒れては、
死んでも死にきれません・・・


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