ヤマザキマリの人物をとり・みきの背景が活かす博物学者プリニウスの半生

                        ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」1巻を読む(2014.8.3)


「テルマエ・ロマエ」で売り出したヤマザキマリの「次は絶対ガチンコの古代ローマだ!」との思いから、
古代ローマの精神を丸ごと体現するような存在のプリニウスを描くことになったらしい。

で、プリニウスって誰?
「本名、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(A.D.23〜79年)。史上、もっとも有名な博物学者。
<寛容・進取・博学>と古代ローマの精神を一心に体現する男でもある。」と冒頭にある。「博物誌」を書いた人だそうだ。

世界史の教科書で聞いたような気はするが、
いざどんな人物で、どんな人生を送ったのかといわれると、まったく想像がつかない。
ならば、この本を読めということだ。

目の前でおこるすべての現象を、蓄積し続けた教養をもとに語り続ける男・プリニウス。
彼は属州の総督代行として、口頭筆記者に自分が語るすべてを記録するように命ずる。
誰もが恐れる皇帝ネロの招集命令も意に介さず、ローマへ戻る旅路はゆったりとしたものだ。
プリニウスにとっては、皇帝よりも日々、目の前で起こることの方が興味深いのだ。

合作の手法は、ネームと人物はヤマザキマリが担当し、背景などの仕上げをとり・みきが担当しているらしい。
「本気」を出した時のとり・みきの背景画は「山の音」などでも定評のあるところで、
 試しに送った古代ローマの背景画を見たヤマザキマリ周辺のイタリア人がその出来の良さに、ずいぶん驚いたほどだったそうだ。

地味な作品ではあるが、「新潮45」という地味な掲載誌の度量に期待して、息長く続いていくことを願うばかりだ。



   圧倒される博物学者の庭と、孤独な文人だった皇帝ネロ

                        ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」2巻を読む(2015.4.18)


プリニウス一行はローマに戻る。
旅先で新しい口述書記となったエクレウスは、
プリニウス宅の庭にひしめく異国の植物たちや、書斎に並ぶ大量の書物と収集物に驚く。
 青年エクレウスは読者とともに怪人プリニウスを見る側として、この物語の主人公となるようだ。

1巻ではひ弱に見えた従者の軍人・フェリクスだが、実はめちゃめちゃ強い。
暴漢を次々と倒し、刃物を持った相手にも素手で腕をねじりあげる。
その冷静沈着な戦いぶりは、いくぶん禿げ上がった頭とともに、
往年のプロレスラー、ドリー・ファンク・ジュニアを思い出したのは、私だけか?

そして、もう一つ注目は、ヤマザキマリととり・みきも対談で述べているとおり、
暴君・ネロを芸術家肌の孤独な文人皇帝として描いていることだ。
キリスト教徒を迫害したことから、けっして欧米では肯定的に描かれないネロだが、
異教徒であるがゆえに、新しいネロ像にも挑戦できるとしている。

資料を読み込まねば描けないことも多いが、資料がないからこそ、自由に描ける部分も多いという。
対談からは、二人が苦労を楽しんでいる様が見て取れる。

なるほど、こういうものを力作と呼ぶのだ。



    博物学者らしい見識をみせた変化の予兆に対する対応

                        ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」3巻を読む(2015.10.4)


うかつだった。
何者にも屈せず、常に自然と向き合うプリニウスに対し、外から介入するものがあるとすれば、
暴君であることを強いられた皇帝ネロをめぐる大きな物語だろうと思っていた。
療養を兼ねて、いちはやくローマを離れたプリニウス一行は、
皇帝よりもいかんともしがたい、自然の大きな変化の予兆を見ることとなる。

数日前から枯れてしまった水道、突然、草むらに湧き出した温泉、
海岸に打ち上げられた大タコ、空を覆うほどに舞っている鳥たち。
さすが、プリニウスである。傷もないのに大量死しているヒツジを見るや、地下から噴き出す毒を吸ったと断言する。

それでも、ウェスウィウスが火山である可能性については、記録がないというばかり。
そうなのだ。 この物語もまた、震災を思い起こさせる物語なのだった。
かのプリニウスをもってしても、いや2000年前とはいえ当時を代表する博物学者だからこそ、
無根拠な「予兆」や「昔語り」だけで、大きな災厄を断定することができなかった。
現代の私たちもまた、なすすべがなかったのと同様に。

