「世界のササキ」のドラマを(ほぼ)すべて見ることができる慶び

            ―――日本映画チャンネル「RESPECT 佐々木昭一郎」を見る(2006.6.25-7.23に加筆)

2006年6月から7月にかけて、「日本映画チャンネル」で「RESPECT佐々木 昭一郎」という特集が組まれた。
NHKのディレクターであった佐々木昭一郎が演出するドラマ16本を、一挙に公開するという試みである。
私自身も「四季・ユートピアノ」など数作品はりアルタイムで見ていたものの、それは偶然の賜物であったし、
その他のいくつかの作品についても、NHKアーカイブスや映画祭「TAMA CINEMA FORUM」で見る機会があっても、
その全貌は明らかにされることはなく、伝説ばかりが先行するような幻の作家だった。

そもそも、ドラマは放送されたまま忘れ去られるのが常であるし、
ごく稀に再放送されることはあっても、放送後、10年以上たっても待ち続ける人がいて、
しかも、それがNHK職員が演出する単発ドラマの連作であるというのは、本当に稀有なことだ。

そんなNHKアーカイブスでの再放送や映画祭「TAMA CINEMA FORUM」における特集にしても、
すこぶる敏感なアンテナによって「佐々木昭一郎」を察知し、その作品に心揺さぶられた先人たちが少なからずいて、
そんな佐々木昭一郎をまさに「リスペクト」する人たちの尽力によって生まれたものだ。

まして、その全作品を見る機会など望んでも実現するとは思えなかった。
いち早く佐々木昭一郎を発見し、その作品が発表される機会を丹念に追いかけてきた、
ごく少数の「選ばれた者」だけが享受することができた「佐々木昭一郎・演出のドラマをすべて見ること」が、
衛星放送やCATVの加入者という限定付きではあるものの、
佐々木ファンである「一般の善男善女」でも受け取る機会が与えられたのである。

この幸福を享受せずして、どうする。
そんな気持ちで、あわててCATVの多チャンネル契約を行い、その録画方法も付け焼刃で勉強し、待機した。

それにしても、単なるNHKのディレクターでしかなかった佐々木昭一郎が、
なぜ日本の若手映画監督に強い影響を与える「映像作家」として高い評価を得ることとなったのか。
あるいは、たまたまNHKのドラマを偶然見ただけの多くの人々が、
その記憶を大切に残したまま「佐々木昭一郎特集」の機会を待ち望んでいたのか、
そんなものを自分で確かめることができる貴重な機会となったのである。
(といいつつ、一部の作品については録画に失敗している。
それでも、多くの佐々木ドラマを見る貴重な機会であったことは変わりない。)

なお、「RESPECT佐々木昭一郎」というタイトルは、2001年・2002年に「TAMA CINEMA FORUM」において
「佐々木昭一郎特集」が行われた際のサブタイトルでもある。

    1  「マザー」(1971)を見る(2006.6.30)

舞台は、1969年の神戸。高度経済成長を象徴する大阪万博を翌年に控えて、街も活気づいている。
孤児のケン(後の佐々木作品でも登場する横倉健児が演じる。当時10歳ぐらい。)が、「みなとの祭り」にわく神戸の街をめぐる。
途中、「児童相談所らしい女性職員に保護されるが、そこから逃げ出す」というのが、ありそうでありえない独特のストーリーである。

冒頭は、いつもの佐々木流のモノローグ。
より正確には、初演出作品から、主人公の独白という佐々木ドラマらしさが登場しているということだ。
なかなか「さまにならない」人の方が多い癖のあるモノローグを、子役の横倉健児は違和感なく語ってくれる。
つまり、佐々木が用意した役柄にうまく入り込んでいるということだ。少年がなぜそこにいるのかは語られない。
あるのは、少年の目から見つめ返された街だけだ。カメラは、そんな「少年・ケン」の視線を追う。

音楽の使用は少ない。かつての街頭録音さながらに、雑踏の生音がBGMとして 使われる。
このあたりは、佐々木がラジオ出身ということが表れているようだ。
ざわざわといろいろな音が混ざりあった画面からは、目の前に起こっている出来事が主人公のためにしつらえられた空間ではなく、
人々のあたりまえの暮らしの延長線上にあるというような、ドキュメンタリーに近い生活感や臨場感を生む。

そんな街を少年ケンは歩く。家族のいない少年にとっては、
その雑踏を作り出している「人々のあたりまえな暮らし」は、望んでも得られないものだ。
それは、彼の前を行き過ぎる祭りのパレードに似ている。いくら追いかけても、パレードには追いつけない。
ほんのひと時、華やかなパレードは心を晴れやかにしてはくれるが、いつまでも終わりのないパレードなどない。
 
