合唱構成詩「ふるさとは今」
     

米田 実  詩・曲
中西 覚  編 曲

   1983〜1985

第一章 ふるさと
あなたに ふるさとはありますか
みどりの山 澄んだ空気
小川のせせらぎと
小鳥のさえずりの聞こえる
そんな ふるさとが‥‥‥‥‥


私のふるさとはこの街
六甲の山並 武庫川の流れ 大坂湾
山も 川も 海もあるけど
ふるさとの姿は
日毎に変わってゆく
武庫川の川口近く
黒鉛に汚れた工場のあとが大規模な高層団地になった
「レインボ−タウン」 その名のとうり
林立する建物を七色にかざってはいるが
木の香りのないコンクリ−トの家

ふるさとは変わった
失われた時の流れの中でみどりの山は削られ
排気ガスにあふれた道路は街をひき裂き
人々は生きるために海の青さを奪った

それでも 私のふるさとはこの街
街のあちこちに残っている子供のころの思い出
私が生まれ 私の育った街
この街が ふるさと 
ふるさとは ふるさとは
幼いころの 思い出をいだいた 心の中に
通り過ぎる季節を いくたび数えても
変わらない いつまでも この街があるから

ふるさとは ふるさとは 生まれ変わった
街を見下ろす 空へ拡がり
赤 青 黄色 緑の 虹色の街に
新しい 人たちが この街に住むから

ふるさとは ふるさとは 美しいものと
語りつぎたい 子供たちに
いつまでもこの街を 愛しつづけよう
ここに生まれ ここに育った
この街がふるさと この街がふるさと
 
第二章 海のなげき
防潮堤の続く散歩道
高いコンクリ−トの壁は空の半分と海をおおいかくす
小学生になった娘は楽しそうに
私に前後しながら歩いている

何度か来た道
そして いつも潮の香をかぎ
波音を感じながら 現実の汚れた海をさけて
心に描く美しい海に満足していた私
足音はいつものひびき 空の色も変わらない

しかし 今日はちがう 何かがちがう
汗ばんだ顔に海の風が吹きつける
私は気がいた 潮の香がちがう
生臭い 生き物のにおいがする
防潮堤の所々にある鉄の梯子を登れば
 すぐに海を見ることができる
しかし 汚れた海を見たくはなかった
大切にしたい 心の海を汚さないために

風が呼んでいる潮の香が呼んでいる
梯子を見上げてとまどう私を尻目に
娘はシャングルジムにでも登るように
 簡単に梯子を登って行った
そして 私をふりかえる
娘に勇気づけられて 私は梯子に手をかけた
防潮堤の下には無数のテトラポット
そのむこうに 草の生えた砂浜と
真黒な瓦礫の散在する干潟

テトラポットを降りた娘は 砂浜を横切って水辺へ走る
黒く見える瓦礫は 流れついた油にちがいない
足をすべらせてはと後を追う私
波の音が近づき 海のにおいが強くなった


娘に追いついた私は 手をつないで瓦礫に足をかける
すべらない ザラザラしたものが足の裏をしっかりとらえている
私は改めて足元を見た
油と思った黒いものは 米粒ぐらいのイガイだった
海の命は絶えてはいない
押し寄せる灰色の波に負けず
汚れた海にもたくましく生きる イガイのむれ

はしゃぎまわる娘は
手の中にいっぱいになった貝殻を私におしつけては
貝殻ひろいに走って行く
私の手にあふれる黒い貝殻
白い貝殻は一枚もない
海よこれが見せたくて私を呼んだのか
生命のあることを見せたくて 私を呼んだのか
それとも美しいものより
醜くとも 強いものしか生きれない
汚れた海の定めを伝えたかったのか

私の心の中の空想の海にも
黒いイガイが動き始める
風の音が 私を呼ぶ
潮のかおりが 私をまねく

海 海 ふるさとの海
海 海 暗くうずまく
海のなげきが 海のいかりが
波の音となって押し寄せる
今 私に

海 海 ふるさとの海
海 海 できることならば
光あふれる砂浜に
白い貝の姿もう一度
とりもどしたい
海 海 ふるさとの海
海 海 思い出してくれ
ここに遊ぶ魚たちの
銀色に踊る姿 かえらない
もう ふるさとに

