フィリピンから帰ってそのまま山口県宇部市にいったけど、その前後に何回か激しい通り雨がありました。直前まで滞在していた熱帯地域のスコールにも似たその雨が、折り返し地点のように思えてその後の風に少しだけ夏の終わりを感じてます。

さて、何から話そうかなって悩むくらいに夏の前半は色々な場所に行きました。福岡ブルーノートでは九州の人達の実直さ。山口県の有帆小学校では小学生たちの純朴さ。名古屋ブルーノートでは中部名古屋の独特な勢い。長野県のあづみ野国定公園では素敵な自然の中で出会った自然体の人達。・大阪ブルーノートでは関西独特の濃〜いパワー。それぞれに出会った人達のいい影響をうけて随分と勢いをもらいました。圧倒されたり癒されたり、刺激をくれたり分かり合ったりと本当に楽しかったです。その他にも大阪直前に、東京の小学生たちと高尾山へキャンプへ行き「手作り楽器をつくって演奏する」というプログラムにも参加。少々小生意気な高学年の男の子たちも「楽器をつくる」「皆でひとつの曲を演奏する」ってところに集中してくれてやり甲斐がありました。とにかく7月はそんな風にあちこちに行き沢山の人に出会った月でした。

そんな一ヶ月をあたまで整理しながら大阪ブルーノートの次の日の早朝、関西空港からフィリピンへと旅立ちました。あるプログラムに参加するためでした。それは様々な角度から今の現実のフィリピンを実際に経験するというもので、何年か前に参加した知人の話を聞いて是非参加してみたいと思ったのがきっかけ。そして今年その機会に恵まれたというわけです。マニラ経由でセブまで飛ぶ予定。ボンヤリとしていたらあっというまにマニラ到着。窓際だった僕は着陸寸前に見た風景に目を覚ましました。とてつもなく沢山のバラック街。空から見るとその半分錆びたトタン屋根でそれとわかるもので、海辺、川辺、線路沿い、空港周辺といったある意味ギリギリの土地にビッチリと延々続くんです。もちろんマニラは大都会ですから、遠くに高層ビルなんかの都市中心部も見えるんですけど、そのギャップというものは衝撃でした。少しは前知識として勉強していたつもりだったけど、直接目にするとその存在に対して感じるものが違ってくる。僕はプロテスタントのクリスチャンだけど、フィリピンの80%近くはローマカトリック教徒。10%ほどがプロテスタント。イスラム教が5%ほどという数字になります。セブ空港に迎えに来てくれた夫婦はそろって牧師さん。彼らのトラックに乗り込み、いや正確には荷台に乗り込んだんだけど(笑)いざホテルへ。

荷台の上は気持ちよい〜、、はずが、排ガス規制のないフィリピンだけに排気ガスが凄かった。変な東洋人が荷台に乗ってるもんだからジロジロと見られるし、、、でもその荷台から見た街の営みは普通の観光ルートでは見られないリアリティーがありました。それこそ車が停車すれば物売りの人達やストリートチルドレンがその排気ガスで溢れている道路の中を縦横無尽に行き来する。一角曲がるごとに香ってくる臭いが変わる。着いたのが夕方だったこともあってその喧騒は何かとっても絵になっていました。その日はとりあえずホテルへ。友人いわく「レオンが隠れてそうな部屋だなぁ」。まさにそんな感じ。ドアにはチェーンだの鍵だの三つ四つ付いているし、締め切ってもシャワーの水漏れは止まらないし、窓についている冷房はスイッチを入れると「ガタガタガタ」と凄い音で冷気を吐き出す。部屋の天井には一匹のヤモリもいるし、ベットサイドのランプの電球は切れている。「すんごい部屋だなぁ、、、」細かく考えていると気になってしょうがないところだけど、初日は旅の疲れで眠りにつきました。まさかその部屋が実は天国のような環境だとも知らずに。

