2007.12.31up

やいてんねん 2

上郷  伊織

   ◇ ◇ ◇

 食欲をそそるゴマ油と生地の焼けた匂いが室内を包む。
 焼きたてのタコヤキを皿に盛り付け、予め出汁の入った小鉢を乗せた盆を片手に、大は一階の厨房から二階の住居へと続く階段を上った。その間、一階の上がりかまちと階段を上りきった所で頭を打ち付けそうになり、舌打ちをした。元々築三十年の木造住宅をリフォームしただけの我が家は天井が低い。巨漢とまではいかないにしても、昔々の建物は百八十半ばの大の身長には障害物だらけの建物だった。普段ならば自然に避け切る障害物の数々を、慌てた時などは忘れてしまい、痛い目をみるのだ。  ドアを開き、リビングに足を踏み入れると、ブカブカのスウェットスーツに身を包んだ風呂上りの穣と目が合った。
(大きいやろうとは思てたけど、まるっきり服の中で泳いでる感じやなぁ)
 穣の格好に互いの体格差をしみじみと実感させられ、苦笑が漏れる。
「メシ食ってへんて言うてたやろ」
 畳敷きのリビングに置かれた低いテーブルに、先程用意したタコヤキや出汁の入った器を置いていくと、穣は意外そうに目を瞠る。
めん内に食べや。今、お茶入れるわ」
 テーブル前に正座する穣の後ろを横切り、奥まった台所へ入る。冷蔵庫から冷やした煎茶を取り出し、グラスに注ぐ。
「……これ、食べたかってん。あのな、僕、東京おったやん。なんとのう寂しなったらな、なんか知らんけど、タコヤキ食べたなるねん。せやのに、あっちで店調べて行くやん。したらな、違うねん。僕が食べたかった味とちゃうねん」
 割り箸で器用に柔らかいタコヤキを摘み、一つ口に放り込んで、じっくりと咀嚼した後、穣は涙ぐみながら小さく呟く。
 自分用に用意した缶ビールを片手に穣の隣に胡坐あぐらをかいた。
「そないに違うか?」
 泣く程に懐かしい物だったのか、と半ば困惑しながら大は訊ねた。
「うん。違う。これやねん。生地がな、中はトロトロで外はカリカリしてて山芋とカツオの出汁味が効いてて、口の中、火傷しそうやのに、早よ食べな損した気分になる。これをまた出汁に浸けて食べるやん。ほっとすんねん」
「そうか……」
「あっちはこんなんあらへん。粉が多すぎて硬かったり、なんや蛸以外にいろんなもん入ってたり。チーズなんか入れるアホまでおるんやで」
 はふはふと忙しく口を動かし、飲み込む毎に穣は語る。
 出汁の器を持った左手は小刻みに震えていた。
「そりゃ、今時、チェーン店やったらチーズくらい当たり前やで」
「けど、ちゃうんやもん。僕が食べたいのはシンプルに見えて生地に手間のかかってるタコヤキやねん。ソースなんか掛けんでも、ちゃんと美味しい味がするのがホンマもんや。それ考えたらな、大さんとこ行かな食べられへんて解ってもうてん」
 十二個並べた内の半分を食べ切って、穣は出汁の器に両手を添えてため息を吐く。
「こっち帰って来た時、ウチに来たらええやん」
「………そやけど、あんまり来られへん」
 自分が作るタコヤキを褒められて、嬉しくないわけはない。その事には照れくさいような、甘痒い気分になるものの、どうも穣の表情が硬い。悲し気にさえ映るのは気のせいだろうか。
「何? あっちで仕事忙しいんか?」
 何気ない大の質問に穣の表情が曇る。やがて、何かを吹っ切るように、グラスに半分程残った煎茶を一息に煽り、口を開く。
「ちゃうよ。忙しいどころか、……僕、仕事辞めてきてん」
「はぁ?」
 脈絡のない穣の話を根気良く聞くつもりで、相槌を打っていた大の表情が一変する。
「……さっきの男な、アレ、僕のストーカーやねん」
「なんやと!」
 聞き捨てのならない内容に怒りがこみ上げ、思わず声を荒げた。