人間たちが 私たちが
ふるさとの 青い海を
灰色の 死の海にした
ふるさとの海のなげき

風の音が 私を呼ぶ
潮のかおりが 私をまねく

 
第三章 あかずの踏切
車が近づき警報機が鳴ると
おじさんは踏切小屋を出て 遮断機を降ろし白い旗を出す
夜は軒下につるしたランプを振る
電車が通ると遮断機を上げて みんなを通してくれる

踏切番のおじさんの 白い旗は安全のしるし
おじさんの そんな姿が楽しくて
子供のころ 踏切へ遊びに行ったものでした

しかし いつのまにか踏切小屋がなくなり
おじさんの姿も見られなくなった
遮断機は自動になり
おじさんの仕事を機械がするようになったからだ
今になって おじさんの仕事がわかりました
おじさんは電車の通る時だけ遮断機を降ろしていたのだと
機械の踏切は
電車が近くにいない時しか遮断機を上げてくれません

機械に占領された踏切 次々に近づく電車
鳴り止む気配のない警報機
踏切をはさんで 人と自転車が集まり
車の列は交差点をいくつも越して 長々と列を伸ばしてゆく

踏切におじさんがいなくなると
昔と変わらないはずの鐘の音も冷たくさびしい響きになる
街は生まれ変わったけれど
今日も踏切待ちの人と車を尻目に無機質な鐘の音は鳴り続く
  ぼくらの街は 南と北で
  近くて遠い 踏切のむこう
  上り電車が通り過ぎる
  下りの電車はまだ来ない
  なのに なのに
  鳴り止まぬ鐘の音
  カン カン カン カン
  下りの電車が通り過ぎる前に
  上りの電車が‥‥‥‥‥

  ぼくらの街は 南と北で
  近くて遠い 踏切のむこう
  並ぶ車あきらめ顔
  新聞拡げて読む人も
  待てど 待てど
  鳴り止まぬ鐘の音
  カン カン カン カン
  もひとつ電車が通り過ぎるまで
  しばらく休んで‥‥‥‥‥
ぼくらの街は 南と北で
近くて遠い 踏切のむこう
救急車のサイレンが
消防車のサイレンが
聞こえぬように
鳴り止まぬ鐘の音
カン カン カン カン
人の命より燃える家よりも
電車が通る‥‥‥‥‥

カン カン カン カン
越すに越せない
現代の関所
ここは あかずの踏切
 
第四章 自転車道
団地の廻りに 歩道と並んでレンガ色の自転車道
補助の取れた自転車で 私の後について走る娘
高層住宅の間をぬけた風が 私たちに吹きつける
進入路の段差を通るたび 心配そうふりかえる私を
道ばたに咲く山茶花のような 真赤な頬が笑っている

コンクリ−トの家 脇道まで舗装された道路
土遊びのできない娘には
父と走るこの自転車道が唯一の遊び場所

五歳の誕生日に買ってやった自転車
補助つきとは言え当時の娘には大きすぎた
おそるおそるペダルに足をかける
その時から 父と娘の自転車教室が始まった
しばらくは自転車について私が走る
進入路の段差やスロ−プは押してやらねば動かない

やがて 私も自転車で走れるようになる
カチャカチャと補助の音を響かせてついてくる娘
私はふりかえりながら走る
小石に乗り上げ縁石に補助をひっかけ
進入路につまづいて この道で何度転んだことだろう
その度に「もう自転車なんかいらない」
そう言って大粒の涙をこぼし泣いた娘
それでも次の休日には私を自転車道へさそう

そうして一年 娘の身体も自転車になじみ補助をはずす
乗り始めの時のように荷台を支えて私も走る
走っては歩き走っては歩き
いつもの何倍もの時間をかけて団地を一周する
「こわい こわい」を連発する娘に補助つきの時のような楽しさはない
ついて走る私も苦しい
そうして何日か
自転車を押していた私が時には引っぱられるようになった
自転車のスピ−ドに私がついて行けなくなった時
娘の自転車は私の手を離れひとりで走り始めた

