西国の雄 毛利元就

第一回目 『吉川氏ゆかりの地、岩国』のレポ−ト


今回最初に取り上げるのは吉川氏ゆかりの地、山口県岩国市です。慶長5年(西暦1600年)関ヶ原合戦の後、
毛利元就の孫で、吉川元春の三男の吉川広家が出雲国富田月山城十二万石から周防国の東部、岩国へ三万石
(後に六万石)で入封したことにより、吉川氏ゆかりの地としての歴史が始まります。
また、岩国藩は吉川氏がその地に移封されてから明治に至るまで、歴代の藩主が善政をしき岩国を繁栄に努めたこと
でも有名です。
なかでも岩国市北部を流れる錦川に架かる錦帯橋はその形が五連のア−チをえがいているところから日本三名橋の
ひとつに数えられ岩国一の観光名所として今でも広く知られています。
・・・というわけで第一回目は山口県岩国市の体験レポ−トをお送りいたしますm(_ _)m



一、『錦帯橋』

今年(2001年)8月下旬、私は実家(広島)に帰省したことを幸いに、吉川氏ゆかりの地山口県岩国市を訪れました。
JR山陽本線で岩国駅で下車し、そこからバスに乗ること約20分強・・・岩国のシンボルでもある錦帯橋に到着しました。
錦帯橋は延宝三年(1673年)、三代目藩主吉川広嘉の建造により、岩国を貫通する錦川に架けられた唯一の橋であり
城郭のある横山と城下町錦見を結ぶ城門前の大手橋でした。
渡った感想は、橋から眺める風景がとてもきれいだったことと、思っていたよりも渡りづらかったことです(^^;)
ア−チが思ったより急だったので途中何度か蹴躓きそうになってしまいました。。。(←ドジなもので。。。(>_<))
ですがその噂にたがわぬ美しさに、しばし橋上で遊んでしまいました♪(笑)

    
美しい五連のア−チをえがく錦帯橋

    
すごい傾斜に蹴躓きそうになる・・・(^^;)

    
錦帯橋の橋上から錦川上流を望む


二、『吉川広嘉公銅像』


三代目藩主・吉川広嘉公!!
三代目藩主吉川広嘉の銅像は錦帯橋を渡って正面の公園(吉香公園)にありました。
上にも書いたようにこの吉川広嘉が錦帯橋を錦川に架けます。
ちなみに錦帯橋が五連のア−チをえがく橋となった理由は、明の帰化僧で医師でもある
「独立=どくりゅう」の所持していた『西湖遊覧誌』という書物を吉川広嘉が拝見したところ、
その書物の中で湖に点在する島づたいに石橋が架かる挿絵があってそれをヒントに
錦川に小島のような橋台を築き、そこに頑丈なア−チ型の橋を架ける構想を思いついたそうです。


三、『吉川経家弔魂碑』

吉川経家とは吉川元春の同族で石見吉川氏の嫡流、石見福光城城主吉川経安の子で、
天正八年(1580年)因幡鳥取城城主として織田信長によって中国経略を命じられた
羽柴秀吉の軍勢と戦った人物です。
この合戦は鳥取城を包囲した秀吉の周到な兵糧攻めによって城方の兵糧が底をつき城方は
飢餓状態となり、その惨状を見兼ねた吉川経家は城兵の助命を条件に自刃。
ついに鳥取城は落城します。
この吉川経家という人物は大変士魂のある武将で、鳥取城に入城するに際しても自らの首桶を
持参し、その覚悟のほどを城兵にしらしめ、また落城に際しても秀吉から「経家は切腹無用」と
二度に渡って伝えて来たにも関わらず頑としてこれを拒み、とうとう秀吉にこれを承認させ
見事に切腹しました。享年三十五才。
ちなみにこの弔魂碑には鳥取城の石垣十二個が使われているそうです。
私は彼の弔魂碑が岩国にあることを訪れるまで知らず、大変驚きました。また、それと同時に
吉川家が彼の尊い犠牲を忘れずに弔魂碑を建てしっかりと弔っていることを大変嬉しく思いました。