それはそれとして、112ページのアッピア街道の俯瞰の絵が、実に漫画的に美しかった。
崖から見下ろしている光景が、1ページ丸ごと使った縦の一枚絵で描かれているのだが、
画面下部は、上からの視線で街道筋の田園風景が描かれているのに対し、
画面上部には、城塞都市や奥の山並みが正面からの視線で描かれている。
つまり、一枚の絵の中に、視線の動きや時間の経過を封じ込めたような味わいがあるのだ。

史実によると、今回の旅では、まだウェスウィウスは噴火しないようだ。
ということは、もうしばらくは、この作品を楽しめることとなる。
巻末の言葉によると、「第四巻は、来春刊行予定!」だそうだ。 心して、待ちたい。



    大地震の被害よりも、噴火の記録の方が気になるプリニウス

                        ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」4巻を読む(2016.8.2)


大地震でポンペイの街は混乱するが、プリニウスは冷静なまま観察に余念がない。
古文書に、ウェスウィウスが噴火したしたらしき記録を発見して、ひとり悦に入るほどだ。

そこへ、セネカから悪い知らせが入る。親衛隊長官だったブッルスが死んだ。原因は不明だ。
しかし、皇帝ネロの愛妾・ポッパエアがブッルスを疎んじていたのも確かだ。
どうやら、ローマは大変居心地の悪い場所になっているらしい。

人の世の何と愚かなこと。
誰もウェスウィウスが火山であるというプリニウスの主張を信じないこともあってか、プリニウスは、うっかり言ってしまう。
「いっそ火山が大噴火でも起こしてくれれば 人間は自らの愚かさと向き合える。」
なんという、死亡フラグ。

そんな街中で、食堂の主人に怒鳴られ、追い出されてた男がいた。
当時、妖しげな新興宗教だったキリスト教を布教しようとしていたからだ。

そんなネロの治世。




    ワガママな権力者役だったトランプが本当に大統領になるとは

                         ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」5巻を読む(2017.4.8)


大切なことは、ほとんど「とりマリ対談」で語られているので気乗りしない。
この巻で描かれたのが、実はたった二日間だけだとか、
ポンペイのワガママな権力者がトランプそっくりだとか、(描いているときは、本当に大統領に当選するとは思わなかったそうな。)
プリニウスの火山に対する異常な執着だとか 。

意外だったのは、というか設定なんだが、
私が勝手に「ローマのドリー・ファンク・ジュニア」命名したプリニウスのボディガードのフェリクスが、海を苦手にしていたこと。
陸ではあんなに強いのに。

で、妙に星を読む力のある少年は、プリニウスをどこに導くのだろうか。
かたや、噴火を美しいと言い切るあたりも、すこぶるプリニウスらしいのではあるけれど。



 

       器用だが謎の少年と北アフリカを旅するプリニウス

                         ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」6巻を読む(2017.10.25)


カルタゴにやってきたプリニウス一行は、そのまま砂漠をシリアに向かって進む。
動物と心が通じる少年も、プリニウスと行動をともにすることとなった。

少年は料理も達者で器用なのだが、名前すらないというほどで謎が多い。
どうやら、フェニキアの神バアル・ハモンを信仰しているらしい。

そして、皇帝ネロと後妻ポッパエアをめぐる大きな物語のほうだが、
ポッパエアは娘クラウディアを出産するも、ネロの心は乱れるばかりだ。
物語の序盤で登場したブリタニアの娘を探し出し、虐待しつつ耽溺する。

どうやら、ローマも、その皇帝も闇が深いようだ。



 

       もはや抜群の危機管理でも評判の悪いネロ

                          ――――ヤナザキマリ とり・みき「プリニウス」7巻を読む(2018.7.26)


主人公のプリニウスがエジプトのピラミッドでウロウロしている間に、
木造家屋がせせこましく立ち並ぶローマは、大火に見舞われる。

皇帝ネロが火災発生時にローマを離れていたとか、そもそも、寵愛する娘と一緒にいたとか、
せっかく発災後の対応は迅速だったのに、自ら放火したという疑惑さえ生まれたりとか、
権謀うずまくローマの状況と比べると、プリニウスらの旅が牧歌的に感じてしまうほどだ。
(たとえ、フェリクス・ファンク・ジュニアが危うく遭難しそうになっていたとしても。)

と思っていたら、ピラミッド内で思わぬ大活劇。
「プリニウス」ってこんな話だっけと、ふと思ってしまったのは、
いつもプリニウスが強く語っていた珍妙な博物学的断言が少なかったせいか。

でも、いろんな意味で予断を許さない展開だ。



  トップ         書評