≪ラヂオのお時間≫

この度、All This Time が終了となりました。応援ありがとうございました。
なかなか感慨深いものがありました。皆さんからもらったメッセージやプレゼントや花に囲まれながらこれを書いています。

 僕はこの4/1でデビュー15周年を迎えて16年目に突入しましたけど、そもそもラジオで喋るということを生まれて初めて経験したのはその15年前の4/1でした。それも生放送のJFNの深夜2時間生番組。何を喋っていいのかも分からない当時の僕には、構成作家さんが用意してくれていた台本みたいなものがありました。それを必死に追いながらも何とか自然に話そうと緊張したこと覚えてます。その当時の録音を聞いたことがあるけど、もう信じられないくらい恥ずかしい様でしたね。格好つけたいんだけれどもサマにならず、かといって自然に自分の言葉は語れず、、、。
 まあ今もって、気持ちをロゴス(言語)化することに関しては自信ないですけれど、世の中には「気持ち」とか「雰囲気」とかを慮ってくれる人が沢山いてくれたお陰で今までやってこれたのかなと感じます。でも逆に僕が他人を慮ることができているかというと、これまた大疑問?むづかしいもんです。まだまだ修行。

 テレビの仕事をしている人とラジオの仕事をしている人両方に知り合いがいますけど、やっぱりラジオ関係の方が少々マニアックだったりします。必然的にそうなるんだと思うけど、ラジオの方がよりパーソナルなものだからでしょうか?そういう僕も10代の頃は深夜番組に投稿なんかして、はまっていました。自分だけにしか聞こえない音量で、勉強そっちのけで聞いていた記憶があります。いいんですよね〜あの感じ。時々寝てしまって、気がつくと「歌うヘッドライト」だったりするんですよね、、、

 15年前の喋れない僕はよ〜く言われました『一人に喋るつもりでやれ』と。なんとなくチャレンジしている内に意味がわかってきた覚えがあります。『皆さん大勢へ向かって語るというのは結果的に伝わりにくい』というのを耳にタコが出来るほど聞かされました。ま、その後『しゃべりすぎだよ』って言われるようになるとは自分でも想像してませんでしたけど(笑)。
ちなみに、その『一人にしゃべるつもりでやれ』っていうのは音楽制作の現場でも似たようなことを同じようによく耳にします。プレーでも歌でも作詞でも作曲でも、大勢を対象にした心づもりでいるとどこか鯱張ってしまうということだと思います。これまた何となくわかります。(だからといってこの曲はあの人、その曲はこの人って具合いにきっちり限定対象がいるわけではないですけど(笑)

 ある個人的きっかけがあってそれを膨らませて膨らませて作品にしていくわけです。もちろん音も言葉も完成するまでに随分と色々な反すうを繰り返すので最初のきっかけをすっかり忘れそうになったりもしますが、作りながら変化してくのを楽しむという側面が制作ってもんには往々にしてあるので、曲をつくるきっかけという意味でです)いつだったかサリフケイタさんと対談した時に彼が教えてくれたのは『聞きに来てくれた人と、一本一本糸が繋がっているイメージで歌う』ということでした。『それは決して一対多ではないんだよ』と語ってくれたのが印象的でした。『初めて聴きにきてくれてる一番後ろの人に向かって歌え』というのもライブやコンサートでの心づもりでよく耳にする言葉です。もちろん前列を軽視しろということではないと思うんですが、きっとテンションを一点に絞れということだろうと思います。意味として同じでしょうけど『誰でもいいからお客さんの一人を決めて「今夜はあいつの為に歌う」って思って歌いなさい』なんてこともよく耳にします。まぁ要するにそれくらい一つ何かが張り詰めていないとステージはやっていけないョってことだと思いますけど、なんとも「伝える」というのはかくも難しくもどかしいことなんでしょう。その「伝えよう」という力みやよこしまさが、また邪魔をしたりするわけです。

 あれ?なんだか話しが逸れすぎてきましたね。4/26のリハが始まっているからでしょうか?ラジオの話しでしたよね(笑)
またチャンスがあれば、深夜だろうと早朝だろうとラジオのパーソナリティーはやりたいです。その時はまた宜しくお願いしやす。いままで築けたリスナーとの一本一本の糸をまたいつの日か繋いでみたいと思ってます。
2003/04/04 陣内大蔵


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