ふ る さ と は 今            1983年〜1985年


 現在の場所に転居した20年前、武庫川団地はまだ工事中の棟が見受けられ、夜ともなれば真っ黒い物体が赤色灯を点滅させて立ちはだかり、異様な雰囲気をかもし出していた。この高層大団地の出現に驚き、ふるさと西宮の変貌に脅威を感じないわけにはいかなかった。しかし、今生まれた子どもたちは、やがてここがふるさととなる。いつか、「ここが私のふるさと」と子どもたちに話してやれるように幼い頃の思い出を交えて創作したのが、合唱構成詩「ふるさとは今」です。
 創作曲集に使用した写真は創作当時の風景です。その時は新しく見えたものが、早くも思い出の領域に移ってしまったものもあります。子どもたちに語る「ふるさと」の1ページとなればと思っています。
   第一章 ふ る さ と
 澄んだ空気、小川のせせらぎ、広がる田園風景。それだけがふるさとではありません。私のふるさとはこの街西宮。大阪と神戸に挟まれて、決して田舎ではないけれど、まだまだ美しい風景が残っています。当時は驚いた武庫川団地ですが、今はすっかり西宮の一部。ここに生まれた子どもたちも、そろそろ成人を迎えるころです。そして、そこがふるさととなることでしょう。改めて思います。「この街がふるさと」
   第二章 海 の な げ き
 潮の香りに誘われて、娘と防潮堤を越えた時のことは、今でもはっきり覚えいてます。瓦礫に貼りついたイガイの群れ。押し寄せる波音が海の悲鳴のように聞こえたのです。運命の出会いと言えば少々大げさかも知れませんが、防潮堤の向こうにはまったく知らない世界が存在したのです。
 大きく変わった風景はこの甲子園浜でしょう。対岸の埋立地もなければ、湾岸道路もない頃のことでしたから。今は整備された臨海公園となり、昔の面影はありませんが、海の色だけは変わっていないように思います。
    第三章 あ か ず の 踏 切
 踏切に、踏切番のおじさんがいなくなったように、あの無機質な鐘の音も、やがてはなくなるものと思っていました。最近、甲子園以西がやっと高架化されましたが、鳴尾付近はまだまだ未定。ラッシュ時には同じ光景が繰り返されています。ふるさとの音は、小川のせせらぎではなく、踏切の鐘の音かも知れません。
   第四章 自 転 車 道
 今では、路面の塗料も色あせ、震災で痛手を蒙った補修跡の残る自転車道ですが、当時はレンガ色が青空にマッチして、格好の自転車練習場でした。補助の音を響かせて私について走っていた娘も、今は社会人。もう、しっかりと自分の道を走っています。それでも、きっと父さんと走った自転車道を覚えていてくれると信じています。
   第五章 セイダカアワダチソウ
 雑草とはいえ、青空の下、黄金色の花が拡がる様は、見事な秋の風景です。子どもの頃はまだ戦争の爪跡が残っていて、伸びるに任せたセイダカアワダチソウの中を駆け回った思い出があります。刈っても刈ってもすぐに芽を出し、夏の太陽を十分に吸収し、勝ち誇ったように花をつける。花粉症の方には申し訳ないけれど、セイダカアワダチソウ抜きで私のふるさとは語れないのです。
   第六章 ふ る さ と は 今
 私のふるさとの総集編となるのがこの曲である。前五章を受けて、「ここが私のふるさと」と誇れるふるさとを残す決意を込めて歌う部分。最後を飾るために欲張って5番まで歌詞があり、「ここが私のふるさと」と歌い終わる時には完全にエネルギーを使い果たしている。これも又合唱の楽しみの一つである。