外国人女性に語りかけるのは、幻の母を求めているからだろうか。(港町・神戸には、外国人には事欠かない。)
「何してるの」「どこから来たの」から始まるとりとめのない会話が、少年と女性を結びつける。

互いにたどたどしい日本語で交わされる二人の会話は自然で、作られたセリフを無理に言わされているのとは異なる強さがある。
 「人間、死んだら、また生きかえるのかな。」
 「死ぬぅ?」
 「死んだら、どこ行くかな。」
 「それ、わからない・・・」
それが少年の質問に対する答えなのか。単に日本語がわからなかったのかがわからないまま、会話だけが進んでいく。

ときどき、見晴らした海を静かに船が横切るカットが挿入される。
寂しげな口笛の音色が少年の境遇を思い出させる。静かに時間だけが通り過ぎる。 
 「メール。フランス語で、海とお母さん、同じね。」
親しくなったスイス人女性が教えてくれた。母とは海のようなものであるらしい。

確かに、目の前に広がる風景としてならば、母も海も見ることが出来る。
しかし、どれほど親しくなれたとしても、女性たちが少年の母になるわけではない。
日本では異邦人である彼女らにも、故郷や家族がある。

少年には「母」のイメージがない。イメージがないからこそ、追い求めてしまう。
イメージがないからこそ、何によっても充たされない。それが持たざるものの心情だ。

そんな母なるものへの思いに対して、あなたはどう答えるのだろう。
 「あなたにとって、母ってなんですか?」
そう問われているかのようなドラマだった。


    2 「さすらい」(1971)を見る(2006.6.25)

中学を卒業した孤児のヒロシが施設を出て看板屋に就職する。
しかし、歌手志望だった先輩が辞めてしまったのをきっかけに、自分も特に理由もなく仕事を辞め、
サーカス、大道演劇集団、氷屋と、世の中を「さすらい」ながら成長するというロードムービー的物語である。

ヒロシをさすらわせるのは、どこにいても居場所がないという感覚だ。
家族を知らないということもあるだろう。しかし、それだけではなさそうだ。
どこか間違っている世の中、なぜか実感がわかないニセモノの人生、どこかにあるはずのホンモノの暮らし。
確かに、1970年前後の時代感覚には、そんなどこかにあるはずの理想郷を求めるような気分がまじっていた。

そして、主人公としての孤児。もともと世間かせら放り出されている孤児は、汚 れちまった世の中を打ち抜く聖なる存在だ。
それは(「マザー」もそうだったが)、当時の佐々木昭一郎がともに仕事をして、
また強く影響を受けていた寺山修司好みの世界である。

そのためだろうか。登場人物も、けっして社会の中心にいる人たちではない。
映画の看板屋にとって、繁華街とは娯楽を得る場所ではなく、納品に行く場所だ。
サーカス団や大道演劇集団は、旅回りをしながら人々の暮らしを、ほんの一瞬だけかき乱すトリック・スターである。
氷屋の仕事は、人通りのない(夜とはうって変わった)昼間の歓楽街に氷を届けて歩くことだ。
音楽も、後の佐々木昭一郎作品ではおなじみのクラシックは登場しない。
若者たちはギターを手に自作のフォークソングを唄い、大人たちが憩う酒場にはジャズが流れている。

それにしても、1971年の15歳というのは、こんなに素朴で素直だったのだろうか。
社会の側にも、人生に「さすらう」ことを許す幅がずいぶんあったようだ。
本当は、同じような社会の隙間は今でも変わりなくあるのかもしれないが、
今の世の中ではどうにも見えにくくなっているようである。
はみだしたり、さすらったりする前に、先回りした絶望ばかりが目につくというような。

看板屋の先輩に、友川かずき。今や知る人ぞ知る伝説のフォークシンガーだが、当時はまだ歌好きの青年だった。
赤いミニのワンピースが印象的な少女に栗田裕美。後のアイドル女優・栗田ひろみだが、この時はまだ中学生。
ジャズを歌う女に、笠井紀美子。ジャズヴォーカリストとして名をはせるのは、もう少し後のことだ。
なぜか、フォークシンガー・遠藤賢司が「カレーライス」を無人の野外音楽堂で唄う場面もある。