 昨今では珍しくもない話ではあるが、自分の身近な存在が、そのようなトラブルに見舞われ、ましてや被害者ともなれば話は別である。しかし、仕事を辞めた事と、ストーカーに追い回されている事とが、関係あるというのだろうか。
「いやっ、元々は僕が悪いねんけど……」
 興奮を露にする大を、諌める様に穣は話し続ける。
「ストーカーなんかされて、みっちゃんが悪い事あるかい。アホな事言うたらあかんで」
「だって、僕が、僕が発展場なんか行って、誘われて、それで……」
「……みっちゃん」
 穣が発展場に行くなどと、にわかに信じられない事を聞かされ、大は顔色を失った。
「そいで、ホテルまで行った癖に途中でこわなって気持ち悪うて、蹴倒して逃げたんやもん」
「それから付き纏われてんか。…まさか、会社辞めたて………」
 行きずりの男が、自分の聖域とも誓った存在に触れた。その事を思えば、怒りを目の前の弱々しい存在にぶつけそうになる。しかし、穣に罪があると思いたくはない。
 穣はすっかりしょげ返り、俯いた顔を上げようとはしない。
「うん。たぶん、出会った日は酔っ払ってたから、その時名刺入れ落としたん。それで、会社まで分かってしもたんやと思うねん。何回も会社に来て……。僕、会社にバレるのも、バレて後ろ指指されるのも怖くて……。今の仕事にもそんな執着なかったし、そいで辞めてしもてん」
 落ち込みの酷い様子に、慰めたい気持ちすら込み上げて、大は穣の頭をそっと撫ぜた。
「ホンマ、僕、格好悪い……。どんくさいにも程があるわ。アイツがこんなトコまで追いかけてくるなんて、思わへんかってん。……どうせ、このまま付き纏われてたら、大さんの耳にも入るやろうし。せやったら、自分の口から言うた方がマシかなと思ってな。ごめんな、こんなつまらん話聞かして……」
 すでに穣は軽はずみな行動の罰を過分な程に受けている。会社を辞める必要など普通で考えればない筈なのだ。たまたま、関わった相手の質が悪かったというだけで。
「せやけど、なんで、みっちゃんが発展場なんか行かなならんねん。みっちゃん、めっちゃモテるやん。そんなとこ行く必要ないやん」
「モテるよ。けど、あかんねん」
「女があかんちゅー事なんか」
 穣の兄貴分として、大人の対応で、冷静に聞き役に徹してやらねばならない、という思いとは裏腹に、感情は抑えきれない。
「女かぁ……。女ちゅーよりは、なんか性別関係なくあかんみたいや……。好きな人しかあかんみたい」
「そら、誰しもそうちゃうん」
 昔から穣には女なら腐るほど寄って来たではないか。それを知っているからこそ、穣ならば普通の家庭を作って、普通に幸せな人生を歩めるだろうと思ったからこそ、大は穣に寄せる恋情を表に出しはしなかった。
 それに、穣の父である誠一は、大が兄貴分として慕った人でもあった。
「好きな人には好かれへん。もう、いい加減やんなってな。せやったら、後腐れのない人相手にして、遊んで、きぃ紛らわして、適当に仕事して生きてるしかないんかなぁ、なんて考えてしもたんよ」
「そんなん、みっちゃんらしゅうないわ」
 前向きで、負けん気が強く、努力家な穣。そんな穣を大は長年に渡って見守ってきた。
「だってな、相手して貰われへんねんもん。なんか、いい感じかなぁ、って思ったら、はぐらかされてばっかりで。ずっと、その人しか好きになられへんのに……。僕、何回振られたか、もう、覚え切れへんくらいやねん」
 男同士とは言え、穣を振る人間がいるなどと、信じられない気分である。
「その相手が男やったんかいな。その気にさすような素振りばっかり見せられて、振り回されとったんかい」
「そうや。僕、もうボロボロや」
 涙ぐむ穣を大は強く抱きしめた。
