阪神・淡路大震災から19年

今年も自らが出演する舞台が待っていて
私なりのメモリアルデーのつもりが
スケジュールに追われた忙しい一日となりました。

  1.ギャラリーわびすけ   2.兵庫県立舞子高校   3.東遊園地
 4.西宮震災記念碑公園  5.メモリアルウォーク   6.人と防災未来センター


   1.ギャラリーわびすけ  2014年1月12日(日)
 今年もギャラリーわびすけで開催される震災写真展からスタートしました。今年は福島県三春町に住むプロの写真家「飛田晋秀」さんの写真展で、「福島のすがた 3・11で止まった町」と題され、原発事故により今なお立ち入りが制限されている町の様子が展示されていました。津波被害を直接受けなかったにも関わらず、廃墟とならざるを得なかった町の悲しさが伝わってきます。

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   2.兵庫県立舞子高等学校  2014年1月15日(水)
 兵庫県立舞子高等学校で「阪神・淡路大震災を忘れない〜21世紀を担う私たちの使命〜」と題したメモリアル行事が行われ、分科会での語り部として今年も参加しました。今年も「中学生・高校生による世界防災会議・全国ジュニアリーダー育成事業プレ大会」が行われており、私が到着した頃は岩手・宮城・東京等の高校・兵庫県の兵庫県防災Jr.リーダー育成事業参加校をはじめ、中国四川省やスリランカからの海外参加者も含めて災害と防災を語り継ぐために国境を越えたパネルディスカッションが行われていました。
 今年も運動場で「舞子千人鍋」と題した炊き出しの交流会が開かれており、講話終了後にお世話をしてくれた生徒さんと共に炊き出しをいただきました。若い生徒さんに囲まれて、最高の御馳走でした。

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   3.東遊園地  2014年1月16日(木

 1月17日の準備の整った東遊園地の交流テントで、「阪神淡路大震災から東日本大震災へ 〜記録と記憶〜」と題して東日本から来られた方との交流と、震災を伝えるワークショップが開催されました。
 最初は当時の大船渡小学校の校長先生から、写真を見ながら震災直後のお話を聞きました。被災地の様子は見てはいますが、津波の押し寄せる場を経験した人の話はどんどん引き込まれていきます。
 その後、震災を知らない若い方々を含めてのワークショップ。「震災を伝える」ということについて様々な意見が交わされました。私のグループでは「行動→知る→感じる→伝える→課題→行動」と、震災を伝えてゆくためのサイクルが結論となりました。最近は語り部が高齢化したと言われるようになりました。たしかに「いつまでも」という訳にはいきませんが、受け止めてくれる若い人たちもいます。年だと諦めずに、機会を作り伝えることが阪神・淡路の経験者に残された使命ではないでしょうか。

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 2014年1月17日(金) 19年目のメモリアルデー


   4.西宮震災記念碑公園
 最近は神戸で活動することが増えてきましたが、西宮市民は西宮震災記念碑公園からメモリアルデーを始めるべきと、前日の帰りが遅くなったにも関わらず4時半起き。車の温度計は4度。温かいわけはありませんが、0度や雨の日もありましたので、楽な部類に入る朝でした。
 午前5時46分、市長のあいさつの後に黙とう。思いは19年前へ。様々なあの日のことが思い浮かびます。決して忘れてはならない日。伝え続ける決意を新たにするひと時です。ただ、この時間に来られる方の数が確実に減っているのがわかります。来年は20年。多くの方の来られることを期待します。

