気がつけば変な世の中になっていた。
 道行く人々に今の世の中をどう思うか、と尋ねてみるとこんな答えが返ってくる。
 その変な世の中にいつ変わったのか、そんな事ははっきりとは残っていない。
 けれどもその始まりは、凄く狭く小さい物だったと聞く。
 最初は極少数だった。その極少数にほんの少し変わった能力が備わっただけだった。社会全体から見れば、少数の人間に少しの変化が起きただけに過ぎないのだ。
 たとえば、何もないところに炎を出したり、到底風の吹かない場所で人を吹き飛ばすほどの風を起こしたり、物に触れずに曲げたり。
 その能力は自覚のないまま使用してしまい、事件を引き起こすことがあった。
 能力によって引き起こされた事件は、どこかしかに不自然な点が出る。
 1件だけならば、それは怪事件として時とともに未解決のまま忘れ去られていくだろう。
 しかし2件、3件と不自然な事件が続くようになった。
 事件の捜査を進めるうちに、偶然にも能力者を見つけるに至り、報告を受けた時の政府は半信半疑ながらもこの極少数の能力者達から自由を奪う事を決定する。
 不可解な現象をそのまま野放しにしておく事は後々の利益にはならないと判断したのだ。
 しかしその際、数名の捕縛員が能力者によって重傷を負わされた。
 その傷があまりにも人間離れした物であった為に否が応でもこの能力を認めざるを得なくなった。
 能力を認知したその後の対応はとても素早いものであった。ただちに様々な機関を通じ全国の情報を得、不可思議な能力を持つものを秘密裏に捕縛、隔離を行い、能力者に関わりのあった者には様々な手段で口封じを行った。
 その甲斐あってか、徐々に『従来の捜査方法では、火事の発生場所はわかるものの、発火の原因となったものが見つからない』といったような事件は数を減らし、一件目の事件から3年後にはそんな事件も無くなった。
 これで不可解な能力者など現れる事はない、と誰もが高をくくった。
 しかしながらそれは甘い考えでしかなかった。発生の原因が掴めていない事柄なのだ、一度鳴りを潜めたからといって現れないという保証はどこにもないのである。
 事実、政府によって極秘裏に設置された対策委員会が解散した後に、事件はまた起きたのだった。その自分達の出した結論と異なった、予期しない一撃に慌てて元委員会メンバーを招集したものの、会議は今後の対策を話し合うよりも責任の所在追及に時間を費やすことになってしまった。
 元々、事件の詳細については政府よりもマスメディアの方が情報を掴むのは早かった。しかしながら能力者対策委員会が設置されてからは、事件の検証を行う警察からの情報開示がなされない場合があり、報道規制が敷かれていた。
 唐突に行われなくなった情報公開に不審を抱いていたマスメディアは、ここぞとばかりに報道を行った。
 今まで国によって隠されていた事実を明るみに出し、政府の対応に厳しい批判を浴びせかけた。
 マスコミの攻撃に政府はお得意の「事実無根」の一言と、のらりくらりで事態の沈静化を計るものの、極秘文書の流出と告発によってもはや言い逃れの出来ない状況へと追い込まれてしまった。
 そうして政府はしぶしぶ今までの経緯を明るみに出さざるを得なくなった。
 当然政府の取った対策に厳しい批判と責任追及があったのだが、それはこの本筋には関係なかったりする。
 とにもかくにも、こんな世の中ですっかり世界の、生活の、個人の一部となってしまった特異な能力。
 その能力と折り合いをつけながら、たくましく(?)生きる人間の姿を垣間見ることにしよう。

「おっはよーございまーすっ!」
 勢い良く教室のドアが開けられ、それと同時に活力溢れる声が教室中に響く。一瞬は教室内にいるクラスメートの視線を集めるものの、すぐに関心は薄れ、まばらな挨拶しか返って来なかった。
「なんだなんだーーっ!みんな元気がないぞーっ!?」
 いやにハイなテンションのままずかずかと教室内に侵入し、大人しく読書に勤しんでいる女の子の机に歩み寄ると、バンッ!っと両手で思いっきり机を叩き付けた。
 大きな音に驚かされ、一瞬のうちに本を取られ、ズイッと顔を近づけられたこの少女はもはや仰け反るしか方法はなかった。
「はいっ!元気よく挨拶、いってみよー!」
「え、いや、そのあの・・・」
 グイグイ近づいてくる肩ほどの黒髪を無造作に後ろで束ねたこの少女の迫力に動揺の言葉しかもらす事が出来ない読書少女。
「さぁ!早く!ググイっと!大音量でおは・・・」
「いい加減にしろ、狭山サヤマ
 ゴンッ、と鈍い音がして、狭山と呼ばれた少女がズルズルと崩れ落ちる。その背後にはちょっと重そうな鞄を持った薄い茶色の髪をした少年が呆れ顔で立っていた。
「はぁ、まったく・・・ごめんね、槻代ツキシロさん」
 ビックリした表情で崩れ落ちる狭山を見ていた槻代は、少年に話しかけられて気を取り直した。
「ううん、ありがとう上條カミジョウ君」
 上條はその言葉に「いや」とだけ答えて、倒れ伏している狭山の紺のブレザーの襟を引っ掴むと、そのまま狭山を宙ぶらりんの状態にした。持ち上げるときに「ぎゅっ!」と苦しげな声が聞こえた気がするが当然無視。
「上條・・・さん・・・く、首、絞まるんですが・・・?」
 吊り下げられている姿はまるでイタズラがバレて捕まった猫のようであった。そして態度も借りてきた猫とでもいうべきか、相手のご機嫌伺いをするかのように大人しい。
「そりゃあ、絞まるだろうね。カッターの襟もついでに掴んでるから」
 しれっと答えるだけ答えて、掴んでいる手を離してやろうという意志はないらしい。
「ひ、ひどい!女の子を何だと思ってるんだ!オニ!アクマ!大狸ーーーー!」
 一転してじたばたと暴れるが、上條は意に介した風もなく吊り下げている。
 しかしながら、狭山を吊り下げたまま席へと近づくにつれて、反応は弱々しくなり、ついにはグッタリとしてしまった。
 至って単純な理由ながら、まさに自分で自分の首を絞めたのである。
「あ、落ちた」
 それでも上條の反応は実に冷淡なものである。

「まったく、女の子を女の子とも思わないなんてサイテーよね」
 席に着かされるなり、1分も経たず意識を取り戻した狭山は延々と愚痴を並べ立てる。ちなみに上條の席はその前なので、十分に耳に届いているだろう。でも、いくら怨嗟の篭った言葉を呟いても前に座る背中は90度回転する気配はない。そんな様子がさらに彼女に苛立ちを与えるのだが、それしきのことで反応をしていてはこの女とは対等にいられない。