「そんな奴、みっちゃんが好きになったる価値あらへん。よっしゃ、俺が代わりに一発殴ったる。何処のどいつじゃ、みっちゃん言うてみ」
 早くそんな相手の事など忘れてしまえばいい、と思う心が相手の男への憎しみへと重なっていく。穣に辛い思いをさせた相手を、本気で殴ってやりたい。
 あくまでも可愛い穣の味方のつもりでいるというのに、穣は忌々しそうに大を見上げ、抱きしめる大の身体を引き離そうと両手で突っぱねる。
「………やっぱりあかん」
「何があかんのや。俺が殴ったる」
 まだ、庇いたい程に相手の男が好きなのか。相手の男に対する怒りは更に増していく。
「……自分で自分、殴る気なん」
「………………はぁ?」
 すぐには穣の言葉の意味が頭の中で整理出来ず、大は間抜けな声を上げる。
 力の抜けた腕から逃れ、対面の位置に正座した穣は、眉間に皺を寄せて睨みつけてくる。
 殴る相手が自分だという事は、つまりは、穣を泣かせ続けた想い人は大自身という事で………。一体、いつからそういう事になっていたのか。確かに、過去、一度は穣からの恋心を感じたような気がしたような……。しかし、あれは思春期特有の穣の勘違いだという事に大の中では処理されていた。
「僕がなんで花の湯に誘われても一緒にいかんようになったかなんて、大さんは考えへんかったん……」
「……や。え? 思春期やから恥ずかしいんかな、とか……」
 あまりの出来事に動揺は隠せない。しかし、その先の話は是非とも聞かねばならぬ。畳に手を付き穣の瞳を覗き込む。
 確か、穣が誘っても銭湯に行かなくなったのは、穣が中学に入学してまもなくだった記憶はある。
「ちゃうやん。大さん、僕にめっちゃえげつない事した癖に。大さんは助けたつもりかもしれんけど……」
 穣は頬を染め、唇を噛む。
 えげつない事など穣にしただろうか?
 あの頃と言えば、穣がやっと精通したのを喜んだ覚えが……。当時の記憶を紐解く過程で、大は心当たりを見つけ出す。
 いつものように花の湯に穣を誘い、一緒に風呂に入ったまでは良かったのだが、その日は穣の様子がおかしかった。脱衣所で、いつまでも服を着ないでロッカー前にしゃがみ込んだ穣が、股間を押さえていた。トイレに穣を連れ込んでタオルを取らせると、穣の幼い可愛い股間が勃起していた。その場で丁寧に擦ってやったが、先端を皮が覆い、射精が阻まれ、痛がるばかり。仕方がないので、兎に角、穣に服を着せ、自宅に連れ込み、皮を剥いた。ようやく穣は射精して、それが精通だったと後で知った。
「僕はめっちゃ恥ずかしかってん。どんな顔して大さんに会っていいのか判らへんし、思い出したら顔火照るし、なんか、身体も変になって……。せやのに、次の日には大さんはいつもと同じ。普通に僕に声かけて、普通に笑うんやもん。なかった事にするしかないやん」
 痛みに涙を零しながら、顔を真っ赤にして、薄い皮が捲れた途端、薄桃色の唇から可愛い声を上げ、柔らかな、筋肉など殆ど無い幼い身体を震わせていた穣は可愛かった。
 口付けたい衝動を抑えるのにどれ程苦労した事か……。正気に戻った穣が、怒って帰ってくれた事に、感謝したくらいであった。
「せやけどな、みっちゃん。あれは男にとっては必要な事なんやで。あのまま放っといたら、未だに包茎やったかもしれん。それに、血ぃも出んと綺麗に剥けたんやから、良かったやん。しっかり達ってたし」
 当時の事を思い浮かべると、頬の辺りがヒクヒクとこそばゆく、にやけてしまいそうな表情を必死に取り繕う。
 目の前にいる穣が、今にも沸々とした怒りを爆発させそうに拳を震わせていたからである。
 大にとっての微笑ましい記憶は、どうやら穣にとっては屈辱の記憶でしかなかったのかもしれない。