すでにプロデビューをしていた笠井紀美子や遠藤賢司はともかく、友川かずきが完全に素人として出演していたのが印象深い。
私にとっての友川かずきは、茶木みやこの「風が欲しい」の作詞者としてある。
この曲は、私の10代を支配し続けていた曲の一つだった。
つまり、私は微妙に間に合っていない世代なのだが、特別であり懐かしい名前なのだ。

当時のリアルな友川かずきも、飯場で働きながら詩や歌を作り続けていたらし い。
友川の公式ファンサイトを見ても、「さすらい」出演は載っていない。
本格デビューは1974年なので、プロとしての仕事ではないという位置づけなのだろう。

ちなみに、友川かずきプロフィールを見ていると、
後に「さすらい」の中で後半に登場した大道演劇集団「はみだし劇場」と交流していたらしい。
ドラマ内での接触はまったくなかったはずだけにおもしろい。
佐々木昭一郎が「さすらい」を作る上で必要としていた何かを、
友川かずきも「はみだし劇場」も持っていたし、ともに大切にしていたということだろう。
「同じ匂いがした」とでもいうべきなのか。

少年の成長物語ということよりも、
作品全体に流れていた社会の周縁ギリギリで生活しているというような「匂い」が妙に懐かしかった。
といっても、10年ほど遅れた世代である私自身は、その残滓を感じただけに過ぎないのだけれど。


    3 「夢の島少女」(1974)を見る(2006.6.30)

佐々木昭一郎が、高校生の中尾幸世を「発見」して生まれた作品。
テーマ音楽は、パッヘルベルのカノン。

少年・横倉健児は、ヘドロの川から打ち上げられた少女・中尾幸世を発見する。
少年は少女をなんとかおぶって自宅のオンポロアパートに運び込むが、少女は記憶をなくしているのか何も話さない。
かくして、アルバイト暮らしの少年と、浴衣のまま部屋で一日暮らす少女との奇妙な同居生活が始まる。

少女の夢らしきものの中で、少女の過去が浮かび上がる。
 ・ 故郷である海辺の中学では、優等生であったらしいこと。
 ・ 両親をなくしたこともあって、東京に出てウェイトレスの仕事をしていたこと。 
 ・ 羽振りのいい客に無理やり言い寄られて、最初は嫌がってはいたものの押し切られ、
いつのまにか愛人のような身になっていたらしいこと。
そこまでの記憶らしきものが夢の中の出来事として再現されたところで、あるいは、少女がそんな自らの記憶を取り戻したところで、
突然、少女は少年の部屋から消える。

そして、そのあたりから、物語は錯綜する。
 ・ 少女は一人列車で郷里に帰ったようでもあり、少年はそれを追っているようでもある。
   しかし、郷里の町を歩く少女を追う少年の後ろを歩いているのは、中学時代の少女のようでもある。
 ・ 少年は少女を無理やり愛人にした男を恨み、ついには殺してしまったようでもある。
   しかし、それでいて大人の社会に戻った少女からは、少年は子ども扱いをされて相手にされていないようでもある。
 ・ 郷里の海岸で少年と少女は感動の再会したようでもある。
   しかし、すでに海に身を投げた少女は海岸に打ち上げられてしまっていて、その葬列を少年が見ているようでも ある。
同じような場面が繰り返されながら新しい場面がどんどん展開するという点で、
同じフレーズが繰り返しうちに音が重層化していくパッヘルベルのカノンを意識させる。

というわけで、男に翻弄された女の業のようなものを示唆しつつも、
正面からドロドロした大人の世界を描くことは避けて、わかりやすい結論はださないまま美しく終わったというイメージである。
(詩人であり、当時、NHKのカメラマンでもあった鈴木志郎康が脚本に参加したことが、影響している部分もあるのだろうか。)

そして、とにかく「少女・中尾幸世」がエロい。
この作品で佐々木昭一郎は、「中尾幸世」という少女に対して、大人の色恋を描くという作・演出上の意図を免罪符にして、
当時のNHKに許される限界であろう範囲で、好きなようにもてあそぶ。
本当は、もっと踏み込んで描きたかったのかもしれないが、
NHKのドラマでもあり、中尾さんがリアルな高校生なので、なんとか制作上の歯止めをかけたとように見えた。

ひょっとすると、似たモチーフが登場する、かの名作「四季・ユートピアノ」は、
「夢の島少女」での中尾幸代へのふるまいに対する贖罪として制作されたのではないかとも思わせるほどだ。
そう思ってみると、「A子ドラマ」に登場する男性は、皆、年寄りか子ども、そうでなければ愛妻家ばかりであるし。


    4 「紅い花」(1976)を見る(2006.7.1)