「あはは、うん、そうだね。・・・おや、もうそろそろ座ってた方がいいんじゃない?」
 上條と話ながらも後ろの狭山の様子をチラチラと窺っていたクラスメートは救いの手が差し伸べられたかのようにあからさまにほっとした顔で「おう、んじゃ座っとくわ」と言って去っていく。
 クラスメートを見送った上條は、明らかにわざとらしい溜息をつくと不機嫌と体中で表現している狭山へ振り返った。左右のクラスメートは「触らぬ神に祟りなし」といった態度で違う方向を向いているというのに。ちなみに狭山の後ろは空席だ。
「少し落ちたくらいで一体何なんだい?」
 ひじょーにわざとらしい、芝居がかった身振りで話かける。左右のクラスメートの顔色がさぁっと青褪めた気がするが、上條はいささかも気にしない。
「・・・少し、落ちたくらい・・・?」
 ピクリ。
 こめかみの辺りに青筋らしきものが見える上に、あくまで不機嫌さを否定するかのように笑顔を浮かべようと努力しているが引きつっている。
「そうそう。それにさ、あれしきで落ちるなんてかなりヤワだね、鍛えなおした方がいいよ?だいたい君は浮遊の能力を持ってるんだから浮いてしまえば・・・」
 狭山の様子には気付いているのか、気付いていないのか、さらに肩をすくめてヤレヤレなんて言葉をこぼしている。
 あからさまな挑発に対して、長く我慢できるほど狭山は大人なわけではなかった。
「!このっ・・・!」
「おっはよーぅ、えみちーん(狭山)」
 立ち上がるのを待っていたかのごとく、横から飛んできたラリアットに撃沈される。そのまま崩れ落ちるかと思いきや、ラリアットだけでは飽き足らずそのままチョークスリーパーへと移行する。
「今日も何気に気楽にラヴリーに過ごしてるぅー?」
 ギリギリと音がしそうなぐらい見るからに絞まっているのだが技をかけている本人にしてはじゃれているに過ぎない。
 結構な勢いで腕をタップされているにも関わらず、全く意に介せず左手で頭を撫ぜていたりする。
「おはよう、本宮モトミヤさん。今日も元気だね」
 客観的に見て結構ヤバイ状況という事ぐらいわかっていそうな上條なのだが、にこやかな笑顔を浮かべてチョークスリーパーを継続しているショートヘアーの良く似合った女生徒へ話しかける。
「そりゃー、えみちんのラヴリーでキュートな姿を見ちゃったらどんなにブルーでも一気にハッピーになっちゃうでしょ。
 そのついでに可愛がりたくもなる、ってね」
 随分とタップする力も弱まっているのだが、気付いているのか気付いていないのかアハハと笑いながらも腕は緩めない。
「そうなんだー、僕にはちょっとわからない感性だなぁー。
 ―――とりあえず、離してあげないとそろそろヤバそうだけど僕としてはスルーしてくれると楽しいなぁー」
 こちらも爽やかに笑っておきながら言っている事はかなりヒドイ。
「おぉ、ホントホント。ちょっとヤバそうな表情♪ でも、やめられません、勝つまでは!!」
「いい加減にしなさい」
 スパーンとやけに良い音が教室に響いた。
「いたた・・・スリッパはさすがに痛いんだけど、笙佳ショウカ
「やりすぎたあなたが悪いだけよ」
 ウェーブのかかった金髪にフレームの細いお洒落なメガネをかけた女生徒は、手にしたスリッパを放り投げると、本宮の首を引っ掴んでズリズリと引っ張って行く。
「ごほっごほっ・・・あー・・・死ぬかと思った・・・。ありがと、北見キタミさん」
 肩で息をしながら苦しさから解放してくれたクラスメートへと言葉を投げかける。けれど彼女の返答は「別に」といった素っ気無いものだった。
「うーん・・・私、嫌われてるのかな・・・?」
 チラリとも振り返らずに歩いてゆく後姿を眺めつつ、そんな言葉が口をついてでた。
「あはは、あれだけ周りに迷惑を掛けていれば嫌われてとうぜ・・・ん・・・」
 言葉の途中で顔面をグワシと擬音が付きそうな位、鷲掴みにされて語尾が消えていった。
 気のせいだろうか、狭山の背後から陽炎の様な物が立ち上っているのはきっと目の錯覚なんだ、そうだとも、そう思いたいよねー。
「イッツ、ショウターイム♪」
「あいたたた、痛いってっ!マジで痛いです、痛いですからどうか助けて、ヘルプミーーーーッッッ!!」
 現実とはなんともむごいもので、こめかみを鷲掴みにされ頭蓋骨の軋む音を聞きながら上條は絶叫した。
 しかしまぁ、ツイている人間は何処にでもいるもので、起き上がりざまにラリアットからスリーパーホールドの連携を食らった誰かさんとは異なっていた。
「あー、所詮君らにとって俺という存在は全く感知できるものでなく、言われてもなかなか意識の中に入ってこない人間なんだな」
 わざとらしく、咳払いをして教卓をバシバシ出席簿で叩いて存在感をアピールする担任教師一人。
 担任が来てしまっては仕方がない、とばかりに舌打ちをして上條を解放した。
 解放された上條はよほど痛かったのかこめかみをさすっている。注意は完全に逸れた。
 狭山の目がキラーンと光った(ように見えた)直後、ボクサーばりの鋭いアッパーを上條の腹部へと叩き込んだ。
 完全に油断していた上條はモロに食らってしまい、腹部を抑えたままズルズルとへたり込んでしまった。
 その様を見ていたクラスメイトから大きな拍手が送られ、調子に乗った狭山はついついピースサインでクラスメイトに応えてしまう。
「今が何の時間か忘れ去ってる狭山、後で・・・そうだな放課後が一番だな。というわけで放課後に職員室に来い。上條も連れてな」
 ピシャリと冷水を浴びせられ一気に気分が落ち込んだ狭山だった。

 あっという間に時間は流れて放課後。
 窮屈な授業から解放され、家へそのまま帰る者やクラブ活動に精を出す前のくつろぎを求める者達で騒がしい教室の中、ベターッと机に張り付いてる若人一匹。
「あぅぁ〜・・・放課後になっちゃったよ〜・・・」
 そんな様子を面白がって遠慮無しに背中を叩いていくクラスメート一同。
 先程の終礼でも担任に念を押されてしまっているのである。忘れてました〜なんて言って逃げるわけにもいかない。
「あーもー、しつこすぎるのよ〜・・・」
 机に突っ伏したまま顔をごろんと横向けると、抜き足差し足で教室から出て行こうとしている上條を発見。
「・・・」
 無言で立ち上がると、後もう少しで教室からおさらば出来る上條の後ろに付き襟首を掴む。
「なぁ〜にぃ〜をしてるのかなぁ〜?」