「高2の時かって、僕はな? どないしたら大さんに気持ちが通じるやろって、悩んだ挙句に…キ…キ……。あかん。こんなん言うても通じひんのに……」
「……キ? もしかしてキスか?」
 先程の話を吹っ切るように穣は話を続ける。
 穣からの、僅かに触れるだけのキスを思い出す。
 いつものように店に立ち寄った穣が、モジモジと何か言い出し難そうにしていると思えば、『付き合って貰いたいんやけど』と言い出した。何の事だか判らず、大が黙り込んでいると、『こういう事』と、告げた直後に穣の唇がそっと触れて、すぐさま離れた。一瞬の出来事に、当時、穣が同級生の女の子と並んで歩く姿を何度か目撃していた大は、てっきり男女交際のノウハウをレクチャーして貰いに来たのだと思い込んだ。
 穣のキスは初々しく、可愛いものではあったが、あまりにも下手糞だった。些末な事で振られるというのも情けない。また、穣に対しての劣情が、レクチャーする立場にカコつけて堂々と触れても良いような、都合のいい解釈へと大の心理を突き動かした。
 そして、何も知らない穣の唇を思うさま貪った覚えがある。
(柔らこうて、トロトロで、たまらんかったなぁ)
 記憶は体感にまで至り、その時の唇の味まで思い出す。ほんのりと甘いラムネの味がしていた。
(ん? ちょぉ、待ったりーな)
 大に気持ちが通じる?
 という事は、つまりは、あの時、穣が付き合いたいと言ったのは同級生の女の子ではなく、自分だという事で……。
 とすれば、大いに失礼な事をしてしまっていたのではないかと、思い至る。
「地元と東京と両方の大学受かってたから、報告に来た時も……東京の方がレベル高いからとか言うて………。がんばりや、ってなんやねん。身体に気ぃつけて、ってなんやねん。僕は行くなって言うて欲しかったんや」
「いや、まさかなぁ。みっちゃん……」
「そうや。僕が好きやったんは大さんや」
 接吻後の態度も、進学すると言った時の穣の思い詰めた素振りも……。
「知ってたくせに」
 確かに穣の気持ちを薄々は感じ取っていた。
「僕何回も好きって言うたもん」
 大が高校生になったばかりの頃、穣は産声を上げたのだ。歳の差にして十六。しかも、大も穣も男である。大自身に拘りはない。
 けれど、大の兄貴分であり、穣の父親でもある誠一は、穣の将来を輝かしいモノであると疑わない。ゆくゆくは可愛い孫を見せて貰えるだろうと、大に語った事も一度ではない。
「嫌いやったら断ればいいのに、いつかって、俺も好きや、って言うといて、そんではぐらかして、僕の事、こっから追い出したんやんか。僕の好きはラブやのに、いつの間にかライクに掏り替えて、無理やり話し終わらす。そんなんでどないしたら諦められんねん」
 穣にとって、大と付き合う事はマイナスになってもプラスにはならないと、そう思ってはぐらかしてきた。
 大自身も気持ちを殺してきた。
(あかん。もう、あかんわ)
 だが、未だ心は変わらないと、穣は言い募る。
 これほど熱烈に、好きな相手から告白を受けて、黙っていられる男が果たしているだろうか。
「もうええよ。今日かって、公園でアイツに出くわさへんかったら、真っ直ぐ家に帰るつもりやってん。こっちに暫くおる間も、大さんには会わんとこって思ててん。あんな事さえなかったら、会わんで済んでたんや。僕が近所の昔馴染みやから親切にしてくれてただけやろ。もうええよ。僕みたいなんに合わせてくれんでも。気色の悪い子やってスルーしてくれたらええねん。僕、なるべくココの近くも通らへんし。この店にも来ぃひんし。さっさと次の就職先とアパート決めて、この街も出て行くんや。そいで、そいで……」
 理性が音を立てて崩れ去る。
(ごめんな、誠さん。やっぱ俺、あかんわ)
 返す言葉もない大に焦れたのか、穣は勝手に話しを完結させるつもりらしい。
