阪神・淡路大震災から29年

来年は阪神・淡路大震災から30年
そう思うと、つい、来年を思ってしまいます
そんな時、能登半島地震が発生してしまいました

 1.ギャラリーわびすけ  2.西宮震災記念碑公園  3.東遊園地  4.安全の日のつどい



 1.ギャラリーわびすけ  2024年1月14日(日
  今年の「ギャラリーわびすけ」では17日に行けば、体験談やフルート演奏が聞けるとのことでしたが、その日は各地を訪れたい私ですので、3日前に行かせてもらいました。
 「ギャラリーわびすけ」は東日本大震災の写真展示をさせてもらったこともあり、この時期には毎年行かせてもらっています。今年は「悲しみの底(そこい)に光るもの」と題した大きな絵画が展示されていました。震災への気持ちが遠ざかりつつあるとは言え、作品を前にすると、あの日に戻らされてしまいました。
 今年も震災記念日が近づいて来ました。新聞の記事でしたか、30年経てば忘れれてしまう人が多いような記載がありましたが、生きている間は、この時期をかみしめて行きたいと思います。



 2024年1月17日(水) 29年目のメモリアルデー


 2.西宮震災記念碑公園
 毎年のように、1月17日は朝4時に起床です。眠いはずなのに、今年も少し前に目が覚めました。気温は低かったのですが、風の少ないことが幸いして、西宮震災記念碑公園での時間を過ごすことができました。
 震災から29年。朝のこの時間は人が少ないのでは、と思ったのですが、昨年と変わらないくらいの人が参加されていました。少し時間があるので、いつもは「1月17日」を口ずさむのですが、今年は「気が付けば春」を歌っていました。今年のコーラス大会で歌う予定の曲です。この寒さの中で、「春ですか?」と不思議に思うかも知れませんが、もう発表の舞台は近づいています。
 いつもは集団の後で手を合わせていますが、今年は気が付けば先頭の方に立っていました。5時46分を前に西宮市長のあいさつがありました。地震発生時刻というのは年が経っても変わることはありません。会場に来られた方々の気持ちが一つになり、あの時を感じさせてくれます。黙とうの大切さを感じることができました。 



 3.東遊園地

 今年は朝早く家を出ることができたので、まずは東遊園地へ。まずは「希望の灯り」と「慰霊と復興のモニュメント」にお参りです。朝の5時46分にここへ来ることができないので、献花する花はありませんが、亡くなった方々への祈りに変わりはなく、じっくりと手を合わせ、冥福を祈りました。。
 次は東遊園地の竹筒です。竹筒の本数は減っていますが、なんとかローソクを灯すことができました。そして紙で造られた筒は「ともに」の文字の形に並べられており、竹筒は少なくなりましたが、東遊園地の思いが十分に表現されていると思いました。
 最後は休憩場所となっているテントへ。本当は私もこの催しを手伝わなければならないのですが、朝には西宮市の震災記念碑公園行っているので、わずかな時間ですが、顔を出すだけになってしまいました。
     

  4.ひょうご安全の日のつどい

 最期の目的地「ひょうご安全の日のつどい」の会場、人と防災未来センターです。ここに着いたら、まずは昼ごはんです。最近は少なくなりましたが、コンビニエンスストアには必ず「1月17日はおにぎりの日」の表示がありました。震災の当日。夜になってもらえた「おにぎり」。やっともらえたのは一つだけでしたが、どんなに美味しかったことか。その思い出から、1月17日は必ずおにぎりを食べることにしています。ただ、2つですが。
 おにぎりを食べてから、会場周辺に設けられたテントを廻ります。メモリアルウォークで来た時は、もう式典が始まる寸前だったので、各催しを訪ねる余裕はありませんでした。いつまでも歩き続けることは出来ないので、これも一つの選択肢かも知れません。
   いよいよ「ひょうご安全の日のつどい」の始まりです。今年も昨年と同様に、随分と離れた入口から入場し、一般の人々の参加スペースに入ります。来賓の方々は前のテントの中。国会議員等、たしかに身分はあるのでしょうが、亡くなられた方々を偲ぶ気持ちに、身分の違いがあるのでしょうか。
 それでも、「しあわせ運べるように」の合唱になると、小声ではありましたが一緒に歌うことができました。この気持ちなんですよ。不満はありますが、歌うことにより、1月17日にここへ来て良かったと思います。
 つどいが終了に近づき、献花ガ始まります。来賓の人数が多く、一般の献花までかなりの時間を待ちました。それでも、自分の献花の時には、震災で亡くなった方々にここに来た私の思いが伝わるよう祈りました。
 

  


 阪神・淡路大震災から29年目のメモリアルデーが終わりました。今年はもっと喜楽に各会場を廻るはすでしたが、1月1日に起きた「能登半島地震」により、スケジュールが大きく変わりました。東日本大震災の時のように、ボランティア参加など出来ませんが、20年以上前から始めている新聞の震災関連ニュースの取込に時間を費やしてしまいました。震災の現場に行くことができないからこそ、報道の内容を取り込みたいのです。
 今年は「能登半島地震」により時間を取られることもありましたが、来年は震災から30年。なんとか頑張ってその年を迎えたいと思っています。

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