 わさとらしいまでに笑顔を浮かべる狭山。対して上條の顔からは血の気が失せて行く。
「は、はははは、いやぁーちょーーーーっとトイレにでも行こうかなぁーって思っただけなんだよっ!?」
「へぇ〜?上條はトイレに行くのに鞄なんか持って誰にも見つからないようにってこそこそと行くんだねぇ〜」
 もはやあからさまなニヤニヤ笑いに変わっていることに少しも気に留めず上條の首に右腕を後ろから巻きつけ左腕を左の脇でロック。
 反り返った上條の上体を崩すように徐々に真下へ力をかける。
「げっ!?こ、これはマジでヤバイんですけど狭山さぁぁぁんっ!?」
「問答無用!裏DDTッ!」
 自分の足を滑らせる要領で一気に真下へと後頭部を叩きつける。
 ゴツッと鈍い音が教室中に響く。かけた本人はちゃっかり顎を引いて後頭部を打ち付けないようにしていたのでダメージはない。
 狭山が立ち上がって上條の首を解放すると、床を「ノォォォォッ!ノオォォォッ!!」とわめきながらゴロゴロのた打ち回って痛さを表現する。
 ついでに机に接触して載せられていた鞄などが落ちてきてまたダメージを負ったりもしている。
「ふ・・・哀れね」
 なさそうな胸を張って高笑いなんぞをかましている狭山。きっと彼女たちは気付いていない。
 掃除をしているクラスメートが邪魔をするな、と言いたそうにしているのを。
「はいはい、早く職員室へ行ってきなさい」
 肩を掴んで廊下側へと押しやる本宮の左手にはほうきが握られている。
「ちょっと!?私だけじゃなく上條も連れて行きなさいよーっ!」
「私はのた打ち回ってる男を引きずり回す趣味はないの。どうせ引きずり回すなら可愛いもののほうが」
「って、論点ずれてるーーっ!!」
 結構な力で暴れているのだがそれでも本宮に引きずられてしまう。細い腕のどこにこんな力があるんだこの怪力女、と心の中で悪態をついてしまう狭山。
 にこぉっ。
 とても背筋が寒くなって思わず本宮の顔を見上げてみるとそこには満面の笑みがあった。
「しつれーなこと考えてるね。えみちんは命が惜しくないんだね」
「め、滅相もござません、命は大変惜しゅうございます、悪代官様!・・・あ」
 あわてて口を押さえるものの一度口をついて出てしまった言葉は取り消せない。
 そんな時にはもうこの言葉しかない。
「いやぁ〜、失言失言」
「んじゃ、私といいとこ行こっか♪」
 さっきよりもさらに強引に引きずっていこうとする本宮の額にはやっぱりというかなんというか青筋が浮かんでいる。
「いやぁぁぁぁぁーっ!犯されるぅぅーーーっっ!!」
 大音声で声を張り上げても、目一杯暴れても本宮の腕を解く事は適わなかった。アーメン。

「結局、上條は逃げてるしこんな時間までお説教は続いちゃうし・・・最悪ぅ〜・・・」
 すっかり暗くなってしまった道を特別急ぐでもなく道端に落ちてる小石を蹴りながら帰路につく狭山。
 あの後本宮にいいとこ(体育館裏)に連れ去られ様々な行為(肩にアイアンクロー、スリーパー等々)を受けていたため、職員室に行くのが 遅れ余分な説教が混じって時間がかかってしまったのである。
「だいたい上條は別に居ても居なくてもどっちでもよかっただとぉ?おのれ、憎し!」
 握り拳を震わせながら天に突き上げ叫んでみるものの、次第に力が抜け溜息をつく。なんだかんだ言っても説教が堪えているのだ。
「大人しく帰ろ」
 歩みを再開させてあちこちに視線を彷徨わせる。普段は学生が大半を占める道も今はあまり人通りもない。学生以外がこの道を通る事はあまりないのが理由である。
 店も大半が店じまいを済ませてシャッターを下ろしているのである。いやに寂しさを認識してしまう。
 ガシャンッガランッガラン・・・
 少し入り組んだ路地裏へ続く道に差し掛かったとき、微かに何かが崩れる音が聞こえたので立ち止まった。
 随分と暗くなってしまっているから早く帰りたいのだけど、微かに聞こえてしまった物音の原因を確かめもせずに立ち去るなんてことは出来ない。
 襲いかかる好奇心などの類には弱いのである。
「・・・ちょっとだけならいいよね」
 さっきとうってかわって軽い足取りで路地裏へと入って行く。少しずつ奥に進んでいくと微かに音が聞こえてくるようになった。
 さらに近づいていくとその音が声なのだと分かるようになった。微かに聞こえる声はどこか怨念が込められているように感じる。
 一声一声が発せられるたびにゾクリと背筋が寒くなる。先に見える道にはへこんだり中身が散乱した物がある。この先に呪いに似た声を発するのがいるようだ。
 一歩立ち止まる。このまま進んでもいいものなのか自身に問いかける。
 この先になにが居るのか確かめたい、けれどこんな悪寒は今まで17年生きてきた中で感じた事もないものだ。それを見てしまっていいのだろうか。
 時間にして数秒のことだが、随分と長く考え込んでいたように思う。
 結局―――ゆっくりと物音を立てないように曲がり角へと向かう。そして角から少しだけ身体を乗り出して―――呼吸を忘れた。
 立ち尽くす人影の向かいには人形をしてはいるものの人の太ももほどもありそうな両腕に太く長い爪。夜で離れているにもかかわらず見える血走った目の凶暴さに罵りを生み出す口から覗く人間にはありえない鋭い牙、服装らしい服装も見えない。
 イッタイ、コノ光景ハナンナノダロウカ。
 得体の知れない者の前に立つ人影は色までは分からないもののストレートの髪に膝までのスカート、長袖のシャツ。何処にでも居そうな服装をしているのだった。
 現実と非現実の混在。非現実を打ち消したいがすぐ傍に存在する現実がそれを許さない。せめて立っている女性がアニメに出てきそうな衣装に身を包んでいてくれたなら錯覚だと思い込めただろうに。
 何も考えられないままぼんやりと見つめていると女性は片腕を異形の者へとかざした。
 異形の者が目を見開いた瞬間―――

  首から上が背後の壁に飛び散った。

 生々しい音を立てて顔が後ろの壁にべっとりと張り付く。まるでなにかに押しつぶされたかのように。
 中枢を失った身体は首から血を噴き出しつつ痙攣する。2、3度身体が跳ね上がったかと思うと徐々に跡形も無く消滅し始めた。
 一足遅れて脳が現状を認識し、肉の潰れる音が思い起こされ、押さえ切れない恐怖が湧き上がってくる。
「ひっ・・・!」
 口から漏れ出た言葉にならない声に驚き、慌てて口を塞いだが遅かった。