「もう、なんか自分が嫌や。こんなん言うて……」
 大に対する積もりに積もった不満や鬱憤を、それに含めた恋情を、吐露してしまった事に自己嫌悪までして、いじらしい言葉を紡ぐ薄桃色の唇がいとおしい。
 自分が煮え切らなかったばかりに、穣に惨めな思いをさせた。あの時、しっかりと心ごと抱きとめて、自分に縛り付けておけば、あんなストーカー野郎に触れさせる事も無かったのだ。
「ごめんな。気ぃ悪い事ばっか言うて。僕、帰るわ。服、貸してくれてありがと……」
 大が覚悟を決めて語りかけようとした時だった。
 美しい面に陰を落としたまま、穣は大の部屋を出て行こうと立ち上がる。
 このまま帰す訳にはいかない。
 まだ、大は正直な気持ちを穣に告げてはいない。
 誤解された原因は自分にある。しかし、このまま穣を帰して、永遠の別れなど冗談ではない。
「待て、待て、待て!」
 慌てた大は立ち上がり切れず、ドアへと向かう穣の腰を強く抱きしめた。歩き出していた勢いで、穣は前方につんのめって畳の上にうつ伏せるようにして転ぶ。
「え? ちょっと…な、なっ」
 一緒に転んだ大は、気付くと穣の太もも辺りに顔を伏せるような格好になっていた。視界に入る生肌に、一瞬言葉を失う。よくよく見れば、穣が着ていた筈のスウェットのズボンと共に、下着までもが膝辺りまでズリ下がっている。しかも、その衣類ごと穣の両足を抱えているのは自分の腕だ。大の衣類は穣には大き過ぎたようで簡単に脱げたのだろう。
「や、その……悪い」
 穣の上から起き上がろうとした瞬間、目にした光景は、また、壮絶に刺激的なものだった。トレーナーの裾が、穣の尻と、足の付け根の境界までを絶妙に隠している。見えそうで見えないチラリズムに、大の脳は沸騰寸前である。
「はっ、離して、もう、なんでこんな……」
 事態を把握した穣は、慌てて立ち上がろうとし、片膝を畳に付こうとするものだから、大としては視覚的な刺激にたまったものではない。
「………ごっつい悩殺ポーズや」
 トレーナーの裾が、穣の動きに合わせてずり上がる。自然、小さく真っ白な引き締まった尻たぶがチラリと顔を出し、腿の間からは薄いピンク色の果実、そして、その延長線上には、先端だけが僅かに濃いピンクの花芯が揺れてチラチラと見え隠れする。
 大はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「……え? やっ、いやや。……どこ見てるん」
 慌てたように穣は服の裾を伸ばして股間を隠し、振り返って大を睨みつけてくる。すると、今度は後ろの布地が引っ張られ、腰まで露にしてしまう。
(うわー。俺、めっちゃ試されてる?)
 見てはいけないと思いつつ、視線が外せない。
 第一、先程までの緊迫した雰囲気からいって、ここで盛るわけにもいかない。さっさとズボンを上げて着せ直してやればいい。そして、事故だと謝れば済むだけなのだが……。紳士的態度とはそういうものだろう。
 されど身体は非常に正直で、先程から血が逆流したように体中を渦巻いて、大の股間は異常な程に興奮していた。
(煩悩退散。煩悩退散。あかん。鼻血出そうや)
 心の葛藤を隠そうと努力しつつ、穣の膝に纏いついたズボンと下着に手を掛ける。
「ごめんな、ワザととちゃう。穿かしたげるから……」
 低い声音を作り出し、なんとか平静を装って、白桃のように滑らかなカーブを描く尻を隠してやるが、どうにも股間を隠す穣の両手が邪魔になり、ズボンが上がり切らない。
「……手、離さんとズボン上がらへん」
 穣は大人しく手を離す。
 ズボンの中に入りかけていたトレーナーを上げた瞬間、股間が露になり、軽く首をもたげている花芯が視界に入る。
