阪神・淡路大震災から20年

あの日生まれた子どもがもう成人に
長い年月を過ごしても
震災への思いは変わらない

 1.震災の記憶展  2.「希望の灯り」分灯  3.兵庫県立舞子高校  4.交流テント(東遊園地)
 5.西宮震災記念碑公園  6.メモリアルウォーク  7.人と防災未来センター  8.竹下景子 詩の朗読


   1. 震災の記憶展 (ギャラリーわびすけ) 2015年1月11日(日)~17日(土)
 震災記念日を迎えるにあたって、「ギャラリーわびすけ」の写真展が気持ちを新たにする場でした。しかし、今年はお客ではなく写真を出展する主催者の一人で、期間中はできるたけ会場に詰めることにしました。展示した56枚の内、私の写真は5枚ですが、「西宮市震災写真情報館」を立ち上げた祭の思いのこもった写真です。「被害の状況」では西宮市内の施設・場所を全て取り上げ、「災害応急対策等」では給水・買物の行列等、震災により激変した市民生活の写真を揃えました。
 7日間で200人を越える来場があり、ほとんどの方がゆっくりご覧いただいたため、会場が無人しなる時間は余りありませんでした。「伝えようあの日を 記憶をいつまでも」20年が過ぎても、震災は語り継がねばなりません。
   

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   2.「希望の灯り」の分灯  (東遊園地) 2015年1月15日(木)
 震災記念行事で「希望の灯り」を灯すため、大勢の小学生が分灯に訪れるということで、どれだけ役に立てるかは別として、ギャラリーから東遊園地に飛びました。
 会場には4台のバスで人と防災未来センターを見学後の小学生160人余りが来場されました。各クラスの代表者が「希望の灯り」を採火し、全員で「しあわせ運べるように」の合唱です。お手伝いというより、子どもたちの震災への思いを感じに行ったようなものでした。

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  3.兵庫県立舞子高等学校  2015年1月16日(金)
 訪問は今年で4回目。電車・バスを乗り継いで時間はかかるけれど、若い高校生に震災の経験を伝える意義は十分にあったと思います。あの日の経験を1つでも感じてもらおうと、願いを込めた50分の分科会でした。
  分科会の後は今年も「舞子千人鍋」の炊き出しです。いつもは運動場ですが、昨夜の雨でグランドがぬかるんでいたため、中庭で行われていました。寒さの中で温まる一杯でした。

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   4.交流テント (東遊園地) 2015年1月16日(金

 舞子高校から一旦は西宮のギャラリーに戻りましたが、夕方には再び神戸へ。東遊園地は既に竹筒の準備が整い、明日の午前5時46分を待つのみとなっていました。
 交流テントでは遺族と若者の交流が始まっていて、東京からボランティアで参加している高校生も加わり、熱心なディスカッションが進んでいました。そして交流テントは気軽に立ち寄れる場所でもあるため、様々な人家顔を出してくれるため、明日発表予定の曲を早々と聞けるメリットもありました。
 神戸の知り合いも増え、テントの中では多くの人と交流の機会があるため、西宮とのピストンにはなりましたが、大切な時間を持つことができました。

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 2015年1月17日(土) 20年目のメモリアルデー


  5.西宮震災記念碑公園
  メモリアルデーの朝は、車の温度計で0度や氷点下が常なのに、今年は6度。比較的暖かい朝です。 1月17日の午前5時46分はいろんな場所を訪れましたが、今年は震災から20年節目。西宮市民として、この場所を訪れることに決めました。
 矢張りいつもと人出が違います。記帳所に並んだのが15分前でしたが、かなりの時間がかかり、黙とうに間に合うか心配するくらいでした。追悼の碑がライトアップされるのは年1回、この時だけです。暗闇に浮かぶ石碑は特別な思いにさせてくれます。口ずさむのは「1月17日」もう15年以上前の曲ですが、あの日を忘れないから、いつも新鮮です。「黙とう」もう涙をこぼすことは無くなりましたが、20年の記憶が押し寄せる貴重な時間でした。 

