国際○△シンポジウム 同時通訳 日誌 (プロジェクトX風)
2002年××月△△日、京都■■館でシンポジウムが開催された。

  大学院時代の友人I女史の薦めで同時通訳をボランティアで引き受けることになった。最初は尻込みしていたが、プロが入ってくれると言う言葉を信じてOKする。なんと言ってもこれからも大切にしたい友人の一人だからだ。

 実際ふたを開けて見ると想像以上に難渋し、直前には知人にメールで辞退を真剣に考えているという内容を伝えたほど。まずは人選から始まった。プロと私の2人で2日間びっしり同時通訳を行なうのは無理と考えて早速めぼしい友人に助けを求める。二人目にアタックした友人がのってきてくれた。だが、その人はもう一人かなり優秀だというその人の知人がOKなら引き受けるという条件付。

 3人そろったところで、I女史に報告。その時、プロは要れずにこの3人だけで対応したいという希望を伝える。彼女もその方が費用の点でも助かるのですぐにOKをくれた。そしてこのまま順調に当日まで準備に明け暮れて、当日3人で何とか対応することと思っていた。

 ところが、事はそう簡単ではなかった。まず、I女史の報告で同時通訳の設備にお金がかかりすぎ、同時通訳ではなく逐次通訳で対応して欲しいという依頼が再度入ってきた。

 ここで、私たち3人は全く混乱した。会議の予定表をみると講演者はおよそ1時間交代でびっしり10人ほどが2日間に渡って入れ替わり立ち代り演壇に立つことになっている。逐次通訳を入れてどうやってこなすつもりであるのか。主催者側は通訳のことをあまりに知らないことがわかりこれから先が思いやられる。しかも、学会ではないため、要点だけを簡単に要約通訳してくれればいい、ということだ。要約通訳は大変高度な技を要求するもの。また、実際の会議がどのように進行されるの理解できず私たちは大変混乱した。ボランティアでそこまで対応可能だろうか。

  ということで、友人達は断ってきた。あたりまえだが、そのときに私も辞退するように強く勧められ、そのとおりだと私も納得した。しかし、この友人は大切でI女史のボランティアに対する取り組みは彼女の後半生をかけたものだという事も知っているので、とても断れない。

 困った私はここから大車輪で働くことになる。

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