財政難の折、出来る限り経費を切り詰めるのは当然だ。 お蔭様で事務所は現在、極寒の地と化している。季節は真冬だというのに、光熱費対策で暖房器具は停止中。 暑さに弱いギギナは夏場に冷房を止めると刀を向けてくるが、寒さには強いので文句も出ない。むしろ以前、外との寒暖差が大きくて家具に霜が降りたと屠竜刀が振り下ろされたことがある。ので、差し迫っての問題は俺の健康状態。室内でもコートが手離せない状況に、繊細な身体は風邪へのカウントダウン中。財政逼迫の主な原因たる、無駄な請求書の生産理由から考えると不条理極まりない。 いつか計算の出来ないケダモノの行状を改めてやると決意するが、その日は遠い。視線はつい柔らかそうなソファへ向かう。正確にはその上で寝そべっている肉食獣――純白に黒い斑紋を描く暖かそうな毛皮の持ち主へと。 |
けものがにひき |
獣化とか獣憑きとか呼ばれる現象がある。 その名の通り、人間が常習的に獣型に変身する状況を指す言葉だ。 人狼の変身や竜の人化など、咒式を身に備えた者達の変化と同一視されることもあるが、この場合は後天的なもので、根本的には〈異貌のものたち〉と異なる。 多くは高位の咒式士に起こる現象であるから、咒力は絡んでいるのだろう。原因については諸説あり、高位咒式士は人間では無くなるとか、無残に殺された動物の呪いだとか、咒力の強い者は祖先に獣がいるのだとか……絢爛豪華な有様だ。 有り難くも皇族の大半が獣化している為に、畏怖や偏見の対象となりながらも表向きは差別が禁じられ、それこそ咒式士が胡散臭がられるのと同等くらいには世間に受け入れられている。 という訳で、事務所内に猛獣が居てもそれ自体はいつもの光景だ。獰猛な本性に相応しく猫科肉食獣に変化するギギナは、ソファで優雅にお昼寝中である。 白を通り越した純銀の光沢を放つ銀毛の上に、花に似た黒い斑点を描く見るからに高価そうな毛皮の主は、世間的には雪豹に分類される。本当の雪豹よりいささか大型ではあるが、人型時も無意味に綺麗なイキモノは、獣に変じても稀なる美しさを誇っている。雪深い高地に生息する獣の特性は遺憾なく発揮され、寒冷地同然の事務所内でもむしろ暖かいくらいらしい。 対する俺も、仮にも奴に並び立つ咒力を持つが故にか獣の呪いから逃れられていない。 ある説によると、獣化する動物はその人間に最も相応しい性質だという。ギギナを見るとその説に納得しそうだが、己を省みると激しく否定したくなる。 俺が変じるのは犬科でも最小の部類に入る体長30センチほどの狐。赤狐に似ているが、アンバランスなほど耳が大きい姿はフェネックと呼ばれる種に近い。変化すれば手の平サイズで、あまり嬉しくもないが数多の女性が可愛いと叫ぶ。 ギギナはといえば獣化しても凶暴さが滲み出て隠せないのに、俺はといえば変化後に警戒する相手はまずいない。時にはそれを逆手に取りながらも、空しいのも事実である。 ちなみに耳や尾が大きいのは、本来は砂漠に住む狐だからで、体表面を大きくして効率よく熱を発散させるため。つまり高温地仕様のイキモノな訳で、寒さに弱いのも当然といえる。 現在も俺は暖を求めて、耳と尾を出している。くるりと腰にまわしているフサフサのしっぽと膝掛けのお蔭で、下半身は結構暖かい。しかし上半身はかなり寒い。純毛の大きな狐耳は人間の耳より暖かいが、人間の時より放熱量は大きい訳で、絶賛自爆中ともいう。せめてペタリと伏せ気味にして体温低下を防いでいるものの、どこまで効果があるものか。実際、俺の手は凍りそうに冷たくなっている。 窓の外を見れば、風に雪が舞っていた。道理で寒いはずだ。仕事も一段落ついたことだし、今日はもう休もうと決意する。適度に休憩した方が効率も上がるというもの。 思い定めてこっそりと、猫科らしく惰眠を貪る雪豹を観察する。冬毛でもこもこした獣は、純毛コートにしたらさぞ気持ちいいだろう。狩りたいというか着たいというか。それは無理でもアレを無駄に放置する手はない。 おもむろに立ち上がると、ギギナがちらりと視線を流してきた。恐らく俺が近寄る気配に不穏なものを感じたのだろうが、特にそれ以上の反応はない。 歩きながら念じると、ゆらり霞むようにして俺の姿が縮んでいく。ちなみに変化すると、衣服や所持品は何処かへ消えてしまう。それが不便なこともあるが、持ち運びを気にしなくていい点は楽だ。どうも空間が歪んで余計な物質を収納しているらしいのだが、その辺の理論もよくはわかっていない。 今わかること、必要な情報は、奴は暖かくて触り心地も抜群だというだけ。小さくなった俺にとっては特に。 無防備にソファに寝そべったままのギギナへと近付くと、ソファに飛び上がって腹部へころんと寄り添う。 内臓のつまった柔らかな急所は、野生の獣なら絶対に触らせない部分。限りなく野生動物に近いドラッケンも滅多と触れさせない場所なのだが、そこは相棒の特権というもの。俺にとっては今更の場所だ。野宿の時なんかも重宝させてもらっている。ギギナ、おまえも毛皮だけなら暖房の代わりとして立派に世間の役に立てるぞ。まあ死後の方が役立つってのは人型でも毛皮でも変わりないな! しかし腹へぴっとりくっついても、どうにも背中が寒い。ので、ごそごそと回りこんで、面倒臭そうにもたげられた頭の下の隙間に侵入。まさに喰ってくれといわんばかりのこの位置は野生では有り得ぬ危険地帯だが、驚愕の事実として一応はギギナも人間の端くれに属しているらしく、俺は未だに生きている。 この姿なら奴の前足の間にすっぽりと入ってしまえる。心臓の鼓動が響く薄暗い隙間は、俺のお気に入りの巣なのだ。 くるりと丸くなって居場所を確保。あ〜あったかい。お手軽に幸せになれそうだ。暖かくて微妙に薄暗いのが眠気を誘う。ギギナの胸元にある特に毛の柔らかな部分に背中を擦り付けると瞼を閉じる。 ギギナはしばらくどうしようか考えていた様子だったが、俺を追い払うのは諦めたらしい。まあくっついてればあったかいのは、俺だけじゃないしな。僅かに前脚が広げられ、頭が降ろされて、雪豹も再び楽な姿勢へと戻る。 丁度目の前にあったらしく、大きく温かな舌が俺の耳を舐めた。毛づくろいでもするように、続いて額や首筋へ降りてくる感触。ちょっぴり味見されてる気分だが、猫科特有のざらついた感触が気持ち良い。 くるると自然と喉が鳴って、俺がご機嫌なのを奴に知らせる。不本意ながら快楽に負けて、触れてくるのを拒まずにおく。流れる時間の穏やかさに、眠気はどんどん増してくる。 外からは荒れ狂う風の音が聞こえており、気温はますます下がってきたようだ。 それでも今だけは、ぬくもりに包まれて極上の気分だった。 |