 異形の残骸が消滅していく様をじっと見ていた女性がはっとして振り返ったのがわかった。
 振り返った女性の視線が告げる―――消す、と。
 脳が鳴らす警鐘に今度は従い、回れ右をしてすぐにこの場から駆け出した。
 一歩でも速度を緩めてはいけない。人通りの多い所に出るまでは絶対に自身の持てる全力を緩めちゃダメだ。
緩めてしまったら、私はこの世にいない。
 焦りから何度も絡まって転びそうになる脚を叱咤して路地裏を走り抜ける。
 路地裏を抜け出し一度、立ち止まるも帰るべき家のある方向へすぐに駆け出す。いやに生々しいさっきの光景を思い出さない様に必死に走る。
 ようやく人通りの多い道に出て人込みに紛れることでようやく落ち着きを取り戻す事が出来た。
 少なくとも、大勢の中で手を下そうとはさすがに相手も考えるはずが無い。
 問題はこの人込みを抜けた後なのだが、無我夢中で走ってはいたもののその後から別の足音が聞こえた覚えが無かったのでひとまず大丈夫だと思う。
 けれど、住宅街に入ってまた人通りが少なくなると背後が気になってしまって何度も背後に振り返ってしまう。
「・・・はぁ、ものすご〜く怪しい人じゃない・・・」
 とは言うものの、女性に向けられた視線が忘れられない。今もいつ私を消そうかと機会を窺っているようで薄気味が悪い。
 また歩き始め家に着いてドアノブに手をかけたところでまた、辺りを見回してみる。
 にゃーん。
 塀の上で伏しているネコと目が合った。じーっと睨んでみる事にする。
 ネコも変わらず伏したままでこちらを見続ける。瞬時に判断する―――この勝負、動いた方が負ける、と。
 睨み合って1分ほどが経過したように思う。心の中で呟いてみる―――ごめんなさい、もう負けそうです。
 ノブにかけた手でドアを開け、家の中へ突入したいという衝動で手がプルプルと震えだす。
 なんだか手が少しでも動くとネコが笑っているように見えます、気のせいでしょうか神様。
 あともう少しで根をあげて家へ駆け込みそうなとき、ネコがすっくと立ち上がって塀から飛び降りて視界から消えた。
 にゃー。
 飛び降りる寸前にこっちを見やって、嘲るようにふっと笑ったかのように見えたのは錯覚でしょうか仏様。
 少しの間固まっていたが、ドアを開けて家の中へと入って行く。薄気味の悪さともやもやした感情と敗北感を背負って。

 夕食を家族3人(父親はもうすこし帰りが遅いので居ないけど)と一緒に食べて、リビングでごろごろとテレビでも見ながらお茶を啜って、お風呂が沸いたので一番に入って(綺麗なお湯にゆっくりと浸かりたいから)お風呂上りの一杯を冷蔵庫から取り出して自分の部屋へと潜り込む。
 部屋の電気をつけて、ついでにテレビとエアコンのスイッチをいれてベッドへと倒れこむ。
 ぽふんと軽い音を立ててベッドが身体を受け止める。天井を仰いだまま特に面白くないやりとりを流すテレビの音を拾う。
 落ち着いた環境の中考えることは帰り道で遭遇した出来事。あれは本当に現実のものだったのか目を瞑って改めて考え直す。
 視界が開けて二つの影を捉え聴覚が身の毛もよだつ程の怨嗟の声を拾う。縦に長い女性と思しき人影が手をかざした直後、座り込む人間なのかも怪しい生物の頭を吹っ飛ばす。
 その光景に思わず悲鳴を上げてしまって、よくわからない生物が消え去っていくのを眺めていた女性が振り返って私を睨みつける。
 ただ睨まれただけなのに、そして今はただ記憶から思い起こしているだけなのにあの女性の視線がとてつもなく怖いと思った。
 あの目で睨まれただけで背筋が寒くなって心臓の音がやけに大きく聞こえて普段は何にも教えてはくれない本能が危険だと知らせる。
 ・・・結局、信じがたいかもしれないけれど、本当のことだったのだろうとしか思いようが無かった。あの時感じたことは紛れも無い真実なのだから。
 そうすると今度は、相手に自分の顔がバレていないだろうか、実は後をつけられていてもうここもバレてしまっているんじゃないか、という不安が襲ってくる。
「・・・ろくに眠れそうにないかも」
 溜息をつき身体を起こして普段は全部照明を消して部屋を真っ暗にするのだが今夜は蛍光灯の明かりを一段階だけ落として、部屋を薄暗くしてベッドに寝転んだ。

 案の定、日付が変わってもなかなか寝付けずに寝不足気味になった。うつらうつらとして少し眠りに落ちたかと思うとすぐにあの視線が浮かんできて目が覚める始末。
 それもなんとか押さえ込んで寝付け始めたのが3時4時と言った時間なんだからたまったものじゃない。
 こんな状態でも学校と言うところは無情で、重い身体にムチ打ちながら必死に準備をする。
 鞄に詰め込む教科書が重く感じるし、制服の袖に腕を通そうとしても思うように腕が上がらない。
 顔を洗っても頭ははっきりとしないし、食欲もあまりなくて朝食が喉を通らないというとても不快な一日の始まりだ。
 気を抜けば眠気がやって来るし、その原因をかんがみると昨日に味わった寒気などが思い起こされ気分が沈みに沈む。
 悪循環にはまりながら学校に到着して、教室のドアをノロノロと開ける。
 どんなに慎重に開けようとも音が鳴る教室のドアに反応して、教室内に居たクラスメートの視線が集まる。
 けど、それは一瞬の事ですぐに直前まで行っていた行動を継続する。・・・するのだが、今日は何故か一度外れた視線がまた集中する。しかも皆一様に驚いた顔をして。
 しかしながら狭山にその事に気付くほどの余裕は持ち合わせていなかった。
 おぼつかない足取りで自分の席に行き、辿り着くと鞄をどさっと机に乗せその上にうつ伏せに伏す。
「お、おい、狭山のヤツ今日はおかしいぞっ?」
「一体どういうことだ・・・午後からはもしかして川が氾濫するほどの大雨かっ?」
「しかし普段の元気一杯な様もイイことにはイイが、こうなんてーか今みたいな憂いっていうの?そんなのを湛えた様子っていうのも格別だな」
 なんだかこそこそと集まって語りだす男子生徒。特に三人目のコメントは大勢の同意を得られたようで付近の人間までうんうんと頷きだす始末。
「ふっ・・・えみっち(狭山)の可愛さに今頃気付くなんて遅いわね、節穴男子諸君っ!」
 ビシッと人差し指を突き出し唐突に男子生徒の会話に混じりだす女子生徒。いまこの空間は誰も彼もを高揚した気分に押し上げる不思議空間。
「今までえみっちをただの元気娘としか認識していなかったあなたたちは所詮えみっちを軽く浅くしか見ていなかったのよ!