 義士・吉川経家の弔魂碑


四、『吉川史料館』


吉川史料館正面

 次に訪れたのは今回の岩国訪問で一番行きたかった吉川史料館です。
 当サイトでいつもお世話になっている法城寺さまにこの吉川史料館を勧めて頂いたこと
 が今回の岩国訪問のきっかけにもなりました。
 吉川史料館は年に何度も展示品の入れ替えがあるらしく、私が吉川史料館を訪れた
 ときには書物や書写を中心に展示がしてあり、太平記(元春
の書写)40巻、
 古今和歌集(経基の書写)、平家物語、源氏物語、枕の草子、一丿谷合戦屏風、
 源氏絵などが展示されていました。

 また実際に展示はされていなかったものの、パネルで吉川広家所用の
 「龍の丸具足紫糸威」や「狐ヶ崎の太刀」が紹介されていて大変面白かったです。
 これらの他にも山中鹿之介の兜や元春所用の兜、また徳川家康からの書状など
 大変貴重な歴史資料や美術工芸品をまだまだ収蔵しいるらしく、
 それらを是非この目で見るためにもまた足を運びたいと思います♪


五、『岩国歴史美術館』

全国でも例の少ない武具の展示館で、奈良時代から江戸時代までの
甲冑・刀剣・陣羽織など古武具六千点が収蔵されており、
「川中島合戦図」は注目すべき一曲だと伝えられています。
ただ、私が訪問したときは休館しておりました。。。う〜ん、非常に残念(^^;)
   
  残念ながら休館だった岩国歴史美術館


六、『岩国城』

岩国城は慶長十三年(1608年)、三層四階の上に物見を置くという、「桃山風南蛮造り」の白亜の天守として横山山頂に
竣工しましが、その七年後、元和元年(1615年)の徳川幕府の一国一城令によって岩国城は破却されました。
この岩国城の破却に関しては、当初岩国藩としては一国一城令は徳川幕府から萩本藩を通じて送られた布令であり、
周防国には岩国城だけであるから破却には及ばないと思うということを萩本藩に回答したが、萩本藩からは重ねて
岩国は長府と同様に、という毛利輝元の意向が伝えられ、ついに破却を指令したそうです。
ちなみに、現在の天守閣は昭和三十七年に古図面から復元されたものです。
山頂へはロ−プウェ−で上り、その城山山頂からは眼下の錦川や城下町だけでなく、遠くは瀬戸の島々や四国の山並み
も望むことができます。
ただ、残念ながら私が訪問したときには平成十三年芸予地震の影響により岩国城内には入れませんでした。
このことと、「岩国歴史美術館」も休館で入れなかったこととを合わせ、独自の判断で今回は岩国城山頂には上らず、
次回の岩国訪問時に「岩国歴史美術館」と合わせて岩国城山頂に上ることにしました。。。

           
       岩国城山頂へ向うロ−プウェイ

        
     錦帯橋が架かる錦川対岸から岩国城天守を望む 


七、『シロヘビ』

岩国は世界的にも稀なシロヘビの繁殖地で、岩国のシロヘビは全国的にも有名で国の天然記念物にもなっています。
また、弁天様のお遣い、金運・幸運を招くと言われるシロヘビは商売繁盛の祈願に訪れる人たちで賑わっているそうです。
私が見たときはシロヘビが4〜5匹ほどいましたが暑いからかシロヘビ君たちはなんだかへばりぎみでした(^^;)
実際にシロヘビを見たときにその真っ白さに驚き、しかもそれが代々遺伝して続いているなんてとても珍しいなぁと
思いました。シロヘビさま〜!!どうか私めの金運&幸運もUPさせて下さいませm(_ _)m(←心の叫び。。。)

              
        シロヘビさま〜ッ!!ニョロニョロ。。。

        
暑いよ〜。。。・・・とさすがのシロヘビさまもへばっております(^^;)


