阪神・淡路大震災から25年

今年であの大震災から四半世紀が過ぎました
社会的には多くの催しが計画されています
それでも、すべての参加は無理
今年も悔いの残らないスケジュールで25年を過ごします

 1_ギャラリーわびすけ  2_兵庫県立舞子高校  3_西宮震災記碑念公園  4_メモリアルウォーク  5_なぎさ公園 交流ひろば
 6_ひょうご安全の日のつどい  7_1.17KOBEに明かりをinながた  8_絵がつなぐあの日とそれから  9_阪神・淡路大震災1.17のつどい  10_ロビーコンサー


  1.ギャラリーわびすけ  2020年1月13日(月)
  以前に私も震災写真の展示会を行ったことのあるギャラリー。毎年年賀状でその年の震災展示のお知らせをもらうため、毎年のように訪問しています。今年は震災を伝える作品ではなく、震災で亡くなった方の作品展示です。「震災写真と津高の小品展」と題した展示会では、いくつかの作品を見ることができましたが、昔の作品とは思えない雰囲気がありました。津高さんの作品について私に知識があったわけではありませんが、高木公園のオープン式典に参加した時、レプリカではありますが、この方の作品に触れることができできた記憶が残っています。
 津高さんの作品以外には、25年前の震災写真や、当時の新聞が展示されていました。新聞紙の色はだいぶ変色していましたが、それが返って25年の経過を伝えている気がしました。

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   2.兵庫県立舞子高等学校 2020年1月15日(水)
   私が初めて舞子高校に行った時の生徒は、死亡届を受付けた赤ちゃんと同い年だったと思いますので、もう10年近くになります。震災体験なので、毎年同じ話になることは当然ですが、生徒は毎年変わるため、いつも新鮮な気持ちで話ができます。
 今年は「困った事、反省した事」についての質問がありました。当然誰にでもある内容ですが、急に「さざんか」の最終部分が頭を過りました。「明日のために昨日を忘れ、立ち止まることもできず、前だけ向いて歩いてきた。」と当時の実情を話しました。失敗があっても振り返っている時間の無かったのが当時の現実でした。
 今年も、最後に千人鍋をいただきました。当時の私には機会のなかったご馳走です。
 

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2020年1月17日(金) 25年目のメモリアルデー


  3. 西宮震災記念碑公園
 今年は震災から25年目。この日この時間は各地で催しが行われていますが、西宮市民として、今日だけは西宮震災記念碑公園に行くべきという気持ちからここを訪れました。通常ならこの時間帯では2~3度くらいの温度ですが、暖冬と言われる今年は少し暖かく、助かったメモリアルデーのスタートとなりました。今年は去年以上に人が集まるだろうと思っていましたが、黙とうの時間になっても思っていたほどに人の増えることはありませんでした。それでも亡くなられた方を思う気持ちだけは例年と変わりがありません。私の活動がどれだけ社会に役立てるかはわかりませんが、震災を思う気持ちは、ここに参加された方々と変わりはないと思います。
 毎年、ここには取材を目的にした記者が多く訪れています。各地の出来事を報道機関として伝える重要な役割を果たすためと思われますが、遺族の発言を聞き取り報道するだけ。会社からの指示かも知れませんが、この場所での行動に、慰霊とは異なる雰囲気を感じて仕方ありません。

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  4.メモリアルウォーク

 今年も東10㌔の芦屋市から8時30分のスタートでしたが、私の足が遅く、休憩を含めるとHAT神戸到着が12時を過ぎてしまうので、受付後、悪いですがお先に出発しました。おかげさまでゆっくり休憩所に寄りながら楽しいメモリアルウォークをすることができました。灘区民ホールではオカリナとギター演奏で「しあわせ運べるように」が演奏されていましたので、私も参加させてもらい、休憩所の中で歌いました。メロディーだけでなく、歌詞があっての歌だと思いました。
 しばらく行くとあの日見た「さざんか」に出会いました。13年が過ぎ、歌いながら久しぶりのあいさつでした。
 HAT神戸着は11時20分。途中で買ったおにぎりを食べ、「1月17日はおにぎりの日」もクリアしました。
     