 そう!なにも考えずにのらりくらりと他人を評するだけ評して実質、ほんの極僅かな表面しか見えずにいるくせに偉そうに順位付けをしたのよあなたたちは!!」
 勢いのある女子生徒の物言いに一様に胸を押さえてうめく男子生徒。彼らの頭のネジはゆるゆるか、もしくは完全に外れて紛失してしまっているのではないかと疑りたくもなる光景である。
 ちなみに順位付けというのは新学期早々一部男子が秘密裏に自クラスの女子生徒のランキング付けを行ったのである。よくある誰かに一票、という形式ではなく放課後誰もいなくなった教室で女子生徒一人一人を議題に上げ熱烈な議論の下に順位を決めていったという恐ろしく手間のかかった代物であった。
 一方議論の中心にある人物は、クラスの騒ぎに全く気に留める風も無く突っ伏したままである。
「はよー・・・ってあれ、えみちんがくたばってる」
 狭山の席に近い教室の後ろのドアから北見と連れ立って入ってきた本宮の第一声がこの言葉だった。
「おーい、どしたーえみちーん?」
 狭山の肩にポンと手を乗せて、そのままユサユサと揺り動かす。しかしながら狭山は反応を見せない。
「むむむ、なんだーえみちん傷心?一体全体、どういうことだと思う、上條君、笙佳」
 なおも狭山を揺すりながら、横で小首をかしげる北見と後ろの席でねむたそうに欠伸をしている上條に話を振る。
「・・・さぁ?」
 ほんの少しだけ逡巡する素振りをみせるが興味が無いのかすぐに肩をすくめてみせる北見。
 一方の上條はあごに手を当てて考えている素振りを見せる。
「んー・・・なんだろね、よっぽどショッキングなことでもあったんじゃないかなぁって思っちゃうんだけど」
「へぇーどして?」
「いやだってね、普段は傍若無人、わき目もふらず駆け抜ける暴走娘狭山絵御歌エミカ、自称17歳だからねー。ちょっとぐらいの壁なんて軽々と 粉砕して突き進む娘っ子、おそらく17歳なのに今回は何故かちょっと影を背負って机に突っ伏すなんておよそ似合わない暴挙に出てるんだから、よっぽどのこととしか思えないよ」
 本宮の方を向きながら少し大げさな身振りを交えながら語られる悪意ある言葉に、わが意を得たり、と言ったようにポンと軽く手を打つ本宮。
「なるほどねー、それは納得だわ」
「でしょ?伊達に中学からの腐れ縁じゃないよ」
 ふふん、と軽く胸を張って誇らしげな上條にうんうんと頷く。
「わたしゃ、高校に入ってえみちんを知ったからねぇ。まぁ、付き合いの差がモロに出ちゃったか。
 でもまぁ・・・私は死にたくないしね、ガンバレ上條君」
 シュタッと片手を上げて脱兎の如く逃げ去る本宮。北見も手を引かれつつ逃げる。
「は?一体なんの・・・」
 不思議そうに呟かれた言葉は最後まで発せられる事は無かった。
「かーーーーみーーーーーじょーーーーーー・・・?」
 背後から頭を鷲掴みにされ頭蓋骨が悲鳴を上げる。ついでに警鐘なんかとんでもない速さで打ち鳴らされている。
 この勝負、背後を見せてしまった時から決していたと言っても過言ではない。
「裁判長、わたくし上條は完全なる事実をありのままに述べただけに過ぎず、私には罪は無くむしろそのように言われてしまう彼女自身に多分に問題があると思われます」
 最後まで抵抗を続けて状況をさらに悪化させそうな自己弁護を行う上條。その判決は当然・・・
「ふふ・・・一度トリップしてきた方が良いと思うんだぁ・・・三途の川にねぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「ぎゃぁぁっ!!」
 酷く低い声で放たれた言葉と同時に地面へと上條の顔面を叩きつける。俗にいうフェイスクラッシャーである。
「あは、あははははははははは・・・っ!死ね・・・死にさらせっ!!」
 倒れ伏した上條に容赦なく蹴りの連打を叩き込む。上條の身体がまるでサッカーボールのようにゴロゴロと転がる。
 後にクラスメートは語った。この時の狭山の表情は極上の笑みながら悪魔と呼ぶに相応しい物であったと。
 狭山による一方的な撲殺劇は担任がやってくるまでには終了し、その結果上條は教室の隅でボロ雑巾のようになっていたのである。
 十分に上條で鬱積を晴らしたかのような狭山であったが、すべて収まったというわけでなくむしろ時間が経つごとにまた浮かない表情になり沈んだ様子であった。
 現に普段、昼食時は教室で数人の友人たちと机を囲んでワイワイと騒いでいるのだが、今日に限っては声をかけられても断り、回りを木立に囲まれ少し隔絶された雰囲気を持っているところにあるベンチで黙々とお弁当を食べているのである。
 一言も喋らずご飯を口に運んでは咀嚼して飲み込み、次を口に運ぶを繰り返す。その動作はゆっくりとしていて、食べ物を飲み込むたびに溜息がこぼれているのだから重症だろう。
「ほんと、今日はらしくないねぇ・・・よっこいしょ」
 やってきた上條がなんの断りもなしにパンとジュースを持って狭山の横に座る。その様子を横目でチラッと見て、そっぽを向く。
「朝からずーっと暗いけど、何かあった?」
 パンの袋を開けて取り出した半分だけ出したあんパン(白餡)にかじり付きつつ尋ねる。
「別にっ。何にもないわよ・・・っ」
「ふぉう?んくっ・・・なら別に良いんだけど。・・・でも、何でもない割には食が進んでないね」
 パンを飲み下しつつ放たれた軽い牽制球に、分かりやすく口ごもってしまう狭山。
「だ、だって今来たばっかだし・・・」
「おっかしいなぁ、ここに君が来てからもう10分は十分に経ってるんだけど」
 わざとらしく胸ポケットから腕時計を取り出して時間を確認する。
「うっ・・・たしかにそうだけど・・・じゃなくてなんであんたがそんな事知ってるのよっ」
「ここは僕がいつも昼時に活用してる場所だからね。先客の顔が浮かないからちょっとだけ様子見してたってわけ」
「浮かない顔なんて・・・」
「してないって言うんだったら鏡で自分の顔をじーっくりと観察した後にしてね」
 上條の言葉に反論せずに口ごもり俯く狭山。そんな様子には目もくれずに食べ終わったパンの袋を丸めて近くのゴミ箱へ放り投げる。・・・ホールインワン。
 ゴミ箱に入るのを見届けて、脇へどけておいたジュースを一口飲んで目の前に広がる木々を眺めながらポツリと呟いた。
「・・・肩ぐらいなら貸してあげるよ?何があったか知らないけど、口にして出しちゃえばスッキリするんじゃない?」
「でも・・・上條に迷惑かかっちゃうかも・・・」
「迷惑?ははっ、今更何を言ってるんだか。今まで散々迷惑かけちゃってくれてるくせに」
 とんでもない迷惑をかけてしまいそうだから遠慮をしたのにも関わらず、それを一笑に付された為むくれる。
「・・・あっそ。んじゃ今回も思いっきり迷惑かけさせてもらうから」
 食べかけのお弁当に蓋をして脇に置き、上條の肩にもたれかかって昨日の出来事を話し始めた。

 ―――同じ頃。
「さーて、えみちんは何処に行ったのかな。ちょっと顔色良くなかったし、少し心配よね」
 昼休みの廊下を北見を引きずりながら歩いている本宮。
「私には関係ないわ。だから、いい加減離してくれないかしら?もう行く場所も無いでしょ」
「ふっ、甘いね。確かに校舎内で人のあまり居そうに無い場所は行ったわ。けどね、まだ外が残ってるのよっ」
「勘弁して・・・」
 無意味に胸を張って誇らしげな本宮とは対照的にぐったりと疲れたような素振りを見せる北見。一応掴まれている腕を振りほどこうとするのだが、がっちり掴まれて振りほどけない。