 大は慌ててズボンから手を離した。
 見られた側の穣も興奮してしまったようである。
 心臓の鼓動が煩い位に激しい。
「……折角、綺麗にお別れしよう思うたのに。大さんとおったら締まらへんわ。もお……。いや」
 畳に突っ伏した姿勢で、伏せた顔を隠したまま脱力したように穣は小さく呟きを漏らす。
 大は小さな背中を後ろから抱き寄せた。穣の肩が僅かに震える。
「お別れって、そんな悲しい事言うたらあかんよ」
「ほな、同情で今まで通りの付き合いしてくれるいうのん? 僕はそんなん嫌や」
 耳元に唇を寄せると、跳ねるように穣は身体を逸らし、大の腕から逃げようともがく。
「今までの事は俺が悪かった。ごめんな。謝るから、こっち見てくれや」
 ちゃんと顔を見て話をしたいのに、穣は首を振るばかりで大の方を向いてはくれない。
「みっちゃん、穣。俺かてお前の事、昔っから、ごっつ好きやねん。はぐらかしたんは悪かったから」
「………嘘や」
 やっとの事で吐き出した本音は信じて貰えない。
 今までが今までだけに、穣が意地になるのも無理はない。
「嘘ちゃう。俺は穣に惚れてんねん」
「何? また、僕の事おちょくるの」
 薄茶色の瞳に涙を溜めて穣が睨み据えていた。
 信じて貰えなくとも、何度でもしつこい位に言い募り、穣が納得いくまで告白するしかない。
「なぁ、みっちゃん。考えてもみてくれ。俺が誠さんの子に惚れたからって、簡単に手ぇ出せると思うか? 俺にとっては、それだけでも手の届かん相手やねん。その上、年かって十六違う」
「そんなん生まれた時からや。僕が男やから嫌やったんちゃうの?」
「男が嫌やったら、わざわざ触ったり、キスしたりせーへん。教えたる言うて、ホンマは穣にキスしてみたかっただけや。どうせ、俺のモンにならへんのやったら一回くらいいいやろ、って思ただけや」
 拗ねたように唇を尖らせて、否定の言葉ばかりを紡ぐ唇に思い切って唇を重ねる。一瞬、目を瞠った穣は抵抗を忘れたように硬直してしまう。その隙を盗んで、閉じようとする口に舌を差込み、緩やかに口腔を味わった。呼吸すら侭ならないのか、覗き込んだ綺麗な瞳はボンヤリと焦点を失い始めていた。
「……ふっ。…う………やぁ…」
 なんとか合わさった唇をずらし、呼吸を試みる穣が、あまりにも不慣れで可愛らしい。鼻にかかった声は甘く、幼い色香すら含んでいる。
「やっぱ、可愛いなぁ。鼻で息するんや。教えたやろ。復習せんかったん」
 こらえ切れず、いやらしい笑みを口元に浮かべてしまう。
「誰と復習するって言うねん」
 すると、憤慨したように穣は大の頬を抓る。
「痛ってーな。高校生の時、みっちゃん、女の子とよお一緒に帰っとったやんか。その子らやったら何ぼでもさしてくれるやろ。そっちの方が、こんなおっさんよりずっと良いと思うやろ?」
「あんなん、付き纏われとっただけや。ちゃんと断ったけど、道歩くのは勝手やからって家の中に入るまでついてきよったんや」
 吐き捨てるように呟き、穣がむくれ出す。これ以上拗ねられてはいけないと、大は起き上がり、穣にも座るようにと促した。
 どんな風に口説けば機嫌を直してくれるのだろう。
「みっちゃん、穣。こっちおいで」
 昔から大が真面目な顔でこう呼ぶと穣は従う。聞き分けの無い時に諭したり、悪い事をした時に怒ったりする場合はいつも「みっちゃん、穣」と必ず呼び直していた。
「こっち向いて、足開いて抱っこや」
 顔はそっぽを向いたままでも、胡坐をかいた大の膝の上、向かい合わせにオズオズと足をかけてくる。
「もう、拗ねんといてーな。わかってるんやろ? 穣、愛してるんや」
 細い肢体が膝の上に跨った。耳元に優しい声音で囁く。抱き締めて、あやす様に背中を撫ぜてやると、気持ち良さげに穣は目を細め、肩に頭を乗せてくる。