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   6.1.17ひょうご メモリアルウォーク2015

 午後は最終日のギャラリーに戻ることにしているため、途中で東遊園地に寄れるメモリアルウォークは神戸市立中央体育館の5kmコースのみです。距離が短く、決して急ぐ必要のあるコースではありませんが、東遊園地での時間を余分に取りたいので、先頭集団をキープし続けます。
 途中の元町商店街で、震災モニュメントになっている「メッセージ入りのレンガ」を見つけました。改修工事でもう見つからないのではないか思っていましたが、やはり1月17日です。
 メモリアルウォークのコースから東遊園地に入ると、まず目に付くのが雪だるま・スタンド埋め尽くした「シンサイミライノハナ」です。たくさん人たちのメッセージが書き込まれた花は壮観です。そして、1.17の竹筒へ。太陽に照らされ竹筒には5時46分の雰囲気はありませんが、訪れた人たちはロウソクに点火し、手を合わせて亡くなられた方がの冥福を祈っていました。 
 目指すところは交流テント。休憩に訪れる人もあり、久しぶりに会った人との会話も弾む賑やかな場所です。テントの壁面には昨夜のワークショップの記録が張り出されていました。一度だけここで一夜を過ごしたことがありましたが、いつもより暖かい朝を迎えたとはいえ、とても寝れる状態ではなかったのではないでしょうか。
 交流テントを出て、東遊園地を廻ります。朝の5時46分には来れませんでしたが、竹筒にロウソクを灯し、手を合わせます。空いているのが少し淋しい。やはり朝に来なければ。という気持ちになりました。そして「1.17希望の灯り」へ。普段はガラス板で囲まれていますか、今日は板が取り外され、白菊で埋まっていました。
 そして「慰霊と復興のモニュメント」に白菊を献花し、地下の冥想の空間へ。ここには亡くなった方々の氏名が掲げられ
、閑散としている場所ですが、今日は大勢の人が訪れていて、銘板に手を合わすのも一苦労でした。

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   7.人と防災未来センター

 東遊園地からゴールのなぎさ公園までは約30分。今年はスタート時間が早かったので、早く着くことができ、展示ブースを廻る時間もできました。「1月17日はおにぎりの日」これを実践するために途中で買ったおにぎりを、風の強い海を眺めるベンチでほおばります。寒い。けれど20年前はこれくらいの寒さではありませんでした。
 今年の追悼式典は天皇陛下が来られる県の公館との中継で行われました。毎年のことながら、人と防災未来センター前の広場は風に吹かれ、寒さの中での進行となりました。少し前までは日が照っていたのに、急に曇り始め、小雨が降り始めました。それでもなぎさ小学校児童の「しあわせ運べるように」を聞くまでは帰ることができません。
 「響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに」 東日本大震災が発生してから、全国で歌うために、「神戸」を「ふるさと」と歌うことが多くなっていますが、ここは神戸。やはり「神戸」と歌う方が心にしみます。
 追悼の式典が終わる頃には雨足が強まり、ギャラリーにも行く必要があるため、雨に追われるように会場を後にします。慌ただしいメモリアルウォークと追悼の式典の参加でしたが、メモリアルデーも終わりに近づきました。
 

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 8.竹下景子 詩の朗読とメモリアルコンサート
  2015年1月18日(日)
  東日本大震災が発生して、震災17年を最後に、竹下景子さんの朗読は仙台へ移りました。それでも神戸でのコンサートが無くなるのは淋しいと、震災18年と19年は作詩者を中心に朗読会を続けてきました。今年は震災20年ということで、竹下さんを招き、西宮の芸術文化センターで開催されました。昨年までの私は、「コスモス」の朗読で出演者でしたが、今年はお手伝いに徹して協力することになりました。朝はプログラムへのチラシの挟み込み、そして本番では詩集の販売が仕事でした。自分の詩の載った詩集を販売することになったのも何かの縁でしょう。ただ、ロビーはモニター画像と聞こえのよくないスピーカーしかなく、雰囲気のみを感じるだけでした。
 打上げ会には、竹下景子さんも来られ、出演者や実行委員が集まり、楽しいひと時を過ごすことができました。

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 震災から20年の「メモリアルデー」いや、今年は「メモリアルウイーク」が終わりました。私なりの1日を繰り返してきましたが、今年は私なりに決めたスケジュールに追われた一週間でした。20年という節目の年だけに、欲張ったのが災いしました。心を込めたメモリアルデーにしよう。これが来年への課題です。

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