「ふるさとは今」の初演
西宮市職員会館大ホール
     「ふるさとは今」演奏記録

全曲演奏
 1985年2月6日  原曲初演  ピアノ伴奏編曲 中村文美
    西宮市役所合唱団演奏会  西宮市職員会館大ホール

 1986年4月18日  編曲  中西 覚
    さくらんぼ合唱団演奏会   西宮市民会館大ホール


一部演奏
 1985年5月19日  第25回西宮市民コーラス大会

 1986年5月18日  第26回西宮市民コーラス大会

 1997年6月8日   (第ニ章〜第五章)
     「コスモスの詩」コンサート  西宮市甲東ホール 
小品集「お父さんの手」        1987年〜1993年
 当時は共働きをしていた関係上、休日は子どもと遊んで過ごす日が多かった。子育ては母親という風潮が強い中、自分も子育てに関わっていることをアピールしたくて、二女を題材に創作した曲を集めたもの。子どもと遊びながら毎年1曲のペースで創作し、西宮市民コーラス大会では親子で舞台に上がる。時には困らされたこともあったけど、今となれば子育て時代の懐かしい思い出である。
  1.お 父 さ ん の 手
 保育所へ迎えに行った時のことである。寒い庭で走り回っていた娘の手は冷えきっていた。「お父さんの手、お日様みたいにポッカポカ」そう言って飛びついてきた。親バカかも知れないけれど、この時、子どもは詩人だと思った。この曲は娘の作詩といってもおかしくないくらいである。以降の曲も、ちょっとした娘の言葉や行動にヒントをもらって創作したものである。
  2.ぶ ら ん こ
 娘はブランコが好きで、押して揺らしてやるといつまでもやめようとは言わない。「ゆーらゆーら飛んでけ!」というのも娘の言葉である。揺られながら、最近あったことなど、いろんな話をしてくれる。きっと夢の世界でお姫様にでもなっているんだろう。
   3.は と
 生まれた時からマンション住まい。残念ながら動物と触れ合うことのないままに育ててしまった。だから鳩が怖い。今でも鳩のいる場所は避けて通っている。
 鳩は「ポッポ」でなく、「クークークックー」と鳴く。子どもの頃からずっとそうだった。だから、有名な曲に対抗して鳩の鳴き声で遊んでみた曲である。
   4.自 転 車 に の っ た ら
 子どもは自転車が大好きだ。自分の力で、今までの限られた世界から、自分の知らない世界へ飛び出すことができるのだ。二女は学校で一輪車が乗れるようになっていたので、補助をはずすのは簡単だった。しかし、父と娘の自転車教室は姉と同様に休日ごとに続けられた。成長の一過程、そして、思い出の1ページである。
   5.父 さ ん の お な か
 娘は横になっている私の上に乗って、落ちないようにバランスを取って遊んでいる。「父さんのどこが面白い?」と聞いたら、「おなか」と答えたのでそれを曲にすることにした。元々スマートではない上に、年とともに「おなか」が出てきて、それがベット替わりになってしまった。親父の権威はまったくない。それでも怒る気にならないのはどうしてかな?
   6.ち っ ち ゃ な 目
 娘がニッコリ笑って寄って来たときは遊んでほしい時です。そして、一方的にお付き合いさせられます。女の子なら一度は言うそうですが、「お父さんのお嫁さんになる」って言われたら、絶対に断われませんよね。
 父子家庭と思われるといけないので、ここで家族全員が登場します。他の父親と比べると少しは子どもとの関わりを持っていますが、ごく普通の家庭。お母さんがいるからこそ我が家の平和が保たれています。この曲は、連休の一日、家族そろって自転車で淡路島へ渡った時のものです。


第34回西宮市民コーラス大会
「ちっちゃな目」の演奏
   小品集「お父さんの手」演奏記録

 1989年5月28日   第29回西宮市民コーラス大会
     「お父さんの手」

 1990年5月27日   第30回西宮市民コーラス大会
     「ぶらんこ」

 1991年5月26日   第31回西宮市民コーラス大会
     「はと」

 1992年5月24日   第32回西宮市民コーラス大会
     「自転車にのったら」

 1993年5月23日   第33回西宮市民コーラス大会
     「父さんのおなか」

 1994年5月22日   第34回西宮市民コーラス大会
     「ちっちゃな目」

 1997年6月8日     「コスモスの詩」コンサート」
     全曲演奏     西宮市甲東ホール
   
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