 結局、校舎外に連れ出され登下校時に利用される道の横にある森の中へと入り込む。少し歩くうちに木製のベンチが現れそこには二つの後姿があった。
 それを確認するや否や本宮は人が隠れるに十分な太さの木の後ろに回り顔だけ出して様子を窺う。
「ほ〜ら、ビンゴよっ、笙佳。・・・しっかしまぁ、なんていうか・・・ってうわ!肩に頭乗せるとか漂ってる雰囲気とか滅茶苦茶恋人じゃないっ!?」
「ちょっと!声のトーン下げなさいよ、聞こえちゃうわよっ」
 ひそひそと声を潜めながらたしなめて、一体何を話しているのかを聞き取る。
「・・・やっぱり、聞こえないわ」
 相手に見つからないようにするためにはある程度の距離が必要である。しかしながらそうなると、普通に話している声が拾いにくくなる。
「ふふん、なんだかんだ言っても笙佳だって乗り気じゃないの」
 ニヤリと不敵に笑って北見を突付く本宮。途端に慌てた表情になり両手をわたわた動かして弁明しようとする。しかしまぁ、この木が人間二人ぐらいはなんとか隠せる物で良かったのやら悪かったのやら。
「こんなこともあろうかとね、実はえみちんに盗聴器仕掛けましたー」
「えっ!?」
 スカートのポケットからイヤホンと小型の機械を取り出して不敵に笑ってイヤホンを繋ぎ、片側を自分の耳へもう片側を北見の耳に押しこむ。
 何かしら言おうとしていた北見だったが、前の二人の会話にやはり興味があるのか何も言わず大木から顔を覗かせた状態で様子を確認する。
「・・・何故こんな物をもってるのかしら?」
 横目で睨んでくる北見にひらひらと手を振ってはぐらかす。
「んー?まぁ、その辺はどうだって良いじゃない。おぉ、ポツポツ話し始めた」
 話が始まると自然と無口になりイヤホンから伝えられる言葉に集中する。
「・・・うわ、マジ?こんな話ってなんか小説とかマンガとかアニメの類の話・・・ってちょっと笙佳。なんでそんな怖いカオしてんのよ?」
「別に何でもないわ。・・・話も終わったみたいだから先に帰るわね」
 そう言うや否やイヤホンを外して本宮に手渡し、もと来た道を引き返していく。
「あ、ちょっと笙佳!・・・ったく、なーに突然不機嫌になってるんだか」
 連れ回されている時に十分に不機嫌そうだったのだが、その事は棚に上げる・・・というより気に留めるレベルじゃないということか。
 ともあれ、確かに狭山の様子がおかしかった原因の話は済んだみたいなので、盗聴器の電源を切ってイヤホン共々ポケットへとしまう。
「とりあえず私も帰るか」
「あれ?麻紀マキじゃん。こんな所でなにしてんの?」
 二人にバレないうちにそそくさと帰ろうかと思ったがそうは上手く行かないようだ。振り返って分かりきった声の主を確認すると一瞬あちゃ あと顔をしかめたかと思うと、すぐにニヤニヤと笑い始める。
「なにって?う〜ん強いて言えばえみちんがイチャついてる所を見に来た、かな?」
「い、イチャ・・・っ!?そ、そんな事してるわけないでしょ!?」
 少し顔を赤らめて必死に否定している狭山に、自分も当事者のはずなのだが首をすくめて、いかにも私には関係ありませんとでも言ってるかのような態度の上條。
「そう?上條君の肩に頭を預けてる姿なんて彼氏に甘えてる彼女のようだったけどね」
「なっ・・・!」
「僕もまさかああまで素直に甘えてくるとは思いもしなかったよ。でもこれが意外にかわい・・・」
「う、うるさい、上條っ!!」
「げふっ!!」
 顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら上條にエルボーを叩き込む。体重の乗った一撃を鳩尾に受けたらしくお腹を抱えながら崩れ落ちる上條。
「おーおー、恥ずかしがっちゃって」
「あぁーもう、うるさいっ!!」
 苦しむ上條は無視してさらに冷やかす本宮の口を塞ごうと必死の狭山。なかなか楽しそうにじゃれあっているのだが・・・校舎側から鐘の音が聞こえてくる。
「うわぁっ!?もう予鈴?本鈴?が鳴っちゃってる!?麻紀、上條急ごうっ」
 授業をサボる気は無いのか急いで校舎の方へと走り去る。俊敏といえばなかなか俊敏だ。
「うーん、えみちんはいつ見てても飽きないなぁーって思うんだけど、どう?上條君」
「それは言えてるね。さっきまで全く元気なかったのに今では・・・ねぇ?」
 狭山の去っていった方を見やって頷きあう二人には授業に遅れる事ぐらいはなんて事はないようだ。そんなことより復活が早いぞ上條。
「さて我々も授業とやらに行くことにしますか」
「あぁ、いやその前にちょっと聞きたい事が」
 校舎への一歩を踏み出そうとしていた本宮にストップをかける。
「なに?スリーサイズなら秘密だかんね」
 カラカラとひとしきり笑った後、いつもの表情に戻って質問を促す。
「いや、コレについて知らないかなぁと思って」
 そう言って取り出したのは小指の先ほどの大きさの黒い物体―――盗聴器だった。
「あらら、気付いてたの?」
「狭山と話してる途中でね。一体誰が狭山に付けたのか不思議だったんだけどここに本宮さんが居たからピンときたよ」
「知らぬは本人ばかりなり、ってね」
 その言葉に二人して笑い始める。十分に笑って満足したところで今度は本宮が切り出す。
「で、上條君はえみちんの話を信用するの?」
「確かににわかには信じがたい話なんだけどね、本当の事だという可能性が結構あるんだ」
 少し困った風に肩をすくめる上條に不思議そうに尋ねる。しかしまぁ、この二人は授業などはもはやどうでも良い様だ。
「あんまり詳しくは話せないんだけど、僕の知り合いに情報屋もどきの事をやってる人が居てね。
 その人が言うにはとある大会社が秘密裏に人型だけど人よりも戦闘能力の長けた生物を開発したんだけど、それが研究所から逃げ出したって言うんだよ」
「その情報がガセって事は?」
「うーん、僕もそう思いたいんだけど、その人の情報って結構本当のことが多いんだ。だから一概に狭山の話を嘘だとは思えなくてね・・・」
 厄介なことでも背負い込んでしまったと言わんばかりに盛大な溜息を吐き出す。
「そっか・・・それで上條君はどうするの?」
「・・・あんまりやりたくは無いんだけど、頼れって言っちゃったからには対策だけはしておこうかと思う。そう言うわけで、僕は早退するよ」
「あはは、大変だね。・・・あたしは、この話については忘れる事にするよ」
「それが懸命だと思うよ」
 いい加減この場に留まっているわけにもいかず、校舎に向かって歩き始める。
「鞄はどうするの」
「うん、一度保健室に行って具合の悪い振りして許可を貰ってから帰るから自分で取りに行くよ」
「ふぅん。んじゃまぁ名演技が見られるのを期待しておこうっと」
 楽しげな表情を浮かべて相槌をうつ。
 そうこうするうちに授業中で静かな校舎に入った所で一度立ち止まって挨拶を交わす。
「それじゃあ、頑張ってね上條君」
「うん。・・・・・・・・・ところで」
「え?」
 階段へと向かっていた本宮を途中で引き止める。
「本宮さんは何か能力使えたりする?」
「え、能力?あたしは・・・」
「いや、ごめん。変なこと聞いちゃったな、忘れて」
「え?え、えぇ・・・」
 1、2度頭を振ったかと思うと「じゃ」と言って歩いていく上條。ぽつねんと残された本宮は首を傾げるばかりである。
「ま、いっか」
 彼女も目的地へと向かうことにした。
 ちなみに、5時限の半ば頃に鞄を取りに来るためにやってきた上條は、担当教師に事情説明をする声や荷物をまとめて出て行く様子はど こか辛そうな雰囲気を漂わせていて見事なものであった。

