純愛なんて知らない (1)
上郷 伊織
◇◇◇
「また物理室か?」
5時限目を終えての休み時間、次の数学が自習だと聞いた俺は授業をフケようと廊下に出た。
「俺が何処に行こうと勝手だろ?」
お節介な二郎は俺を教室に留めようとしているようだった。
コイツの事は中学の時は友人だと思っていた。でも、今はタダのクラスメイトの一人としか俺は思っちゃいのに。
「輝(あきら)だって知ってるんだろ?変な噂が立ってるって事くらい。別に俺は輝がサボる事をとやかく言おうとは思ってないよ。でもさ、佐伯とお前がどうこうって言うのは我慢ならないんだよ」
物理教師の佐伯恵一と俺が付き合っているという噂ならば既に周知の事実だというのに、コイツは何を信じようとしているのか認めたがらないのだ。
自分の口から告げるのは憚られたが、いい加減ウザい状況を避けたくなってきた俺は二郎の耳元に爆弾を落としてやる。
「噂じゃなくて事実だから……」
「なっ…」
生々しい想像でもしたのか、二郎は耳たぶまで真っ赤に染めてその場に固まった。その姿を小馬鹿にするように一瞥して俺は廊下の向こう、特別教室棟へ歩みを進めた。
◇◇◇
物理教室の引き戸を開けると珈琲の良い香りが漂っていた。
「今日はブルマン?」
知的な瞳が俺に向けられた。
「やあ、早いね。ブルマン7にモカ3の比率でブレンドしてみたんだ。君もどう?」
俺がサボった事など解り切っているのに、この教師は注意すらしない。むしろ歓迎の微笑みを俺に向けてくる。人にあまり興味が無いとは聞いていたが、本当に干渉しない人だ、と呆れてしまう。佐伯の傍に近寄ると相変わらず器用な仕草でスフレのような泡を作りながらドリップを続けている。道具に凝る割にはカップを用意する事も無く、相変わらず傍らには二つのビーカーが用意されていた。
「注意しないんだ」
「輝が来てくれたのにどうして私が注意する必要があるのかな。どうせ単位に響かない程度なんだろう?」
「ご明察」
理解のある教師へのご褒美に肩越しの軽いキスをした。
俺と佐伯が付き合い始めて半年になる。
最初からコッチの気があるのは佐伯の雰囲気と俺への視線で気付いていた。物理は選択していなかったけど、中々別れてくれない奴に追いかけられている時にココに逃げ込んだのが運のつきだったような気がする。
そいつをやり過ごす為に俺は自分からいきなり佐伯に口付けた。相手が諦めてくれさえすれば良かったんだ。なのに、この佐伯という男は舌を絡めるのみならず思い切り腰にくるようなキスを返してきやがった。その時、俺は頬が紅潮するのを止められなかった。追いかけてきた奴に蕩け切った顔をわざと向けるように佐伯が体を捻ったのも解らないでいた。その日、最後の乱入者に佐伯は自信満々に告げたのだ。ぐったりとした俺を抱きしめながら「君は私よりもこの子を満足させられるのかな?」と。
別れ際、「またおいで」と言われたから、俺は一週間も経たない内に準備室に行った。居心地が良かったから繰り返し何度もココを訪れた。そのまま流れに従っていたら、いつの間にか半年が過ぎていた。
今迄付き合った中で、佐伯が一番大人だった。
長い付き合いの友達に言わせると俺は節操無しなんだそうな。
そんな風に言われても、俺としては嫌いな奴となんかどんなに言い寄られても付き合わない。一応は俺にだってボーダーラインってモノがある。それでも高校2年で付き合った人間がもうすぐ二桁になるなんて異常なのかもしれない。
「飲み終えたら私のマンションに来る?」
お泊りかどうかを佐伯は確認したいらしい。
「……う〜ん。ここでいいや」
「即物的だね」
そう。ここでって事は一回でいいから早くしたいって意味。暗黙の了解があるから佐伯は面倒がなくていい。
俺が飲み終えたビーカーを実験台の上に置いたのを合図に佐伯は俺を抱き上げて奥の準備室へと移動した。支えている筈の手がしっかり尻を撫でているのに笑いが抑え切れなかった。落ち着いた物腰の癖にスケベな奴だ。
つづく