時間のタリナイ恋なんて・・・1
上郷 伊織
◇◇◇◇◇
ガタンゴトン、と音を立て、時折起こる緩やかな揺れに、加納聖は身を任せていた。
午前9時、新宿発『特急列車あずさ』は一路目的地甲府を目指して風を切って走る。
車窓からはのどかな田園風景が流れ、大都会から遠く離れた土地への移動を自覚させる。
視界の中に葡萄棚を認め、聖は目をこらした。
市のHPの通り、「山の都」が顔を覗かせた。
甲州ぶどうの産地である甲府はワインの名産地としても名高いらしい。
────
みやげにワインでも買いてぇなぁ
──── 観光じゃねぇもんなぁ
きっと、到着した先には観光マップに描かれた神社・仏閣・葡萄園がある事を思い浮かべると、気持ちは浮上する。
──── ケッ、似合わねぇ〜
窓に映った自身の服装を見ると、気持ちは沈む。
何が悲しくて、新入社員御用達のビジネススーツを自分が着ているのだろう。
しかも、色はお決まりダサダサの紺。
服の色的には顔映りはいい。似合いはする。だが、色素の薄い背中にまで届く長髪が完璧に浮いている。
あまりにも趣味とのギャップが開き過ぎて、仕事を引き受けた事にさえ後悔の念は募る。
聖の山梨県来訪はあくまでもビジネス目的であった。
────
絶対、早いこと仕事終わらせて、遊んでやるからな!
目標も新たに、聖は手元の資料に目を落とした。
今回の聖の仕事はプログラム作成。
契約内容には記載のなかった出張仕事である。
2週間の日程で東京は新宿から約2時間の場所、エンドユーザーの社屋での現場仕事となった。通いかどうかを念押ししたところ、甲府での宿泊先は既に手配済みになっていた。
断る事も出来たかもしれない。
契約内容には無かった事だ。
だが、どうしても今回ばかりは断るわけには行かなかった。
現場が近付けば近付く程、騙されていると思える状況である。
「これってさ、火の点いた現場らしいよ」
前方に座る、岡田という男が口火を切った。別口で送り込まれた出向社員である。本人は24歳と言っていたが、見た目には10代と言っても通る程の童顔でのほほんとした坊ちゃんである。プログラム作成の経験も浅いらしく、不安げに聖に話しかけていた。
「そうなんですか・・・」
すっかり猫を被って控えめに聖は応えた。
「聞きましたよ。F社の尻拭いだとかで、あそこは結構こういう事が多いらしいですからね」
大貫敬一と名乗る、落ち着き払った30男が相槌を打つ。
───
火が点いてようが、爆発してようが、俺はやり遂げてやる
半ば意固地な程の決意を聖は心の奥で固めた。
実のところ、スキルアップにも繋がりそうもない助っ人仕事など、それほどの収入にも繋がらないし、17歳と偽っての面談で20歳と偽れと言われた時点で胡散臭いとは思ったのだ。お陰で中学生がリクルートスーツである。普通の状況ならば、絶対に引き受けない。
引き受けた理由はと言えば、一昨日の電話のせいなのだ。
そう、あの訳の分からない電話が聖をココまで動かした。
あいつは開口一番こう言った。
「今回の仕事は断れ」と。
自宅の電話で初めて話す内容がそれだった。
理由も言わず、いきなり断れと言われて「はい、そうですか」と言える訳もなく、理由を聞くと、電話は一方的に切られた。
「絶対に断るんだぞ」という捨てぜりふを残して。
それだけの味気ない電話を寄越し、社交辞令的な挨拶も抜きなのが、自分の恋人だと思うだけで、ただそれだけで、頭は沸点に達した。
甘い言葉を期待している訳じゃない。
ある程度、仕事の忙しいヤツに恋人としては合わせてやろうと思っている。
納得がいかなかった。
恋人だからといって、なぜ、仕事の事にまで口出しされなければならないのか?
意地でも、この仕事は引き受けてやる。
売り言葉に買い言葉。
喧嘩を売られたにも等しい気分で聖は今この列車に揺られていた。
つづく