西国の雄 毛利元就

一、毛利元就の年表(Part2)


毛利元就の31歳から50歳までの年表です。→51歳から75歳までの年表はこちら

  年 号    西 暦  年齢               主 要 な 出 来 事              
享禄 元年






享禄 二年

享禄 三年

天文 二年





天文 三年

天文 六年

天文 八年

天文 九年


天文 十年





天文十一年

天文十二年

天文十三年

天文十四年

天文十五年
1528年






1529年

1530年

1533年





1534年

1537年

1539年

1540年


1541年





1542年

1543年

1544年

1545年

1546年
32歳






33歳

34歳

37歳





38歳

41歳

43歳

44歳


45歳





46歳

47歳

48歳

49歳

50歳
10月 元就は周防山口の大内義興の元へ井上新三郎を人質として派遣。
出雲尼子氏と交を断ち、大内氏へ服属する。
尼子氏の人質であった毛利氏重臣赤川就秀、光永秀時は出雲月山富田城から
脱出するが、光永秀時は追手により討ち死。赤川就秀のみ生還する。

12月20日 大内義興没す。嫡男義隆、大内氏の家督を継ぐ。

高橋弘厚とその子興光を謀略により自刃させ高橋氏を滅ぼす。

次男松寿丸(後の元春)、吉田郡山城に生まれる(生母は妙玖)。

従五位下に叙され、右馬頭に任ぜられる。

三男徳寿丸(後の隆景)、吉田郡山城に生まれる(生母は妙玖)。

安芸高松城城主熊谷信直と服属契約を結ぶ。

安芸甲立五龍城城主宍戸元源と婚約により修交。

長男隆元を大内義隆の人質として山口に送る。

4月 陶興房病没し、陶隆房(後の晴賢)陶氏の家督を継ぐ。

9月 尼子詮久(後の晴久)、三万の軍勢を率いて安芸吉田に来攻。
吉田郡山城を囲む。

1月14日未明 尼子軍、安芸吉田より総退却。

5月13日 安芸佐東郡銀山城陥落。城主武田信実、出雲へ敗走。

11月13日 尼子経久没す。

1月 大内義隆、尼子氏を討つため出雲月山富田城へ遠征。

5月 大内義隆、出雲遠征失敗、退却す。

三男隆景、小早川氏を継ぐ。

11月30日妙玖(元就夫人)没す。

長男隆元に家督を譲る。

製作者:安芸中納言
2009年12月6日


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