 狭山が上條に相談をした日以降、狭山はなるべく早く家に帰るように心がけた。
 そのおかげかあの日以降、特に何事も無く日々が過ぎた。なにより一人ではなく、上條が登下校の際に一緒に居てくれることが要因だろうか。
 あの日の事が徐々に遠くなるにつれて漠然とした不安は鳴りを潜めた。
 このまま何事も起きずに日々が流れて、あの日の事は完全に風化してしまうのだろう。
 そんな風に考えていた矢先であった。
 一度学校から帰宅して夕食の支度を始めていた時だった。狭山家では夕食を食べるのは午後8時とはなっているもの、必ずしも8時ではない。ある時は8時には夕食にありつけるが、10時になったり7時になったりと時間はまちまちなのである。ちなみに現在は9時である。
 何故そんな事になるのか、それはとても簡単な話で狭山家の台所の主が気まぐれだからである。一度、同じ時間帯に作れないのか、と抗議を行ったのだが「なら自分で作れ」と言われ、そこで引き下がる絵御歌ではないので実際に作ってみたのだが・・・その時の自分の料理の出来の酷さに随分と打ちのめされてしまったものである。
 それ以後母親が作る手伝いをしたり、休日の昼に自分一人で作ってみたりと努力を重ねてなんとか食べれるレベルまで持っていった。しかし母親の作るテキトーなはずなのにおいしい料理には勝てないのが悔しい所である。
 その料理の最中、調味料が切れている事に気付きお使いを頼まれたのだ。あいにくすぐ近くにはスーパーやコンビニはなく、思い当たるのは学校への行き道の途中、学校の近くにあるコンビニぐらいなものである。
 仕方が無いのでそのコンビニに行き、目的の物を見つけるとすぐに支払いを済ませ店を後にした。
 コンビニの中には人影もあったが、少し歩いたところにあるこの店が多く立ち並ぶ道においてはどうしても人が少ない。9時代ともなるとほとんど見かけない。
 例の出来事を目撃した場所へ続く路地裏の所に差し掛かったとき、思わず足を止めてしまった。あの時は物音がしたから好奇心をくすぐられて行ってしまい、思わぬ光景を目にしてしまった。
 現金なもので、あの光景を見てしまった時には夜も寝付けなかったというのに、今更あの場所に行ってどうしようと言うのだろうか。
 頭を振ってそのまま立ち去ろうと思ったが、昼に聞いた「気になるなら、もう一度行けばいいのに」という北見の言葉が胸に突き刺さる。
 本当の出来事なのに作り話めいた感覚が心の中で徐々に膨らんでいた私にその言葉は、背中を押す役割を果たした。
 そう、あの場所になにかしら痕跡が残っているかもしれない。
 そんな事を考えてあの日以降踏み入れていなかった路地裏にもう一度踏み込む。
 表通りは直線の入り組みようも無いのだが路地裏に入ってしまうといくつも分岐点が現れ、道幅も狭かったりして複雑である。
 記憶を頼りに進んでいくうちに見覚えのある道へと辿り着いた。先に見える道は曲がり角になっていて、物が積まれてあった。
 この先にあの出来事が本当だったと証明してくれる何かがあるはずだ。知らず知らずのうちにごくりと喉を鳴らしていた。
 曲がり角に差し掛かり、一瞬立ち止まる。けれどもすぐにもう一歩を踏み出した。
「・・・え・・・?」
 そこに広がった光景に思わず声が漏れた。視線の先にはあの日と同じように背を向けたストレートの髪を風になびかせた女性が立っていたのである。
 おおよそ服装も背丈も髪の長さも記憶に残った得体の知れない者の顔を潰した女性と変わらないように思えた。思わず手に持っていたコンビニの袋を落としてしまった。
「こんばんは。今日はいい夜ね」
 袋の落ちる音が聞こえたのか後ろ姿を見せていた女性が振り向き、顔の鼻から下を薄い布で覆っていたが華やかに微笑んだように見えた。
 でも本当には笑っていない、表面だけを取り繕った笑顔だっていうのは彼女が発する気配のようなものが十二分に教えてくれた。
「あ、あの時の・・・」
「あの時?あれかしら、変な生き物が首から上を押し潰されて消えてしまったのを見てしまった時かしらね。・・・図星ね」
 面白そうに発せられる女性の言葉に素直にも身体を震わせ、暗いから分からないだろうとは思うが顔が青褪めるという反応を示してしまった。
 女性はスゥッと目を細めると雰囲気を一転させ狭山を見据えた。
「貴女には何の罪も無いけど・・・消させてもらうわね」
 その言葉に恐ろしいものを感じ、落とした袋の事なんかすっぱり忘れてその場から駆け出した。
 今度はしっかりと追ってきているのが自身の立てる音に紛れてもう一つ足音が聞こえるので良く分かる。
「消される・・・わけには・・・っ」
 道の途中にあった箱をばら撒きながら逃げる。すこしでも時間を稼げればそれで良い。少しずつ、少しずつ引き離せばそれで。
 しかしながら障害物を作りながら逃げているにも関わらずさっきから距離は広がっていないようだった。そのことに焦りを隠せなかった。
 ―――もっと早く足を動かさないと・・・っ。
 視線は自分の足元に注がれ、ついさっき来た道を選んで走るという事を一瞬忘れてしまった。そして・・・
「そんな!?行き止まりっ!?」
 目の前には開けた場所ながら残す3面を壁が塞いでしまっている。入り口付近で立ち止まって振り返った矢先。
「きゃぁっ!」体の前部全体に強力な圧力を感じて、身体が宙を舞って吹き飛ばされていた。
 ―――ダメッ!ぶつかるっ!
 襲ってくるであろう衝撃に備えて目を瞑って身を固くして耐えようとした。
 しかし壁に叩きつけられる感覚が来ないかわりにどこか足元が不安定に感じた。それと後ろへ向かって進んでいたはずの身体が止まっているようにも感じる。
「あら、貴女も能力保持者だったのね」
 いつもは落ち着いて集中しないと使うことができなかった能力をこんな土壇場で使えたことに目を白黒させているうちに、距離を詰めて狭山の目前に迫ろうとしていた。
「でも結果は変わらないわ」
 狭山が気を持ち直したときには1m程の距離しかなかったが、唐突に横に逸れた。
「ひあっ!?」
 その直後狭山の眼前をブンと唸りを立てて何かが振り下ろされた。
「危ない事をするわね」
「十分にかわせるんだからいいじゃないか」
「か、上條・・・」
 振り下ろした鉄パイプを肩に乗せて少し距離を空けた女性に向き直った人間が誰かを確認すると、思わず狭山はへたり込んでしまった。
「一体何をしたいのかしら?」
「何って十分に知ってるはずなんだけどな、北見笙佳さん」
 悠然と構えていた女性が一転、驚きの表情を浮かべ上條を睨みつける。かくいう狭山は予想もしない上條の言葉に思考能力を奪われていた。
「・・・何を言い出すの、貴方は」
「何をって事実だよ。・・・ふむ、口元を隠してウェーブの髪をストレートにして、さらに化粧をして顔の雰囲気を変えてる、か。ちょっと見ただ けじゃあ、北見さんって分からないな」
 止まらない上條の言葉にそのまま人を睨み殺せるんじゃないかというぐらい睨みつけ、拳を震えさす。
「それに君の事はとっくに調べさせてもらったよ。君のご両親、とある研究所の研究員やってるんだってね?その研究所は表向きただの医薬品の開発を行ってるところだけど、実際のところ怪しげな研究にも手を染めてるんだね。たとえば・・・君が殺した人間みたいな化け物へと作り変える薬とか。
 だから君が殺したあの化け物は元人間で、君はその能力から人間から外れてしまって何らかの害を及ぼす物の・・・」
