阪神・淡路大震災に寄せる「四季の花」
解 説  10年一昔と言うとおり、10年が過ぎると、世間では震災が遠い日の出来事になり始めていました。そんな時だから、改めて震災を振り返ってみようと創作に取りかかったのが、阪神・淡路大震災に寄せる「四季の花」です。
 メモリアルウォーク 2007の途中、道端の山茶花に気付き足を止めました。今日は1月17日。あの日もきっと咲いていたでしょう。しかし、あの時の山茶花に目を留めた人はなかったはずです。12年目にして、やっと街並みと山茶花を同時に見ることができました。これを心の復興というでしょうか。しかし、手放しでは喜べない何かがあることも同時に感じました。今日を生きるのが精一杯。持ちきれないものはその場に残し、取りに戻れない事がわかっていても、そのままにしなければならなかった毎日。忘れた方がいい悲しい涙は覚えていても、温かい感謝の涙はすっかり忘れている。もう一度あの日を思い起こし、これからも、伝え続けることの大切さを山茶花は教えてくれました。
 震災から10年の4月。長田区の鷹取南地区を訪ねる震災モニュメント交流ウォークでタンポポを見つけました。鮮やかな黄色の花は、復興の喜びそのものです。それでも、まだ傷跡はあちこちに残っています。火災のひどかったこの場所でもタンポポが咲いたことでしょう。そして、手を取り、立ち上がった人々を見守り続けて来たはずです。この街が好きだから、この街に生まれた愛を、喜びを、綿毛に乗せて伝え続けてほしいと願いました。
 花の色と形がマッチするからでしょうか。ひまわりは昔から神戸で親しまれて来た花でした。そして、震災後。絵本「はるかのひまわり」が発売されると同時に、ひまわりは「神戸発‥‥」の心を連れて被災地を駆け回り始めました。今では世界中に拡がっていると言っても過言ではありません。
 震災の年の夏。まだ空地が広がり、明るさを取り戻せないままの毎日を送っていた時です。この空地に咲いたひまわりの話は、希望の光となって多くの人の心に飛び込みました。新しい神戸を目指して、空地に、道端に、仮設住宅にと、人から人へ伝えられ、咲き拡がって行ったのです。
 阪神・淡路大震災に寄せる「四季の花」の終曲となる「コスモス」には、今までに書けなかった思いを注ぎ込みました。初作の「コスモスの詩」をレクイエムにはしたくないと思って以来、創作曲の中では「死」という言葉を避け続けて来ました。しかし、命の大切さを伝えるためには、どうしても避けては通れない言葉でした。肉親を亡くされ悲しみを閉ざしたままの方も多くおられますが、言葉にすることで救われたという方にもお会いしました。まだまだ15年。伝えねばならないのはこれからです。震災への思いを、命のある限り伝え続けます。希望をくれたコスモスの咲いた街から。
2010年1月   米田 実

阪神・淡路大震災に寄せる「四季の花」 演奏記録

2007年5月20日(日) 第47回西宮市民コーラス大会      タンポポ 発表
2008年2月24日(日) 1.17メモリアルKOSMA 合唱コンテスト タンポポ 演奏
                                        兵庫県芸術協会賞受賞
2008年5月18日(日) 第48回西宮市民コーラス大会      さざんか 発表
2009年5月17日(日) 第49回西宮市民コーラス大会      ひまわり 発表
2009年11月7日(土) 神戸空港コスモスコンサート       タンポポ ひまわり 演奏
2010年1月17日(日) 1.17メモリアルコンサート(竹下景子:詩の朗読と音楽会の夕べ)
                「コスモス」の詩が「しみん基金KOBE賞」 受賞
                竹下景子さんによる詩の朗読
2010年5月16日(日) 第50回西宮市民コーラス大会      コスモス 発表予定

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