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   5.1.17ひょうご メモリアルウォーク2014

 
 久しぶりにメモリアルウォークに参加することにしました。ただ、芦屋からの10Kmコースにするか、神戸市立中央体育館からの5Kmコースにするかを直前まで迷いましたが、1月17日の東遊園地にはどうしても行きたいという思いから、神戸市立中央体育館からの出発になりました。受付の9時30分には少し時間があったので、大倉山公園の慰霊碑を訪ねます。今日は鹿児島県人会による追悼式行われるため、関係者による式典の準備が進められていました。
 出発の10分前になると、注意事項の説明と準備運動。いよいよメモリアルウォークのスタートです。
 メモリアルウォークは元町商店街に入り、東遊園地を抜けて「1.17のつどい」の会場である人と防災未来センターまでです。道端にはさざんかが今を盛りと咲いています。当然、口にする曲は「さざんか」です。7年前のメモリアルウォークで作った曲ですから。ただ、「19年の時が過ぎ今日は1月17日」と歌いました。
 
 朝の東遊園地は溢れんばかりの人だったと思いますが、私が着いた時にはかなり少なくなっていました。遅くなってしまいましたが、竹筒のにろうそくに点灯しお参りをしました。歩くだけでなく、追悼の場に立ち寄ることができるのはこのコースだけです。
 
 東遊園地は竹筒にろうそくを灯すだけではありません。全国から集められた灯を灯し続ける「1.17希望の灯り」、地下の冥想の空間に亡くなった方々の氏名が掲げられている「慰霊と復興のモニュメント」があります。普段は閑散としているこの場所ですが、今日は大勢の人が訪れています。幼稚園か保育所の園児でしょう。希望の灯りの前で、熱心に先生の話を聞いてしました。献花の場所となっている「慰霊と復興のモニュメント」では供えられた菊の花が水面にぎっしりと浮かんでいました。 交流テントは昨夜のような賑やかさはありませんでしが、訪れた人たちが掲示物を熱心にご覧になっておられました。

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   6.人と防災未来センター

 メモリアルウォークのゴールとなる人と防災未来センターは「ひょうご安全の日のつどい」が開催されており、交流広場は既に多くの方が来られていて非常に賑やかでした。防災啓発展示ブースでは防災グッズの展示や販売が行われており、「非常用アルミ寝袋」と「三角巾」をいただきました。予期せぬ災害に出会った時には役に立つものです。
 防災啓発展示ブースをゆっくり廻りたいのですが、「1.17のつどい」まであまり時間はありません。「1月17日はおにぎりの日」これを実践するために途中で買ったおにぎりを急いで口へ。メモリアルウォークの最後は忙しいものになってしまいました。
 午後0時から「開会のことば」そして「黙とう」。12年前の初参加で涙したことを思い出します。「追悼のつどい」が「安全の日1・17のつどい」に名称は変わりましたが、亡くなった方を思う気持ちは変わりません。
 そしていつも泣かされるのが「なぎさ小学校児童」による「しあわせ運べるように」です。歌が好きな私だからとも思いましたが、やはり近くの方も涙を拭いておられました。
 メモリアルデーの最後は今年も「詩の朗読と音楽の夕べ」です。メモリアルウォークの服装で舞台に立つわけにはいかないので、一度西宮へ帰り、着替えた上で再び人と防災未来センターへ。昨年の経験があるので少しは楽でしたが、やはり慣れない詩の朗読です。声を詰まらせることのないように、詩にのめりこむのを少し抑えることに徹しました。
  今年はピアノの音を聞きながらの朗読でした。客席が暗くて見えないのが幸いして、時々涙声になりそうになりながらも無事に終えることができました。ただ、それからが大変。聞き手に廻ると歯止めがきかなくなり、ずっと目頭を押さえていました。

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 阪神・淡路大震災から19年目のメモリアルデーが終わりました。今年も「詩の朗読と音楽の夕べ」に出演し、クタクタになるまで歩き回ることはありませんでした。来年は震災20年。「詩の朗読と音楽の夕べ」は竹下景子さんを迎え、芸文センターで行う予定なので、私は舞台の裏方に徹することになると思います。年と共に1月17日の行動も多少変わっているようですが、それでもあの日に帰り、また次の1年を新しい気持ちで迎えることに変わりはありません。

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