阪神・淡路大震災から18年

 今まではクタクタになるまで各地を廻るのが
私なりのメモリアルデーでしたが
今年は自らが出演する舞台が待っていて
無理をしない、おとなしい一日となりました。

  1.ギャラリーわびすけ   2.兵庫県立舞子高校   3.東遊園地
 4.西宮震災記念碑公園  5.高木小学校   6.人と防災未来センター


   1.ギャラリーわびすけ  2013年1月13日(日)
 今年もギャラリーわびすけで開催される震災写真展におじゃましました。今年は石巻市で建設業を営んでおられた方の写真展で、「伝えたいあの日、そして これから」と題して、石巻市の写真を中心に展示されていました。石巻市へは、一昨年と昨年に二度行っているため、目にした風景もあり、震災直後の悲惨な状況からの時の流れがわかり、確かに少しは復興したのかな、という気持ちになりました。

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   2.兵庫県立舞子高等学校  2012年1月16日(水)
 兵庫県立舞子高等学校で「阪神・淡路大震災を忘れない〜21世紀を担う私たちの使命〜」と題したメモリアル行事が行われ、分科会での語り部として参加しました。今回は2回目でしたが、生徒は毎年進級するため、結果として初めてと同じでした。
 今年は運動場で「舞子千人鍋」と題した炊き出しの交流会が開かれており、私も味わうことができました。

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   3.東遊園地  2012年1月16日(水

 舞子高校から一度は自宅に戻りましたが、夕方から再び神戸の東遊園地を目指します。今夜は「希望の灯り 里帰り」と題して、神戸から、大槌町・陸前高田市・南相馬市に送られた灯りが、1.17の集いの竹筒に再び点灯するために里帰りすることにより、各地から集まった方々と交流会が催されることになっているからです。
     
   集ったのは阪神と東日本の震災被災者や避難者だけでなく、事故等で命を失くされた方の遺族も参加され、交流テントは膨れ上がる一方。各テーブルに同じ地域の人が固まらないように席の調整をし、自己紹介から普段の活動までの話し合い続きます。  
 そして、各地域を代表しての言葉。なかなか津波被害を受けられた方の生の声を聞く機会はありませんし、原発事故の報道も少なくなっていますので、意義ある交流会となりました。その上、大槌町長も飛び入りし、町の復興への熱い思いを語られました。

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 2013年1月17日(木) 18年目のメモリアルデー


   4.西宮震災記念碑公園
 毎年家を出る時は0度前後。かなり冷えます。けれど今年は暖かい。車の温度計は4〜5度で、1週間前に仙台に行っていたことを思うと、さほど寒くはありませんでした。
 午前5時46分、市長のあいさつの後に黙とう。この雰囲気は特別なもので、やはりホロリと来てしまいます。震災から18年。やはりこの時間に来られる方の数は減っています。時が過ぎ、ある程度は仕方のないことではありますが、決して忘れてはならない日。伝え続ける決意を新たにします。

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   5.高木小学校

 普段は夜が開け切るまで震災記念碑公園に留まりますが、今夜に「コスモス」の朗読をするので、生まれたての赤ちゃんの亡くなった地区である高木小学校へ飛びます。当然この学校の5人の生徒に含まれていませんが、あの日涙をこぼしながら死亡届を受け付けたことが思い出されます。生きていれば18歳。人が少なくなっていたからだったのでいいですが、やはり目頭を押さえながらのお参りとなりました。 

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   6.人と防災未来センター

 人と防災未来センターに着いたのは3時20分頃。集い終了直後の献花はできませんでしたが、遅れて来る人のためにも花が用意されていて、水面に花を供えることができました。毎週のように行っている人と防災未来センターですが、今日だけは雰囲気が違います。正午からの催しは追悼のつどいではなくなったけれど、やはり追悼一色でした。
 少し時間があったので人と防災未来センターの見学をすることにしました。1階の待合ロビーには今年も「こころを伝える 絵手紙展」が開かれていました。単なる言葉だけでなく、絵の伝える力は大きいようです。一枚一枚見ていると、どれも「本当だね。そうだね。」と、納得した言葉を返したくなります。そして、入口の「絵手紙7つの心得」に続く三つの「つ」。「つづける」「つなげる」「つたえる」これは震災を経験した者にも言えることではないでしょうか。
 
 メモリアルデーもいよいよクライマックスです。あまり疲れないようにと、普段と違う1日を過ごしたのは、「詩の朗読と音楽の夕べ」に出演するためです。朗読する「コスモス」は練習を含めると数えきれないくらい歌ってきましたが、朗読するのは初めてですので緊張してしまいます。その上、コーラスの本番ではいつも涙を流してしまうので、声を詰まらせることも心配でした。
 本番の客席は真っ暗。観客が見えない上に、ギターのメロディーに合わすのも大変。お陰様で涙の境地に到達する前に読み終わるとができました。長年並行して続けてきた合唱と語り部の活動が合体した瞬間です。方法はどちらでもいい。震災の経験を伝えることこそ大切だということを実感しました。

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 阪神・淡路大震災から18年目のメモリアルデーが終わりました。今年は「詩の朗読と音楽の夕べ」に出演し、打上げ会にも出席して、遅くはなりましたが体力を使い切ることはありませんでした。昨年に引き続き余力を残しての帰宅となり、1月17日も少々変わったのかなという気がしますが、あの日を忘れないために、あの日に帰る。そんな一日であり続けたいと思います。

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