「紅い花」は、多摩のフォーラムで一度見ている。
そのときの感想は、すでに書いている。二度目だが、基本的なイメージは変わらない。

まず、ビデオである。距離感が全然違う。美しいことは美しいのだが、いかにも「スタジオで撮影されました」という画面になる。
しかも本職の役者たちがきっちりと演技をするので、「つげ義春」独特の土俗的な匂いは除菌されたかのように消え去ってしまう。
児童劇団の子どもたちが駆使する滑舌の良い標準語は、佐々木ドラマよりも少年ドラマシリーズに似つかわしい。
トークで、佐々木昭一郎が局の方針で無理やり児童劇団を使わざるを得なかったことを苦々しく語っていたことを思い出す。

ただし、佐々木ドラマに共通するイメージは残る。
男たちは、相変わらず忌まわしい戦争の記憶を拭い去ることが出来ないし、
少女が着ている紅い柄の浴衣は、「夢の島少女」に続いのて登場だ。
「古本と少女」パートに登場した赤のカーディガン、
「さすらい」から「夢の島少女」に流れるミニの赤いワンピースも含めて。
佐々木は、少女を赤で象徴させるのが好きだ。(ある意味、直球の選択だが。)

前半の「紅い花」パートは、「シンデンのマサジ」が好演したおかげで、「少年ドラマシリーズ」だと思えば良い仕上がりだ。
突然、ページをめくったように続けられた「古本と少女」パートも悪くはないが、木に竹を接いだような印象を否めない。
(実は、間にもう一つくらい話をはさんでいるようだが、どの話なのか思い出せない。)

また、ドラマの最初と最後に置かれた「橋を通って川を下る」という映像は、
佐々木ドラマではおなじみの「トンネルを通り抜ける列車」の画像に通じる。
正面に小さく光が浮かんで段々と広がって明るい外に出るというパターンは、
ひょっとすると出産時の記憶を再現しているのではないかと空想する。

本人の言によれば、制約が多く、あまり佐々木らしさが出せなかったということだが、
佐々木度100%というような作品ではかえって見えにくい、小さな佐々木らしさを発見することができる作品といえそうだ。


    5 「四季ユートピアノ」(1980)を見る(2006.7.2)

この作品についても、すでに書いている。
それも、何度も見返したり脚本も見ながら書いたので、作品そのものについては頭に入っている。
今回、改めて書くとすれば、「マザー」から「紅い花」という佐々木作品の流れをふまえてということになる。

まず、気になったのは「赤」。少女時代の着物や成長した栄子のシャツの色として使われている。
単純に考えれば、「紅い花」的な意味から始まる日本独特の色彩感覚である「女の子色」ということになるのだが、
どうやらそれだけの意味ではなさそうだ。

「さすらい」での栗田裕美、「夢の島少女」での中尾幸世の登場は、
白黒の画面が突然カラーになったような強い印象を与えてくれた。
それは、華やかさと同時に、少年が触れてはならないような聖性も帯びていた。
あるいは、少女による警告色と言ってもよいかもしれない。
(たとえば、「夢の島少女」で大人の男と一緒にいる時の少女の服は紺色である。)
その聖なる色である赤のシャツを着て男たちの視線をはねのけることで、
栄子は社会の荒波をはねのけ、調律師としての自分を獲得していったかのようだ。

もう一つは、上でも書いた佐々木の「贖罪」である。
「下校時に男に追いかけられる」という同じシチュエーションを使って、
「夢の島少女」では陵辱(を示唆する表現)を、「四季ユートピアノ」では人の優しさとして描いた。
それゆえなのか、「夢の島少女」では「放射能が出てる」と葛城カメラマンが言ったらしい中尾さんの目の力は、
「四季ユートピアノ」では「登場しない/必要とされない」。

象の場面で登場したサーカス団は「さすらい」にも登場している。
声をかけてくれた綱渡りの女性は、「さすらい」のときの綱渡りの女性だろうか。
別れの場面のピエロの男性は、「さすらい」の空中ブランコの男性のようだ。
10年近い時が経過しても、「当たり前の暮らし」を逸脱したサーカス団という存在、
あるいは、そんな生き方をする人々が、佐々木昭一郎の心のうちにずっと引っかかっていたのだろう。
そう考えると、それまでの佐々木作品とくらべれば、「調律師」というのはずいぶん社会の中心に近い職業だ。
少なくとも、ジャケットを着ている。