 5.なぎさ公園 交流ひろば

 去年まではHAT神戸到着が12時を過ぎ、テントの並んでいるのを見ながらも、覗くことはできませんでした。今年は約30分程度とは言え、少しは見学することができました。交流テントには東北3県・熊本など、地震に襲われた県のグッズ販売や、炊き出し等があり、1月17日ならではの催しが数多くありました。
 今日が「おにぎりの日」であることを無視すれば、行列の出来ている炊き出しが多くあり、食べることでも十分に楽しめますが、次の「ひょうご安全の日のつどい」まであまり時間がないため、行列に参加はできませんでした。ここを十分に楽しむためには、メモリアルウォークやひょうご安全の日のつどいを取りやめ、電車で10時頃までに到着する必要がありそうです。 

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 6.ひょうご安全の日のつどい
 
 「ひょうご安全の日のつどい」は正午に黙とうを行うため、12時少し前から始まります。以前はここを会場としていましたが、今は兵庫県公館がメインとなり、HAT神戸にはモニター画面が設けられ、同時進行となりました。おかげさまで昔は来賓の後ろ姿を遠くからしか見ることができませんでしたが、今はモニターにしっかり映り、お言葉もハッキリ聞けるようになりました。今年は秋篠宮さまが来られ、多くの来賓の方々の言葉も聞くことができました。
 それでも、私のメインは「しあわせ運べるように」の演奏。毎年のことですが、一緒に歌いながら涙がこぼれます。今日はメモリアルウォークで歌い、これが二度目の歌です。やはり私の声よりも、子どもの声の方がいいですね。
 最後は献花。次の時間に追われている時は待てずに次に移動していましたが、今年は十分に時間があり、大勢の来賓の終了を待ち、一般の献花をして帰ることができました。メモリアルウォークで歩いた上に約1時間半も立っていて大分疲れてきましたが、次の会場を目指します。

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  7.1.17 KOBE に灯りを in ながた

 
 10年位前までは毎年のように長田を訪れていましたが、最近は少しご無沙汰気味でした。1月17日の昼は思い通りに動きまわりますが、夜には何かの用ができ、長田からは足が遠のいていました。今年は午後5時46分は東遊園地と決めていたので、「ひょうご安全の日のつどい」が終わった後に時間の余裕ができてしまいます。それなら、午後2時46分にも点灯があると知った「1.17 KOBE に灯りを in ながた」を訪れることにしました。新長田駅を降りた時には点灯にまだ時間がありましたので、鉄人28号のある公園へ。私がよく来ていた時代にはなかった鉄人です。確かに大きいですね。
 「1.17 KOBE に灯りを in ながた」は震災で亡くなられた人への供養や思い出を振り返りながら実施されます。駅前の公園にはブルーシートが敷き詰められ、「1.17 ながた」の文字に成型されたペットボトルが並べられています。点灯を前に作業に参加した中学生から発表が行われました。このイベントは22回目ということですので、始まった当時はまだ生まれていなかった中学生たちです。震災を体験した者ばかりでなく、若い世代に引き継がれることの大切さを感じました。本番は夜ですので、この時間帯は「1.17」のみに点灯し、黙とうです。街並みは復興したようですが、忘れてはならないことは若い人々に伝え続けて欲しいと思いました。 