そこからの2週間弱の旅はここには書ききれない程本当に沢山の経験をしました。セブ島、ボホール島、ネグロス島での日々でしたけど、エネルギー溢れている市場、小さな小さな町、山奥、島、、、、。ランダムに挙げていくだけでも切りがありません。日本のODAが現地の状況を悪化させてしまっているダムの現地視察(きっと書類上・手続き上は問題ないのでしょうが)、日本軍からの解放を記念するモニュメント、刑期未決者の拘置所内(裁判の進みが遅く何年も拘留されるそうだ)、何百年も前にたてられた大聖堂でのカトリックのミサ、山奥の小さな小さな教会、村の村長さん宅、一般的といわれている家族宅での宿泊、入り江のバンブーハウス(竹で出来た小屋で水の上に出来ている。寝るのは痛かったぁ〜)での宿泊、海葡萄の養殖場(いいものは全部日本にいっちゃうらしい)、花火工場、延々続く計画停電の中での夕食、やはり色っぽかった?水牛たち(いつかタイで見た感じを思い出しました)、、、まだまだあるけど、めくるめくその体験に頭が追いつかない感じでした。場所によってはまだまだ日本人に対して嫌悪感をもっている地域もあったり、逆に、ボロボロになって流れ着いた日本兵はそんなに酷いことはしなかった、と好意的な地域もあったり、日本の会社が引き起こした環境汚染の問題が近くにある故の複雑な感情があったりと、行ってみないと分からなかったそれぞれのリアリティーが迫ってくるちょいと社会派な旅でした。

一番印象に残っているのはある山の中のお宅に訪問したとき。そこには70歳くらいの寝たきりのおじいさんがいて、突然の日本人の訪問に驚いてらっしゃいましたけど、徐々に色々な記憶が蘇ってこられて語り始められました。当時子供だった自分に優しくしてくれたたった一人の日本兵がいた話。日本軍の酷い仕業の話。日本兵として派兵されていたコリアンソルジャーが赤ん坊を放り投げ銃剣で突き刺したのを見た話。語られているおじいさんも涙があふれていて、僕もこらえるのに必死でした。一緒に行った中に在日韓国人の友人もいて、その日は重い重い気分の中、色々な角度で話し合えました。僕の小さな想像力を使って考えただけでも、その赤ん坊の親の気持ち、それを見たおじいさんの気持ち、コリアンソルジャーにその行為を命じた日本兵の気持ち、日本兵として無理やり派兵されてその行為をしてしまったコリアンソルジャーの気持ち…。現代もそうだけど、戦争っていうのは一旦始まってしまうとその語るも恐ろしい狂気というものが止まらなくなる。「憎しみや恨み」といったものが絡み合ってほどけない糸のように入り組んでしまうと感じました。そうそう簡単には解けない状況を作り出してしまう。山口という広島の隣で育って、反戦の学びっていうものは結構自主的にもしてきたつもりでしたけど、今回あらためてリアリティーを感じた「戦争ってものをそもそも始めてはいけないんだ」ということを刻みました。

あまりに沢山の経験だったので結論めいたものはまだないんだけど、様々なリアリティーは確実に僕をインスパイヤしました。垣間見てきた程度ですが、単なる知識と実際に触れてくるということはこんなにも違うのだなと感じています。少々硬いエッセイになってしまったけど、ちなみに帰国直前に最初の夜に宿泊したのと同じホテルに泊まりました。あの時は「まいったなぁ」なんて感じていたその部屋が、実はなんと環境がよい贅沢な場所であるかということに気付きました。いやはや、少々の場所ならばどんなところでも寝られるぞ、という妙な自信がついた旅行でもありました。1日だけリゾート的にアポ島という小さな島にいきました。めちゃくちゃ海が綺麗でダイビングのメッカだそうです。海で泳ぐのって何年ぶり???ってよくよく考えると12年ぶり!シュノーケリングを楽しみました。その日の空も風も海もそれはそれは贅沢な状況でしたけど、よくよく考えると今回の旅のどのシーンをとっても、目の前のヘビーさとは別に、美しい空・風・海ってものが心に張り付いていた旅でした。

さて、ザックリと話を変えますと、、、、今年もまた年末にソロライブやります!!しかも日にちは12月25日の日曜日です。場所はスターパインズカフェ。まだ詳細は全く決まりませんが、日程が決まったのでお知らせします。それから恒例の田村直美ネーさんとクリスティーナさんとの「聖夜」は今年はお休みします。また来年に向けて準備していきますのでどうぞよろしく。

2005/08/28 陣内大蔵


BACK NUMBER / 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
[更新]