「四季ユートピアノ」は、誰もが認める佐々木昭一郎の傑作である。
その理由の一つは、それまで(「寺山的」と言うべきだろう)「土俗的な情念」にとらわれていた佐々木昭一郎が
ようやく自分自身の「とらわれ」から一歩踏み出し、客観的なものとして「作品」を作ることが出来たということなのかもしれない。

つまり、「調律師のA子」は佐々木がとらわれていた情念を浄化し、その作品を 一般化する回路として作用していたということだ。
この作品によって佐々木昭一郎は世界から注目されることとなった。
と同時に、佐々木昭一郎自身もまた「調律師・A子」とともに世界へ旅立つことができたのである。

まるで佐々木昭一郎が「調律 師・A子」を獲得すことによって、世界をも浄化する能力を獲得したかのように。


    7 「アンダルシアの虹」(1983)を見る(2006.7.5)

きちんと録れていたはずの「川の流れはバイオリンの音」が再生しない。
理由はよくわからないが、とりあえずは先に進むしかない。

というわけで、「アンダルシアの虹」を見る。テーマ楽器は、ギター。
今回の栄子は、とても「音の探求者」とは思えないほどはじけている。
部屋を貸してもらっている「ジプシー」(これは蔑称であり、現在は「ロマ」と呼ぶべきとされる。)の一家の影響もあるのかもしれない。
あるいは、乾いたアンダルシアの空気がそうさせる部分もあるのだろう。  
一応、ギターを作ったり、小鳥の鳴き声の笛を作ったり、フラメンコの踊りを見たり、という音楽的な体験も一応はやっている。
 
しかし、それよりずっと印象的なのは、下宿する際の条件だった「家族の仕事を手伝うこと」の方だ。
洞窟掘りのまねごとをしたり、野菜を市場で売ってみたり、壁を漆喰で白く塗ったり、
アンダルシアの青い空のもとでさまざまな仕事をやっている。
流暢なスペイン語で売り声を上げているA子の姿からは、(「四季ユートピアノ」のような)日本的な感傷の入り込む余地がない。

それでも、別れはある。
老いた鍛冶屋や洞窟掘りの相棒に対して、「旅立った」という言葉で、その死が表現された。
しかし、「四季ユートピアノ」で使われていた「音が消えた」という表現が持つ「喪失感」を、さほど感じさせなかった。
ピアノ調律師・A子にとっての人間関係と、旅人・A子にとっての人間関係の違いからだろうか。
あるいは、最後に下宿先の一家が、本当に「旅立っていく」様子が描かれていたからかもしれない。

旅立つ一家にも彼らなりの事情がある。
彼らにとっては旅立つことが生活するということであり、移り変わって行くことが生きるということでもある。
いつかどこかで会えるかもしれない。そんな別れが描かれたのは、A子シリーズでは初めてかもしれない。
もっとも、旅人同士の別れに、そうは「次の機会」がないことも、お互い承知だ。

そして、そんな一家の暮らし方 は、それまで佐々木ドラマに描かれてきた大人たちとはずいぶん違っている。
それまでの佐々木ドラマの大人たちは(おおむね老人であることもあって)完成された存在であり、
主人公の少年や少女を導くという役割を与えられていた。
それゆえ、生きることとは変わらないことだったし、次に訪れる変化とは死を意味していた。

そんなことを踏まえるならば、 ついに佐々木が死のイメージを伴わない別れを描いた作品であるといえようか。 


    8 「春・音の光」(1984)を見る(2006.7.7)

この作品も、多摩で見ている。「ピアノ調律師・A子」が世界を旅する「川・三部作」の最後を飾る作品である。
テーマ楽器は、スロバキアの羊飼いの民族楽器であるフヤラ、
あるいは、オルガン、アコーディオン、機関車の汽笛までを含めた広義の管楽器全般と言えるかもしれない。

スロバキアの街に降り立つA子は、もう赤を身に着けていない。それが意図的なものなのか偶然なのかはわからない。
少なくとも、A子に赤を身に着けさせねばならないという意図は、もう佐々木昭一郎にはないようだ。
だからだろうか、A子は平気で男性の腕をとって街を歩いたり、手を握らせながら語り合ったりする。

そういえば、A子はもう誰にも手紙を書かなくなった。A子もいろんな意味で精神的に自立したのだろう。
しかし、それは佐々木昭一郎と中尾幸世にとっての幸せな時代の終わりでもあるようだ。
より正確には、佐々木昭一郎の内にある「ピアノ調律師・A子」の終わりである。