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  8.9131-絵がつなぐ あの日とそれから-

 新長田の次は東遊園地ですが、その前に三宮センター街で行われている「9131-絵がつなぐ あの日とそれから-」に立ち寄りました。これはNHK神戸放送局や人と防災未来センター等の主催する作品展です。これは10年前にNHKの行った「震災の絵」展に出品された400点の中から、9点を兵庫ゆかりのアーティストに託し「あの日から9131日のストーリー」と題した絵を展示しています。
 当初はもっと簡単な絵と思って会場に行ったのですが、ストーリーはそんな簡単なものではなく、読み始めるとその場から動けません。それでも、東遊園地が待っているので多くの時間が取れず、残念ながら会場を離れることになりました。ただ、19日にNHKの【明日へ つなげよう「絵でつなぐ震災25年」】という番組が放送され、会場では理解しきれなかった作品の内容を知ることができました。

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 9.阪神・淡路大震災1.17のつどい

     
 朝の5時46分は西宮で迎えましたので、夕方の5時46分は東遊園地です。まずは会場全体が見渡せる神戸市役所の24階に上がります。ここからは会場全体を見ることができます。そして神戸の街も存分に見渡すこともできます。平和な風景ですが、25年前にはとんでもないことが起こっていました。
 会場はまず慰霊と復興のモニュメントからです。まずは花束がたくさん供えられた希望の灯りへ。日本中から集められた灯りを今も灯し続けています。献花はモニュメントの水面ですが、ほとんど空きスペースがなく他の花と重なるように献花しました。
   慰霊と復興のモニュメントの地下に降りると、銘板の前には多くの花束が供えられています。神戸の会場ですから、知った人の名前は刻まれていないのですが、どうしても悲しい気持ちになります。震災で亡くなった方々の思いが、この日だけはここに来た人たちに寄り添っているのではないでしょうか。
 慰霊と復興のモニュメントの次は会場なっている広場へ。この時間ではまだ消えているローソクも多いので、ローソクをもらい、点灯させます。
 多くのテントに囲まれた会場。その中で「アトリエ太陽の子」のテントを見つけました。中嶋先生の明るい声が、前を通るだけでも伝わってきます。
 テント廻りの最後は希望の灯りのテントです。知り合いも多く、夕方の5時46分をここで待つことにしました。普段は会うことのない人との出会いもあり、くつろげる場所です。外が暗くなり、5時半頃になると会場へ。ローソクの消えていた竹筒は協力して点灯が進められていて、私が点灯する箇所は残っていませんでした。いよいよ5時46分、黙祷です。朝の西宮での5時46分から丁度12時間。今年の1月17日も終わりました。
 いや、まだ終わりではありません。「1.17のつどい」会場への移動が待っています。「しあわせ運べるように」を聞くためです。人をかき分けて進みましたが、もう歌は始まっていました。もちろん、臼井先生の指揮です。今日3度目の「しあわせ運べるように」です。震災を伝えるためには、やはり歌が必要なのですね。
   

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 10.ロビーコンサート  2020年1月21日(火)

   今年は阪神・淡路大震災から25年。震災の曲を歌い続けている我が合唱団ですから、何かやりたい。そんな気持ちからロビーコンサートに出演しました。コンサートホールで演奏すればいいのですが、この人数ではとても無理。そんなことから二度目のロビーコンサート出演になりました。
 演奏曲は団員の西宮を歌った3曲と。阪神・淡路大震災に寄せる四季の花より「さざんか・ひまわり・コスモス」です。何度も歌った曲ですが、歌っているうちにどうしても涙がこぼれます。来客の中にも目頭を押さえられる方がありました。震災を伝えるために続けてきた活動。小さいけれどこれで十分だったのではないでしょうか。少ない人数ですが、これからも活動を続けていきたいと思います。 


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 震災から25年目の関連行事が終わりました。最近は他団体の応援等があり、自由に周年記念日を使うことのできないことも多かったのですが、今年は私のやりたいスケジュールで過ごすことができました。それでどれだけ震災を伝えることができたか、と聞かれると困ってしまいますが、私なりに阪神・淡路大震災を伝えて行きたいと思っています。来年もまた、このページの続けられることを、私が一番期待しています。

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