すぅすぅと幸せそうに眠っているフェネックを見下ろしながら、ギギナは思案に暮れていた。
義務と権利

 ギギナの飼育動物は、仕事上の対外交渉を一手に引き受けている。よって依頼人その他に応対する際、時に笑顔を浮かべることがある。客観的には当然なのだが、その態度は激しくギギナの気に障っていた。自分に対しては、せいぜい苦笑や冷笑しか向けないというのに。いっそ檻に入れて、誰にも笑いかけられぬようにしてしまいたくなる。
 ガユスはいつでもあまりに無防備だ。おまけに飼い主がいる自覚に乏しく、うっかりしていると、何処の誰とも知れぬ相手に連れ去られてしまいそう。ギギナと並べば目立たぬ容貌も、正しく見る眼を持つ者なら惹かれるに充分だ。軟弱ではあっても、誠実であることを正しく感じる感性は信用に足る。手に入れたいと望む相手は、隣で眼を光らせていても尽きた例がない。
 そもそも当の本人は、無駄に賢い割に愚かな性質を発揮して、甘い言葉を吐く危険人物にでも懐きかねない。誘惑者にとっては、容易く釣れる美味しい獲物だろう。
 やはり、正当な飼い主としては所有の証をつけておく必要がある。
 これを愛玩する者がいると、一目で万人に理解できるように。
 野良ではないと示すのは、ギギナの飼い主としての権利であり義務でもあるのだ。
「……さて、何色が似合うか」
 人型時の髪より淡い赤毛の狐を見下ろし、ギギナは優しく微笑む。
 穏やかで甘さを滲ませた表情は、ガユスが目撃すれば飛び起きて逃走しかねぬ不穏さを秘めていた。


 眠っているガユスを弄っていると、むにゅむにゅとあやしい寝言が聞こえた。
 撫で回されると心地良いのか、寝入ってしまうと中々目覚めない。職業柄、売るほど持っているはずの危機意識が低すぎるのだ。
 それでも金属がカチリと触れあう音がすると、大きな耳が反射的に動いた。目を覚ますかと警戒したが、その気配はない。大きな青い瞳が瞬いたのは、ギギナが寧ろ嘆息混じりに目的を達した直後だった。
 予想外に近い場所に顔があった所為か、ガユスがまんまるに眼を見開く。ぱくぱくと動いた口は、恐らく怒涛の如く罵詈雑言を流しだす予定だったのだろう。その前に獣型の己に気付いて、ぶるりと身を震わせる。
 人の容を取る前に、ガユスがよくみせる仕草。そうと気付いたギギナは、性質の悪い笑みを浮かべた。
「……ガユス。戻る前に鏡を見てみろ」
「?」
 首を傾げた小動物は、しかし経験則から嫌な予感を覚えたらしい。おとなしく命令に従うと、走って行ってがしがしと洗面台によじ登った。人間ならば適切な位置も、小柄な獣には遥かな高みだ。ちょっぴり苦労している姿は非常に愛らしいが、今日のお楽しみはその先にある。
 苦労して飛び乗った洗面台の前の鏡を覗き込んだ瞬間……きゃうんと可愛らしい悲鳴が上がった。
 小さな狐は猛烈な勢いでギギナの元へと駆け戻り、きゃんきゃんと謎の言語で訴える。その内容自体は、獣語がわからぬギギナにも明白だった。
「安心しろ、よく似合っているぞ」
「*★*※*…★*※##!」
「うむ、動物を放し飼いにするのは良くないな。次は鎖も買ってきてやろう?」
 にっこり微笑んでやると、腰が引けた獣は耳をぺたりと伏せた情けない姿で、きゅううんと哀れな鳴き声を上げた。その首には――ガユスが呑気に寝ていた間に、青い革製の首輪がはめられている。
 明るい青色に染められ、縁が金属で加工されたそれは、ガユスの赤茶色の毛並みと藍色の瞳に対比して、可愛らしさを倍増していた。それにしても、首元という急所に触れられても目覚めぬのは問題がある。この行為は危機管理意識の養成だと理屈をつけつつも、ギギナは溜息を抑えきれない。やはり、出来の悪いペットは厳しく躾ける必要があるようだ。このままでは、うっかり誰にさらわれても納得できてしまう。
 首輪は細い首にぴったりとはめられている。引きちぎるには小動物はあまりに非力で、無茶をして人間形態をとれば、強靭な革に首が締め上げられてしまう。
 誰かに首輪を外してもらわぬ限り、永遠に人間には戻れない。この場合は――ギギナの許しがない限りは。そうと悟ったガユスは、距離を取って対峙しながら落ち着かぬ様子でギギナを窺っていた。
 誰かに助けを請おうにも携帯は取り上げてあるし、魔杖剣も手の届かない場所に置いた。事務所から脱出するには、いつの間にか出口に陣取ったギギナを突破しなくてはならない。
 小動物は絶望の表情でギギナを見上げ、きゅうんと不安げな鳴き声を洩らす。大きな耳は垂れており、しっぽはくるりと丸まっている。情けない哀願の視線といい、仏頂面の人間よりもよほど雄弁に感情を伝えてくる。
 最初はただのちょっとした躾のつもりで、しばらくしたら外してやろうと思っていた。
 なのにそんな可愛らしい様子を見せられては、当分このまま閉じ込めておきたくなる。





お題は首輪。
だったのですが、あやしくなるというよりは、哀れになる感じ?
飼い主には、ペットを躾ける義務と、可愛がる義務があるのです。


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