一つ気になったのは、戦争で妻を亡くしたというオンドレイにとっての「戦争」がどの戦争なのかということ。
素直に聞けば第二次世界大戦なのだろうが、どこか「プラハの春」を示唆しているようでもある。
年老いた男たちにつきまとう戦争の影というのは佐々木昭一郎にとっては永遠のテーマなのだが、
当時のチェコ・スロバキア国営テレビとの共同制作だったことを思うと、
けっこう踏み込んだ表現をしているのではないかという感もしなくはない。


    9 「東京オン・ザ・シティ」(1986)を見る(2006.7.8)

テーマ楽器は、チェロ。
「春・音の光」の裏返しのような作品で、チェコの「ガラス工芸デザイナーのオルガさん」が音の探求者となって東京の街をめぐる。
冒頭の独白も、音をめぐるイラストの日記も、オルガのつとめる役割とされる。
隅田川を船で登り、さらに鉄道に乗って、花屋の少年・草平に出会う。彼は、ちょうど「春・音の光」のラドの裏返しにあたる。

やはり、「A子」でない人が「A子」のようなことを(しかもチェコ語で)するのが、いささかもどかしい。
しかし、江戸風鈴や江戸糸操り人形と「出会う」ためには、外国からやってきた旅人でなければできないことなのだろう。
そうはわかっていても、あまりにもA子ドラマのスタイルを忠実に踏襲しているため、
主人公が「A子でないこと」がどうにも居心地が悪いのだ。

ドラマのクレジットには、「詩とナレーション オルガ・ストルスコヴァ」とある(彼女の本職は、シナリオライターらしい)。
一方、今回の日本映画専門チャンネルには「脚本 オルガ・ストルスコヴァ」となっている。
この違いに、この作品の作られ方の秘密あるようだ。

自ら脚本を書いた上で主演まで して異国の演出家・佐々木昭一郎とドラマを作るという時点で、
この「オルガさん」が、相当に佐々木昭一郎、それも海外で受賞した「A子ドラマ」に対して、
相当な思い入れがあることは十分うかがい知ることが出来る。
あえて、断言すれば、「オルガさん」こと脚本家・オルガ・ストルスコヴァは、
チェコ語による「A子ドラマ」を作りたかったのだ。
「脚本」と「詩とナレーション」という温度差には、
佐々木昭一郎とオルガ・ストルコヴァとの間のいろんな摩擦をかえって感じさせる。

細かい状況はわからないが、佐 々木がフリーハンドで新作を作ったわけではないことが、
かえって「A子ドラマ」の残影を強く感じさせることとなったのではあるまいか。
佐々木の新作ということよりも、チェコから届いた長いファンレターというような印象の作品である。


    10 「夏のアルバム」(1986)を見る(2006.7.9)

舞台は、SUOMIことフィンランド。
テーマ楽器は、はて何だろう。「SUOMI」Tシャツの男が吹いていたトランペットのようでもあるし、
一瞬だけ登場したカンテレのようでもある。
カンテレは、チター(映画「第三の男」の「ハリーライムのテーマ」で知られる)の一種で、
奏法は違うが、中国の揚琴の音にも近い小型で緊張感のある音を響かせてくれる。

今回の独白は、フィンランドの少女キルシー(16歳)。しかし、彼女は主人公でも、音の探求者でもない。
主人公は、日本から来た少年アキラ(まだ小学生)。少し成長した「東京オン・ザ・シティ」の少年・草平が演じる。
急に帰国が決まった父親の許しをえて、
アキラは夏休みを使って彼らが暮らしていたヘルシンキからキルシーの故郷の村まで一人旅に出る。

街を自転車で走ったり、森を歩いたり、日の沈まぬ白夜の夜を野宿したり、なかなかにフィンランドという国を満喫させてくれる。
アンダルシアの太陽が乾燥した大地を焼き続けていたのとうらはらに、フィンランドの太陽はやさしく透き通っている。
氷の解ける季節を春と呼び、氷の張る季節を秋と呼ぶフィンランドの夏は短い。
空はどこまでも高く青く、そこに必死に手を届かせようとするのか、家も、窓も、木々も、人も、空に向かって細く高い。
そんな映像を見るだけで嬉しくなるということは、まだ「フィンランド」というカードは使えるということだ。

しかし、そのこと以上に佐々木昭一郎のフォーマットの変化が、作品を良い意味で変えている。
外国での小学生の一人旅にリアリティがあるかという問いは一応置くとして、
少なくとも「目的地のはっきりしたアキラの一人旅」という骨格があるので何が起こっても誰と出会っても違和感がない。
出会う人が次々と「消えていく」という「主人公の呪い」は解けている。(その役割は思わぬ人が担うが、それはそれでよし。)