 小さな頃から穣が愚図った時にはそうしてきた。それが二人の間では当たり前の行為だった。
「ほんまに?」
「ほんまや」
 大がその気にさえなれば、いつだって穣を思い通りに出来た。ましてや、穣が大に想いを寄せていると知った今ではそれは確実とも言える。
「今もな、穣の事、触り倒したいくらい興奮してる」
 二人の間に手を割り込ませ、穣の股間を撫ぜる。ビクリと戦慄いた体の反応を楽しみながら、悪戯な掌で柔らかな布地ごしに性器を包んでやると、穣の腰は逃げを打つ。
「なっ……何するん。……触ったら…あかん」
「ココ。俺と一緒や」
 既に張り詰めた性器が布越しにもハッキリと判る。もう一方の手で穣の手を自分の股間に導こうと引っ張るが、大の意図を察した穣は目元を真っ赤に染めて、引かれた腕を胸に抱く。
「恥ずかしがらんでもええよ。俺は触りたい。穣は触りたないん」
 大の胸に顔を埋めた穣は、くぐもった呻きを上げる。
「うう……無理。あかん」
「何があかんの」
「………僕、変になるもん」
「変て……」
(ここまで来ても焦らすんかいな。殺生な)
 ドクンと手の中で膨らみが脈打つ。熱い吐息が薄いシャツ越しに染み入ってくる。
「大さんの裸見ただけでも変になったのに、触るのなんか……無理」
「俺の裸みたいなもん。昔、よお見てたやんか」
「ちっちゃい頃は平気やったけど……もっ、…もう手ぇ、手離して」
 平気でなくなった頃と言えば、穣が銭湯に来なくなった直前という事か、と思い起こす。昔の感覚を思い出したのか、穣の股間から湿った僅かな感触が掌に伝わってくる。
「もしかして、俺の裸見て勃ってもーてたん」
 無言の肯定に嬉しさが増す。無意識に手の中の膨らみをヤワヤワと揉んでしまう。
「…やっ……。……ぁ……ッ…あっ」
 大の与える刺激に穣の背が撓り、甘い吐息を吐きながら、硬く閉じた瞼から一筋の涙が毀れ落ちる。背を小刻みに震わせ、腕の中の身体が息を詰め、ぐったりと再び大の胸に顔を埋めた。
「…え? ……ってもうたん?」
「……も、はっ、はなして」
 愛撫とまでもいかない軽い刺激のつもりだったのに、穣の股間からは濡れた音が漏れ出る。震えながら息を整え、愕然とする穣。問いかければ、また、上目遣いに睨まれる。
「溜まっとったん?」
 つい、好奇心で下着と一緒に穣のズボンを下ろしてしまう。濡れそぼった花芯は僅かに力を残していた。穣は腕の中でジタバタするが、大を跨いでいる姿勢では逃れようも隠しようもない。
「嫌いや。…そんなんする大さん嫌い」
 抵抗も無駄に終わったと知ると、今度は大の頬を力なくぺちぺちと撫でるように叩く。
「気持ち良かったんちゃうん。ようさん出たし」
 叩かれながらも満面の笑みを浮かべると、尚も頬を叩く手を止めない。
「嫌いや、嫌いや、嫌いや、嫌いや。触ったらあかんって言うたのに……」
 漸く手を止めて、恨めしそうに大を仰ぎ見る。
「……パンツ濡れたやんか、あほ」
 濡れた瞳が熱を孕んで大を誘う。
 結局、下着を濡らすのが嫌だったのか、と吹き出しそうになる気持ちを抑えつつ、穣を掻き抱く。 「そないに嫌いなん?」
「嫌い言うてるやん」
 本気で言っている言葉とは毛程も思っていないのに、穣をワザと追い詰めた。
「ほんまに嫌いか」
「………………うそ。好き」
 可愛い呟きを漏らし、穣の唇が大のそれに合わさってくる。それに応えるように軽く口付け、音を立てて唇を離す。
「もっと触っていいか」
 掠れた囁きを漏らすと、穣はコクリと頷いた。

                         つづく

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