「黙りなさいっ!」
 上條の言葉を遮って上條へと迫ろうと重心を前に出した足に乗せた。
「動くな」
 そのまま駆け出そうとしたとき、北見と呼ばれた女性の首元にナイフが突きつけられた。
「なっ!?」
「君は一つの事に集中してしまうと、他が疎かになってしまうのかな。さっきも僕が近くまで来てた事に気付いてなかったみたいだし」
 北見と呼ばれた、悔しさをにじませた女性の背後にはもう一人の人間が居て片腕を後ろ手に極めてナイフを突きつけていた。そう言いながら傍に歩みよってさらに話を続ける。
「それじゃ、質問に答えてもらおうか。拒否は許さないからそのつもりで」
 もはや諦めたのか肯定の意を表していた。
「んじゃ、一つめ。あなたは北見笙佳さんですね」
「・・・えぇ、そうよ」
「二つめ。さっきの話は真実で、化け物を始末しているところを狭山に見られてしまった」
「違いないわ」
「三つめ。その事で目撃者である狭山を消す―――つまり殺そうとした」
「ちょ、ちょっと待ってっ。別に私は殺そうだなんて思ってなかったわ!」
 一瞬、この止まった空間に踊りを踊りながら駆け抜けていく集団が見えた気がした。
「―――はい?」
「だ、だって、普通の人間を殺してしまったらそこでまた穴が出来てしまう。だったら殺すよりはその記憶を封じ込めた方が社会的に安全だものっ」
 心底驚いた、という表情をして話す北見。その様子に思わずナイフを突きつけていた人間もナイフを北見から遠ざけ、マズイと思う。
 しかしその瞬間を好機と見て逃げ出すかとも思った北見は逃げ出さずにその場に留まっていた。
「え・・・っと、それ、本当?」
「本当も本当よ。殺したってプラスにならずにマイナスになるんだもの。そんなことよりも記憶をなくしてもらう為に、一度気絶をさせて施設に連れて行こうとしていたの」
「そ、そうなんだ・・・。で、でも君たちのしている事は立派な犯罪で・・・」
「実は・・・さっきちょっと嘘をついたの。上條君は故意に化け物化の薬を作って人体実験していたって言う風に言ってたけど、あの薬は元々は私みたいな能力の強化を目指して作られたものだったの。
 ところが、副作用とか害が無いかを調べる動物実験の際に動物が変わってしまって・・・それで危険だからそこで廃棄されるはずだったのを他の研究員が盗み出して・・・」
「・・・そっか、そういうことならこの事は・・・って、狭山?」
 思わず溜息をつきながら結論を出そうと後ろの狭山へと振り返るがどうにも狭山の様子がおかしい。
「そう・・・そうなんだー・・・じゃあさ、私が感じたあの感情は一体どういうことよ・・・?」
 ふふふとお腹の底から搾り出すような笑いを始める狭山。正直、こわい。
「こんなの、私だけがこんな思いするなんて・・・不公平じゃない?」
 そう呟いてゆらぁりと立ち上がってゆっくりと北見に近づく。
「で、でもだって・・・」
 なんだか言い知れぬ恐怖を感じた北見は一生懸命に弁明しようと口を開いた。が、弁明を始める前に肩を掴まれ、その痛みと狭山の背後に見える紅蓮の炎で言葉を紡げなくなった。
 助けを求めようとして周りを見回すものの、上條も、ナイフを突きつけていた人間も居なかった。
「は、薄情者ーーーっ!きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!!!!?」
 そうして路地裏に狭山の笑い声と北見の絶叫が木霊した。

「おっはよーーーーっ!!雨にも負けず風にも負けず今日も頑張っちゃいましょーっ!!」
 教室のドアを開けるなりこんな口上を述べる狭山。
 悩みの種だった事柄も他言無用を貫くと確約した日以来吹き飛んでしまったのである。
「なんだか以前より元気が溢れちゃってるねぇー、えみちん」
「まぁねー、元気がないならないで心配かけるし、あったらあったで・・・ほんと困り者だよ」
 読書に勤しむ少女から本を奪って強引に元気な挨拶をさせようと躍起になっている狭山を眺めてカラカラ笑う本宮に肩をすくめる上條。
「でもまぁ、楽しいからいいじゃない」
「とばっちりが来ないなら申し分ないんだけどなぁ・・・」
「最近は極一部からとばっちりがくるもんねー」
 よりいっそう肩を落として溜息をつく上條にニヤニヤと笑いかける本宮。その間狭山の挨拶講座は終盤に近いようだった。
「あ、上條君に素晴らしい視線を送ってくれる女の子登場」
 そう言って教室の前の扉を指差すのでつられて見てみると極力音を立てないようにして扉を開け、気配を殺してゆっくりゆっくりと狭山の後ろを通過しようとする北見の姿があった。
「おー、今日は逃げれそう」
「残念だけど、捕まっちゃうな」
 言い終わるのを待っていたかの如く、狭山が背後で抜き足差し足のまま歩いていこうとしている北見を見てにっこりと微笑む。
「おっはよー、北見さん」
「・・・・・・おはよう、狭山さん」
 対する北見は泣き笑いの表情になったかと思うと、教室の後ろで一部始終を眺めている二人の姿を見つけると思いっきり睨みつけてくる。
「今日は一段と可愛らしい視線を投げかけてるね」
「あはは、あれを可愛らしい視線で片付けれる本宮さんが羨ましいよ」
 大きな溜息を一つつくと、北見を見据え口パクを始めた。
『オ・ツ・カ・レ』
 最後に親指を立てて笑う事も忘れない。
 対する返答は親指を自分の首へ向けて左から右へと動かす。
『狩る』
 より鋭く上條を睨みつけるもののべたーっと狭山にくっ付かれて一転泣き笑いの表情に戻る。
「今日の放課後に寄りたい所あるんだけど、いかない?」
「行かない」
 きっぱりと素気無く断る北見。しかしながらそんな簡単に獲物を離すわけも無く含みのある笑顔で続ける。
「ありゃ? そんなこと言っちゃう?」
「あぁもうっ、行くってばっ」
 たった一言で折れてしまう北見は喜んでいる狭山とは対照的に盛大な溜息をついた。
「しっかし、笙佳もえらく簡単に折れるね。一体何を握られてんのかねぇ」
「さぁ・・・どうなってるんだろうねぇ」
 ある程度は知っているが、自分が逃げた後に何が起こったか知らないので事情が飲み込めていない振りをする。知っていても、同じことをしただろうけれど。
「けど笙佳には良い傾向だと思うんだけどねー。後は対等になれるかって所かな。・・・まぁ、すぐにでもなるか」
 軽く伸びをして呟いた本宮の言葉に上條は頷く。
 事実数日後にはハリセンで狭山を叩く北見の姿があった。

 結局のところ、特殊な能力を身につけてしまっても実生活にはあまり反映はされていないものである。
 その原因には能力者は当初迫害を受けたことが大きいと思われる。目立ってしまえば明日の日の目を拝めない可能性が高くなるのである。
 よって親は子供にむやみに能力を使ってはならない事を教え込むのである。
 しかしながら近年は市民権を得て随分と経ってしまったため、能力を使った殺人など犯罪が増加しているのが当面の社会の問題である。
 そのため警察では能力者に対抗しうるのは能力者との考えから能力者の登用が良く行われ、警備強化が図られている。
 しかしながら犯罪が増加しているからといえ、特殊な能力に責任があるわけではない。人間が生み出した道具と同じで使う者の心得次第なのである。
 今後の課題はこの心得をいかに浸透させていくか、だろう。




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