明らかに「笑われ役」である「SUOMI」Tシャツの男の存在も、作品に幅を持たせている。
初期の作品では「哀しみ」が、A子ドラマでは「歓び」が語られていたけれど、
実は素直な「笑い」というものを佐々木昭一郎はあまり取り上げたことはなかった。
つまり、佐々木昭一郎は10作目にして初めてコメディを撮ったということだ。

しかし、それは佐々木昭一郎が変わったということではなさそうだ。
出会いを重要視する佐々木ドラマにおいては、佐々木が何かをしたということよりも、
「SUOMI男」という人物に佐々木と出合ってしまったということが、この作品の色を大きく変えたようにも思える。

それは、いかにして人を癒すかという策略を練っていた佐々木昭一郎自身が、
実は、フィンランドという国と「SUOMI男」にすっかり癒されてしまったということでもあるようだ。


    11 「クーリバの木の下で」(1987)を見る(2006.7.11)

テーマ音楽は、オーストラリアの準国歌である「ウォルツィング・マチルダ」。
テーマ楽器は、強いて言えばトランペット。ただし、作中に流れているのは、ミッキー吉野が率いるジャズ系の音。

アキコは、恋人のヒロシがくれた絵葉書を頼りにヒロシがいるはずのオーストラリアを旅する。
頼りは、ヒロシが唯一住所を書き残したアランの家。
アランは羊の毛刈り職人だ。しかし、アキコがアランの家に着いたときは、まさに毛刈りの旅に出るところだった。

アキコを演じたのは、舞踏家・ 木佐貫邦子。ピュアな旅人をなかなか好演している。
居酒屋で酔客相手にカウンターで踊ってみせる(本職だ)姿は、「四季」や「川の流れ」のA子を思い出させる。
しかし、木佐貫邦子は、何も知らないがゆえに純粋でいられる少女を演ずるには、さすがに大人すぎた。
それは演ずる側の罪ではない。いつまでも、見る側が失われた「幻のA子」を探し求めていてはいけないのだろう。

それはそれとして、主人公のアキコがオーストラリアの牧草地帯を歩いていたり、
途中でアキコを車で拾ったアランが給油するのを忘れ、「クーリバの木の下で」ガス欠になってしまうというような設定は、
広大なオーストラリアの牧草地帯では命にかかわりかねないんじゃないかと心配する。

また、砂漠の道で手を振るアキコを見かけた自家用飛行機の医者が、
緊急着陸して彼女に水を飲ませたという偶然も、どうなのだろう。
この医者は、アキコが自分の仕事を少し手伝ったことに感謝し、なんと飛行機と鉄道の切符を与えてしまう。
オーストラリアの大きさを考えるならば、それは正しいことなのかもしれないが、
出産に際して湯を沸かしたことの報酬として与えられるに足るようなものだろうか。よくわからない。

その一方で、アランの娘の結婚話もからむことで、それなりにドラマを終えることはできた。
しかし、それがもともとのヒロシの絵葉書をたどる旅だったのかといわれると、どうも納得がいかない。
残念ながら、あまり良い評価は出来なかった作品である。


    12 「鐘のひびき」(1988)を見る(2006.7.13)

テーマ音楽は、「新世界より」から家路。テーマ楽器は、もう全面的に「鐘」だ。

日本・チェコ合作、主演が「帰ってきたオルガさん」ということで、いささか心配したが杞憂だった。
NHKでの放映の時点で「脚本 オルガ・ストルスコヴァ」とあり、
しっかりとした脚本があることで一本筋の通った作品になっている。
その分、佐々木昭一郎独特の詩的な美しさとは少し異なるものになっている。

オルガさんは作家。鐘の音が好き。窓には、「東京オン・ザ・シティ」で見たような江戸風鈴もある。
チェコの児童画コンクールに入賞したアキラをチェコに招待する。
チェコは鐘の響きが美しい街。オルガさんは、アキラをチェコのさまざまなのある場所に連れて行く。

オルガには、一つの夢があった。祖父がヤン・レツルと作ったドームに鐘を置くこと。
そのドームとは広島産業奨励館、いわゆる原爆ドームである。
鐘を求めて来日したオルガは、「長崎の鐘」を訪れた後、広島でアキラに再会する。
そして、「原爆ドーム」に、小さな鐘を吊るすのである。

チェコ視点ではあるが、「鐘」という一つのテーマを使って展開する流れは一貫しているし、
「フジヤマ」「ゲイシャ」ではなく「伝えたい日本」として「長崎」「広島」をおさえている感じも良い。
なにより、あの原爆ドームを作ったのはチェコ人の建築家だったということで、少しばかり他人事でないことも伝わる。