八、『吉川家墓所』

 
 初代藩主・吉川広家の墓所 
 その名の通り、歴代吉川藩主が眠る吉川家の墓所で、壮大なスケ−ルの五輪の塔が立ち並ぶ
 貴重な石像文化財です。私の一番のお目当ては初代藩主・吉川広家のお墓だったのですが、
 大体の藩主さまのお墓は山のふもとの平坦なところにあったのに対して、初代藩主・吉川広家
 や十二代藩主・吉川経幹の墓所は山の中にあったので、そこまで行くのに大変苦労いたし
 ました。(←暑かったし。。。(^^;))
 ちなみに前者の墓所は「寺谷のお塔」、後者の墓所は「山のお塔」と呼ばれているそうです。
 また、歴代吉川藩主だけでなくその正室の方々のお墓もあり、特に熊谷信直の娘で、
 吉川元春の正室となり、吉川元長と広家の母でもある慈光院のお墓を見つけたときは
 嬉しかったです♪
 苦労して山登りした甲斐がありました(^o^;)


九、『紅葉谷公園(六角亭)』

紅葉谷公園は古くからあったいくつかの寺の庭園を公園化したもので、
その一隅に朝鮮(碧蹄館へきていかん)からのエキゾチックな
建物六角亭があります。
また、樹齢300年を超える臥竜の梅も観ることが出来ます。
紅葉の見頃は11月中旬ぐらいなので是非その時期に一度訪れて見たいです♪ 


異国情緒がただよう六角亭


十、『香川家長屋門』


香川家長屋門正面

 香川家長屋門は、岩国藩家老香川氏の表門で、1693年に香川正恒の時代に
 名匠大屋嘉左衛門によって建造されたそうです。
 香川家は、はじめ芸州(安芸国)八木城主で、吉川家が岩国に移封された当時、
 客分から家老に取り立てられた名門の家柄と伝えられています。


十一、『中世の武家屋敷 目加田家住宅』

18世紀中頃とみられる中級武家屋敷の数少ない遺構で、
国の重要文化財に指定されています。
既に250年近くも経ちながら、今なお当時のままの姿が良く保存されている
と聞き、大変驚きました。
目加田家は、天正年間に吉川元春に召抱えられ、その後、吉川家が岩国に
移封した際に藩主・吉川広家に従いこの地に居を構えたそうです。
この屋敷には監視役兼、案内役の方がおられ、その方から色々な貴重な
お話を聞かせていただきました。
昔ながらの形で屋敷を保存する大変さが良くわかりました。
また、瓦の形が岩国独特の形状だそうです。

 
 昔ながらのたたずまいを保っている目加田家住宅




《今回の岩国訪問の感想》

今回、初めて岩国を訪問し思ったよりこじんまりとしていましたが、その分ゆったりしとして和やかに過ごせて大変良かった
と思います。また、自然が多く残っておりその景観もとてもきれいで良かったです。
今回の訪問で一番印象に残ったのは、やはり岩国が誇る日本三名橋のひとつ「錦帯橋」でした。
その理由を考えたときにある本の中で先の岩国城取り壊しと錦帯橋とを関連づけて、「岩国藩は幕末に至るまで毛利宗家の
支藩としての悲哀を辿り、岩国城取り壊しの悲憤を藩主藩民は良く耐え忍び、謀反の志を抱いたり、卑屈の態度を身に付け
ることもなく、内面的陶冶と文武の養成に尽力し、天守に代わるもの、岩国文化の象徴として創り出したものが錦帯橋である
ために岩国を訪れる人々の心を捉えて離さないのだろう。」という文章を読み痛く共感しました。
いずれにしても、「錦帯橋」は本当に素晴らしかったです。
ただ、今回は残念ながら見れないところも多々あったので次の機会に是非、岩国訪問を再チャレンジしたいです!!
みなさまも機会があれば、是非一度岩国を訪れてみてはいかがでしょうか?


その他、『おまけ。。。』

   
 錦川の川原で遊ぶ人々(錦帯橋上から撮影)
 岩国には自然が残っていて良い感じです(^o^)/


女流文学者、宇野千代は岩国出身。
(写真は宇野千代の代表作「おはん」の文学碑)

      
岩国の猫。寝ていたので撮影しようと思ったら
起こしてしましました。。。ごめんなさいm(_ _)m


  帰りがけには祖父母へのおみやげに錦帯橋の置物と、岩国の絵葉書を買って帰りました〜(^o^)/

製作者:安芸中納言
2001年9月17日


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