今の娘にはもう私の支えはいらない
寒い北風に負けず元気にペダルを踏んでいる
やがて娘も
あの時の自転車のように私の手から離れてゆくだろう
その時が来ても
父さんと走った自転車道を覚えていてくれるだろうか
リンリ リンリン
リンリ リンリン
赤い道を走る わたしの夢のせて
心がはずむ自転車の道
父さんと走った道は寒いけど
どこからか春のにおいがするわ

リンリ リンリン
リンリ リンリン
赤い道がつづく わたしの家の前
どこまでも行こう自転車の道
道ばたの枯れ草が緑色になり
タンポポの花やよもぎのにおい
リンリ リンリン
リンリ リンリン
赤い道を走る わたしに呼びかける
友だちになった自転車の道
あたたかいお日さまの光あるかぎり
いつまでもここを忘れないでほしい

忘れないでほしい
リンリ リンリン
リンリ リンリン
リンリ リンリン
リンリ リンリン
 
第五章 セイダカアワダチ草
昔 セイダカアワダチ草の野原は子供たちの遊び場だった
春のやわらかいくきは竹鉄砲の弾丸になり
夏の長く伸びたくきはチャンバラごっこの刀になる
秋の黄金にかがやくセイダカアワダチ草の林をかけめぐり
子供たちの冒険の夢は拡がる

いつのころからか 花粉が悪者にされ
空地のセイダカアワダチ草は どんどん刈られるようになった
それでも生き残ったものが 秋になれば一せいに花を咲かせる
人の手をのがれ 夏を生きぬいた証のように
山を切り開き空地をビルに変え
道のすみずみまでアスファルトを敷きつめても
緑の生命は絶えはしない
コンクリ−トの割れ目から人手の及ばないわずかな土の中から
芽をふきあげるセイダカアワダチ草

ふるさとに土のあるかぎり ふるさとに光あるかぎり
自然の生命はよみがえる
冬枯れのふるさとの街に 春を呼ぶセイダカアワダチ草
 春になれば芽をふきあげる
 道ばたに空地に 春を呼びあい
 煤煙の街に 冬枯れの街に
 いちはやく春を
 セイダカアワダチ草
 セイダカアワダチ草
 ぼくらの街に緑を
 夏になれば空つきあげる
 公害に負けない緑のスクラム
 アメリカ生まれのきらわれ者だと
 人は言うけれど
 セイダカアワダチ草
 セイダカアワダチ草
 ぼくらの街に生命を
 秋になれば黄金の穂波
 この夏を生きたたしかな証だ
 また来る春を約束しよう
 新しい春を
 セイダカアワダチ草
 セイダカアワダチ草
 ぼくらの街に未来を


 
セイダカアワダチ草
 セイダカアワダチ草
 ぼくらの街を緑に
 
   第六章 ふるさとは今
最近まで駐車場だった空地に
マンション建設予定の看板が立てられた
「もう、石ひろいに行けない」娘が言う
まだこの街をふるさととは感じていない娘にも
空地のなくなることがさびしいらしい

十年 二十年の昔にもどることがでないのなら
せめてこの街を通り過ぎる時の流れを止めてほしい
自然をとりもどす緑の力のなくならないうちに

いつまでも美しいままでいてほしい街
私の愛する街
ふるさとは 今
 ふるさとは今 ふるさとは今
 空へ伸びるコンクリ−トの家を
 重そうにかかえて雨を待っている
 あの日遊んだ野原の草は
 乾いた土に埋もれて眠る

 ふるさとは今 ふるさとは今
 街をつらぬく鉄の道路で
 山と海との二つに別れる
 あの日ながめた緑の山は
 遠く霞んで海は暗く

 ふるさとに今 ふるさとに今
 生まれた私の子供たちも
 ここに育って大人になる
 草のない石だたみ遊べる土もない
 それでもここがやがてふるさと
 ふるさとは今 ふるさとは今
 息吹き始める石の間から
 わずかに残った土の中から
 緑の生命は絶えたわけじゃない
 必ず青い空と海を

 ふるさとを今 ふるさとを今
 通り過ぎる時を止めて
 もうこれ以上何も失ってはいけない
 いつの日か子供に話してやれるよに
 ここが私のふるさとなんだと

 ここが私の 私のふるさと


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