アキラは「東京オンザシティ」にも登場した草平。
ただし、中学生の彼には「・・・なのかな」「・・・だよ」の佐々木セリフを言うのが、少し辛そう。
その分、オルガさんの娘イトカとの淡い恋の予感が楽しかった。


    13 「七色村」(1989)を見る(2006.7.15)

テーマ楽器は、ハーモニカ。テーマ音楽は、ユーモレスク。

再び、日本・チェコ合作。脚本・オルガさん。
ただし、日本映画チャンネルの紹介では、佐々木昭一郎の疎開体験を基にしている、とある。
たしかに、和歌山県にはかつて本当に七色村があり、佐々木が学童疎開をしていたらしい。
そういう関係からすれば、純粋にチェコの脚本家に基づくドラマとも言えず、何とも謎の多い作品だ。

チェコを訪れる日本人指揮者。
彼には第二次世界大戦中に七色村に疎開した体験と、そこで交流したチェコ人女性との記憶があった。
理不尽に暴力的な叔父、対照的にリベラルな小学校教師、素朴だが都会育ちの主人公に反発する村の子どもたち。
村の女性たちは出征した息子たちの無事を祈りお百度参りに精を出し、
夫を軍隊に取られた妻・けい子は毎日森をさまよい歩き、川で夫の衣服を洗濯してばかりいる。

村人たちは、浴衣姿で川の水と戯れる彼女を「水女」と呼んで、エロティックな期待と忌避感をないまぜにした視線を送 る。
そこへ東京で交流のあった若いチェコ人女性画家が、暮らしにくくなった東京を離れて七色村にやってくる。

ストーリーは骨太で、佐々木的な映像詩という感じはしない。
むしろ、佐々木の中で沈殿していた戦争への呪詛を、自らの体験をとおしてしっかりとした形にしている。
しかしながら、「現在」であるはずのチェコパートが粗いフィルムで、
「過去」であるはずの七色村が鮮明なビデオだったあたりに、いささかつぎはぎ感があった。

どちらかというと、七色村を単に過去であることを超えた幻想的な存在として見たかっただけになおさらだ。


   16 「八月の叫び」(1995)を見る(2006.7.23)

途中の2作については、録画に失敗したようだ。

ということで、「八月の叫び」。1995年の作品だが、佐々木昭一郎の最新作である。
テーマ音楽は、モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」、テーマ楽器は、チェロ。
なんと、謎解きものだった。

森の中で歌とピアノの教室を開いていた譲二は、チェコから手紙が届いたのをきっかけにチェコに旅立つ。
「チェロを持ってプラハにきてください」というメッセージを残して。
しかし、譲二の恋人・洋子がチェコに向かい、手紙を出したアンナのもとを訪れたとき、
洋子が連れて行かれたのは郊外の病院だった。
譲二はプラハの街で倒れ、記憶をなくしていたのである。
そして、譲二が最後にチェコにいた1968年8月30日をめぐる物語が始まる。

洋子を演ずるのは、大竹しのぶ。当時30代後半だったが、佐々木昭一郎独特のセリフを意識してか20代後半の役作り。
最初は佐々木的な世界になじんでいないようにも思ったが、物語が進むにつれてプロの技を見せてくれる。
特に、中盤で聴かせてくれたアリアは見事なものだった。

譲二には、指揮者・武藤英明。プラハ放送交響楽団の客演常任指揮者であるチェコ語が使える音楽家。
記憶をなくしてチェコ語しか離せない日本人にはふさわしい。
現地キャストのことはわからないが、チェロを解体修理するマエストロは、本物だったのだろう。

1968年8月といえば、いわずもがな「プラハの春」の終焉である。
したがって、ストーリーの前面に出てきているのは、音との出会いではなく戦争の記憶だ。
つまり、封じ込められた忌まわしい記憶というテーマは、A子シリーズが海外に転ずる以前の初期作品に通じる。
虚実ないまぜに現在の恋人・洋子が26年前の恋人・マリエと交錯するあたりは、
初期の怨念がうずまく佐々木昭一郎が復活したようでもある。

舞台のほとんどはチェコであるが、今回はチェコとの共同制作ではない。
その分だけ、海外で期待される「さわやかなA子シリーズ」とは異なる初期の佐々木昭一郎の一面が噴出しているようにも見えた。



      Wikipedia内「佐々木昭一郎」ページ            
      映画サイト「intro」内佐々木昭一郎インタビューページ

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