四天王時代を振り返る 2



今回は三沢vs川田の三冠戦を振り返ることにより、四天王時代の流れを見てみたいと思います。

まず三沢vs川田の三冠戦は全部で8回行われており、日時と開催場所と勝者は以下のようになっています。

1、92年10月21日・日本武道館・三沢
2、93年7月29日・日本武道館・三沢
3、94年6月3日・日本武道館・三沢
4、95年7月24日・日本武道館・三沢
5、97年6月6日・日本武道館・三沢
6、98年5月1日・東京ドーム・川田
7、99年1月24日・大阪府立体育会館・川田
8、99年7月23日・日本武道館・三沢

こうして見ると、「夏頃の武道館で三沢の勝利」という試合が多いのが目につきます。
では順に各試合を見ていきます。


1、は前回も書きましたが、三沢−川田時代の到来を告げる歴史的な名勝負といえます。

2、では有名な「投げ捨てジャーマン3連発」が事実上のフィニッシュとなりました。試合後に三沢が「非常になりすぎた」と言ったほどのエグイ技であり、以後全日本で危険技が日常化する発端となった試合でした。

3、川田はチャンピオンカーニバルに優勝し、万全の状態で三沢に挑むのですが、またしても敗れ去ります。三冠戦史上初めて勝負タイムが30分を越えた試合であり、フィニッシュとなったタイガードライバー’91も危険極まりないものでした。


私の考えでは、三沢vs川田の全盛期はここまでです。
当時は三沢vs川田を中心に全日本が動いており、観客の声援を真っ二つに分け、試合のたびに戦慄なフィニッシュを用意していました。この時点で、三沢vs川田は藤波vs長州や鶴田vs天龍に勝るとも劣らないカードに成長していたと思います。
また、6の試合の前のインタビューで、三沢は2の試合を川田は3の試合を最も印象に残った試合として挙げています。

先ほど私は、ここまでが全盛期と言いました。ということは、これ以後は少しずつ衰えていくわけです。
ただ誤解しないで頂きたいのは、試合のクオリティーそのものは決して衰えていないという点です。それでも、三沢vs川田の持つ力は少しずつ弱くなっていくのです。


4、はタッグでは三沢から初めてフォールを奪った川田が4たび挑戦するのですが、敗れてしまいます。

5、は巴戦という形式ながら三沢からシングルで勝利を奪った川田が5度目の挑戦をするのですが、またしても敗れてしまいます。試合後、川田は「三沢光晴に対してひとつのケジメがつきました」と三沢越えを断念するかのような発言をしました。

6、全日本が初めて単独開催した東京ドーム大会のメインイベントで、川田は念願の三沢越えを果たします。惜しむらくは、このカードがやや唐突に組まれたことでしょうか。


この頃になると、チャンピオンカーニバルの公式戦では三沢vs川田は30分時間切れにしかならなくなっています。これは「三沢vs川田ほどのカードが、チャンピオンカーニバルの公式戦で(しかも30分以内で)決着が着いてしまってはいけない」という空気ができてしまっていたからだと思います。
それほどまでのカードになると、我々見る側が試合内容に寄せる期待は極めて大きくなります。しかし、いくら三沢と川田といえども、毎回毎回その期待に応えられません(4の試合はその典型だと思います)。また、1、2、3、とカードを高められた要因の一つに、フィニッシュの戦慄さが挙げられるのですが、投げ捨てジャーマン3連発やタイガードライバー’91以上のフィニッシュはそうそう用意できるものではありません。
こうして三沢vs川田は、観客の過剰期待と期待に100%応えられない試合内容という、試合が多くなってしまいます。

何とももどかしい点は、純粋な試合内容は全く衰えていないというのに、トーンダウンしてしまったという点です。
これは四天王時代後期の全日本を象徴していることでもあります。


7、の試合では久しぶりに三沢vs川田が大きくクローズアップされることになります。試合終盤で、三沢は垂直に落とされ川田は右腕を骨折という、壮絶なパワーボムが放たれたのです。何年も続いている三沢vs川田を再び活性化させるには、あのパワーボムしかなかったのでしょうか……。

8、では特に新しいことは起こりませんでした。最初に言った「夏頃の武道館で三沢の勝利」という三冠戦です。




鎖国制度ゆえに同じカードが多い。毎回新鮮さを提供するのは難しい。その代わりに純粋な試合内容で勝負する。
これが当時の全日本の方針であったと思われます。

そして、それを最も象徴するのが、この三沢vs川田ではないでしょうか。
ストーリーは最小限。三冠戦を盛り上げるのはそのシリーズでの前哨戦。次の大会も来場してもらうために素晴らしい試合を見せる。「スポーツ紙で舌戦」なんて楽な道をあるのですが、あえてそれはせずまさに王道を歩んだ三沢vs川田は、四天王プロレスの最高傑作ではないかと思います。



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